マイ・ビューティフル・エネミー (序章)

序章

 楽園となんだろう。
 飢えも苦しみもない平穏な世界だろうか。
 断言するが、そんなものは絶対に違うと思う。
 楽園なんてものが存在するとすればそれは――。



 その日も俺の日常は平穏ではなかった。
 悲鳴と怒号が飛び交い、阿鼻叫喚の争乱が場を埋め尽くす。
 どこを見回しても存在するのは頭のおかしい馬鹿野郎どもばかり。
 自らを頭のいい存在であると勘違いした愚か者共達が雁首を揃えて何の役にも立たない浪費行為に精を出す。
 まさに、我らが《学園島》のいつもの風景だ。
「さて、最後に言い残すことはありますか?」
 俺の発した言葉に眼前に座る眼鏡男はへらへらと笑う。
「いやだなぁ、それだとまるで僕が悪いことしたみたいじゃないか」
 罪の意識の欠片も見出せない、実に清々しい台詞だ。
「ほう。自分は何も悪くないと。先輩はそう主張するんですね」
「そうだね。僕が寝てる間に勝手に施設が停電になったんだ。一番悪いのは電源供給の管理を怠った学園側だと思うね」
 そう言って眼鏡をくいっと持ち上げる先輩。ヨレヨレの白衣姿なのに眼鏡だけはキラーンと無駄な輝きを見せる。
「よし、こいつ殴ろう。そしたらこの事件は解決だ」
「落ち着いて、晴夜。何も解決しないよ」
 直接的な手段に訴えようとする俺を隣に立つ幼なじみ――瀬川兵子が押しとどめた。
「ねえ、先輩。何か手はないの? 教えて、お願い」
 と兵子が俺の横で先輩にウインクする。幼なじみというひいき目を抜いても兵子の見た目はかなり可愛い部類に入る。大抵の男なら兵子のおねだりに屈するものだが――。
「はっ! 色仕掛けなどこの研究の一筋のこの僕には通じないぞっ! 今まで何人の学徒が色狂いで失敗してきたことか。純然たる科学の徒であるこの僕は絶対に色仕掛けなんかに屈しないっ!」
 先輩は顔色一つ変えずふんぞり返る。兵子に迫られたら大抵頬の一つでも赤くなるものだが、なかなか強い精神力をお持ちのようだ。
 とはいえ――。
「いやいや、そもそもの依頼人は先輩で、俺達は頼まれた方なんですから。どっちみち協力してくださいよ」
 俺はため息をついた。
 そんな馬鹿なこと言ってる間に外でまた悲鳴があがった。
 俺は我に返り、話を戻す。
「んで、奴を止める手段はあるんですか、先輩?」
「ふふふ、僕の研究テーマを忘れたのかい? 人を超える獣は存在たり得るか、だよ。よくあるブービートラップは大概教え込ませたし、麻酔銃とか人間の匂いとかには敏感に反応して警戒するようになってる。スタンガンとかも理解してる。簡単に思いつく対策じゃあの子を止めることは出来ないね」
「先輩さぁ、こう言う時は唯一の弱点を作っておくものだろ? いざとなったら首輪に電撃が走るようになってるとか、自爆装置が埋め込まれてるとか」
 俺の言葉に先輩は吹き出す。
「ハッハッハッ! いやだなぁ、それじゃあ《完全なる獣》にならないじゃないか。考えられる限りの弱点はなくしたし、首輪なんて無粋なものはつけてない。後、睡眠薬入りの餌も食べないぞ。万一薬物を打ち込まれたりしても、ある程度は耐えるように耐性があるように肉体改造もしてる」
 外で獣の咆哮が聞こえた。途端、わぁぁぁ、と悲鳴と共に逃げ出す人々の声が聞こえてくる。また一つバリケードを破られたのだろう。
「《警備団》(ヴァルカンズ)の到着を待つのが一番じゃないの?」
「そんなことしたら、あの子は殺されてしまう。それじゃ困る。彼女はまだ発達途中だ。彼女はまだまだ強くなれる」
 兵子の言葉を先輩は否定する。確かに《警備団》が来たら先輩の育てたあの子は容赦なく殺処分されてしまうことだろう。彼らは理想主義者の多いこの《学園島》では極めて珍しい合理主義者の集まりなのだから。
「打つ手なしに見えますが――」
「それを考えるのがキミの仕事だろう? 《次善策》(ミスターグツドエンド)くん」
 ――ミスターと君づけを被せるのは辞めた方がいいですよ。馬鹿っぽく見える。
 そう思ったがツッコむのも面倒になったのでやめておく。
 外で再び悲鳴が聞こえ、俺は残り時間の少なさを改めて感じた。
 おそらく《警備団》は既に動き出していてこちらへ向かっていることだろう。彼らとて貴重な実験動物をすぐには殺さないだろうが、一通りの手段を試して効かないと分かれば殺しにかかるに違いない。
「仕方ない。それじゃ――」
