今書いてる小説の序章・一章 UP

 タイトルはまだ決まってない。
 どんな話かは、読んで判断してちょ。





序章


「どうしよう、栗栖ちゃん、早く処女捨てないと!」
 突如聞こえた無茶な発言に俺は吹き出しそうになった。
 放課後の教室。窓際の席で俺はうつぶせに寝ていた。家に帰るのが億劫で机の上に倒れていたらそのまま寝てしまってこの時間である。
 そろそろ起きようとした矢先に聞こえたのが上記の会話だ。おかげで起き上がるに起き上がれない。
「し、声が大きいよ。ケイちゃん。誰か聞いてるかもしれないよ」
「大丈夫。みんな噂の通り魔事件で早く帰ってるし、私たちの他には《居眠り王子》の酒々井(しすい)くんしかいないって。あの子いつも寝てるから大丈夫」
 ごめんなさい、めっちゃ起きてます。でも、今更名乗り出るなんて怖いこと出来る訳ない。仕方ないので俺は耳を澄ませ、現状把握に努める。
 どうやら教室にいるのは居眠りしてる俺を除けば同じクラスの荒沢(あらさわ)栗栖(くりす)と吉川(きつかわ)恵(けい)の二人だけらしい。
 荒沢(あらさわ)栗栖(くりす)はアメリカ人とのハーフで日本人の童顔とアメリカ人の豊満ボディを兼ね備えた完璧なロリ巨乳で有名だ。
 一方、話し相手の吉川恵は対照的な黒髪ストレートの今時珍しい日本人形みたいな大和撫子で、クラスの委員長である。
 こんな正反対な二人が話してるなんて珍しいシチュエーションだ。
 ――くそう、嫌なタイミングでガールズトークしやがってっ! 早く続きを話せよ!
「……で、どういう話なの? ケイちゃんは確か幼なじみの石波(いしば)通(とおる)くんと付き合ってたんだよね?」
 それは校内でも有名な話だ。今時珍しい大和撫子な吉川は男性人気も高く、告白する人間も多かったが、「幼なじみと付き合ってるから」、と片っ端から断っていたのだ。
 ちなみに俺も、吉川はすごく可愛いと思っていたが、告白はしてない。話に出てきた通とは中学からの親友だからだ。親友を裏切るようなことは出来ない。
「うん……でも、その、私たちの『お付き合い』は、その、年相応というか、純粋なものだったというか」
「うんうん、ピュアなものだったのね。分かるよ! なんたって私は恋の伝道師(マエストロ)だからね!」
 荒沢はその見た目通り凄くモテる。とても恋多き乙女であると知られ、恋愛相談する人も多いとか聞いたことある。今回もそんな所なのだろう。
「でもね、やっぱり、その、トールくん、やっぱりそろそろ……そのっ、エッチしたい、て言ってきて」
「そっかー、いよいよ次の段階に進むんだね、おめでとう」
「え? あ、うん、ありがとう」
 そっかー、通もついに吉川とヤるのか。くっそー、いいなぁ。ていうか、今の恥ずかしがりながらありがとう、て言う吉川の声すごく可愛かったな。これが恋する乙女と言うヤツか。凄い破壊力だ。軽く心臓がドキっとした。おのれー、通めー、あの幸せ者め。
「でも、こないだ親戚のリョーノちゃんから聞いたんだけど……。初めて彼氏とエッチした時、痛くてずっと泣いちゃって結局最後まで出来なかったんだって。
 しかも、その後『これだから処女は』と言われて……それまでラブラブだったのに、全然疎遠になったらしくて……」
「……あーっ、そっかぁ。そのリョーノちゃんも可哀想に」
 うんうん、となにやら訳知り顔で頷く音が聞こえてくる。どうでもいいけど荒沢の感情移入度が半端ないな。完全に自分の経験みたいに頷いてるぞ。
「他にも、図書委員で一緒だった沢地先輩も、前の彼氏とエッチした時あまりの激痛に二回目以降はエッチが怖くなって、そのせいで先週別れたらしいし」
「個人差はあるけど、やっぱり女の子の初めては大変だから……ね。そう言うこともあるよ」
「私ね、トールくんのこと好きなの。凄く好きなの。でも、もし初エッチ失敗して嫌われたら……それでトールくんと別れることになったら、私……私……」
 おいおい、今度は泣き出したよ。いたたまれない。気まずい。なにこのシチュエーション。
「だから、先延ばしにしようと思っててたけど、最近トールくんがとっても怖い顔で、今までに見たこともないような真剣な顔でお願いしてくるの。それで、やっぱり断れなくて」
 通、自重しろよ。必死すぎるだろ。彼女マジでびびってんじゃねーか。
 あーでも、最近彼女持ちのグループでの下ネタトークで会話に入っていけないのをかなり気にしてたなぁ。というか、まあ、うん、吉川すごく可愛いもんな。
 毎日手を繋いで帰ったりしてるのに、エッチできないとかこう、生殺し状態だったに違いない。よく我慢した方ではなかろうか。
 幼なじみなんだからそれこそ中学生くらいにヤってておかしくはない。
「そっかぁ……でもさ、処女って大事なものだよ。好きな人にあげた方がいいと思うし、処女じゃなかったらショックを受ける人もいるし」
 さすが恋の伝道師だ。男の心理をよく分かっている。俺は心の中で荒沢の言葉にうんうんと大きく頷いていた。
 少なくとも、俺はどっちがいいかと聞かれたら処女の方がいい。いやでも、処女じゃなくても荒沢や吉川みたいな美少女とエッチできるなら全然オッケーではあるか。
「でも、怖いの! 処女のせいでトールくんに嫌われたら! 私、トールくん一筋なの! トール君に嫌われたら死んじゃう!
 だったらなんとか上手い人に『オンナ』にしてもらいたい!
 それとなくウチのお母さんに聞いたけど、お母さんもお婆ちゃんもみんな最初はすごく痛かったらしいの! そう言う家系らしいの!
 トールくんとは『いい思い出』だけ残したいの!
 ねぇ、栗栖ちゃんならエッチの上手い人色々知ってるでしょ! そう言う人紹介してよ!」
 おおう、普段の吉川からはとても想像出来ないくらい力強い声だ。それだけ切実なんだろう。でも、真剣な声に反して内容は無茶苦茶だぞ。
「うん、分かった。ケイちゃんの気持ちはよく分かった。
 でもね、逆の可能性もあるの。処女じゃないことでケイちゃんがトールくんに嫌われるかもしれない。
 処女を捨てられるのは一度きりだからね、慎重にならないと」
「そんなの、初めてだけど気持ちよかったとか、言えば大丈夫じゃない! きっとバレないわ!」
 うわぁ、普段はお堅いイインチョーな吉川がすごいこと言ってやがる。これが彼女の本性なのだろうか。
 というか、おちゃらけてると思ってた荒沢の方が結構真面目に考えてるな。さすが……なのか?
