サイキック・スペース(仮) 第一章

 てな訳で久しぶりに晒す。




序章



第一章

 西暦二〇五八年。
 人類は変革の時を迎えていた。
 超能力者の出現――。
 老若男女を問わず、ある日突然、彼らは覚醒する。
 その覚醒条件は未だもって不明であり、死に近い老齢の老人がある日突然覚醒することもあれば、幼子がいつの間にか気付かぬうちに覚醒していることもある。
 とはいえその絶対数は少なく――ある政府機関の試算によれば、全人類の人口九十五億人に対し、その比率は十万分の一と言われている。すなわち、十万人に一人。
 人口一億人と呼ばれる日本においては約千人程度の超能力者がいる計算になる。
 しかしこれらの情報は各国の政府によって秘匿され、『超能力者などいない』と言うことになっている。世界の混乱を避けるためという名目であったが、ある日突然目覚める超能力者の存在を秘密にするのは難しく、徐々にその存在は人々へ知れ渡りつつあった。
 そんな人類の新たな変革の過渡期の中――日本という国は緩やかな衰退を迎えていた。



 その日、教室に来た市立蛍河第一高校に登校した比良井遊奈はとても沈んだ顔をしていた。いつも無駄に元気だけはあるかの少女はとぼとぼと下を向いたまま教室に入り、自分の席に静かに座る。そして、そこで力尽きたように上半身を机の上に倒した。
ガンッ
「イタッ」
 額を強(したた)かに打ち付け、悲鳴をあげる遊奈。ここはいつも通りの遊奈らしい間の抜けた行動である。とはいえ、痛みがひくと共に遊奈は深くため息をつき、がっくりと肩を落とした。実に分かりやすく落ち込んでいた。
「ちょっと、遊奈っちどうした? 何かあったの?」
 仲のいい少女の一人がありえない光景を前に驚いて駆け寄ってくる。いつも脳天気で辛いことがあっても次の日には忘れている遊奈が朝からこんなにテンションが低いのはなかなかの異常事態である。
「うぅぅぅ……はやきん……私振られちゃったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 抱きつかれた少女――はやきんこと芳野(よしの)早希(さき)は遊奈の言葉に目を白黒する。
「……え? 遊奈っちって、恋愛感情あったんだ」
「ひぃぃどぅぅぅいぃぃぃぃ!」
 早希は黒髪短髪のボーイッシュな少女だ。スレンダーな体型で見た感じは遊奈なんかよりも男っ気がなさそうなだけにそんな発言は結構傷つく。もっとも、早希が毒舌なのは昔からだし、早希は既婚者なので男っ気がないのは語弊があるのだが。
 そもそも、普段の彼女の年齢に比して幼い言動を見ていると恋愛なんて二の次で、好奇心の赴くまま行動し、恋愛感情なんてないと思うのが普通かもしれない。
「あらら、比良井さんも色を覚える年頃になったかしら」
 と、遊奈と早希の会話を聞きつけ、おっとりとした口調の少女がやってくる。
「んーまー、遊奈っちも人間の女の子だものな。恋くらいするかー」
 おっとりした少女の言葉に早希もようやく遊奈が人間の少女だと思い出したらしい。普段から遊奈をどう見ているのかよく分かる一言である。
「はやきんはまたそんなこと言って! て言うかしょしょちんも酷いよう!」
 しょしょちんこと中初(なかぞめ)祥子(しようこ)は早希と顔を見合わせ、声を合わせる。
「「だってねー」」
 祥子はボーイッシュな早希とは対照的に出るところはふくよかで出るところは出ている実に女の子らしい女の子だ。ウェーブがかった長い茶髪の奥に伏し目がちの潤んだ瞳に、柔らかそうな太い唇と全身からフェロモンを発しているかのような少女である。
 相反するような二人だが、二人とも既婚者であり、異性に関しては遊奈よりも何歩も先に進んでいる。
「うぅぅ……いいじゃない、私だって恋くらいするってば!」
 友人達からのあまりの扱いの悪さに思わず遊奈は声を荒げる。
「あの……取り込み中悪いんだけど――」
 三人の会話に眼鏡をかけた気の弱そうな少女が割って入る。
「あら、どうしたの?」
「――みんな期末試験前でピリピリしてるから……その、もっと静かにしてくれると」
 早希が周りを見回すと、確かに他のグループは朝っぱらから参考書などを広げて試験対策に勤しんでいる。
「うぅ……うるさくてごめんねぇ」
 と、ダウナーな遊奈がぺこぺこと謝る。テンションが低くてもオーバーリアクションな少女である。
