王とは何か

 本質的というか、気質的に、どちらかというとアウトローな哲学さんは集団とか組織には属しがたい。上が何言おうが、勝手にしてくれ、哲学さんは哲学さんで勝手にする、と大変周囲にとってうざい人間である。
 なので、集団の長、リーダー、そして王というものに関しても、居たら面白いというものの、積極的に関わっていきたいとあまり思わない。でもまあ、そういうヤツはえてして気付いたら既に仲間になってたりするので、「これからこいつと仲良くしないといけないのはたるいなぁ」とか思ったらその時点でその人はきっと王としての資質はそれほど高くないはずだ。




 突然何言い出してるかと言うと、こないだギルティクラウンとか見てて、ヒロインの一人が主人公に「王様になりなよ」とか言ってて「いやいや、高校生がいきなり王様とか何言ってるの?」とか思った次第。そもそも、日本の風土からして、『王』という概念はなじみ薄い。古代からずっと上に「皇」をおいてたから――とか言い出したらややこしくなるのでそれは置いておく。
 なんにしても、「王」。色々と考えていくと、やっぱり現代日本でこの概念を出すのは難しい。日本じゃ平民がなれるトップって「総理『大臣』」だしね。結局は「皇」の「臣」となる。
 歴史的経緯から見ても、「トップ」に立つリーダーは「臣」か「将軍」になる。
 いや、そんなの呼び方の問題で、徳川家康は王様だし、豊臣秀吉も王様だろ、て言う人もいるかもしれない。だが、ここら辺のニュアンスを伝えるのは難しいのだけれど、違うと哲学さんは断じる。
 この流れで言うのならば、「織田信長」はそれこそ「魔王」で、「王」だったと思う。けれど、源頼朝足利尊氏は「王」ではなかったし、藤原道長も「王」ではなかった。




 その上で、過去の日本から繋がる現代を基軸とした日本を舞台にする話において、「王」という存在を出現させようと思うと非常に難しい力場が発生する。
 いや、ラノベ書くんだから、それこそ「大阪王」とか「東京王」が出現して、「日本王」を巡って国盗りバトルする話を書いてもいいんじゃないか、と思うかもしれないけど、それはせっかくの日本という面白風土のよさを活かせてないと思う。
 「関西王」とか「関東王」とか出てきてもちゃんちゃらおかしい感が強い。
 お前らせいぜい知事か大名か藩主か、国主か、有力豪族かその程度だろ、的な。
 ログ・ホライゾンくらいの超未来設定世界だと王様はいてもいいかもしれないけれど。
 あるいは、北斗の拳とか、みたいな世界とか。




 まあ、それが許されると仮定しても、じゃあ王様ってどんなやつよ。今は民主主義の社会で、血族ではなく、人々の信任による多数決で一番人気が高かった人がリーダーになる。選挙ってのは人工的に、仮初めの王を選出する儀式だ。期間を区切ることにより、王の暴走を止め、むしろ、国民全ての従者とする国家クラスの儀式。
 とはいえ、これは国民すべてが教養と知識を持っていなければ、衆愚政治にしかならないし、それこそ優秀な詐欺師が国そのものを騙して乗っ取る可能性すらある。
 でもきっと、色々考えてみると、哲学さんの望む王は、「選挙」という過程を通して「選別」されるものではない。
 気がつけばすでにそこに「あるもの」であるべきだと哲学さんは思う。
 んーで、そういう王様が出現する話を書こうと思ったり思わなかったりするも、うーん、このテーマは難しいなぁ、と思ったり思わなかったりしつつ、今日も哲学さんは没を増やすのである。