「もう来週の土曜日にトールくんの家にお泊まりする約束しちゃったの! もう時間がないの!」
 なにやらがたがたと椅子の揺れる音がする。おそらく荒沢の両肩をがしっと掴んだ吉川が必死に揺さぶってるのだろう。
 それにしても、来週の土曜日か。今日は水曜日だからちょうど残り十日か。そう言えば前々からあいつの両親が旅行に行くって話してたっけ。おそらくその日取りが来週の土日か。
 それを逃すと自営業な石破家は両親が家に居ない日はなかなかない。だからあいつも必死で吉川に懇願したんだろうな。ラブホに行く金もないだろうし。
「ちょっと、落ち着いて! 分かったから分かったから!」
「ホント? じゃあ、その、出来れば格好いい人紹介して欲しいな」
 と、なんかカワイコぶって言う吉川。なんだか声が二オクターブくらい上がってる。
 ――この女。トールくん一筋はどこ行ったよ。
 色々と通が可哀想だ。俺の中でがくっと吉川の評価が下がったぞ。
「……まあ、とある国や昔の日本では夫婦生活が上手く行くようにまず村の長老が新婚前の女性の処女を奪う風習があったりしたし……ケイちゃんがそこまで言うなら『水揚げ』の紹介するよ」
「『水揚げ』って?」
「童貞喪失が『筆おろし』で、処女喪失を『水揚げ』って言うの。まあ、芸者さんの言葉だけど」
「わぁ、栗栖ちゃんさすがこういうことには博識だね!」
 全くだよ。マジでその知識どっから取り寄せてくるんだよ。ていうか、どこの風習だよそれは。そこのところ詳しく教えて欲しい。
 ていうか、吉川なんかノリノリだな。
「さてと……。それじゃ誰がいいかなぁ」
 と、カツカツカツと教室を歩く音がする。歩きながら考えているのだろうか。
 いや、それよりもなんか足音が近づいてるような……。
「で、酒々井くんはどう思うのかなー?」
 突如耳元で囁かれてドキりとする。
「……えっ!?」
 遠くで吉川の驚く声。
「え? もくそもないよ。あんな大声で喋ってたら、起きるに決まってるでしょ、ね? 酒々井くん」
 声をかけられ、俺は迷った。くそ、どうすればいい。このまま知らんぷりするか。それとも……。
「……ごめん、聞こえてた」
 俺は顔を上げた。まあ、荒沢が足踏んできたのでここで起きないと逆に不自然だったし。
「そんな……酒々井くんが起きてたなんて」
 ――今まで知らなかったけど、吉川ってすごい天然だったんだな。普段はあんなお堅いイインチョーなキャラなのに。
 というか、イインチョーの中では俺はそんなに眠ってるキャラなのか。いや、学校に居る時間の半分は寝てるけど。授業中どんなに揺すられても起きないけど。
「あの、その、お願いよ。トールくんには、トールくんには絶対に言わないで、ね? ね?」
 吉川は凄い勢いで俺の席にやってきて両手を握りしめ、うるうるとした目で見つめてくる。
 くっ……美少女にこんなことされては……しかし、俺と通にも男の友情というものが……。
「まーまー、ケイちゃん落ち着いて。こういうことは手っ取り早く共犯にしてしまうのがいいのよ」
 おい、なんかこの童顔巨乳ハーフすごく意地の悪い笑み浮かべてるぞ。
「え? どういうこと?」
「ねぇ、酒々井くん。ケイちゃんの処女貰ってくれない?」
 俺は耳を疑った。
 え? この女今なんていった? ちょっと、待てよ。え? この可愛い可愛い吉川の……処女を……俺が?
「酒々井くん、婚約者いたよね。だったら経験もあるでしょ。
 ケイちゃんとも知らない仲じゃないし、下手に私が赤の他人を連れてくるよりはいいかも」
 なにこのエロゲ展開。
「――しかし、俺と通は友人だし」
「その、通くんが彼女と上手く行くために、手助けしてあげるの。ね?」
 いや、その理屈はおかしい。たぶん。いや、おかしくないのか。いや、でも……しかし、吉川の手はすべすべしてて柔らかいな。
 いや、いかんいかん。一時の劣情に惑わされて俺は大事なものを壊そうとしているのでは――。
「第一、吉川も俺なんかじゃ……」
「酒々井くん……結構、格好いいし、あの美人の婚約者さんに比べれば劣るかもしれないけど……こんな私でよかったら」
 心臓がバックンバックンと恐ろしいスピードで走るのを自覚した。
 なんだよなんだよこの展開は。
 断れ! 女共の勝手な理屈に振り回されるな!
 俺は男だろう! 通とは友人だろ! それに許嫁のそよぎにも悪い!
 耐えろ! 耐えろ! ここは絶対に! 性欲なんかに負けるな!
「……俺でよければ喜んで」
「鼻の下伸びてるわよ、酒々井くん」
 吉川の手を握り返す横で荒沢が言う。
「の、のびてねぇよ! 勝手なこと言うなよ! お、俺はその、通には悪いと思って……こう、そのあれだ、断腸の思いで……すごぉぉぉぉく悩んだ挙げ句に回答してるんだぞ!」
「まあ、そう言うことにしておいてあげる」
 しかし、そんな俺と荒沢のやりとりを全く気にせず吉川が大きくため息をつく。
「そっかぁ……よかった。これで安心してトールくんとエッチできる」
 このレディコミ脳は本当に残念だなぁ。いや! でもまぁ! 仕方ない!
 このシチュエーションで断るなんて逆に男が廃るってんだ!
 俺はマチガッテナイヨ! タブン!
「ありがとう、栗栖ちゃん、酒々井くん。私がんばる!」
 ぐっ、と胸の前で拳を握り気合いを入れる吉川は実に可愛かった。
「それじゃ、その……不束者ですがよろしくお願いします」
 と、吉川は大きく頭を下げた。
 過程や考え方はともかくとして……彼女は真剣で、本当に通が好きなのだろう。
「いや、その……俺の方こそよろしく」
 と笑みを返しつつ、そこで俺は内心凄まじい後悔に襲われていた。
 いや、そもそもの前提条件として……どうしたものか。
 ――俺も童貞なんだけど。
 だが、俺の態度はドンドンでかくなっていく。
「はは、俺にどーんと任せてくれよ」
 と、胸を叩きながら、俺は今更ながらに脂汗を垂らし始めるのであった。
 そんな俺の気持ちなどつゆ知らず、女の子連中は盛り上がるのだった。

第一章


 この俺、酒々井(しすい)景良(かげよし)には使命がある。
 セックスだ。
 セックスである。
 セックスなんだよ……。
 俺は自室で頭を抱え、猛烈な後悔に襲われていた。
 突然降って沸いた浮気話。
 だが、これは友人への裏切りであり、おまけに自分の手に余る問題だ。
 断るべきだ。そう、それが男として正しい判断に決まっている。
 と、そこへケータイが振動し、着信を告げる。見ると吉川からだった。俺は即座に出る。
『ごめん、今大丈夫だった?』
「あ、いや、別に。ちょうど自分の部屋に付いたとこ」
 俺は出来るだけ平静を装いながら返答する。大丈夫だろうか。どもってないだろうか。
『そっかよかった。その……今日は無理言ってゴメンね』
「あー、いやいや、全然気にすんなって。吉川の為だもんな」
 ってちげーよ、俺。断れ。今すぐに、断れよ。
『うん、ありがと。正直いくら栗栖ちゃんの知り合いと言っても、やっぱり知らない人とするのはちょっと怖かったんだ。
 相手が酒々井くんで本当によかったと思ってる』
「…………」
『じゃあ今度の日曜日……一緒に頑張ろうね』
「ああ、任せとけ」
『それじゃ、また明日』
「ああ、じゃあな」
 俺は笑顔で返答し、電話を切った。
「………………」
 断れるかぁぁぁぁぁぁ。こんなもん! あんな可愛くおねだりされて断れる訳ないだろ!