 と口を開くと同時に研究室の扉がノックされる。表で戦ってる連中からの連絡だろうか。
「どうぞ、入りたまえ」
 先輩が敬語なんだかそうでないのかよく分からない返答を返すと遠慮なく扉が開かれた。
 途端、世界が変わる。
 薄汚れた研究室が神々しい聖堂へと変化した――そんな錯覚がこの場にいた全員を襲った。
 そこに現れたのはなんというか……絶世の美少女だった。そんな単語があるかは不明だが、そうとしか言いようがない。
 ただその場に現れた――それだけのことで、ただ存在すると言うだけでこの場の空気をがらりと変え、自らの場へと変質させる超常の存在。口にするのも憚られるような奇蹟の存在が、俺達の前へ現れていた。
「酒医晴夜くんはいるかしら?」
 心地よくも力強い声が大気を震わせる。
 俺は突然の展開に声を出せなかった。反射的に先輩と幼なじみの視線が俺の方へ向かい、それで美少女は俺を認識する。
「成る程キミか。写真で見るよりも男前だな」
 女性としてはやや高い身長に長い黒髪、雪よりも輝く白い肌――美の化身ならばここにいると全身で主張するかのような容姿。
 けれども、何よりも恐ろしいのは彼女のまとう空気だった。周囲のなにもかもが浄化され、同じ空間に居るだけでこちらの汚れた心まで清々しくなっていくような不思議な感覚。
 出会うのは初めてだが――それでも相手が何者か、俺は理解した。
 聞いたことがある。一つ上の学年に、この世で最も美しい少女がいる、と。あまりの美しさに、目があった者全て恋に落ちてしまう禁忌の聖女がいると。
 こんな掃きだめのような《学園島》にそんな逸材が存在するだなんて、と笑い飛ばしていたが――実物を見てしまっては納得せざるを得ない。
 ――この先輩は、美少女過ぎる。
 まことしやかに囁かれる噂に従い、目を合わせぬよう視線を逸らす。しかし、そんな状態でさえ彼女の姿そのものから後光がさしているように感じる。
「あー、そうですよ、遠峰許花先輩。この俺が酒医晴夜ですが、何かご用でも?
 こちとら逃げ出した実験動物をどうやって捕獲するか、という案件を抱えてます。
 本日はお引き取り願えませんかね」
 我知らず横柄な物言いを返す。そうでもしなければ、正気を保っていられない。
「ほう、この騒ぎはそういうことか。どうりで騒がしい訳だ」
 俺の無礼な態度を介さず、美少女――遠峰許花先輩は頷く。
「一年なのにそんな難事に取り組むとは、さすがは《解決屋》だな」
 感嘆の声をあげる美少女に俺は口をへの字に曲げた。褒められるのは嬉しいが、それを素直に受け取れるほど俺は純情ではない。
 それに、そんな時間もない。今は美少女におだてられて照れている場合ではないのだ。。
 こうしている間にも外では怒号と悲鳴が断続的にあがっている。相応の地獄絵図となっているのは想像に難くない。この《学園島》の連中はなんのかんので皆タフなので死者はでてないと思うが――。
 しかし、そんな俺の思考は背後から聞こえて来た破壊音に中断させられた。
 美少女のいる戸口とはちょうど正反対にある窓が粉々に砕かれ、ガラスの破片が四散する。俺は背中を庇いつつ、ゆっくりと振り向いた。そこにいたのは――。
「おおっ如月! 僕に会いに来てくれたのかいっ!」
 白衣の先輩が立ちあがると、現れたそれ――全長三メートルを超える虎がぐるると低く吼えた。美しかったであろう毛並みはボロボロになり、身体の各所から血を流している。まさに満身創痍。
 されど、その全身からは凄まじいまでの怒りと殺意が発せられている。
「逃げて下さい先輩。こいつはあなたを殺しに来たんですよ」
「どういうことだい?」
 俺の言葉を先輩はまるで理解してないようだった。
「実験の責任者があなたであるとこの子は理解していたんでしょうね。
 だから檻から逃げ出した後、自らを苦しめた元凶である先輩を殺すためにここまで来たってことです」
「素晴らしい。僕に殺意を抱けるほど成長していたなんて。鍛えた甲斐があったよ」
 ――このマッドサイエンティストめ。
 自分の身の危険を恐怖するよりも、実験の成果に歓喜するとは、仕事人間過ぎる。
 しかし、この猛虎が先輩を狙ってここへ来ることは予想通りだ。
「兵子。ぶっつけ本番だけど予定通り――」
 と相棒に指示を出しかけたその時――俺達と猛虎の間へふらりと美少女――遠峰先輩が割り込んだ。
「この子が逃げ出した実験動物か。かわいそうに」
 ――なっ!