「あっ、ついでに、質問! 昨日の数学の宿題ってどうやって解けばいいの? 解き方がよく分からなかったんだけど――」
「それなら、点Oから点Bまで補助線引いてみたら? 何か見えてこない?」
 気弱そうな眼鏡の少女の質問に遊奈は即答する。眼鏡の少女は言われてカバンから教科書を出し、問題を確認する。
「……あ、別の三角形が出来てる。そっか……ここから角度を求めればよかったんだ。ありがとう!」
 眼鏡少女の言葉に便乗し、教室の隅にいる男子グループ達が遊奈に声をかける。
「おーい、比良井っ! 桂小五郎って明治でなんて名乗ってたっけ?」
「え? 木戸孝允だけど?」
 遊奈の回答に男子達は膝を打つ。
「そっか、ど忘れしてた」「よっしゃ、じゃあ、問6の答えは木戸孝允で決まりだな」「サンキュー、比良井!」
 男子達は遊奈の回答に感謝するが、遊奈は眉をつりあげる。
「ちょっと待って! 問6って、昨日の日本史の宿題の□4の問6?」
「ん? そうだけど?」
 男子の回答に遊奈はため息をついた。
「その問題は穴埋め問題で日本初の総理大臣が誰かを入れる所でしょ? 答えは木戸孝允じゃなくて伊藤博文だよ」
「げぇ、マジかよ」「木戸孝允じゃなかったのか」「ひっかけ問題かよ」
「いや、全然ひっかけじゃないんだけど――」
 男子達の反応に遊奈はふるふると首を振る。
「ま、比良井が言うんなら間違いないだろ。ありがとな!」
 と男子達は遊奈に例を言って、次の問題に取りかかっていた。最初に話しかけた眼鏡少女も礼を言って席へ戻っていく。
 そんな様子を見つつ、早希は呆れた声をあげる。
「相変わらずすごいねー。宿題の問題の内容全部覚えてるんだ?」
 先ほどの眼鏡少女の質問や男子の質問の際、遊奈は元々の問題を見ず、あくまで記憶のみで答えている。しかも、男子の質問は間違った質問の仕方をされたにも関わらずその質問内容を修正すらしている。
「んー、昨日やったヤツならね。ほら、囲碁とか将棋の棋士さんとかと一緒。あの人達って一回の対局で打った互いの手を覚えてるでしょ?
 あれと一緒で昨日自分が解いた問題の内容くらいならほぼ全部覚えてるかなー」
 さらりと言ってのける遊奈の言葉に絶句する。昨日の宿題、と一口に言うがテスト前なこともあり、各教科ともに結構な量が出されていたはずだ。それらを全部覚えていると言うのならば相当な記憶力である。
「……変人の癖に相変わらず頭はいいねー、遊奈っちは。宝の持ち腐れだね」
「いやいや、それは酷いと思いますよ? 少なくとも、比良井さんの学力は大学受験にも役に立ちますし、将来性はとてもあると思いますわ」
 多くの人にとって信じられないことだが、遊奈の学校での成績は学年一位で、全国模試でも常に百位以内に入る実力である。さらに運動神経は抜群で、どんなことをやらせても飲み込みが早くすぐに並以上の結果をたたき出す。
 かのように、遊奈はとても成績優秀な才媛なのである。
「うう、そんな将来性に溢れてる私がなんで振られたかなぁ」
 がっくりと肩を落とす遊奈。
「そうねえ。成績優秀で運動神経抜群だけど、女性的な魅力に欠けてるのは確かねえ」
ぐさっ
「性格ははっきり言って変人だし、一緒にいて疲れるタイプの人間だし、なにより見た目よくないし」
ぐささっ
 友人達の言葉が次々と遊奈の心に突き刺さり、深く傷つけていく。
 比良井遊奈は決して不美人と言う訳ではない。だが、かといって美少女と言う訳でもなかった。茶髪のショートヘアで、顔はほどほどに整っている。胸も早希のようなぺったんこという訳でもなく、平均値のCカップはある。しかし、平均値故に見た目に関してはせいぜい目がやや大きいくらいしか特徴といえるものがない。多くの人間は街ですれ違っても、遊奈がいたことに気付かないだろう。
 もっとも、性格が強烈なので、一度会話すれば話し方や仕草、声などですぐに気付くのだが。
「ううぅ……あんまりだぁ……はやきんに至っては一つも褒め言葉がないし」
「んー、でも事実だし」
「芳野さんはその毒舌直した方がいいと思うわ」
 祥子が軽く諫めるが、早希は気にしない。
「いいもーん、ウチの人はそこが可愛いって言ってくれるもんねー」
「あらあら、相変わらず芳野さんところはラブラブなのねえ」
 にかっ、と笑う早希に祥子は微笑む。
「へへへ……ん? っていうか、祥子ってばまた太った?」
