小説『天使がラブソングの』

 なかなか進まないので、序章だけ晒します。
 よければ感想どうぞ。


『天使がラブソングの』

序章

 ただただ恋がしたい。
 私は切に、そう願います。
 人が人を好きになること。なんと素晴らしいことでしょう。
 その身を焦がすような熱い恋。
 ラブソングのような甘い、素敵な恋。
 数々の物語で人が人に恋する様が描かれています。
 それらの多くは私の心を打ち、感動させてくれます。
 しかし、恋というものはそうした物語の中だけの絵空事ではありません。
 誰にでも、起こりえるものだ――そう、私は教わっています。
 だと言うのに、私は本当の恋というものを知りません。
 幼い頃はお父様が好きだったと記憶しています。ことあるごとにお父様と結婚すると言い放ち、お父様や今は亡きお母様に笑われておりました。今ではいい思い出です。
 けれど、それは家族愛と恋心をはき違えていただけでした。
 今でもお父様のことは愛おしいと思いますけれど、恋心とは違う、と今でははっきりと言えます。――できれば、お父様のように聡明な殿方が好みなのは変わりませんけれども。
 それはともかく、恋がしたいと思います。
 ラブソングのような、素敵な恋を。
 女の子ならば誰だってそう思うはずです。
 いいえ、女の子に限らず、男の子だって、きっと恋がしたいと思うのではないでしょうか。
 けれども、時々思うのです。
 私はこのまま一生恋をしないままに人生を終えてしまうのではないか、と。
 今までも、他の数多くの友人達が「いい」と言う男の子達を見てきました。あるいは、女の子達に人気のある男子生徒に告白されたこともあります。
 けれど、申し訳ないのですけれど、どなたも違うのです。
 何かが、違うのです。
 確かに彼らは顔がよいかもしれません。頭がよかったかもしれません。話が面白かったかもしれません。
 しかし、私の心を惹きつけ、離そうとしないような「何か」が私には感じられませんでした。
 どういう事なのでしょうか。
 私は人を好きになることなどできないのでしょうか。
 私の心はおかしいのでしょうか。
 分かりません。
 ああ、恋がしたい。
 甘い恋を。
 燃えるような恋を。
 震えるような恋を。
 それとも、私のような人間にはやはり恋などできないのでしょうか。
 ああ、神様。
 どうかこの哀れなるこの私に、素晴らしき出会いがもたらされんことを。
 Amen(エイメン)。