 ごく自然に、なんの気負いもなく遠峰先輩は虎へと近づいてく。
 ――なにやってるんだこの人は! そいつは人を殺すために徹底的に訓練され、肉体改造された殺人虎なんだぞっ! そんな不用意に近づいて、捨身飼虎を気取る気かっ――。
 俺は声なき悲鳴をあげ――次の瞬間、自らの目に飛び込んできた光景に言葉を失った。
 遠峰先輩がただ前に現れる。それだけのことで、なんと――かの殺人虎は頭を垂れ、美少女の前にひれ伏したのである。
 ――んな馬鹿な。
 遠峰先輩の美しさは種族をも超えるというのか。 
 怒りに打ち震え、殺意に満ちていた猛虎が人間の美少女の聖性の前に屈したなんて。
「嘘やん」
 思わずうめき声をあげる俺。
 さっきから想定を超える事態が連続して起きすぎだ。
 遠峰先輩が手をさしのべると虎は彼女の手を舐め、あろうことかごろりと仰向けに寝転がり、自らの腹を無防備にさらけ出した。完全服従の証である。
 無茶苦茶すぎる。どれだけの偶然が重なればこんな事態になるというのか。
「ふふふ、こうしてみればなかなかに可愛いやつよ」
 遠峰先輩が笑いかけると殺人虎は先ほどまでの勢いはどこへ言ったのか、低く唸りつつにゃぁー、と声をもらした。
「ちょ、虎がニャーって言った! ありえへんっ! なんでやねんっ!」
「落ち着いて晴夜! 下手に騒ぐと虎を刺激するっ!」
 思わず叫び声をあげる俺を兵子が抑える。
「いやいや、だっておかしいやろ! あの虎、完全に猫になっとるっ!」
「大丈夫、もともと虎は猫科だよ」
「何も大丈夫じゃねーよ! それでなくとも野生生物にとって、急所の腹をさらけだすとかねーよ! いや、この虎は野生じゃないかもしれんけどっ!」
 叫ぶ俺の横でがっくりと白衣の先輩が肩を降ろす。
「まさか……史上最強の生命体を作るはずが色気に負けるなんて。しかも雌なのにっ!」
 こちらはこちらで目の前の事態は大変ショックだったらしい。自分の命が助かったというのに、そちらの方が気になるとは。
「ふふふ。すまなかったな。人間達の都合でキミの人生を狂わせてしまって」
 一方、遠峰先輩はすっかり体が大きいだけの猫になってしまった虎に向けて優しく微笑みかける。虎はそんな先輩へ心配には及ばないとばかりに舌を出し、ペロペロと彼女の手を舐めた。その舌の横には恐ろしい牙があるというのに彼女はまったく気にしてないようだった。かなり肝っ玉も据わっているらしい。
「……この子、如月と言ったか? 主はそこのキミか?」
 呼ばれて白衣の先輩がすちゃりとズレた眼鏡を押し上げる。
「いかにも。僕こそが如月を地上最強の生命体とすべく調教中の主だ! 人間には格闘技があるが、野生獣にはそれがないっ! だから獣専用の格闘術を編み出し、たたき込み、あらゆる薬物に耐性をつけさせ、罠や機械に負けない戦術眼を教え、最強の生命体へと――」
「この子をその任から解き放って欲しい」
 オタク特有の早口言葉で持論をペラペラと披露する白衣の先輩の言葉を遮り、遠峰先輩は言う。
「なんだとっ! 僕がどれだけ如月の為に時間と費用を費やしたと思ってるんだっ!」
「でも、この子が可哀想ではないか」
「かぁーっ! その子の所有権は研究室にあるし、その長である僕は彼女を好き勝手にしていいはずだ! 別に殺す訳じゃない! 恒常的に苦痛を与えているか知れないが、そのたびに彼女は強くなっているんだ! それを他人が可哀想だからと手前勝手な正義感を振りかざしてやめさせるなんて――」