 あーもー、バーカバーカ。俺のバーカ。
 こうなったら腹をくくるしかない。
 ――と、そこでまたケータイが振動する。相手は我が親友にして渦中の人物、石波通だった。
「おう、もしもー?」
『おっす。カゲ。今大丈夫か?』
「ああ? まあちょうど家に帰ったばかりだ」
 なんだ。このタイミングで何故かけてきた。ま、まさか早くもバレたのか。
 いや、まさかそんなはずはない。この事は俺と吉川と荒沢の三人しか知らないはず。
 ――はっ。まさか荒沢のヤツ、裏切って通にチクッしやがったか。
『実はその、大事な話があるんだ』
「なんだよ改まって――。俺とお前の仲じゃねぇか。遠慮すんなって」
『そうか。
 実はな……このたび俺は童貞を捨てることになった!』
 歓喜に満ちた声に俺は呆然とする。
『やっとだよ、やっと。もうあいつとはさー、十年来の仲なのにさー、なかなかあいつが身持ちかたいからよー。
 あっはは。もう……まいっちゃたなぁ。はははははははは』
 こいつ、殴りてぇ。わざわざケータイで電話してきたかと思えばこんな自慢話かよ。
 うぜぇ。超うぜぇ。
「いやぁ、もう、あいつ出会った時から可愛くてよぉ、それこそ幼稚園の時なんかさぁ」
 やべぇ、このまま行くといつも通り出会いから現在までの惚気を聞かされてしまう。
 くそう、俺以外で惚気に付き合ってくれるヤツいないからって話しすぎだろ。と言うよりもいちいち聞いてしまう人のいい俺駄目すぎるっ!
 畜生、なんでこんなこと聞かないといけないんだ。俺が。
 だんだん腹立ってきた。
「そんなよー、可愛かったケイがよー、ついに俺のモノになるんだよ」
 残念だったな。
 お前の彼女の初めてを貰うのは俺だから!
 彼女とはセックスしたのかい?
 残念だったな!
 彼女の初めての男はこの俺だぁぁぁぁっ!
 ……なぁんて叫びたくなるのを必死で我慢する俺はよくできた友人のはずだ。
「でもよー、カゲも幸せもんだよな。あんな美人の婚約者がいるなんて」
 と、突如の話題転換に俺の沸き立っていた脳が急速に冷える。
「やわらかそうな白ーい肌に、まぶしーくらいの銀の髪。あんな漫画みたいな女の子と一つ屋根の下とか羨ましいわ」
「あん? てめー、なんでそこで人の許嫁に目がいってんだテメェ?」
 険のある言い方に通は慌てて言いつくろう。
「あ、いや、悪い悪い。違うんだよ。ほら、俺だけじゃなくてお前もいい彼女いるなって……友達としてその、褒めてやろうって」
「カノジョ居るんだから、人の女に色目つかってんじゃねぇよ、最低だぞお前」
「……すまん、悪かった」
 俺は大きくため息をつく。
「まあいい、ともかく、初エッチ。がんばれよ」
「ああ、絶対に成功させてやる。俺は――ついに本当のオトコになるんだっ!」
「応援してるぜ。じゃあな」
 ケータイの電源を切り、そのまま俺は無言でベッドにケータイを叩き付けた。
 うぉぉぉぉぉぉい、最低の男はどっちだよ! アホかっ!
 自分に許嫁いるのに親友のカノジョと同衾予定とか!
 なにやってんだ! どうすんだこれ!
 なにが応援してるぜ、だよ!
 それどころか俺は自分の現状を誰かに助けて欲しいわっ!
 どーするどーするどーするどぉぉする!
 正直俺学校でもずっと寝てばっかりで友達少ないからな。こんな相談できる相手は通くらいしかいないのに、どーすんだよこれぇぇぇぇ。
 ああ友達が少ないのも、俺が童貞なのも全部俺のお家のせいなのだが――。
「軟弱なる景良さまー! 軟弱なる景良さまーっ!」
 よく通る声が庭先から聞こえてくる。
 くっそ来たよ。噂をすれば影、と言うヤツだ。
「我が最愛にして軟弱なる意気地なしの景良さまー! どこにおられますかっ!」
 再三に渡る呼びかけに俺もこれ以上逃げることを諦め、部屋の窓を開け大声で言う。
「うっさい! そんな大声を出さなくても聞こえているっ!」
 顔を出すとそこには白い少女が居た。透き通るような白い肌に白い胴衣を身に纏い、輝かんばかりの白銀の髪を持つ赤い瞳の少女。木刀を持っているにも関わらず、その神秘的な佇まいは神に仕える巫女のようである。
 彼女こそ俺の許嫁――科谷木(しなやぎ)そよぎである。
「今日も相変わらず帰宅が遅うございましたね! もうこのわたくしめを娶ること諦めましたかっ!」
 快活に辛辣な言葉を投げかけてくるそよぎに俺はため息をつく。なに? なんなのこの元気いっぱいで、少年のようにまっすぐな瞳? 対応に困る。
「別にそんなことは言ってないだろ」
「それはよかった! わたくし、景良さまがいなくなったら生きていく意味がありません。もしそうなればもはやこの首をかき斬り自害するまでですっ!」
 なんでそんな朝食はいつもパンを食べてますっ、みたいな明るいのりでヘビーなこと言えるんだよ。本当にその意味わかってんのかこいつ?
「さて、であるならば、景良さまっ! わが愛しの婿殿っ!」
 そよぎは庭で軽く助走したかと思えば、次の瞬間には家の壁を蹴り、床を蹴り、あっという間に屋根の上へと辿り着く。まるで忍者のような身のこなしだ。
 気がつけばもう彼女は俺の部屋の前――二階の自室にある窓の前に立っていた。
「いざ、始めましょうぞ。
 まだ夕餉には時間がありまするっ!」
 ぴしっ、と俺の鼻先に木刀の先端を突きつけてくる。
「…………」
 まったくもう、いつも調子が狂う。こいつは自由に生きすぎだろ。こっちはこっちで今とても重大な案件を抱えているというのに!
 あーやめやめ。
 今は何も考えるな。
 俺は部屋の隅に置いてある木刀を手に取り、呼吸を整える。
 ――悪いな、吉川。お前の件は後回しだ。
 剣を手にしたその時から――俺は修羅に入る。



 街を吹き荒れる風が俺の中の修羅を焚きつける。
 俺は一陣の風となり、窓の外へと飛び出した。
 屋根の瓦の砕かんばかりに踏み込み、渾身の片手突きを放つ。
 《一の剣》――天を創りし始まりの剣。混沌より世界を生み出す勇気の剣。
スカッ
 人剣一体となって放たれた神速の一撃をそよぎは体を反らし、避ける。まるで風に舞う木の葉のごとくまっすぐに突進する俺の横をすり抜ける。
 踏み出した俺の勢いは止まらない。そのまま全力で駆け抜け、屋根の先端を蹴った。
 俺の体は宙を舞い、やがて数メートル先にある家の裏にある道場の屋根に着地する。
 約半メートルを消費してようやく俺は振り返った。
 そこには木刀を上段に構え、飛びこんでくるそよぎの姿。
 俺は即座にその場を飛び退き、そよぎの一撃を交わす。
 そして横なぎの一撃を放つ。
 《三の剣》――天地を両断し、世界を割る憤怒の剣。
スカッ
 そよぎは着地と同時にしゃがみ込み、俺の一閃を避ける。
 剣に引きずられ、体が横に振り切った状態の今の俺は隙だらけだ。
 そこへ、しゃがみ込んだ状態のそよぎが屋根を蹴り、跳び上がる。
 俺は剣を振り切った体勢のまま、強引に肩を押しだし、タックルを敢行。
パァンッ
 しかし、そよぎの体はすでに目の前にはなく、俺は空中からそよぎの蹴りを顔面に食らう。
 鼻血を出しつつ、俺の体は後方へ。俺は自分から屋根を蹴り、空中でバク転し、なんとか反対側の屋根の端に降り立つ。
 俺は鼻血を拭い、ぺっ、と唾を吐く。口の中を切っていた。じんじんと鈍い痛みが顔面を覆うが、根性で我慢する。
 夕焼けの中、俺とそよぎが道場の屋根の上で木刀を手に対峙した。
 俺たちの流派はあらゆる地形、場所、空間に対応することを迫られる。
 それはたとえ船の上であろうと、屋根の上であろうと、木々の上であろうと関係ない。
 いついかなる場所においても剣を持って戦う。それが流派の教えだ。故に忍者のごとく屋根の上を跳び回ることは俺たちの流派においては基礎中の基礎でしかない。もっとも、俺たちの流派は忍ぶことはないのだが。
「どうなされましたか? 景良さま。いつも以上に剣に覇気がありませんぞっ!