 早希の毒舌に祥子はやや顔を赤く染める。変わった反応に早希はおやっとなった。普段ならばこういう事を言えば烈火のごとく怒ってくるのが祥子である。どちらかというとぽっちゃり系の祥子に対して太るという言葉は禁句なはずだ。
「実はその――出来てしまいまして」
「デキる……まさかっ、妊娠っ?!」
 早希の言葉に祥子はこくりと頷く。
「はぁー、ちゃんと避妊しなかったの? 祥子の旦那って二組の花居(はない)恵介(けいすけ)だよね? ウチみたいに働いてる訳じゃないのに大丈夫? 親は許してくれたの?」
 早希はプログラマーの従兄と結婚したので万一子供が出来ても面倒が見れる。しかし、高校生同士で結婚してる祥子の場合、親の支援は不可欠だ。
「……それが、どちらの家の親も初孫に大喜びで、早く産んでくれ、てくらいの勢いで。本人達より盛り上がってちょっと引くくらい。まあ、恵介さんも子供がいれば大学の学費免除されるしよろしいかと」
「よかったじゃないっ! おめでとう! 赤ちゃん産まれたら是非抱かせてよっ!」
「あ、ありがとう。勿論、芳野さんも子供が生まれた時はよろしくね」
「当ったり前よっ! 任せときなって! まあ、ウチはまだ産む予定ないけどさ」
 手を取り合い笑い合う早希と祥子。二人の周囲には幸せオーラが全開である。
 そんな盛り上がる既婚者達の側で――。
「あーはいはい、二人とも幸せそうでなによりですね」
 机に突っ伏した遊奈が魂の抜けたような弱々しい声をあげた。
「ああっ! 比良井さんしっかり!」
「お、おう、あれだほらっ、お、女の幸せは結婚だけじゃないって」
「――結婚した人に言われてもなー」



 少子高齢化が進んだ現代において学生結婚はもはや当たり前のものとなっている。もちろん、未成年は両親の同意が必要であるが、法改正により男女ともに十六歳以上であれば結婚が可能だ。また、未成年で子供を産んだ場合、育児支援補助金が出るし、未成年で子持ちの学生は大学の学費が免除されるなどの利点がある。学校制度も育児休学が認められたり、学校の近くには託児所などが設けられたりと子育て支援の施設も充実している。
 余談ではあるが、学生結婚者の多くは通い婚である。夫婦は別居し、時々夫が親元にいる妻の元へ通うのが基本だ。なので、子供を産む場合は母方の祖父母が育児協力することが多い。こういう点からも未成年の結婚には親の理解が不可欠である。
 政府のこうした『早婚』政策は多少効果があったのか、出産率はここ十数年やや増加傾向にある。その為、学生結婚はどちらかと言えば奨励されているのだ。
 勿論、だからといって高校生のみんながみんな結婚している訳ではない。高校生の既婚者の比率はだいたい二割と言ったところである。少子化対策の為に政府が様々な『早婚』政策を行っているものの、「子供」たる未成年の出産を奨励する政策に対して疑問の声をも少なくないのだ。
 あくまで結婚は当人達の自由であり、昔よりも若年者が結婚しやすくなった。ただそれだけのことである。とはいえ――。




「――初めて会った男にいきなり結婚してくれ、はないでしょ」
 早希達に訊かれ、遊奈は法助と出会った経緯を話した。事件については法助に口止めされているので、遊奈が語ったのは《廃墟街》に迷い込んでしまった時、危なくなったのを助けられた人に一目惚れし、結婚を申し込んだという内容である。
 それらの経緯に対する早希の感想がこの呆れ声だ。
「そうねえ。結婚て一生の問題よ。まずは恋人として相手のことをよく知り、愛を育んで行かないと」
 愛を育むというかまさに妊娠してる人妻高校生たる祥子の言葉に遊奈は強く反論する。
「愛は時間じゃないわっ! 大事なのはインスピレーションよっ!」
「遊奈っちはインスピレーションで行動しすぎでしょ。つーか、そんな性格なのになんで成績がいいのか本当に理解に苦しむね」
 早希の言うとおり、遊奈は学業成績だけで見れば非の打ち所のない才女なのだ。
 しかし、そんな素晴らしい能力の持ち主であるにも関わらず、浅はかにして軽挙妄動に過ぎる遊奈の性格は多くの人から敬遠されている。『心技体』、でいうと、『心』がすっぱり抜けてるダメ人間である。教師陣からはこんな酷い宝の持ち腐れは見たことがない、とため息をつかれている。
「ほんと、遊奈っちは勉強だけは出来るんだけどねー。バカ女なのに」
「うーんでも、本当に勉強だけですからねえ。バカなのに」
 友人達の言葉に遊奈は思わず、ボロボロと涙を流す。
「うぇえええええん。なんで私はこんな勉強しか出来ない女に生まれたんだろう!