 激昂し、ますます早口になる白衣の先輩に対し、遠峰先輩はただただ穏やかだった。
「私の目を見て言って欲しい。この子を解き放ってはくれないか?」
「それは――」
 白衣の先輩が遠峰先輩に真正面から向き合い――劇的な変化が起きた。それまでの激情が消え去り、顔中が真っ赤に染まり、どこか熱に浮かされたような顔になる。
「あ、ああ――そうだね。キミがそう言うのなら、喜んで」
「そうか。ありがとう。分かって貰えて嬉しい」
 遠峰先輩が笑うと白衣の先輩は顔を真っ赤にして、「そ、そうか」と胸を押さえながら目を逸らした。もう完全に心を奪われてしまっている。
 あれほど女の色気になんか絶対に負けない、と豪語してた白衣の先輩は一瞬で落とされてしまった。先輩の心が弱いと見るより、やはり遠峰先輩が異常と考えるべきだろう。獣ですら屈服させるその美しさに人間の理性が敵う通りなどどこにもない――そういうことか。
「おっと、キミの仕事をとってしまったかな」
「別に。俺は自分の手柄に飢えてる訳じゃないですよ。ゴタゴタが解決したのならそれで結構です」
 俺はなんとなく身構えつつ、横柄な態度で応える。心が汚れてると自覚してる人間にとって、遠峰先輩は実に近寄りがたい存在だ。何より、自分の心を奪われてしまうというのが一番怖い。恋愛感情というものはどうにも人を狂わせるところがある。
「さて、では事件が解決したところで、私の本題に入りたい。
 実は、キミ――酒医晴夜くんに折り入って頼み事がある」
 遠峰先輩は低くにゃーと言いながらゴロゴロと転がる虎の頭を軽く撫でた後に立ちあがり、俺に向き合った。虎は名残惜しげではあったが、文句を言わず、遠峰先輩の足下で丸まって控える。もう完全に猫だ。
「おっと、如月が気になるのは分かるが、ちゃんと私の方を見て欲しい」
 ――それは無茶な要求と言うものですよ、先輩。
 心の中で愚痴りつつ、俺は顔を歪める。先ほどまでの言動を見る限り、先輩は自分の美しさによる《誘惑》(テンプテーシヨン)の自覚があまりないらしい。本人としては誠心誠意頼めば分かって貰える、というつもりなのだろうが――わざとであろうとなかろうと目があった瞬間に色仕掛けをくらうと分かってて目を合わせるなんてバカバカしいにも程がある。
「親に言われなかったのか。人と話す時は相手の目を見て話せと」
 あくまでも幼子を諭すような遠峰先輩の声。悪気はないのだろう。そこから一方的に逃げるのはやや気が引けた。
 ――別に超能力とかじゃないんだ。相手はかなり凄くメチャクチャ美少女すぎるだけだ。俺が心をしっかり保てば相手の綺麗さなんかに心を奪われたりなんかしない……はずっ!
 俺は意を決し、先輩と真正面から向き合った。
 途端――息を飲む。視界の端においやっていた時から美しいと思っていたが――正面からみたら想像以上だった。全てを見通すかのような黒い瞳が俺の心を撃ち抜き、我知らず呼吸を忘れる。
 薄暗い研究室のはずが、彼女の周囲だけ燦然と輝き、光の粒子が全身から輝きあふれ出すのを幻視する。
「ようやく、私を見てくれたな、晴夜くん」
 輝く笑顔が更に俺の胸の奥にある何かを熱くさせる。自分の全てを彼女へと捧げたいと言う衝動が後から後から沸いて出てくる。
 ――ああ、ダメだっ! これはダメだっ!