 そのような事では、わたくしをキズモノにしようなど到底かないませんぞっ!」
 剣を片手にそよぎは朗々と語る。まるで舞台役者のようだ。
「うっせぇな、こっちにも色々あんだよ。体調が悪い時もあらぁっ!」
 剣を下段に構え、俺は相手の出方をうかがう。
 最初に放った《一の剣》。あれは我が流派最速の片手突きだ。この一撃を持って相手との単純な力量差を推し量ることが出来る。
 そよぎは、俺の最速の剣をあっさりとかわした。紙一重などではない。十センチ以上の余裕を持って、だ。もちろん、向こうはこちらの手の内を知っていることもある。しかし、乱暴に言ってしまえば俺が一回剣を振るう間にそよぎは十センチ以上も余分に動くことが出来る。それだけの、差がある。
「年下であるこのわたくしにいいようになぶられて、恥ずかしくはないのですか?
 そんなことでは困りまするっ!
 このまま行けば――わたくしは景良さまを殺してしまいまするぞ」
 言いながら、今度はそよぎが動いた。
 豪風のごとき俺の突進とは違い、軽やかな微風のごとき踏み込みだ。早い訳ではない。むしろ、ゆるやかですらある。近づくそよぎへ先手を打ち、下段から上段へ左斜めに剣を放つ。
 《六の剣》――世界を始める暁の剣。天を駆け上がる太陽のごとき覚醒の剣。
 避けられるタイミングではない。だが、そよぎは動じることなく迫り来る俺の木刀へ自分の木刀をぶつけ、そのまま絡め取った。勢いが完全に殺され、鍔迫り合いの状態へと持ち込まれる。
 相手の勢いを完全に殺す返し剣《叉の法》――通称《刀喰らい》。達人のみが行うことの出来る高等剣技だ。
 剣を返され、まるで綿に剣を押し当てているような奇妙な感覚が俺の手を襲う。そのあまりにも柔らかな感触に、目の前に相手の剣が見えているにも関わらず、そよぎの剣がどこにあるのか感触を見失う。こちらが反応を返す前に、左の脇腹へ一撃を入れられていた。
「……ぐっ」
 激痛に歯を食いしばりつつ、俺は踏みとどまった。脇腹に相手の木刀が当たった状態のまま、俺は強引に伸びきった相手の手に剣を振り下ろす。が、遅い。激痛と無茶な体勢のために剣にキレがない。
 こちらが振り下ろし終わる前にそよぎは後ろに飛び退き、ゆうゆうと攻撃をやり過ごす。 木刀の一撃は重い。もし、そよぎが本気であればあばらの何本かはやられていただろう。防具なしでも持ちこたえているのは相手の温情でしかない。
「相変わらず、景良さまの東剣はぬるうございます。
 それでは《刀喰らい》を放ってくれと言われているようなものです」
 剣の勢いを殺す《刀喰らい》はとても難しい技術だ。いくら達人といえどもどんな状況でも放てるものではなく、相応の条件を備えなければ成立しない。だが、俺の東剣――右から左へと放つ剣はそんな秘技がやすやすと打てるほど温い剣と言うことだ。
 俺たちの流派では、人体を方角に見立て、上から振り下ろす剣を総称して北剣、右から左を放つ剣を東剣、下から上に上げる剣を南剣、左から右へと放つ剣を西剣と呼ぶ。たとえば今俺が放った六の剣は正確に言えば南東剣である。ちなみに突きである一の剣は天剣とする。
「言われなくともっ!」
 俺は激痛を押し殺し、再度《一の剣》を放つ。だが、痛みのせいか踏み込みが甘い。そよぎは二十センチ以上の余裕を持って俺の片手突きをかわし、がら空きになった懐へ吸い込まれるように踏み込んでくる。密着と言っていいほどの至近距離。鼻がぶつかりそうなほど距離でそよぎは囁く。
「軽率にございます」
 単調な攻めは容易く動きを読まれまするぞ、と彼女の赤い瞳が告げている。
 慌てて飛び退こうとするも――左脇腹の激痛が邪魔する。もっとも、万全であったとしても対応できたかは怪しいのだが。
 衝撃が腹部を貫く。木刀の柄で打ち抜いたのだろう。
「……かはっ」
 呼吸が止まり、意識が飛びそうになる。
 俺の体は宙を舞い、放物線を描く。
 ――まずい、屋根から落ちる。
 理性が必死で警告を放つが、体が動かない。
 道場の屋根は約四メートル。受け身を取ればぎりぎり着地も可能だ。だが受け身を取らなければ――。
ぱしゃぁぁんっ
 死の予感をあざ笑うかのように俺の体は水面へと沈んでいた。こんなこともあろうかと、家の庭には水深の深い池が設置されているのである。



 武門の家に生まれた。
 酒々井家は平安の世から続く剣術を引き継ぐ由緒ある家だ。
 古い家にはつきものの掟が幾つもある。
 たとえば、酒々井家の跡継ぎは分家である科谷木家から妻を貰うというのもその一つだ。
 しかし、ただ無条件で嫁を迎えられる訳ではない。
 科谷木家は花嫁に徹底した剣術教育をし、一定以上の実力をつけさせた上で送り込んでくる。
 その花嫁を打ち破る実力を手に入れて初めて跡取りは結婚できるのだ。
 うちの母親の肩には大きな傷跡がある。幼い頃それについて質問した時、「これは父さんに初めてつけられた傷なの」と母に笑って言われたのを今でも覚えている。
 狂ってる。
 とどのつまり、俺は、剣の達人である花嫁に一撃を入れないと結婚も出来ないし一生童貞って訳だっ!
 ――ああもう、なんでご先祖様はそんな決まりを作ったんだよ! 無茶苦茶過ぎる! キズモノにして初めて身内とかどこの虎眼流だよっ!
 いや、結婚は出来なくても、昔ならば本妻以外の妾を沢山作ったご先祖もいたらしいが。それにキレた花嫁がますます腕に磨きをかけ、当時の跡取りをボコボコにして婚期がすごく遅れたらしいけどなっ!
 そして、現代。
 科谷木そよぎは神童だった。若干十四歳にて免許皆伝し、我が家にやってきた。それが去年のこと。
 それ以後、俺はそよぎとこうしたバトルな日々が続いている。
 最初は驚くほど美しく成長したそよぎ相手に防具も着けずに一撃を与えるのなんて……と気が引けていたが初日でボコボコにされて以来そんな気持ちは吹き飛んだ。それこそ殺す気で向かわなければ彼女に勝つなんて夢のまた夢だろう。
 彼女は幸いにして俺に好意を抱いてくれているようだが、実力差は見ての通り。
 彼女に一撃を入れるのはまだまだ先のことになりそうだ。
 ……って、それじゃ駄目なんだよ!
 俺は吉川の処女を四日後の日曜日には貰わないといけないのにっ!
 だとするならばっ! 俺は今日中にそよぎをぶっ倒し、今夜中には初夜迎えて、三日間の万全のトレーニングを重ねて吉川と寝てあげるのが道理!
 他に方法があるか? いいや、ない。
 なんとか……なんとかして、そよぎを倒さないとっ!
 いや……待て。なんかおかしいぞ?
 違う違う違う。なんで吉川と寝ることが決定してんだよ、俺!
 その前にまずは吉川の申し出を断るべきだろ。やっぱり親友の彼女を寝取るような真似は――。いやでも、これは滅多にない機会だ。若いうちから相手を決めてしまうのはいかがだろうか。許嫁なんて旧態依然のシステムに囚われることなく、ここは一つ吉川と寝てしまうのが一番ではないだろうか。
 うががががががっ! 畜生、俺はどうすればいいんだっ!!