「ああもう、最悪の夏休みだったわ!」
 開口一番、叫び出した友人の言葉に私達は思わず息を飲みました。
 八月三十一日。高校二年生、十七歳の夏休み最後の日。
 私(わたくし)――高山祈鈴(きりん)と七年来の親友である堤谷(つつみや)象子(しようこ)はクラスメイトの荒沢栗栖(くりす)に呼ばれ、行きつけの喫茶店に来ていました。そして聞かされたのが冒頭の台詞です。
「えっと、何があった?」
 象子が顔を引きつらせつつ聞きます。とはいえ、彼女ももう大体予想はついていることでしょう。なにせいつものことですから。
「どうしたもこうしたもないわ! タカシったら浮気してたのよ! つきあい始めた時はに『俺みたいな冴えない男が栗栖さんみたいな「童顔ロリ巨乳ハーフ」と付き合えるなんて夢みたいだ』なんて言ってた癖に! あんな貧乳の女に乗り換えるなんて!」
 ダンッ、とテーブルを叩く栗栖ちゃんを前に、私はため息をつきます。
「栗栖ちゃん――ここはオープンカフェよ。周りの客に迷惑だからトーンを下げなさい」
「なんですって?!」
「まあまあ、落ち着きなって。ほら、栗栖の好きなマシュマロケーキだぞ。食べな」
 私の冷静な注意に逆ギレしそうになる栗栖ちゃんに対し、象子が間に入ってケーキを差し出します。
「ふんっ!」
 栗栖ちゃんは鼻息を荒げながらも、象子の差し出したケーキを頬張り、黙々と食べ始めました。頬を膨らませ、もぐもぐと食べるその様はリスのようでとても可愛いのですが、表情は相変わらずの仏頂面です。
「祈鈴、こんな時くらい気を遣いなよ」
「私は正しいことを言っただけよ」
 小声でフォローを入れる象子につい口答え。いえ、私も失恋直後の友人に対してちょっと厳しいことを言ったかな、と思うのですが、親友の彼女に対してはつい甘えてしまいます。
「……もう、これだから祈鈴は」
「ごめんなさい」
 象子の苦笑に私は慌てて謝ります。ここは私の意地を張るべきところではありません。
 そうこうしているうちに栗栖はマシュマロケーキを食べ終えたようでした。
「あー美味しかった」
 泣いた鬼がもう笑った、と言った感じであはは、と笑う栗栖ちゃん。なんとまぁ、相変わらず切り替えの早いことです。まあ、確かタカシくんとやらは七月に付き合ったばかりだったし、それほど思い入れはなかったのでしょう。どちらかと言えば、夏休みに恋人がいないという事態を避けることが付き合うきっかけだった気がします。
 彼女はタカシくんが言うように、童顔で、見た目は幼い感じなのにアメリカ人とのハーフなせいか日本人離れしたスタイルをしています。そのおかげで男子からの人気は高く、失恋してもすぐに新しい恋人が補充されるという、実に恋多き女性なのです。
「で、二人はどうだったの? 夏休み」
「「へっ?」」
 にこにこと聞いてくる栗栖に対し、私達は思わず間の抜けた声をあげました。いきなりこの子は何を言い出したのでしょう?
「へっ? じゃないでしょ。十七歳の夏だよ。二人とも、甘い夏の思い出の一つや二つないの?」
 さも当然、といった風に聞いてくる彼女に対し、私は思わず視線を逸らします。
「恋をしたい、とは常々思ってるのだけれど――なかなか相手が居なくて。結局この夏も恋人が出来なかったわ」
「まあ、あたしはさ、別に恋愛とかに興味ないし。恋愛はなんかこう、気が向いた時にすればいいかなって」
 私達の言葉に栗栖ちゃんは目を点にします。
「ちょっとちょっと、二人とも何カマトトぶってるのっ!
 ダメよっ! 女の子は恋をしないと!
 女の子は恋をする生き物なんだから!
 祈鈴は考えすぎ! えり好みし過ぎ!
 これだから深窓の令嬢系真面目生徒会長様はっ! そんなんだから学校で一番の美人て言われてるのにいつまで経っても彼氏できないのよっ!
 祈鈴ちゃんみたいな美人なら引く手数多(あまた)じゃない! いちいち難しいことなんて考えないでどーんと前に行けばいいのよ!」
 びしぃっ、と私を指差しながら熱弁する栗栖ちゃん。ああ、その情熱をもっと勉強などにも注げばいいと私は思うのですが。
