世界史とかを勉強する/物語嫌い

 ちょうど受験対策にもなって……というかまずそっちをちゃんとしないといけないんだけど、世界史を勉強しようと思う。というのは、宇宙ものをやるので、植民星とかいう設定が欲しいなとか思うとやっぱり過去の歴史を振り返って参考にしなければならない。何も考えないとは言ってもディティールと考証は要る。
 というか、宇宙まで人類が到達するまでに何かしら新しい歴史ができるわけだから、参考資料として世界史は必須か。SFなのだから今まで遠ざけてきた物理だって必要になってくる(余談だが、かの相対性理論は高校物理を習得していれば十分理解できるらしい。僕は物理の授業選択してないけど)。しかし結構大変そうだろうなぁ。設定を一から考証するのは……
 いかんいかん、これではいつぞやの「閉じた意識」へ逆戻りしてしまう。小さい範囲での細々とした発想よりも、大胆で思いもよらない切り取り方が必要なのだ。細かい粒がみっちりと詰められた砂の山を作るのはそれなりの時間と労力を要するかもしれないが、物語として人を惹き付けるのはおそらく、粗いごつごつした材でできていたとしても巨大な岩の城なのだろう。
 あ、このイメージいいかも。ちょっと頭に留めておこう。ともかく、僕がやるのは馬鹿なパロディSFもといゲリラSF的なものなのだから、整合性はまあちょっとおいといてもいいよね。
 話がそれるけど、思い入れがないだの何だのと言ってるけど、それは決して悪いことではなくて、僕にとってそれはつまり優れた物語(あくまで、物語それ自体としての側面において)を作り易いということ。ていうか、思い入れがないのに設定はあるんだから、書く練習をするのにもこの作品はもってこいである。目を向けた多数の選択肢から一つ「具体的なもの」を書く練習に、この作品世界で短編を作ってみるのもいいかもしれない。
追記:
 物語嫌いという性癖を何度もエントリで繰り返しているが、これはおそらく僕が、人の意識は物語とは違うものであるとか、物語的な性質をもたない状態になれるのだとかいった、おめでたい発想を捨てきれないからだろう。無意識の世界は数学でいう複雑系であり、そもそも情報の集合体ですらない可能性もあることに比べれば、意識は単純だし、根本的には物語と同じ形をしている。現実の認識と架空の物語はそう遠くない、意識を入口にして無意識にまで刷り込まれるだろう……
 ところで、内田樹さんの著書によれば、偉大なる構造主義者の思想は簡単な一言で表すことができるのだという。そんなわけで僕も自分の考えてることを短いフレーズにまとめてみると、「適当に言いきって決めつけちゃダメ」というテーマに集約された。こんなものなんだろうか……