「壁に頭をぶつけてどうなされたのです? 景良さま」
「どわぁぁぁぁぁぁっ!」
 背後から声をかけられ俺は飛び退いて部屋の隅に逃げる。自室の入り口に部屋着姿のそよぎが呆れた顔をして立っていた。
「おおいっ! 勝手に部屋に入ってくるなよっ!」
「何度呼びかけても出てこないから仕方なく開けたのです。
 なんにしても、人体の急所たる顔面を壁に叩き付けるのは感心しませんぞ。
 いくら頑丈が取り柄の景良さまでも、頭がぱぁになってしまいまする」
 握り拳を開きながらぱぁ、と言うそよぎはなかなか可愛かった。風呂上がりなのか白い肌がほんのりと上気し、驚くほどの艶をみせていた。その色っぽい姿に思わず俺はごくりと唾を飲みこむ。
 ――もし、夫婦になることができれば彼女の肌に触れることが出来る。
 そんな想像が体を熱くさせる。
「おやおや、これはこれは、景良さま」
 にたりとそよぎは笑い、銀の髪をかきあげる。
「未熟にして弱卒に過ぎぬ景良さまとしたことが、わたくしの肢体に欲情めされたか」
「……ぐっ」
 俺は顔を真っ赤にしつつ、反論できない。ああもう、女は卑怯だな。自分の武器というものをよく分かっている。
 剣の達人として鍛えられたそよぎの体はしなやかであり、無駄な脂肪など一切無い。それでいて女性らしい丸みを帯びており、まさに理想的な体型と言えた。しかも、未だ中学三年生でしかなく、まだこれからも成長の余地がある。
 そんな許嫁が一つ屋根の下にいるというのは思春期の男子にとっては生殺しのような話だ。
「食事も済ませたし、軽く食後の運動といたしますか?」
 我が流派は常在戦場。それこそ、風呂を覗いてそのまま襲いかかっても花嫁に打ち勝てば誰も咎めない。勝てるのならば、だが。
 徒手空拳でも彼女の強さは揺るぎない。むしろ、思春期の男子が裸の女を前に普段通りの実力を発揮するのはなかなか難しい。いつも以上にボコボコにされるのがオチだ。実際に去年はそれで酷い目に遭った。
 そもそも、俺が使うのは流派の中でも《烈剣》と呼ばれる剛の剣。対するそよぎの使う剣は《流剣》と呼ばれる柔の剣だ。その関係性は言ってしまえば、空手と合気道のようなもの。故に《烈剣》は《流剣》に対して相性が悪い。むしろ、《流剣》は徹底的に《烈剣》に対抗するために作られている。その逆境を跳ね返してこそ奥義の継承が出来る、と言う訳だ。無論、最終的には《烈剣》と《流剣》の両方を習得することとなるのだが。
 なんにしても、男の俺が力に任せて押し切ろうとも、そよぎには容易く受け流される可能性が高い。そのような相性に教育されてしまっている。
 すなわち、彼女は水であり風であり布である。流れる水を斬り、吹き抜ける風を断ち、それらにたゆたい浮かぶ布を裂く。それが我が《烈剣》の最奥。だが、水なんて不定形のモノを斬ったり、風みたいな形無いものを斬ったり、あるいは風に揺れたりする布とか木の葉を一刀両断できるだけの域に俺は未だ達していない。奥義を体得すれば空を覆う天雲を一刀両断できると言うが――まあそれはきっと比喩表現だろう。
 なんにしても、彼女は誘っている。素手で私を襲え、と。だが、今の実力差では到底勝ち目はなく――俺はため息をつくしかない。
「……新しい学校には慣れたか?」
 話の矛先を変えられ、彼女はやや戸惑いつつも、すぐに応える。
「はい、転校して一年にもなれば、当然のこと。さらに、来年は同じ学校に通えるかと思うと楽しみで御座います」
 うちの家に来た当初、そよぎは学校が終わると毎日必ず高校の校門に俺の出迎えにやってきていた。セーラー服を着た銀髪の美少女が校門にいればとても目立つのでやめてくれ、と何度も言ったが「これも武門の妻の務めでありますっ!」と何故か楽しそうに否定された。すごい嫌がらせだと思った。
 そんな折、うちの高校の中でもよからぬ連中が彼女にナンパをしかけたりしたが、そよぎはあっという間に不良共をたたきのめし、「わたくしの肌に触れてよいのは景良さまただ一人ぞっ!」とか大声で宣言し、俺は高校での狭い居場所をさらに狭くした。肩身が狭いというレベルではない。おかげで《酒々井くんの婚約者》は我が高校でもトップクラスの有名人だ。
「そのなんだ、学校にいて、たとえば俺の他に気になる男とかいないのか? お前は美人だし、きっとモテるだろう」
「なにを。わたくしの想い人は常に景良さまただ一人にございます。うちの中学に、去年の夏の抗争を生き残れるよな猛者など居る訳ないでしょう」
「……まあ、それはそうなんだが」
 そよぎが不良をたたきのめした話には続きがある。たたきのめされた不良の兄貴分達がメンツのために出張って、その兄貴分を俺が倒すと高校を締めるグループの五人のヘッドが現れ、そのヘッドを全員倒すとそれを取りまとめる総長と、総長グループと五分の杯を交わした他校の不良連合が現れ、それらと敵対する独立勢力による介入が行われ、街の暇を持てあました若者達による全面戦争が開始され、結果的に俺とそよぎはその処理に去年の夏休みを潰された。
 アホである。うちの学校の不良共はどんだけ暇なんだと。というか、芋ズル式に色々と出張りすぎだろう。おかげで俺は元々少なかった友達は余計に減ったし、周囲からはよく分からない憎悪であったり尊敬の眼差しがあったりと……もう色々と泣きたい。
 まあ以上の経緯もあって、そよぎはうちの高校には進学するまでは立ち入り禁止を言い渡し、そよぎも同意している。
「そのあれだ、俺は結果的に一年もお前に勝てないままだ。いい加減、その、愛想をつかしてないか、とか思ってな」
「なんと心の狭い物言いでしょうか。自分に自信を持たれませ!