 そう思っているうちに栗栖ちゃんの矛先は私の隣に座る象子へと移ります。
「それで! 象子ちゃんは消極的すぎ!
 またそんな格好いいこと言って!
 そんなボーイッシュ系のカッコイイ姐御肌だからいつまで経っても女の子から告白されるのよ!
 もっと女の子らしくみられたい、て言うのならズボンやめてスカート履いて恋の一つでもしなさい!」
 まくし立てる栗栖ちゃんを前に私達はぽかーん、と口を開けて呆然としてしまいます。なんと言いますか、さっきまで失恋で落ち込んでいたのに、他人に恋をしろと説教するなんて、どれだけ恋愛好きなんでしょうか。その情熱には感服するばかりです。
「……とりあえず、ジュース飲んで落ち着きなよ」
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ありがと」
 象子に差し出されたジュースを受け取り、栗栖ちゃんは素直にジュースを飲みます。ちゅーとストローを吸う様は実に幸せそうで、見てるこちらまでほんわかしてます。本当に、黙ってれば可愛いんですけれどね、この子。
「でも、ほら、私、ハーフで顔が濃いし、背も高いし」
 女性陣からは美人と言って頂けますが、私の血の半分はロシア人のせいか、名前の通りとても背が高いです。身長は175センチもあり、男子の半分近くは私より背が低く、多くの男子は私が隣に立っただけでどこか気後れしてしまいます。おまけに、白人の血が濃いのか栗栖ちゃんと違って私の顔はとても彫りが深いです。クラスの集合写真を見ると私だけが明らかに顔が濃くて浮いてます。
 母には私を生んでくれたことをとても感謝しておりますが、この件に関しては恨み言の一つも言いたくなります。
 ――ああ、神様。どうして私はこうなってしまったのでしょうか。せめてもう少し身長は低くてもよかったのではないでしょうか。
 思わず胸元の十字架(ロザリオ)を握りしめながら、神へ訴えてしまいます。
「あ、またなんか神様に祈ってる。そうやってすぐ神様に頼るのは祈鈴ちゃんの悪い癖だよ。
 ハーフなら私も一緒だし、男の子にも私と同じくらい告白されてるじゃない。中にはカッコイイ子もいたのに何が気に入らないの?」
 問われて私は考えます。
「そうねぇ。みんなどこか子供っぽくて」
「確かに。不思議とあたし達に告白してくるヤツって軟弱な奴ら多いよな」
「「ねぇ」」
 頷きあう私達に対し、栗栖ちゃんはがっくりとうなだれます。
「そりゃ二人とも、女王様オーラと姐御オーラを放ってるからでしょ。祈鈴ちゃん自覚ないかもしれないけど、結構性格キツいし」
「そうかしら。私はただ、神の教えに従い、常に正しくあろうとしているだけよ」
 私の家は代々敬虔なカソリック教徒であり、私自身も幼い頃から神の教えを受けてきました。私はそれに従い、清く正しく生活をしているだけです。
「…………じゃあ、祈鈴ちゃんはどんな男の子ならいいの?」
 栗栖ちゃんは私の信仰について何か言いたそうでしたが、それを口の中に押しとどめ、聞いてきます。
 正しい判断です。
 信仰について話し合うのは不毛であることを私達は経験上知っているのです。
「そうね……、もしも、象子が男の子だったら私から告白してたかもね」
 私の言葉にあはは、と象子も笑う。
「うん、あたしも男に生まれてたら祈鈴に告白してたかも」
 いえーい、とハイタッチする私達。それを見てはぁぁぁぁぁ、とこれ見よがしにため息をつく栗栖ちゃん。
「はいはい、二人は百合プルでいいですね――って違うでしょ!
 そんなんだから二人が並んでたら宝塚みたいって言われるのよ!
 ここは二次元のおとぎ話じゃないのよ! 三次元なのよ! 現実を見なさいって!
 そんな思春期特有の同性以上異性未満の関係に満足していたら乙女の未来はないわっ!」
 また熱く語り出した栗栖ちゃんに私は注意します。
「栗栖ちゃん、宝塚歌劇団は別に二次元じゃないわ」
「そんなことはどうでもいいのよっ! 恋愛という崇高な人間関係を友情で代用しようとするその性根が気にくわないのよ!
