ショートショート お題「夏到来、○○はじめました」

昨日スケジュールで予告してた奴。
「続きを読む」のやり方がわからないのでベタ張り……。申し訳ない。
感想・指摘、いただけるとありがたいです。



「夏到来、ふれふれ坊主はじめました」

 姉ちゃんが玄関から出て行った。これで、今家には俺一人だ。急いで姉部屋に向かう。
 服を買いに行くと言っていたので、姉ちゃんはおそらく一時間程度で帰ってくるはず。いや、余裕をもって制限時間は四十五分としておこう。短くはないが、長くもない。果たして目的のものを見つけられるだろうか。
 姉部屋の前に立った俺は、なぜか息を殺しながらそっとドアを開ける。
 つけっぱなしになっているクーラーの冷気と共に、かすかに甘い香りのする空気が流れ出てくる。涼しいはずなのに、緊張で肌が汗ばむのがわかる。この部屋に入ったことがバレれば、よくて四分の三殺しだ。
 しかし、やらなければならない。親友の人生がかかっている。

 ことの起こりは、二日前だった。
 ネットで知り合った友人の坂田を、初めて自宅に招いて、共通の趣味である対戦ゲームをしていた時のこと。
 ノックも無しにドアが開き、姉ちゃんが入ってきたのだ。
「正樹ー、漢和辞書貸してよ」
 その時の姉ちゃんの服装と来たら。髪はろくにとかしもせずにひっつめただけ。上はよれよれのTシャツ一枚でブラ紐が見えているし、下は短パンに靴下も履かず生足丸出し。おまけに棒アイスなんぞを口にくわえていて、とても初めて招待した友人に見せられないだらしのない姿だった。
 坂田は口をぽかんと開けて姉ちゃんを見ていて、俺はもう無性に恥ずかしくなり、机にある漢和辞書を無言で姉ちゃんに投げつけた。
「サンキュー」
 と、辞書を片手でキャッチした姉ちゃんは、俺の気も知らずにお気楽な口調で部屋を出て行く。
「ごめんな、だらしのない姉でさ」
「あ、あれ、お前のお姉さんか」
 それから帰るまで、坂田はまるで調子が出ないようで、ゲームで俺に連戦連敗だった。
 で、次の日に坂田から届いたメール。
『こんなこと書くと面食らうと思うが、俺はお前のお姉さんが気になって気になって、何も手につかなくなってしまった。どうか仲をとりもってくれないだろうか。こっちもお前に、知り合いで彼氏募集中の女子を紹介しようと思う』
 この悪夢のようなメールを見て、俺は膝から崩れ落ちた。
 坂田は、隣の県だから知らないのだ。姉ちゃんがどういう人間なのかを。
 姉ちゃんが高校在学中につけられた数々のあだ名を思い起こすと。
曰く『女帝』
曰く『背筋計クラッシャー』
曰く『クイーンエイリアン』
曰く『世界一美しいメスゴリラ』
曰く『女雷電為右衛門』
 高校卒業時には七つの大学運動部と十二の組事務所からスカウトされたが、本人は「私、将来はお嫁さんになるんだっ」などと意味不明な供述を繰り返しつつ短大家政学部に入学。現在、多少は行状を慎んでいるようだが、つい先日も、セクハラしてきた講師にアッパーを食らわせて教壇から階段教室の最上段まで吹き飛ばしたというから危険度は大して変わっていないだろう。
 姉ちゃんに関われば遅かれ早かれ不幸になることはわかりきっている。なんとしても坂田の目を覚まさなければいけない。
 しかし、だ。坂田の良くも悪くも一途な性格を考えると、かなり確固とした証拠が必要だろう。
 それを探しに、俺は危険を冒して姉部屋に忍び込んだのだ。

 俺はきょろきょろと姉部屋を見回した。
 狙っているのはアルバムの写真で、一ダースのスキンヘッド男たちに土下座させてるところとか、ゾク車に火を放ってその炎でハートマークを描いているところとか、痴漢の背中にそいつ自身の血で『こいつ痴漢です』と丸文字で書いてるところとか、そういうのがあればいいのだが。
 しかしそれらしいものは見当たらない。本棚は全部少女漫画と少女小説ばかり。
「タンスの中とかかな……」
 つぶやきながら、適当にタンスの戸を開けてみるが、そこは下着入れだった。
「ハズレか。しっかしハタチにもなってクマさんパンツはないわー」
「クマさんパンツで悪かったわね」
 クーラーはしっかり効いているはずなのに、俺の全身からとめどなく汗が噴き出し始めた。

 財布を忘れていったん家に帰ってきたという姉ちゃんは、今度こそ服を買ってきたらしく、片手に紙袋を持って帰宅した。
 空いている手で額の汗を拭いつつ、ため息と共に言う。
「やっぱり一雨欲しいわね。ほら、さっさと降らせなさいよ、ふれふれ坊主」
 そう言うと、軒先に逆さ釣りにされた俺の身体を蹴りつける。俺の身体が大きく前後に揺れ、胸のところに張られた『夏到来、ふれふれ坊主はじめました。蹴れば蹴るほど雨が降ります』という張り紙がかさりと音を立てる。
「姉ちゃ……いや、美しく文武両道で気立てのよい、お嫁さんにしたい女性ナンバーワンのお姉さま、そろそろ意識を失いそうなのでおろしていただきたいのですが」
「雨降ったらね」
 姉ちゃんが視線を上げたので、俺も釣られて空を見る。雲の欠片すらない青空が眩しすぎて目が回る。
 坂田よ、紹介してくれるなら、雨女がいいな。いやこの際、雨男でも可。