そのキャラクターは一体なんなのか

魅力的なキャラクターについて頭を悩ませている方も多いでしょう。
私も正直なところよくわかってません。
なので自分なりに考えたことを書いてみようかと思います。

キャラクターとは物語である

キャラが良いとか、ドラマが良いとか、よく議論されます。
これはどこか違うような気がします。
なぜなら、優れた物語は、個々のキャラクターが魅力的であり
また、優れたキャラクターがいる物語は面白いからです。
これは、キャラが物語を作るのでも、物語がキャラを魅力的にしているのでもなく
キャラそのものが何らかの物語である、と解釈できないでしょうか。
そのキャラにも過去があり、未来があり、身分、思想、信条etc…があり、
それ自体が何らかの物語となっているのです。
そうして、それら、つまり複数のキャラが何処かで交わるとき、そこにまた新たに物語が生まれる。
新たに生まれた物語こそ所謂「深み」を持った面白い物語なのではないかと思うのです。
ですからキャラは、何もない状態ではあまり意味がないものなのかもしれません。

物語の入り口としてのキャラクター

しかしながら、物語に深みを持たせるだけでは、はっきり言って読む側は疲れるだけです。
読み手を物語の深層に誘うためには、入り口となるキャラが必要不可欠です。
なければそれは敷居の高い物語になってしまうでしょう。
上述でそのキャラにも過去があり〜〜と書きましたが、そこがキーとなるのではないでしょうか。
読み手が物語の中に居場所を作ること。
キャラクターが物語であるなら、自分が感情移入できる物語(=キャラクター)を探すことです。
なので書き手は読者にとっての入り口、読み手が感情移入するためのハシゴを設けなければいけません。
そうして読者を物語の深みに引き摺りこむことで、読み手を楽しませることができます。たぶん。

無垢なキャラクター、あるいは無個性な主人公

主人公は復讐者だ。しかし、実は人を殺したくなどない。
この設定は善良な市民としての主人公と、同時に人間として抗えない業を担っている二面性を描いています。
復讐者というからには、過去に大きな不幸と理不尽を経験し、人を憎んでいるのでしょう。
そしてこの主人公が善良で、好感の持てる人物であるほど、読み手はこの主人公に共感を覚えます。
例えそれ自体が悪いことであっても、あるいはその復讐、人殺しと言った反社会的なことでも肯定出来てしまいます。
このように、人の価値観は物語の内部、すなわち誰かの視点を通すことによって、変わってしまいます。
その視点その物語で追体験できてしまうからです。
この視点というのは難しく、万人が同一の視点でものを見るということはできません。
それぞれ異なったものの見方をします。
ラノベ批判の代名詞のように使われる、「無個性な男子高校生」というのがありますが、
この設定の場合、読み手が物語を想像しない、もしくはありきたりな都合のいい、陳腐な物語を想像するため敬遠されがち、
批判として成り立っているのだと思います。
しかし、無個性であることは同等に、サクセスストーリー、ビルドゥクスロマンなどを想像させることもあり、
一概に悪いこととは言えません。
書き手がその視点を使い、何を見せるのか、が重要なのです。


長くなりましたが、書き手にとって大事なのは、そのキャラクターを通して何を見せたいのか、だと思います。
そしてその見せたいものがすなわち「テーマ」です。
それは物語=キャラクターを通じて、読み手に伝えるものです。
あなたが見せたいテーマは何ですか?
そしてその役割を担ったキャラクター(=物語)はなんですか?

このエントリは泉信行他 ピアノファイアパブリッシング刊の「フィクション・ハンドブック」を参考にさせて頂きました。