 どうせなら早希(はやきん)や祥子(しよしよりん)みたいに、多少運動バカだったりトロくても美少女に生まれたかった!」
「誰が運動バカよ」「まあ、私はトロいところは、まあ、あるけど」
 遊奈の言葉に顔を引きつらせる二人。とはいえ、既に結婚している二人は女としての余裕があり、なんのかんので遊奈の暴言とも言える嘆きを受け流せた。
「せめて比良井さんが男だったらモテたかもしれないのに――勿体ないわねえ」
「いや、この性格のままだったら、男でもダメだろ」
 祥子のフォローを片っ端から潰していく早希。本当にこの子は遊奈の友人なのか疑わしい言動だが、彼女はありのままの現実を伝えるのが本人の為だと思うタイプの人間である。
「だいたい、今の社会制度がおかしいのよっ! 高校に上がったら、だいたいのイケメンは幼なじみか年増と結婚してるとかっ! 中学卒業までにパートナーを作れなかったら売れ残るだけじゃないっ!」
 ちなみにこの会話が聞こえている同じ教室の未婚男子達は『いや、高校に上がったら美少女の大半がおっさんか幼なじみと結婚してる率の方が高いけどな』と心の中でツッコミを入れている。
「いや、社会制度が変わってたとしても遊奈っちが売れ残ることには変わりないって」
 脱線していきそうな話を早希が強引に引き戻す。
「なにはともあれ、今は社会がどうとかじゃないでしょ。
 まずは、自分の好きな相手に対して、どう接するかでしょ。本当に好きならそれこそ、相手好みに自分を作り替える――それくらいの覚悟がないと」
 建設的な早希の意見に祥子も同意する。
「そうねえ。ありのままの自分を好きになってくれるに越したことはないけど、相手好みの女になろうと努力するのも一つの手ねえ。
 まあ、芳野さんなんて、逆にご主人の前だと一人称がボクに――」
「今はその話は関係ないだろっ!」
 余計な一言に顔を真っ赤にする早希。そこはタブーだったらしい。
「ボク――じゃなくて私のことは置いておこう。
 とりあえず、その遊奈っちが会った男ってどんな人なの?」
 早希の言葉に遊奈は頭の中に法助の姿を思い浮かべる。自分の命を助けてくれた命の恩人。愛しい人。考えるだけで頬が緩んでいく。
「背が低くて――」
「ん? んんー」
「目つきが悪くて――」
「え? どういうことです?」
「口と態度も悪い、浪人生」
 早希と祥子は顔を見合わせ、しばらく見つめ合った後、力強く頷いた。
「比良井さんその人は」「諦めなさい」
 タイプの違う二人が息を合わせて断言する。
「なんでっ?!」
少子化で大学に入りやすいこの時代に浪人生とか将来性がなさすぎ」
「そもそも……話聞く限りだと、本当に命の恩人以上に美点がないような?」
 まさに正論である。遊奈の話を聞く限り、惚れる要素などどこにもないように思える。
「いやいや、でも命の恩人だよ! 私が彼が助けてくれなかったら、今ここにいないんだよっ!
 いや、あの光景見たら二人とも惚れるって!
 拳銃を突きつけられても一歩も引かず、むしろ相手を打ち倒したんだから!」
 遊奈の言葉に早希はへぇ、と表情を改める。
「チビの癖に腕っ節は強いんだ、そいつ。ちょっと興味あるかも」
「でしょっ! 私のために命をかけて戦ってくれる男の人とか超格好いい!
 しかも、すんごいロマンチストなのよ! いつか俺は宇宙に行くんだ、て超意気込んでたっ! そう言う時の彼の目って子供みたいにキラキラ輝いてていいのよ!」
 ここぞとばかりに法助を猛プッシュする遊奈。やはり自分の惚れた相手が褒められるのは気分がいい。
「だから何言っても無駄だからね!