 景良さまは軟弱にして怠惰にして、優柔不断。されど、それは我らが流派の物差しにおいての話。
 一般的な視点においては景良さま程の剛の者はおりませぬ。景良さまがわたくしに勝てないのは、ただ単に、わたくしが酒々井の花嫁としてレベルが高いだけに他なりません」
 ――きっぱりと言うな。なんでこいつこんなに自信満々なんだよ。まあ、それだけの実力があるからなんだろうが。
「景幸(かげゆき)が生きていても、か?」
 俺には弟が居た。麒麟児と呼ばれた酒々井景幸。俺が十歳になる頃には才能の差は歴然とし、俺は三歳年下の弟にまるで勝てなくなっていた。ゆえに、酒々井家の跡取りは弟になるだろう、と言うのが当時の皆の意見である。うちは長子相続ではなく、実力主義なのだ。しかし、弟は五年前に病没。そして現在に至る。
 だからこそ、本来であればそよぎは俺の弟の許嫁のはずなのだ。
「まだそのようなことを気にしておられましたか」
 心外だ、と言わんばかりのそよぎ。彼女は胸を張り、まっすぐとこちらを見つめ、断言する。
「十年前のあの日、わたくしの銀の髪を、赤い瞳を美しい、と言って頂いたあの日からわたくしは景良さまのものです。それに、景幸さまは確かに剣の腕には天稟がございましたが、それでも、度量においては景良さまに勝るものではなかったと思います。
 わたくしは、景良さまが跡を継ぐものと信じておりました。だからこそ、剣を磨き、姉たちを押しのけ、今ここにいるのです」
 幼い頃、彼女は病弱だった。しかも、生来の弱視力。酒々井の花嫁としては致命的なハンデだ。それでも彼女は研鑽を重ね、姉たちに勝る実力を手に入れ、俺の許嫁となったのである。その覚悟は計り知れない。
 ――俺はそんな彼女の期待に応えられるのか。
「……そうか、悪いな。ちょっと弱気になっていたみたいだ」
「いえいえ。景良さまの心を支えるのもわたくしの務めにございます」
 そよぎの揺るぎない言葉に俺は自分の軽率を恥じた。
 なんてったってついさっきまで、かなり、親友の彼女である吉川とセックスすることで頭が一杯だったのだ。こんないい許嫁がいて少しでも浮気を考えていた俺はどうしようもない愚か者だ。断ろう。吉川の申し出は断ろう。それが一番だ。うん。
 ――ああ、でも、ちょっと勿体なかったか。吉川は体育会系のそよぎと違ってこう、文科系女子独特の包容力があって……。
「――景良さま、急に黙り込んでどうされましたか?」
「ああ、いや、なんでも……なんでもねぇよ」
「まさかと思われますが、他の女子(おなご)のことを考えておられたのでは?」
 ぐっ、鋭い。
「ばっか、お前。そんな訳ないだろ。お前みたいないい嫁がいるのに」
「いえいえ、わたくしもまだ若輩者の身。わたくしよりも強き女子がいれば身を退く所存に御座います。
 もっとも、どんな強敵であろうと、この許嫁の座は魂を賭して死守いたしますがっ!」
 ギロリ、とそよぎが睨んでくる。
「あっ、あはははは。お前より強い女なんてきっといねえよ」
 科谷木家で許嫁の座を巡ってそよぎは二人の姉と、三人の従姉と戦っている。その際、そよぎは実の姉二人を徹底的に叩きのめし、病院送りにした。、その鬼神のごとき戦いぶりを見た従姉の一人は失禁して棄権し、残りの二人の従姉も善戦したものの二度とよそぎと戦いたくないと言わしめたそうである。
 ――アブねぇ、浮気なんかしたら吉川はそよぎに殺されちまう。
「……と、とりあえず、座禅に行こうぜ」
 晩飯を食べて、風呂も済ませたら、道場にて座禅が日課である。おそらくそよぎが俺の部屋に来たのもそれに呼ぶ為だろう。
「はい、義母さまがお待ちです。道場へ向かいましょう」
 そう促すそよぎに従い、俺は前へ踏み出した。



 ひんやりとした夜気が心地いい。ビルとビルの間を跳び回りながら、俺とそよぎは夜の街――の屋根の上を駆けていた。二人とも来ているのは黒いシャツとズボンという洋服姿であるものの、見た目もやってることも忍者そのものだ。
 道場での座禅を済ませたら、今度は《市中廻り》である。《市中廻り》――要は近所で走り込みだ。とはいえ、我が流派の走り込みは単純に地面を走るランニングではなく、街の建物の上を縦横無尽に駆け回るという実に不法侵入なものだ。もちろん、よい子は真似しては駄目である。
 俺たちは一般人に見つからないよう、細心の注意を払いつつ、街を駆け抜ける。まるっきり暗殺者スタイルであるが、俺たちの流派の起源は殺し屋ではない。
 我が流派は始祖の編み出した剣術の中でも退魔師として特化された剣を継承している。かつては神刀を佩き、平安の都を跳び回り、各地で起こる妖怪騒動の解決や百鬼夜行の討滅を使命としていた。鎌倉・室町期でもその役割は変わらず、都の家の上を幾ら跳び回ってもいいという御免状もあったという。
 この《市中廻り》もその時の名残だ。いついかなる時でも戦えるようにする、というのは屋根の上を跳び回る妖怪や巨大変化する妖怪などとも対決できるように、ということらしい。もっとも、現代に生きる俺は妖怪を見たこともないし、《不入破りの御免状》もないのでこうして跳び回っているのがバレたら不法侵入であっさりと豚箱行きである。まあそもそも、御免状があったとしても、あれは京の都限定の免状だから時代が移り、関西の地方都市に移住した現在ではまったく意味がないのだが。
 なんにしても、俺たちの一族はこうして毎日違法行為を繰り返している。何故かと言うと始祖より千年後まで我が剣を伝えよ、と言われてるからだ。そして我が一族は馬鹿正直に先祖の言葉を信じ、住まう国の法すら無視し、剣の時代が終わったことすら気にせず現在に至るのである。――世界を救うためには我が剣が必要だと言い伝えを信じて。
 正直、モチベーションの上がらない話だった。そよぎみたいな美人の許嫁がいることは嬉しいが、科学全盛のこの時代に、退魔の剣を継承するとか時代錯誤も甚だしい。正直、小学生の頃は嬉々として剣に打ち込んでいたが、中学生くらいからなんでそんなことしないといけないんだ、と醒めてしまった。弟に勝てなくなったこともあり、俺は弟に任せて剣の道を諦めるつもりだった。
 しかし、弟は病死し、そよぎは俺の元へやってきた。一緒に流派を盛り立てよう、と言ってきた。まあ、そよぎはちょっとついて行けないところもあるが、とてもかわいい。その為なら剣を継ぐのも悪くない。
 ――でも、妖怪退治の剣技なんて、なんの意味があるんだか。
 あるいは、剣の道を諦め、そよぎのことを諦めて、吉川みたいなかわいい子と付き合う普通の生活をすべきじゃないのか。そんな気もする。でも、結局そんな決断をすることなんて出来ず、かといって剣の道に打ち込むことも出来ず、俺はとても宙ぶらりんの状態で高校生活を送っていた。
 ――まあ、考えても仕方ないか。
 ひとしきり夜の街を跳び回り、俺とそよぎは適当なビルの屋上で休憩を取ることにした。俺たちの流派が幾ら鍛えているとはいえ、長時間忍者みたいに跳び回れる訳じゃない。適度な小休止を挟み、事故を未然に防ぐのは当然の行いだ。
「…………今日も遭遇しなかったな」
 俺の言葉にそよぎも頷く。
「通り魔事件が起きたのはいずれもこの時間帯。遭遇してもおかしくないのですが」
 この二週間、通り魔事件が三件も起きている。いずれもこの歓楽街で、だ。普通の通り魔事件ならば俺たちの出る幕ではない。しかし、この通り魔事件には不審な点がある。
 まず第一に、被害者はどれも強面の男性――いわゆるゴロツキや不良と呼ばれる類の人間だ。通常、通り魔事件の被害者は女子供が多い。単純に、自分よりも力の弱いヤツを襲うことが多いからだ。なので、非力な女性や子供、あるいはよれよれに酔っぱらったサラリーマンのおっさんなどが被害者になりやすい。
 だが、被害者はいずれも見るからに腕っ節の強そうなガタイの言いアンちゃんばかりである。目の前に立たれるだけで威圧感があり、通り魔をしようなんて心の弱い人間が気後れしそうな奴らばかりなのだ。
 第二に、死因のほとんどが打撲だ。被害者はいずれも強い力で殴られたり叩かれた跡ばかりだという。だが、通り魔事件は一般的に刃傷沙汰が多い。人を打撃で倒すのはよほどの訓練を受けていない限りはとても難しいことだ。それは刃物でも同じ事だが、素手よりもぐっと難易度は下がる。
 このように、通り魔事件をするには難易度の高い標的と、難易度の高い方法で被害者は殺されている。それは不自然な状況だった。
「……まるで、腕試しみたいだな」
「は?」
 俺の呟きにそよぎが首を傾げる。
「ああ、悪い。考え事してた。一連の事件、まるで犯人が腕試してるみたいだな、て」
 俺の言葉にそよぎはなるほど、と頷く。
「確かに。そのような考え方もありますな。てっきり景良さまは――誘っているのかと」
 そよぎの意味ありげな笑みに俺は思わず吹き出す。
「どういう意味だよっ!」
「文字通りの意味です、景良さま。年頃の女子をこのような場所に連れ込むなんて」
 言われて周囲を見回す。よく見ると俺たちが今いる場所はラブホテルの屋上だった。周りには物置にしてるのか『お泊まり』や『休憩』の文字が記された看板が幾重にも並んで置かれている。
 そう、俺たちが休憩しているこの建物の下では、今まさに男と女があれやこれやの痴態を繰り広げているはずだ。
 ――くそう、俺としたことがなんて場所で休憩してるんだよ。
 無論、完全防音なので聞こえるはずなどないのだが、ラブホテルの屋上にいるという事実を自覚した途端、周囲のあちらこちらから男女のあえぎ声が聞こえてくるような錯覚に陥る。ああもう、こちとら強すぎる許嫁が倒せなくて童貞状態なのに、どいつもこいつもズッコンバッコンしやがって!