 今更ながらに自分の認識の甘さを自覚する。
 ――心を、持って行かれてしまう。
 果たしてこれが恋愛感情なのか、よく分からない。それでも俺の体が、心が、彼女を求めて狂おしいほど熱くなっていくのを、止められない。むしろ、その痛いまでの衝動すら悦びに感じてしまう。
 ――ああ、俺は――。



「実は、私には一つの大きな目的がある。
 キミにはそれを手伝って欲しい」
 熱に浮かされたような、夢うつつの定かではない状態で、ただ遠峰先輩の声だけがやたら鮮明に聞こえてくる。
 ――ああ、先輩が俺を求めてくれている。だったらそんなに嬉しいことはない。
 先輩のためならば幾らでも力を貸そう。自然と俺は決意する。
 心のどこかで、理性がガンガンに警鐘を鳴らしてくるが、感情を制御できない。こんなものは、バスや電車に乗った時、隣の席に自分好みの美人が座って、意味もなくテンションだけが上がってしまう状態の拡大版みたいなものだ、落ち着け、と理性は叫ぶが、どうにもならない。隣の席に胸の大きな子が座ったら、そらテンションあがって、話しかけられてしまえば鼻の下を伸ばして言うことを聞いてしまう――思春期の男子とはそういうものなのだ。
「キミも知っているだろう。
 この《学園島》は成績さえよければ何をしても許される、無法地帯同然の場所だ」
 先輩の言葉に俺はただ頷く。
 そう、この《学園島》は小笠原諸島の南端に作られた世界初の人工火山島だ。その規模は佐渡島に匹敵する巨大さで、その島そのものが巨大な教育機関になっている。幾つもの学校が乱立し、世界最高峰の教育を受けることが出来る。
 だがその反面、この《学園島》は絶対なる成績至上主義が取られ、学業成績さえよければ何をしても許される。
 最終的にテストの点さえよければ授業になんて一切でなくていいし、多少の暴力沙汰も目をつぶられる。故にここは学業成績はいいが、人格に問題のある連中が跳梁跋扈し、連日騒ぎの耐えない無法地帯と化しているのが実情だ。
「私はそれを変えたい」
 先輩の言葉に俺はやや居住まいを正す。
「学舎とはただ勉強をするためだけの場所ではない。
 人の心をも育む場所であると私は信じる。
 それでなくとも、学園の自治権を盾に様々な治外法権が許されるこの学園のありようは断じて間違っている」
 それはこの学園に住まう者なら誰もが知っている、自覚している《学園島》の最大の欠点だ。そんなこと今更言われなくとも、分かってる。
「――それで、具体的にどうするって言うんです?」
「この学園に秩序をもたらす。人が正しく健やかに住める島へと作り替える。
 ひとまずは、生徒会を作り、風紀の取り締まりを行う」
 なんとも立派な話だ。誰が聞いても納得のいくご高説だろう。正論も正論。百人が見れば百人が、この《学園島》は狂った教育機関だと言うに違いない。それを正そうだなんてまさに高潔な精神の持ち主である証明だ。
 けれども――。
 俺は自分の目の前にあるテーブルへ自らの右手を全力で叩き付けた。パァン、という意外に高い打撃音が部屋に響き、鈍い痛みと共に右手が真っ赤に染まる。
「お断りだ」
 俺は遠峰先輩の目を見据えながらはっきりと告げる。
「――え?」
「お断りと言ったんですよ、優等生のお嬢さん」
 恐るべき事に、右手の鈍痛が意識を覚醒させてくれているにも関わらず、こうして睨み合ってるだけで彼女の余りにも美しい瞳に心が吸い込まれてしまいそうになる。だが、歯を食いしばり、俺はなんとか意識を保つ。
「面と向かって罵倒されるのは初めてですか?」
 目を見開き、何も言えないでいる遠峰先輩を見てゾクゾクするのを感じる。そう、どちらかというと、俺はこういう方が好みだ。清楚なおすまし顔よりもよっぽどそそられる。
「何故だ。私の何が間違っているというのだ? 反対する理由など何もなかろう?」
「何もかも、ですよ。何もかも間違っている」
 俺は真っ赤に染まり、ジンジンと痛む右手をひらひらとさせながら笑う。困惑する遠峰先輩を前に色々とテンションが上がってきた。
「健やかに暮らすために学園に秩序を? ロックの社会契約論にでもかぶれたんですか?」
「私は熱烈なロック支持者ではない。けれど、万人の万人による闘争状態が起きるよりはよっぽど法による秩序が必要であろう?」
 ややムキになって反論してくる彼女はやはり美しかった。あんな透きとおった瞳で糾弾されてしまっては誰だって腰砕けになり、何でも言うことを聞いてしまうかも知れない。 気を抜けば本能からの呼び声にうち負けそうになる精神を必死で奮い立たせ、俺は相手をにらみ返す。
「ここをどこだと思ってるんですか? ここは全てが許される地、《学園島》ですよ。
 まともな学校に行きたければ島を出ればいい。まともな教育機関なんて本土に幾らでもあるっ!