 私は決めたんだから! あの人に一生ついていくんだって! 絶対絶対諦めないっ!」
 拳を握りしめ、断言する遊奈。
「あらあら、それはどうなのかしら? 浪人生にもなって夢見がち過ぎでは? そんな方だから受験失敗したのでは?」
「おっと、それに関しては分かってないのは祥子の方だ。
 男なんて幾つになってもガキだよ! ウチのも二十五になるのにまーだ子供だし」
 妙に含蓄のある早希の言葉に祥子はへぇ、と目を見開く。
「つーか、祥子んとこの恵介が歳の割にジジくさ過ぎ。若さが足りないだろ」
「ふふふ、ああ見えて夜は激しいんですよ」
「おう、妊婦は言うことが違うね!」
 ばしっ、と祥子の肩を叩き、早希は笑う。
「……でもま、そんなに好きなら、諦めずガンガンアタックしたら? ただし、まずは恋人からってことで」
「うん、私頑張る。なんか話してるうちに元気出てきた!
 よーし! 頑張るぞう!」
 いつも通りの元気を取り戻した遊奈が天井に拳を掲げ、気合いを入れる。
 その背後で祥子はこっそりと早希に訊く。
「ところで、その目つきの悪いチビの人の居場所って分かるのかしら?」
「……さあ?」
 そんなところでホームルームの開始を告げるチャイムの音が教室に鳴り響いた。



 七月である。浪人生にとっとそろそろマジ本気ださないといけない時期である。四月は受験の失敗を引きずり意気消沈し、五月は次の受験はまだ来年だしという怠惰の情が耳元でささやかれ、六月にはゴールデンウィークも終わったしそろそろ本気だそうかどうかと迷う。そんなプロセスを経て、七月になると現役生たちがこぞって部活などのサークル活動をやめ、本気で勉強を開始する。そうなると今まで去年勉強してたぶんやや現役生たちより成績のよかった浪人生の成績がガクッと下がり、いよいよ危機感が増してくる。むしろ、最初の三ヶ月勉強をサボっていた分、実は去年よりも学力が落ちていることにようやく気付く。そんな時期である。
 少子高齢化の進む二〇五八年においても受験戦争はなくならない。単純な話、若者が減った以上に大学が統廃合で減らされたのである。全国の様々な場所にあった、大学などの学校の集まる街――学園都市というものはぐっとその数を減らした。
 無論、だからといって、偏差値の高い学校ばかり残った――と言う訳ではなく、むしろ、偏差値の高い学校ほど入学人数が減って廃校、もしくは他校との統合が進められた。結果、入学の難しい偏差値トップの大学が一握り存在し、その下には入るのが難しくない大学が沢山あるのである。
 そんな時代において浪人生とは、上を目指す意識の高い者か、入りやすい大学にすら入れない駄目人間か、大学受験を諦めて働くという選択肢を取りたくないもっと駄目人間である。無論、新城法助は意識の高い人間である――と自負している。が。
「――――ちっ」
 コーヒーショップの窓際の席で問題集を広げてカリカリと志望校の過去問を解いていた法助は生来の三白眼を尖らせ、舌打ちをする。成果は芳しくない。
 明らかに学力が落ちている。
 法助の本分は浪人生である。少なくとも、本人はそう思っている。だが、彼には人には言えない副業がある。その副業のおかげで全国を跳び回る羽目になり、勉強はおざなりになっていた。学費と生活費を稼ぐために副業をしているのに、本末転倒である。このままでは浪人生活二年目に投入してしまう。それだけは避けたい。
 宇宙飛行士になるには、それなりの偏差値のある大学に行く必要がある。ただでさえ一年浪人したせいで経歴に傷が付いているのだ。これ以上経歴に傷が付いて将来設計を棒に振るようなことはしたくない。……したくないのだが。
「そこの計算式――、足し算間違ってますよ」
 不意に、法助のノートの一点へ白い指が割ってはいる。見てみると確かに四桁の足し算を間違っている。
「あ、ホントだ」
 法助がその式の間違いを修正するとさっきからずっと計算が合わなかった式の展開が出来るようになり、正解に辿り着けた。