 たとえ神が許しても、この恋愛の伝道師(マエストロ)こと荒沢栗栖ちゃんが認めないわ!」
「女性の場合はマエストロではなく、マエストラよ」
「だーかーらーっ! 細かいことは気にするなって言ってるでしょっ!
 考えるんじゃない、感じなさいっ!」
 私の指摘に両手を振ってごまかす栗栖ちゃん。うーん、私ってそんなに空気読めないかしら。
「まあまあ。ほら、あたし達の好みもあくまで互いが異性だったらていう冗談だし。そんなに真剣に受け止められても」
 象子の言葉に栗栖ちゃんは何故か強い疑惑の視線を向けてきます。
「ホントに? 正直あんた達お似合いすぎて冗談に聞こえないのよね。本当にデキてないでしょうね? 特に祈鈴ちゃんみたいな清楚ぶってる子は百合に走りやすいんだから、象子がしっかりしないといけないのよ? そこのところ分かってる?」
 酷い言われようです。私は純粋に男性の恋人が欲しいと思ってるのですけれど。
「なんにしても、恋をしなさい!
 恋せよ乙女よ!
 女の子なんて恋してなんぼなんだからっ!
 恋愛しない女の子に一体何の価値があるって言うの?
 女の子は恋してこそ輝く!
 明日からの新学期――絶対に彼氏を作るのよっ!」
 握り拳を天に掲げて叫ぶ友人の姿に私と象子はただただ絶句するばかりです。浮気で失恋したばかりなのに凄い情熱です。普通ならば「もう恋なんてしない」と言って恋愛から遠ざかると思うのですが、更に促進するとは。さすがの恋の伝道師(マエストラ)と言ったところでしょうか。この情熱ばかりは私も見習うべきなのでしょう。
 ――私だって恋がしたいですもの。
 しかし、どうすれば相手が見つかるのか、私にはよく分かりません。私を好きだと言ってくれた方は何人もいました。けれど、私が好きだと思える人は一人もいませんでした。
「あんた、恋をしてない女の子に喧嘩売りすぎ」
「うっさいわね! 大体ねぇ、女の子は――」
 文句を言う象子に対し、相変わらず熱く語る栗栖ちゃん。その言葉を聞きながら、私は心の中で深くため息をつきます。
 ――ああ、神よ。私はこのまま誰のことも好きになれないままに一生を終えるのでしょうか。
 恋を知ることができないのであれば、いっそ修道女にでもなるべきかもしれません。
 そう、思い悩んでいた時、大通りにとある叫び声が響き渡りました。
「ひったくりだ! 誰かっ!」
 声を聞いた瞬間、考えるよりも先に私の体は動いていました。
 オープンカフェから出て、大通りに出ます。夏休み最後の日と言うこともあって、思い出作りのためかカップルの姿が目立ちます。その人混みの合間を縫うように一人の中年男性が走っていました。明らかに似合わないピンクの女物の鞄を持っています。間違いなく彼がひったくりでしょう。
 私は彼の進路に立ちはだかり、言い放ちます。
「止まりなさいっ! 人から物を盗むなど、神の教えに反しますっ!」
「知るかよっ!」
 警告を無視し、引ったくりは立ちはだかる私に突進してきます。鈍い衝撃。私はかまわず相手に抱きつきます。
 途端、異臭が鼻をつきました。何日も風呂に入ってないのでしょう。相手の服に触れた肌からもベトベトした感覚が伝わり、鳥肌が立ちます。ひったくりでもしなければいけないほど食い詰めている、ということなのでしょう。けれど、だからといってここで彼を逃がす訳にはいきません。
「誰かっ! 誰か警察を!」
「だぁ、離せっ! このクソガキっ! くっそ!
 くだらねぇ正義感を振りかざしやがって! このデカ女めっ!」
 髪の毛を引っ張られますが、私は相手に抱きついて離れません。私の高い身長が予想以上に相手の邪魔になっているようです。その間に通りの向こうから鞄の持ち主と思わしき女性が、反対側から象子が向かってくるのが見えます。
 これで事件は解決――と思いきや、引ったくり犯は予想外の動きを見せます。
「おい、相棒っ!」
 引ったくり犯は持っていた鞄を野次馬の一人に投げます。相手は同じくとても汚れたよれよれの服を着た男性。こちらはやや若く二十代前半くらいでしょうか。
