また話をボツにしたくなってきた。

 哲学さんはもちろん今も小説を書いているのだけれど、去年から一つとして長編小説を完成させられてない。
 書く度に、「なんか違う」とか「こりゃダメだ」とか思って、何度も何度も書き直している。
 世界観とキャラクターは同じなのだけれと毎回違うエピソードを考えては躓いている。
 今書いてる話も、またボツにしたくなってきた。
 色々と理由を考えたのだけれど、今日書いてて気付いた。
 この『シリーズ』の『エンディング』が見えたのである。

 ……この「シリーズのエンディング」と言う時点で終わってる。
 もし、この世界をきっちり描こうと思ったら、小説一冊じゃ収まらないのである。
 書けば書くほど泥沼。
 色々と頭が痛い。
 最終的にこの話がどこに行き着くかと言えば「幼年期の終わり」なんだけど――。
 ほんと、アーサー・C・クラークは偉大だな。あの話を小説一冊にまとめているんだから。

 そう言えば、哲学さんの話は大体、物語の真ん中で一旦一エピソードが終わるけど、「幼年期の終わり」も、前編と後編に分かれてるよねぇ。(哲学さん的には、第2部と第3部はセットで捕らえてしまう)
 まあ、先人の傑作においそれと追いつこうとするのは間違いなんだけれど。


 何が問題かというと、哲学さんが両極端すぎるからだ。
 哲学さんは本来的にはマクロ視点型の展開をするタイプで、実にラノベ向きではない。マクロ視点型ってのは、要するに世界観とか、そっち側から物語形成タイプ。
 でも、ラノベはミクロ視点――すなわち、キャラクター中心で話を展開するのが好まれる。
 哲学さんもキャラ視点で描けなくはないが、キャラ視点で書くとぶっちゃけつまらない。
 哲学さんがここ最近書いたキャラクター中心のバトルなし、日常のみの小説がことごとくつまらない感じになってると思う。
 単発的なエピソード、それぞれのシーン、シーンではそれなりの面白さがあるかもしれないけど、キャラクター中心の描きをすると話をあんまり広げられず、よく分からんうちにうやむやな終わり方をしてしまう。
 実に……しまりのない。

 色々と考えたのだけれど、たぶん哲学さん自身に一番適しているのは、短編を重ねて長編を作るタイプの話か、中編を二つ重ねて一つの話にするかどっちかだと思うのだけれど、キャラクター中心にするとそれが上手く行かない。
 じゃあ、世界観中心にすれば上手く行くのかというと、それはそれで一つにまとめることが出来ない。
 マクロとミクロの接続が現在絶賛断絶中である。
 繋がらない。

 個々のアイデアは捨てたものではないと思うのだけれど、それが有機的に演出出来ていない。
 設定を見ればそれらは繋がっているのだけれど、哲学さんの描きではそうは見えず、なんでバラバラの要素がそこら中に散らばってるんだ、と言うイメージ。

 もっと、小さな話を書きたい。だが、小さすぎるとつまらない。
 哲学さんの小説はたぶん、大味がウリ。
 でも、やりたい放題すればまとまらん。
 バランスが、取れない。取れてない。


 ……また主人公を変えて考え直そうか。
 うーん。
 困った。