「高校生くらいになるとかけ算は結構間違いにくくなるんですけど、意外と足し算の間違いが多くなるんですよ。簡単な計算だから、急いでいる時につい、おざなりになってしまうので気をつけた方がいいですよ」
 聞こえてきた少女のアドバイスに法助は感謝し、ようやくノートから顔を上げる。
「なるほど助かったありが――」
「ふふ、礼などいりませんよ、法助さん」
「…………」
 顔を上げた先にいた得意満面な少女の顔を見て法助は固まった。見覚えのある少女だった。茶髪のショートヘアに、童顔の垢抜けない感じの田舎少女――比良井遊奈である。
「ふふふ、偶然ですねー。まさかこんな場所で出会うとは。これはもう運命ですね。そうに違いありませんね。もう結婚するしかありませんね。というか結婚しましょう」
 やたら眩しい笑顔のまま、遊奈は法助の対面の席に腰を下ろした。その口から呟かれるのは法助にとってともかく不穏な言葉ばかりである。
「……アドバイスをくれたのは礼を言う。でも、なんで俺の前の席に座ってるんだ?」
 彼女の戯言の一切を無視して法助は呟く。
「好きな人に会いに来るのは当然でしょう?」
 法助は頭を痛める。
「超能力事件については他言しない、また不用意に捜査官(エージェント)に関わらない、と誓約書を書いた上で、三日前解放されたはずだが」
「超能力事件? さて、何のことでしょう? 私はただ単に、こないだ《廃墟街》で助けてくれた愛すべき命の恩人に会いに来ただけですよ?」
 ――こいつ、アホの癖に理論武装してやがる。
 誰の入れ知恵だろうか。それとも、本当はそれくらい頭が回るのか。無論、法助としてはそんな話は通らない、と突っぱねてもいいのだが――今は《裏の顔》ではなく、本来の浪人生という《表の顔》でここにいる。こんな人目のある場所でそれについて口論する訳にはいかない。
 ――なら、他の理由で突っぱねるか。
「普通の高校生なら予備校に行ってる時間だろうが」
 時刻は午後一時半を少しすぎたところ。多くの高校生が予備校に行く時間である。
 かつての学校教育では昼過ぎから夕方まで生徒達を拘束していたそうだが、二〇五〇年代の現代日本において午後の授業というものは全面的に廃止されている。生徒の自主性を重んじるという名目により、かつてのゆとり教育系の思想を発展させた結果、小学校・中学校・高等学校は私立でもない限りすべて午前中にしか授業がない。
 午後からは生徒達が自分達の個性あるいは可能性を伸ばすために自由な時間を解放しよう、というのが新式学習指導要領のうたい文句である。
 が、その結果どうなったかと言えば、多くの親たちは午後の空いた時間を予備の学校――すなわち、塾や予備校に行かせるという本末転倒な話だった。おかげで昔の子供達よりも現代の子供の方があくせくと勉強に時間を取られることとなる。親たちはもはや義務教育では充分な学習が出来ないことを理解し、「午前は教育、午後は勉強」と割り切って、いかにいい予備校へ入学させて学力をあげるかに躍起になっている始末である。
 無論、この制度の恩恵を受ける子供達もいる。たとえば、運動や芸術分野に秀でた者達である。そう言う子らは予備校に行かず、午後は少年野球チームに所属したり、ピアノや絵画の先生に師事したりすることも多い。特に、子役の芸能人などはこの《午前教育》のおかげで芸能活動がしやすくなったと言われている。
 さらには、近年増加傾向にある子持ちの女子高生にとっては午後から子供の面倒を見れるようになるので《午前教育》は子育てに専念しやすい政策と受け入れられている。
 以上の様な一般常識から考えると、この目の前にいる馬鹿っぽい少女――遊奈にしても現役の未婚高校生なのだから、この時間は予備校に行くか習い事に行ってるはずだ。
「平気平気。実は私優等生ですから。少しくらいサボっても平気です」
 とても優等生の台詞ではない。
「……説得力ねぇよ」
 まあこんな頭の悪そうな少女の学力心配するだけ無駄かもしれない。
 ――いや、でもさっきこいつ俺の躓いていた問題をいとも簡単に解いてたぞ。まさかこいつ本当は頭いいのか?