 ――まさか仲間がっ!
 お金はなくても人望はあったようです。だったら引ったくりではなく、別の方法でお金を稼げばいいものを。
「象子っ!」
「あいよっ!」
 以心伝心。私が皆まで言わずとも、象子がもう一人の引ったくり犯を追いかけます。
「ちぃ、仲間がいたか。だが、俺の相棒は元陸上選手だ。てめぇらみたいなガキどもに捕まるはずがねぇっ!」
 だから、その技能を何故別のことに生かさないのでしょうか。象子も女子としてはかなり身体能力の高い部類に入りますが、やはりそこは男子と女子。捕まえるのは難しいかもしれません。
「早くっ! 誰かあの鞄を取り返して!」
 私が叫ぶも、誰も反応しません。周囲には沢山の野次馬がおり、私よりも力の強そうな方もぽつりぽつりと見受けられます。ですが、一緒になって引ったくり犯を取り押さえようとする人や象子と一緒になってもう一人の引ったくり犯を追いかけようという人は誰もいません。これが無縁社会というものでしょうか。薄情な世の中です。
 ――ああ、神よ。信仰の薄いこの国には他者を思いやるという気持ちがないのでしょうか。
「――鞄を取ってこればいいんだね?」
 不意に、声がもたらされました。私は驚きます。ありえません。なんと、その声は私の頭上から聞こえたのです。
 がさり、と頭上で何かの物音がします。引ったくり犯ともみ合いながらも、声の主を求めて私の視線は上へ向かい――。
 私は我が目を疑いました。
 なんと、一人の少女が、大通りにある街路樹へ次から次へと、忍者のように跳び回っていたのです。引ったくり犯や野次馬達もふと沸いて出た非日常の光景に唖然とします。
 そして、人混みの向こうで男性の悲鳴が聞こえた後、街路樹の間を飛び交い、少女は戻ってきました。スカートからパンツが丸見えなのも気にせず、少女はすたり、と地上に降りてきます。
「ほら、取ってきたよ」
 私は言葉を失いました。
 そこには天使が居たのです。
 まるで無垢の化身のごとく澄んだ瞳に、あどけない笑み、少年のようなほっそりとした体つき、そして何より全身から漂う輝かんばかりの神々しいオーラ。それはまるで絵画に描かれた天使がそのままこの世に現れたようでした。
 翼などなくとも、その謎の少女の姿はは見る者全ての心を奪う汚れなき天使そのもの。
「……畜生、なんだってんだ、おい」
 あまりにも現実離れした光景に引ったくり犯も全身から力が抜け、がっくりと膝をつきます。通報を聞きつけたのか、ようやく警官がやってきましたが、その警官も謎の少女の姿を見て唖然となります。
 私はそこでようやく我に返り、引ったくり犯から手を離しました。もう今更逃げることはないでしょう。
「……ありがとうございます」
 私はそう言って鞄を受け取りました。鞄の持ち主は既に追いついて私たちの側に追いついていましたが、同じく突然現れた謎の少女に目を奪われ、立ち尽くしています。私はそんな鞄の持ち主へどうぞ、と鞄を差し出しました。彼女は夢遊病者のように、「ど、どうも」とぎこちなく鞄を受け取ります。
 誰も彼もがこの現実感のない光景に戸惑っていました。
「ええっと、あなたは一体……」
 私は誰もが気になっていることを問いかけようと口を開きます。が、それよりも早く、謎の少女は何故か、くんくんくん、と鼻をひくつかせ、まるで犬のように顔を近づけ、私の体を嗅いできます。
 私は羞恥に体が熱くなります。それと共に、引ったくり犯にもみくちゃにされた自分の身なりが気になりました。髪は乱れ、着ている服は引ったくり犯の服から付着した汚れで汚くなっています。
 しかし、謎の少女はそんなことを気にせずにこりと笑い、私の顔を見上げます。
「キミ、いい匂いだね」
 そうして、そのまま彼女はペロリ、と私の頬を舐めました。
 ぞわりとした感覚が全身を駆け抜け、どうしようもないほどの熱さが体をかき乱し――。
「……ああ、神よ(オゥ、マイ……ガツド)」
 ――気がつけば、私はそのまま意識を失っていました。