 いや、だが、もし、この場でそよぎを倒すことが出来れば俺にだってそういうことができるようになるのだ。自然と脳裏に、ムーディな部屋にムーディなベッドで抱き合う二人が浮かび上がる。相手は赤い目をした、銀髪の妖精のような姿のそよぎであったり、長い黒髪をした大和撫子の体現のような吉川だったり――。
 ――ってこら、なんで吉川のことを想像してんだよっ!
「――鼻の下、伸びてますぞ」
「ばっ、馬鹿! お前が変なこと言うからだろうがっ!」
 思わず顔を真っ赤にして反論する。
「ふむ。どうにも、今日の景良さまは欲求不満ではないのですか? もしかして、たまっておられるのですか?」
「女の子がそう言うこと言うな! むしろ、お前の方がたまってるんじゃないのかっ!」 売り言葉に買い言葉。いつもならば笑ってかわされるところだ。しかし、今日は違った。そよぎは真っ白な頬をわずかに赤く染め、潤んだ目をしてこちらを見つめてくる。
「わたくしは、いつだって景良さまにキズモノにされる日を今か今かと一日千秋の想いで待っているのです。
 このわたくしの想いが、景良さまには分からないのですか?」
 誘っているのは俺の方じゃなく――。
 そうだ、そよぎは言ってたじゃないか。彼女は十年前からずっと待っていたと。
 ――今なら。
 目の前にいる彼女はいつもの《酒々井の花嫁》ではなかった。科八木そよぎという一人の少女だった。今手を伸ばせば、彼女を抱きしめることもきっと――。
「――でも、今の景良さまでは父に殺されてしまいます」
 伸ばした手がぴたりと止まる。彼女に触れるまさにその直前で。
 全身から嫌な汗が噴き出た。
 もし、そよぎを倒したとして、その後には科八木家の当主にして最強の剣士の一人、空蝉の幻治こと科八木幻治を倒さねばならない。無論、既に剣士として完成した一流の達人に花嫁よりちょっと強いだけの婿が勝てるはずがない。十本勝負で一本でも取れたら晴れて祝言というしきたりである。しかし、向こうは大事な娘を取られた父親である。こちらを殺す気でかかってくることが多い。実際に、我が流派では花嫁が八百長で実力の伴わない婿にわざと負けた後、花嫁の父に殺されたり、再起不能にされた例は幾らでもある。
 そよぎの父は《流剣》の使い手として極致に達している。相対してもその気配が全く掴めず、こちらの放つ剣はすべて空を切る――まさに《空》(くう)の体現者。雲のように掴み所がないそよぎの剣のさらに上を行く捉え所のない剣の使い手だ。
 以前、一度だけ手合わせをして貰ったことがある。試合が始まったと思ったら幻治さんの姿はかき消え、いつの間にか意識を失っていた。木刀で吹き飛ばされたことすら俺は気づかなかった。俺とは完全にレベルの違う化け物だ。
「父と戦う覚悟が、景良さまにはおありですか?」
 ――もちろん、戦うつもりならある。いずれ、そよぎを倒した後に、だ。
 だがそれはまだずっと先の事だと思っていた。だが、よくよく考えればそれはそう遠くない未来なのだ。そよぎをすぐにでも手に入れようと思うのならば。
 ああもう、俺のご先祖様なんてしきたりを残したんだよ! 花嫁を手に入れるためにどんだけセキリティロックかかってんだ! 鬼かっ! それこそ去年の《後継戦》でも死ぬ思いしたのに! 過酷すぎるっ! 去年あんなに頑張ったのに!
 そこで俺ははっとする。
 頑張る? そうだ、去年の俺はそよぎに勝つために必死で頑張っていた。そよぎの期待に応えようと必死で鍛錬してた。だが、それでも勝てず、いつしか惰性で彼女と戦っていた。果たして、最後に本気でそよぎと戦ったのはいつの日のことだろうか。
 俺はため息をついた。
 ――俺は何をしていたのだろう。
「……ごめんな、軟弱な継承者で」
 そよぎはずっと待っているのだ。俺が、彼女を打ち倒す日を。なのにこの一年間ずっと足踏みをしている。はたして彼女はそれをどれほどの想いで待っていたのか。
 実のところ最近の俺は腐っていた。なんどやってもそよぎに勝てない不甲斐ない自分に、弱い自分に負けていた。反撃の糸口すら掴めない現状に俺は無意識に「勝てないのは当たり前」として負け犬根性がついていた。負けることに慣れてしまっていた。
 さらには、流派の剣を継承することに疑問すら抱き、ますます剣に打ち込めなくなっていた。でも、別に剣の意味なんてどうでもいいのではないだろうか。
 そよぎの為を思うなら――時代遅れの妖怪退治の剣だろうと、忍者みたいな体術が基本の意味不明な剣術だろうと、別にいいじゃないか。俺は何を迷ってたんだ。
「景良さまが軟弱なのは今に始まったことではありませぬ」
 そよぎはいつものようになんの遠慮もなく事実を告げてくる。
「――それでも、いつまでも軟弱では困ります」
 そよぎの言葉が俺の胸元をえぐってくる。ああ、俺はこんなにも愛されているのに。
「ごめんな、そよぎ。実は俺――」
 話そう。今日あった出来事を。浮気などしようとした俺の弱い心をさらけだし、一からやり直そう。それが誠意というものだろう。だがその言葉を続けることは出来なかった。何故ならば――
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 野太い悲鳴が空気を引き裂いた。
 俺たちははっとして声のした方角へ顔を向ける。
「今のはまさか――」
「――おそらくは、例の通り魔かと」
 突然のことに対処が追いつかない。
 ――ああもうなんだよ! 俺はせっかくそよぎと腹を割って話そうとしてるのに! 空気読めよ通り魔!