 法助は頭を振り、脳裏に浮かんだ妄想を必死でかき消す。なんにしても、この路線での説得は無駄らしい。
「どうしました?」
「いや、なんでもない。
 それより、俺の居場所をどうやって割り出したんだよ」
「愛の力です」
「嘘つけ」
 そんな一方的な愛の力で捕捉されるなんて御免である。すると、遊奈は舌をちろりと出し、よく分からない悪戯っ子アピールをしてきた。
「ここは受験生が勉強しに来ること多いから、もしかしたら居ると思っただけです。後名前がスターバックス、て星の名前がついてるし、法助さん好きかなって」
「……そこまで単純じゃねーよ。まあ、スターバックス好きだけどな」
 何気に図星をさされて法助は目線を窓の外に逸らす。つられて遊奈も視線を窓の外へ向けた。
「それになによりここのスターバックスって、この窓からの眺めがウリですからね。法助さんなら絶対に一度は来てると思いました」
 二人が視線を向けた先に広がっていたのは――巨大なクレーターだった。
 隕石の墜ちた街――蛍河市。三年前に隕石の墜ちたその中心地は今も事件調査や学術研究などのため、そのままの状態になっている。半径五百メートルに渡るその巨大なクレーターの内部には幾つもの崩壊したビルの残骸が残っており、その事件の凄まじさを感じさせる。そして、その周囲を取り囲むように新築のビルがΩの字の形に建ち並び、そのビルから見えるクレーターの風景そのものがこの街の観光資源となっている。
「こんな廃墟が観光地になるなんて、世の中分からないものですね。法助さんはこの風景を見てやっぱりワクワクするんですか?」
 遊奈の言葉に法助は肩をすくめる。
「まさか。いたたまれねえよ。無人の荒野に墜ちたのなら違ったかもしれんが――沢山人が死んでるんだ。両手を合わせて合掌だ」
 法助は呟きながら本当に両手を合わせ、目を閉じて黙祷する。
 瞳を開けると遊奈のやや大きめの瞳がじぃーと法助を見つめていた。彼女の顔が童顔なのはこの瞳の大きさが一役買っているな、と法助はどうでもいいことに気付く。そんな雑念を振り払い、にらみ返す。
「文句あるのか?」
「――いえ。なんか意外な感じで。法助さんて悪ぶってるけど、なんか修行僧みたいなストイックというか、生真面目なところあるんですね。不思議」
「うっせ」
 法助は肩をすくめ、椅子に背を預ける。
「でも、宇宙好きなのにワクワクしないこのクレーターを何故見に来てるんですか?」
「――この景色から学ぶべき事は宇宙が無慈悲で厳しい場所だってこと。ただそれだけだ」
 そう言って、コーヒーを啜る法助に遊奈はきょとんとする。
「そんな恐ろしい場所なのに、やっぱり行きたいんですか? 宇宙?」
「――ああ行きたいね」
 法助は迷いなく答える。この事に関してはどんなことがあったって揺らがない。
「何故ですか?」
 遊奈のまっすぐな視線が問いかけてくる。嫌な目をしている。こんな素直な目をされては下手な嘘はつけない。もっとも、もとより法助はこの件に関しては誤魔化すことなど決してないのだが。
「『かぐや姫に会いたもう』」
「――? 竹取物語?」
「俺のご先祖様の日記の冒頭に書いてある言葉さ。俺の一族は平安時代の貴族に連なる家系だったらしいが、他の貴族と一線を画すとある目標を掲げていた」
 法助の視線は窓の外――しかし、今度は地面のクレーターではなく、空へ向かう。
「空の先へ。月を目指してた。
 ライト兄弟が生まれるよりもずっと昔から空を飛ぶどころか宇宙を目指していた一族。その末裔、て訳だ」
「すごい! そんな千年以上昔から宇宙を目指してた人達がいたなんて!」
 遊奈は目を輝かせ、うんうん、と頷く。
 ――こいつ、まったく俺の言うこと疑わないな。
 初めて会った時から法助が魔法使いであるという話を微塵も疑っていない。そんなマンガやアニメみたいな奴らはいる訳ない、と言うのが普通の人間の反応だ。こんな目を輝かせて信じてくるなんてどういう思考回路をしているのか。
「そんな一族の嫁になれるなんて私、光栄です。お母様への挨拶の言葉考えないと」
「ならねぇよ!」
 さらっ、と出た少女の一言に思わず怒声をあげる。
 ――なんでも信じるのは、『恋は盲目』ってヤツか。
 なんというか、法助が実は宇宙人だ、と言っても信じそうな勢いである。
「お前が俺の両親に会うことは絶対にねーよ」
「なんでですか! 分かりませんよ!」
「分かるさ。俺の一族はもうみんな死んでる。俺は天涯孤独の身だ」
「……あ、その……すいません」
 思わず謝る遊奈に法助はため息をつく。
「別に、今更気にしてねーよ」
「……っていうか、それじゃ、絶滅危惧種じゃないですか! ますます結婚しないと! 魔法使いの血統が途絶えちゃうじゃないですか!」
「いいんだよ。どうせ俺の代で魔法使いは終了だ。血が薄くなってる。誰と結婚しても、もう俺の子供は魔法が使えない」
 そう、絶滅危惧種どころか、絶滅確定種なのだ。今更法助が誰と結婚しても無駄だし、それこそ誰とも子供を作らないまま死んでも同じなのだ。結婚を急ぐ理由はない。
「つーか、なんでそんなに俺にこだわんだよ! 他にいい男なんて一杯いるだろ! 後、結婚て飛躍しすぎだ!」
「えー、いいじゃないですかー! しましょうよー! 結婚ー! それとも、婚前交渉がお好みですかー?」
「そんなんじゃねぇよ! ていうか、お前言葉の意味分かって使ってるんだろうな?」
 法助の言葉に遊奈はにやりと自信ありげな笑みを浮かべる。突然の変化に薄気味悪くなり、法助は戸惑う。
「……なんだよ?」
「勿論分かってますよ。なにせ、私の方が学力ありますからね」
 自慢げで、しかも明らかに偉そうな態度に法助は一瞬自分の耳を疑った。
「……なんだって?」
「私の方が学力がある。そう言ったんですよ」
 遊奈の自信満々な態度に法助は二の句が継げなかった。
 ――このアホ女が? 俺よりも学力がある? アホらしいにも程があるっ!