 翌日。私たちは始業式のために、久しぶりに慣れ親しんだ学舎に登校していました。
 新学期の始まりです。
 しかし、私の顔は誰が見ても分かるほどに浮かないものとなっていました。
 別に、夏休みが終わることが嫌な訳ではありません。
 級友達や先生方から私の体調を心配するお声を次々に頂きましたが、私はそれらに曖昧な返事を返すしかできません。
 昨夜は、昨日のことが忘れられず、一睡もできませんでした。
 あの後――私が謎の少女に頬を舐められて気絶した後、私が意識を取り戻すと全ては終わっていました。謎の少女はいつのまにやら姿を消し、引ったくり犯の二人は象子によって警察に突き出され、鞄の持ち主から感謝の言葉を貰っていました。けれど、意識を取り戻してからも私は何もかもが上の空。
 気がつけば、あの謎の少女に頬を舐められた感触がフラッシュバックし、体が熱くなり、その度に自分の胸の高鳴りを必死で否定する――昨日からその繰り返しです。
 ああ、私はどうしてしまったのでしょうか。
 何故こんなにも彼女のことが気になるのでしょうか。
 何もかもが曖昧模糊な中、あの天使のような少女の笑顔が頭の中に焼き付いて離れません。こんな経験は初めてです。私の体は何かの病気にかかってしまったのでしょうか。
 自分の体は自分がよく分かる、とよく言いますが、今この時ばかりは自分で自分のことが分かりません。熱に浮かされたような不思議な感覚。
 私がぼうっとしているうちに、担任の佐久間先生が教壇に立っていました。最初のホームルームがいつのまにやら始まっていたようです。
 佐久間先生は髭の似合う今時はなかなかいない渋みのあるダンディな中年です。いい加減なところもありますが、とても気さくで生徒達からも人気があります。海に行ってきたのか肌が焼けてとても黒くなってました。
「よう、お前等。夏休みを存分に楽しんできたか?
 俺は海外に行って色々と踏んだり蹴ったりだったぞ!」
 生徒達がなんでそんなに嬉しそうなんだよ、えらく楽しんでたみたいじゃねーか、おみやげねぇの、と様々な声が上がります。普段は私もそんな先生と生徒達の楽しい会話に頬を弛ませるのですが、今日の私は何故かそれらに一切の興味が持てず、クラスの盛り上がりがどこか遠い国の出来事のように思えました。
「――よしよし、じゃあ俺が海外からのおみやげをプレゼントしてやろう」
 先生の言葉に教室が歓声に満たされます。
 期待を膨らませる生徒達を前にして、佐久間先生は不敵な笑みを浮かべ、言い放ちます。
「お前の出番だ! 入ってこい!」
 先生のバリトンと共に教室の扉が開かれます。
 教室が静まりかえりました。
 現れたのは――天使と見紛う美少女でした。
 私は思わず立ち上がります。
「あ、あなたはっ!」
 ――何故。
 ――どうしてここにっ!
 間違いありません。昨日出会った謎の少女でした。
 相変わらずの神々しいオーラを身にまといつつ、彼女は立ち上がった私を見て微笑み、手を振ってきます。
「また会ったね」
 少女の言葉に佐久間先生はほう、と驚いた顔をします。
「なんだ高山。お前こいつを知ってるのか?」
「え、ええっと、その……」
 私は顔を真っ赤にして黙りこんでしまいます。頭の中で再び昨日の出来事がフラッシュバックしてきたからです。体が――特に、昨日舐められた頬が否応なく熱くなっていきます。
 あたふたする私を見てにやにやと楽しそうな佐久間先生。
「ふふん、さすがのお堅い生徒会長様もこんな美少年の前にはたじたじか?」
 佐久間先生の言葉にクラスのみんなが一瞬きょとん、とします。
 言っている意味が分かりません。
 一拍の間をおいて、クラス全員が悲鳴のような叫声をあげます。
「はっはっはっはっ、こんな可愛い子が女の子な訳がないだろう」
 佐久間先生は何故か得意げに笑います。
「え、……でも、……だって、女子の制服を着てるじゃないですか?」
 私はうろたえながらも、必死に反論します。
「いいじゃねぇか、こっちの方が似合ってるから、着せた」
 先生の言葉にクラスメイト全員がえぇぇぇぇぇぇぇええ、と困惑の声をあげます。
 そんな生徒達の混乱を前に、先生は実に楽しそうに宣言しました。
「さて、改めて転校生の紹介だ。
 こいつは俺の友人の息子で、天戸(あまど)游真(ゆうま)ってんだ。
 なんつーか、海外の人里離れた山奥に住んでたから人間界の常識をあんましよく分かってないが、そのうち覚えてくだろ。仲良くしてやってくれ!」
 乱雑で非常識な先生の言葉に私の思考回路はついていけません。
 目の前の少年は女子の制服を着てて。
 でも、男の子で。
 街路樹の上を跳び回るような野生児で。
 でも、天使のように神々しくて。
 私の頬をぺろりと舐めて――。
「……ああ、神よ(オゥ、マイ……ガツド)」
 そこで私は気絶してしまいました。
 これが、彼――天戸游真との出会いであり、私にとって波乱の二学期の始まりなのでした。