 それでも悲鳴をした方へ向かおうとするが、それよりも早く暴風が俺たちを襲った。
 衝撃が周囲を駆け巡り、周囲のビルが激震する。一瞬、地震かと思うが、地震ならばこんな突風が吹き荒れるはずがない。俺たちは突如周囲に吹き荒れた豪風に思わず身をかがめ、体を支え合う。
 そして風がやんだ後、空からどさり、と何かが俺たちの側に落ちた。
 そよぎを下がらせ、俺は見た。そこには周囲に並んでいた立て看板を倒し、血まみれの男が――いや、男の死体が落ちているのを。
「――何が起きた?」
 俺は呆然と呟く。むせるような血の匂いが鼻の奥を刺激してくる。
 空から死体が降ってきた? ――あり得ない。先ほどの突風により空高く吹き飛ばされ、落下してきたと見るべきか。だが、あんな風、自然に起きるはずがない。いかなる力が働いたというのか。
 次から次へと発生する異常事態。脳の処理が追いつかない。警察を呼ぶべきか。それとも本当に死体か確かめるべきか。それとも――。
「景良さまっ!」
 呆然とする俺へそよぎが警告を発してくる。
「――風が」
 今度は風が集まっていた。何者かに呼ばれたかのように、そこかしこから緩やかに風が先ほどの突風が起きた場所へと集まっていく。自然現象であるはずがなかった。
 明らかに何者かの意志によってその風は誘われ、そよ風はやがて強風となり、豪風へと変化していく。
 そして、ビルの下から重力に逆らい、ゆっくりと一人の男が浮上してきた。背の高い男だった。長い髪を風にたなびかせ、こちらを見下ろしている。暗がりでも分かる、優男だった。俺と違って、女にモテそうな顔立ちだな、と呑気なことを思った。
 しかし何よりも目を惹いたのは相手の目から漏れでるように輝く緑の光だった。風を纏い、空に浮かび、目からは緑光を発する――明らかに人間の仕業ではない。
 戦慄する俺たちをよそに、優男は血まみれの死体を見た。
「くだらないな。大口を叩いた割には雑魚だったか」
 一瞥し、男は背を向ける。用は済んだのだろう。明らかに視界に入ってるはずの俺たちを無視し、去ろうとする。
 それでいいのだろう。通り魔は去る。殺人事件は俺たちの出る幕ではない。そして、殺人犯も目撃者である俺たちに危害を加えるつもりもない。ならば、黙って見過ごせばいい。――俺達がただの一般人ならば。
「待たれよ!」
 吹き荒れる風を切り裂く、凛としたそよぎの声。
「……なんだ、小娘?」
 振り返りつつ、倦怠に満ちた視線をこちらに向けてくる。
「そこの死体はあなたの手によるものかっ!」
 死体を指さし、そよぎは相手を睨む。
「それがどうした? なんだ、貴様そいつの知り合いか?」
 相手の問いにそよぎは首を横に振り、そして俺に視線を向けてくる。
「――景良さま」
 ――分かっておられますな?
 と視線が告げてくる。ああもう、余計なことを! いや、分かる。そよぎの立場上、相手を呼び止めなければならないことを! 彼女は《酒々井の花嫁》として当然の行いをしたまでだ。俺たちの流派が目の前の異常を見過ごす訳にはいかない。
 ――でも、こんな時まで! 見て分かるだろう! 相手は明らかに普通じゃない。俺たちの手に負えない。それこそここは逃げ帰って京都に出張中の親父へ報告すべきだ。なんでそんな期待に満ちた目を俺にしてくるんだ! 出番ですぞ! みたいにバトンを渡されても! ここは逃げの一手しかない!
「なあ――」
 そよぎを説得しようと声をかけ、不意に気付く。気付いてしまう。
 そよぎの手は震えていた。俺の視線が彼女の手に向いたのを気付いたのか、そよぎはハッとし、慌てて握り拳を作り、どん、と俺の胸を叩いた。
「どうされました、景良さま? わたくしは些かの恐れもありませんぞ!」
 彼女の言うとおり、かたく握られた拳はまったく震えていない。が。
 ――強がりだ。
 いかに達人のそよぎだって未知の相手に恐怖を抱かない訳がない。ついつい忘れがちだが、彼女は俺よりも二歳年下で、本来ならば俺が守ってやらないといけないのだ。
 だがもし、ここで俺が退けば――俺が一門から未熟だと叱責され、後継者失格と非難を浴びることは間違いない。俺を守るためにも、そよぎは勝てるか分からなくても、目の前の化け物を見過ごす訳にはいかない。
 俺はため息と共に、覚悟を決めた。背負っていた包みから木刀を取り出す。そよぎもそれに習った。
 そこに死んでいる男は、もしかしたら去年の夏休みの不良対戦で戦ったことがあるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。不良同士の喧嘩で死のうが俺と関わりのないことだ。
 ――が。
 俺たちには一つの使命がある。
「てめぇ――ただの人間じゃないな」
 そよぎを後ろに下がらせ、念のため、最終確認をする。
「見れば分かるだろう。貴様の目は腐っているのか?
 ただの人間ごときが軽々と俺に話しかけるんじゃない」
 傲岸不遜な態度に逆に俺は安心する。こいつをぶちのめすのに良心の呵責なんて起きそうにない。――ぶちのめせるかは分からないが。
「だったら話は早い。
 我が流派はてめぇらのような人外の化け物を討つためにある」
 木刀の切っ先を相手に向け、俺は啖呵を切る。
 ただの通り魔事件は俺たちには関係ない。しかし、もしそれが、人の手によるものでないのならば、話は別だ。我が流派は退魔の剣。かつて俺たちの祖先は神刀を佩き、京の都を魑魅魍魎から守ってきた。現代にまでその技を受け継いできたのは、いずれ来る妖怪変化の復活に備えるため。
 本当ならば喜ぶべきなのだろう。俺たちが継承してきた剣技には意義があったのだ。時代遅れの剣が一足飛びに実用になってしまった。
 ――でも、本当に通じるのだろうか。流派の剣が。よしんば通じるとしても、俺の未熟な剣で足りるのか?
 ――それでも、俺はやらないといけない。
 流派の継承者として――そよぎの横に立つものとして、目の前の人外の何かと戦わなければならない。
 ――くそったれが。今日は厄日だな。クラスメートに浮気の約束を取り付けられたり、そよぎへの謝罪を邪魔されたり、挙げ句の果てには万に一つあり得ないと思ってた化け物との遭遇まであるとか。妖怪変化が復活するなら別に今じゃなくても、百年後でもいいだろうに。まったく空気を読まない奴らだ。
 やるしかない。俺のためにも、そよぎの為にも。
「人に徒なす化け物め。
 悪いが、俺が――京八流が支流、仇魔流の酒々井景良が貴様の相手をしてやる」

つづく


 ここまで読んだ人なら分かるはずだ。
 哲学さんが何を悩んでいるのかを。




 コメディとバトルがうまく融和してない感じ。
 理想としてはこう、『境界線上のホライゾン』とか『らんま1/2』のノリがいいんだけど、むむう。
 どちらかというと、《変転》が起きてる。哲学さんはコレを『タカヤ・シフト』と呼んでいる。かつてジャンプで連載されていた学園ラブコメ『タカヤ -閃武学園激闘伝-』が突如として主人公が寝てたら異世界に召喚されて『タカヤ-夜明けの炎刃王-』になったという意味不明展開にちなんでこう呼んでいる。




 正直、この作品は、そよぎちゃんを可愛く書けば勝ちにいけそうな気がする。
 が、そよぎちゃんはバトルヒロインなので、バトルに比重を置いた方がたぶん面白い。
 しかーし、この時点でそよぎちゃんのライバル的な感じで出てる吉川ちゃんは純粋ラブコメヒロインというかネトラレ系ヒロイン。つーか、エロキャラです(何
 景良くんはそよぎを倒さないと祝言をあげられないが、吉川はその隙を突いて何故かこの後猛アタックが来るのだ。
 もちろん、この後の展開で、それぞれのヒロインとの関係は一つの流れに合わさっていく予定があるのだけれど、そこまで読者を連れて行けるのか、ちょっと難しい気がする。



 ラブコメ優先にしたら、吉川が映えるけど、そよぎの輝きが減る。
 バトル中心にしたら、そよぎは輝くけど、吉川は陰る。




 つーか、「軟弱なる景良さまー!」とか言ってたところまではラブコメだったのに、「修羅に入る」とか言い出した途端、刀持って外に飛び出て本気バトル開始だもんなぁ。
 あと一ヶ月半しかないのにどーするんだ哲学さんよ。
 よかったらみんなの意見を聴かせてくださいな。