大反省会2

 ていうか、実践に基づいて方法論を考える、ならば今まさに考え直すタイミングだということに気付いた。今年の頭に投稿作のプロットを考え出してから、色々と「実践」に当たるもろもろはやってたからね。

プロットの要素を捻出、列挙(一月)→執筆(二月)→やっぱりあせって文藝賞応募作に転換(三月)→文藝賞投稿作書き終えて投稿した時点で三月末、途方に暮れ、しかも百枚くらい書いた時点で詰まる→前の原稿をボツにして、色々考え直す(四月いっぱい)→プロットがまとまらない(五月上旬)→ゴールデンウィーク終了後、やっと書きだし、先週に投稿

 そんなこんなで今に至る。プロットを作って百枚書いたのと、その後プロットを作りなおしたのと、そんで数百枚書いたのはまあ、目標に達しなかったにしてもちゃんとした経験だろう。で、その反省を踏まえて今後どうするか、みたいなのを考え直した結果、課題はとりあえず浮かび上がった。一つは「感触を頼りにアドリブで書く練習をする」もう一つは「シンボルの具体例を集める」である。
 後者の指すシンボル、は前から言ってるそれと同じ意味。これはイラストや音楽であったり、あるいは端的な論理や言葉、それとも何かしらの風景など、色々とありうる。これをとりあえず集めまくって、自分がシンボルによって表現するとき、つまりデフォルメする時の参考にするためだ。
 前者。これはやったことある、ってか文藝賞に出したやつはほぼ完全にアドリブで、結末ですらアドリブだったが、その時の力量でこれができたのはハイパーリアリスティックな不条理系の私小説(?)だったからであって、僕が今やりたい作品ではそれが全部もしくは大部分を占めるのって無理な感じがある。だからアドリブ力とでもいうべきものがもっと必要になる。
 唯一救いなのは、この練習は下準備とかがほとんどいらなくて、骨格となるシンボルが多少あれば大丈夫なところ。しかもその骨格も論理的整合性がそんなにいるわけではない。
 で、一月からずっと苦労し続けてるプロットだが、プロットをちゃんと組んでから書くというのはちょっとやめた方がいいみたい、僕の場合。よく考えてみればキャラクターに対して理性的支配を試みようとしたり、その下でプロットを展開しようとするのは、そもそも僕のポリシーに反する行為である。そこでアドリブ力なんだけれど、アドリブのもう反対側の行為も必要になる、いやそっちの方が重要になるだろう。作者である僕の「自発的」な思いつきだけでは、結局もとのもくあみである。

追記:
 シンボルといえば音楽がよさそうだ。最近「たま」の曲を聴くようになったんだけど、なんかすごい衝撃を受けた……