平凡な主人公を書けない。

 哲学さんはどうにも、いわゆる「ありふれたどこにでもいる普通の少年」というものを主人公に据えるのが苦手である。
 どうにもこうにもこの平凡とか普通という概念が哲学さんには希薄というか、そんな特徴のない「普通の人間」というものがなんとなく現実離れしたものに映るからである。
 何の、これといった特徴もなく、平均値の存在――そういうものには少なくとも哲学さんの人生の中で出会った覚えがない、と思う。なにかしらの個性を誰もが持っていると哲学さんは思う。
 なので、哲学さんの書くキャラクター達はどうしても一癖もふた癖もあるやつらが多い。
 逆にどうにも特徴のない人間はそれはそれで特徴がある人物になり、たとえば藤子不二雄先生の『並平家の一日』みたいに、もはやある種の神格化した存在になるなぁ、と思う。
 ギャルゲ的主人公達もそれぞれにやっぱり特徴はある訳で――みんなの最大公約数的な条件を満たすキャラクターというものはなんとはなしに哲学さんとしてはどうにもピンとこないところ。
 ここら辺は実に変人と呼ばれ、最大公約数の外に属しているとか言われてる哲学さんの最大の弱点だなぁ、と思う。
 難しい。




 それはそれとして、今日は幼なじみの友人と某映画を見に行ってたのだが

哲学「いや、やっぱり『なすのきのこ』の作品はさ……」
友人「……? あれって『なすきのこ』、て読むんちゃうんか? お前、いつもそう呼んどるけど」
哲学「……あ。そう言えばなんか俺『の』をつけてたな」(←無意識)
 ふむ、と考える。
哲学「いやさ、なんか、奈須、て言葉が俺的になんか古風なイメージで、なんとなく『平の清盛』とか『源の義経』みたいに名字の後に『の』を入れてしまうねん」
友人「なんだ。ただの癖か」(←それで済ませるあたりが幼なじみ)

 ……哲学さんと同じ癖を持つ人はきっと少ないだろうなぁ。普通の人間とは難しい。