 ここは《楽園》ですよ。俺達の、いや、俺の《楽園》です。
 秩序なんてくだらないもので世界をよくした気になる偽善者の手助けなどいりません」
 先輩は目を白黒させ、いぶかしげな目線を送ってくる。いまいち俺の言葉を咀嚼できてないらしい。
「理解に苦しむな。キミは無政府主義者(アナーキスト)、と言うことかい? 法の束縛よりも混沌の自由を選ぶと」
「自由放任主義(レツセフェール)って奴ですよ。最低限の法ならこの《学園島》にある。後はただ、流れに身を任せればいい」
 俺の言葉に先輩は眉に皺を寄せ、ううむ、と唸った。お人形みたいな顔をしてると思っていたが、なかなか人間らしい表情を見せてくれる。困った顔も、また美しい。
「キミは生徒間のトラブルを仲裁する《解決屋》をしている。それは、自己矛盾じゃないのか? 私はただ同じ事をしようとしているだけなのに」
「少しの手助けならいいんですよ。でも、あなたは自分の手前勝手な正義で世界そのものを変えようとしている。それが、気にくわない。
 俺とあなたは主義主張が合わない。だから、ここでこの話は終わりです」
 俺の話を聞き、先輩はため息をついた。
「いまいちよく分からないが――キミは意外と保守的なのだな」
「革命家はいつの時代でも嫌われるものですよ」
「ならば私は去ろう。キミは私がこの《学園島》を変える様を外から見届けるがよい」
 頭を振る先輩。そう、これでこの話は終わり。後は先輩が好きにすればいい。成功するも失敗するも、それは先輩の勝手。ただ、俺はその偽善行為に荷担せず、放任するだけ。それが俺の流儀(スタイル)だ。
 ――いいや。
「おっと、一つ言い忘れました」
「?」
 気がつけば声をかけていた。ここから立ち去ろうとする先輩に。もうかける言葉もないはずなのに。
「……ここは俺の《楽園》です。
 それを壊すと言うのなら、俺と敵対すると言うことです」
「――私の邪魔をするというのか?」
 振り返り、俺を睨んでくる先輩の顔を見て――俺は笑った。それ以上言葉はいらなかった。
「いいだろう。それならばキミは私の敵だ。存分に戦おう」
 かくてこの俺――酒医晴夜は学園の混沌を守る為、正義の美少女こと遠峰許花先輩と対立することとなったのである。



 そんな訳で今書いてる話『マイ・ビューティフル・エネミー』の序章です。
 ごらんの通り、「無茶苦茶な学園生活を送ってたら、美少女が現れて、『この学園を正しい姿にする! 手助けしてくれ!』と言われるけど、主人公はアウトローなのでお断りして学園の混沌を守る為に戦う」って話です。
 やーでも何度も書き直してるけど、ヒロインがあんまり可愛くかけてないんですね。
 虎もひれ伏すくらいの美少女って感じで書いて見たんですけど、どうにも上手くない。
 おかげでラストのやりとりとか最初思いついた時みたいに自分の中で盛り上がらなくて色々と試行錯誤中です。
 まー、そんな感じのこの小説、今書いてます。
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