男の娘と聞いて……

いやはや、僕は何を隠そうショタコンなのである。
もう一度言う、ショタコンである、ショタコンである、ショタコンである……三度言ってしまった。
そんなわけで、作品にも反映させようと思うので、耽美をとにかく強調した少年愛ものの漫画作品を教えてほしいです。風と木の詩とかそうなのかな?パタリロはもう持ってるので、それ以外で。
※反映させるのは日本ファンタジーノベル大賞に送る奴です


さて……色々とこの一週間考えたのだけれど、全部書くと多すぎるので今書いている作品については完成後に記すことにする。

1.ショウペンハウエルの「読書について(岩波文庫)」。すごくいい本だった。天才主義的かつ、その天才(という概念)のコバンザメ(そういう表現でいいのか?)が我こそはといきがってるような表現で鼻もちならないところはあったけれど(いやショウペンハウエルだからそんなことはないけどさ)[付記:←どうしてこんなことを書いたのだろう、まったく意味がわからない 2011-03-20]、今後の執筆のスタンスに大きく関ることを学習できた。いちいち列挙するときりがないので、最も感動したのをひとつ。
「文体とは所詮、思想の影絵にすぎないからである──そこですぐれた文体のための第一規則は、主張すべきものを持つことである」
まあキャラクター小説を書くときにはそのキャラについて、背景となる文脈やらなにやらをここでいう「思想」のように考えないといけないんだろうなー。

2.いままで、特定の思想や学問を理解して、それをおきかえる形で設定に落とし込もうと考えていたのだけれど、それ、つまり完全な理解に固執する必要は特になさそうだ。
要は、それらに影響を受けた自分自身の哲学を、設定のもとにすればいいのだ。無理やり関係なさそうなものを押し込んで時間を費やすくらいなら、自分の興味のあるところから広げていった方がいい。これは、「読書について」にも似たようなことを書いてある。

追記:
詳しくは書かないが、作品について考えたことで一番大きかったのはやはり学校の先生にコメントされたことである。そこでの言葉をキチンと理解できたのはその三日後、帰りの電車の中だった。
僕は今まで大人と対等に付き合おうとしてきたのだけれど、その上でやはり会話で逐一相手の言うことを理解するというのは絶対にある程度は必要なことだ。それができなかった。
僕もやはり子供なのだ。ただ、そんなことはずっと前からわかっている。子供なりに全力で、素直にぶつかることが大人に対する敬意ではないかと思う。本気で自分の小説について語るとは、そういうことではないだろうか。ショウペンハウエルが言うことが正しいのであれば、きっとそうであるはずだ。