描く世界について

セカイ系とか決断主義とか、サブカルチャーで描かれた、個人と社会の関係についての評論を勉強し始めたりしなかったり。
今の僕には「社会」そのものを描く資格はないらしい。学校と家庭に守られたままの、社会に出てない子供だから。
むしろ、描くべきはもっと個人的な問題に特化したものなんだろう。切実な関係を持てない作品世界と付き合うのは避けるべきだろうなぁ。机上の空論という言葉は近いような、遠いような。そういえば、いつの間にかこういう考えが僕の中に根付いている。それは、「個人的な問題を突き詰めないと見えない普遍がある」ということ。
決して、「個人」という普遍的概念を扱うということではない。ぼくはカレーが好きですとかそういう話。重要視したいと思ってるのは、考えたことそのものではなくて背景にある精神だ。それをつきつめれば、ある意味で禅問答にも似た過程を経て、普遍的な人間の性質に行きつくと目論んでいる。
けど、大人になったとき、社会の存在を切実な問題として感じることって一体どれくらいあるんだろう。とりあえず、今は子供である自分を精一杯感じていたい。
追記:
決断主義に言及すると火が飛んできたりしそうなので言及はしないでおこうと思う。ただ、ドラゴン桜がよく一例として挙げられるが、あの中で示されてる視点や考え方は、あくまで「すごく便利な一手段」であって、目的や到達点ではないと思ったり、する。