                                                    つづく


そんな訳で

 どうも、全然小説が進んでない哲学さんです。
 なんていうか、哲学さんが今まで書こうとしてないジャンルで、今まで書いてない文体で頑張ろうとして、現在絶賛自爆中です。
 地の文が丁寧語とかとても書きづらいです。
 なんなんですかね、これ。
 しかも、いい歳したオッサンが、思春期の、恋に恋するお嬢様の心象風景を一人称で書くとか!!
 書きながら頭を壁に打ち付けたくなります。
 なんていうかこう、甘酸っぱさが足りない!
 恋に恋する思春期特有のぐちょさがたりねぇ!
 ていうか展開が遅い!
 開始即ポエムとか哲学さんを殺す気ですか!
 なんというかこう、転校生くんが現れた時は少女漫画のごとく、背景に花びらがぶわわって広がってるような乙女フィルターの掛かった感じに描写したいけど、とてもそこまで体力が持ちません。
 冒頭の三人娘は気に入ってるんですけどね。
 一応整理のために書いておくと

高山 祈鈴(たかやま きりん)
 恋に恋する生徒会長のお嬢様。ややファザコン。敬虔なカソリック。背が高いのが悩み。母はロシア人。

堤谷 象子(つつみや しょうこ)
 ボーイッシュな主人公の親友。運動神経はよい方。祈鈴ほどではないが背は高い方。祈鈴と並ぶと宝塚っぽい。スカートではなくズボンを好む。恋愛には別に興味はない。

荒沢 栗栖(あらさわ くりす)
 童顔ロリ巨乳ハーフ。自称、恋の伝道師(笑)女の子は恋をする生き物だと一家言持っている。コロコロと恋人は変わる。

天戸 游真(あまど ゆうま)
 転校生。野生児。女装少年。担任の先生曰く、「人間界の常識を余り知らないらしいが……」

 とこの四人を軸に話は進む予定です。


 話の方針としては、恋に恋する祈鈴ちゃんの初恋物語です。
 謎の少年游真くんを巡りつつ、彼女の初恋とその顛末が語られる予定です。
 なんというか、特に突出したところはなく、どこにでもあるフツーの恋愛ものです。
 ……男性向けラノベとしては厳しい題材だと思いますが、頑張ります。



 ……やっぱ、この文体書きづらいです。