 法助が呆れた顔をするのを尻目に、遊奈は鞄から携帯情報従者(モバイル・サーヴァント)――通称《携者》(ケーサヴァ)を取り出す。
「トライラ、私の全国模試のデータを出して」
『時期はいつのものですか? 生まれてから今日までの全てのデータでしょうか?』
「今年の分だけでいいわ」
『かしこまりました、ご主人様(マイ・マスター)』
 女性型の合成音声が端末から発せられ、掌サイズの情報端末の液晶画面にダウンロード中の文字とお辞儀するメイドさんのアイコンが表示される。文部科学省のデータベースから成績データをダウンロードしているのだろう。この時代、学校の成績は勿論、予備校などの全国模試の成績など学力データは全て文部科学省にてデータ管理されている。勿論、全てのデータを閲覧出来るのは本人か親権を持つ親のみで、担任の教師や企業の人事担当者であっても一部データなどしか閲覧出来ない。これにより、都合の悪い成績表を持って帰らない子供が絶滅したのは言うまでもない。
『データの参照完了しました』
 《携者》の合成音声と共にディスプレイに成績表が表示される。かつて、携帯電話と呼ばれたそれは、《賢い電話》(スマートフォン)という進化を経て、二〇五〇年代にはこのように疑似人工知能付きの小型情報端末へと進化した。PC並の処理能力を持ちつつ、どこでもネットワークに接続し、持ち主の命令に従って必要な情報を集めてくるそれはまさに《仮想召使い》(ヴァーチヤル・サーヴァント)である。
 ――なんていうか、《召使い》(サーヴァント)と言うよりはもう、《使い魔》(サーヴァント)だな、あれは。
 魔法使いの末裔たる法助は《携者》を見る度にそんなことを思う。高度に発達した科学は魔法と変わらないという実例だ。本物の魔法使いなのに血が薄まったせいで《使い魔》を作る力を失っている法助としては色々と複雑な気分である。
 まあ法助の感傷はともかくとして。
「ほら、見てくださいっ!」
 自信満々な遊奈から《携者》を渡され、法助はしぶしぶ彼女の成績を見てみる。
「…………っ!」
 想像の埒外のデータに法助は思わず自分の目を疑う。手元のディスプレイ画面と対面の席で得意満面な笑みを浮かべる遊奈の表情を見比べ、法助は子供の頃憧れていた芸能人に会ってみたらただのエロ親父で幻滅したような渋い顔をした。念のため、幾つか端末を弄って表示されているデータが偽造されたり改変されたものではないか確認する。が、いずれも政府の発する正規のデータであることに間違いなかった。
 四月から三度行われている全ての学力調査において遊奈は全国でもトップ百にランクインしており、この県に限って言えば女性部門でトップである。この県の同年代で、彼女より賢い少女は存在しないのである。
「……アホな」
 茫然と、心の声を吐露する。
「あれ? 関西の方だったんですか?」
 相変わらずどうでもいいことに興味を持つ遊奈。
「……そうだよ。サイタマーなお前とは違う、純然たる関西の血統だ。悪いか?」
 法助が緩んでいた三白眼を鋭くし、遊奈を睨む。が、遊奈はまったくひるまず、何かに納得したかのようにうんうんと頷いた。
「なるほど。だから、ツッコミが鋭いんですね。ツンデレ気質も納得いきます」
「お前の関西人のイメージはどんなんだよ? 関西人がみんなお笑いに精通してるとか大間違いだからな? あと、ツンデレじゃない。断じて」
 二〇五〇年代においても、大阪都を中心とした関西圏がお笑いの聖地となっていることに変わりはない。関西は良くも悪くも、過去の歴史を継承する地なのだ。
 それはともかく、法助はさっきからこれでもか、と遊奈を睨んでいるのだが、彼女は微塵もひるまない。むしろ、頬をやや染めており、見つめられて嬉しい、みたいな反応である。やりづらいことこの上ない。
 だいたい、法助の言ってることがどこまで相手に伝わっているのか怪しいものだ。それこそ、法助が言うことはまったく信じてないが、結婚するために何でも言うことをきいてるだけかもしれない。
 そんな気配を察したのか、遊奈は弛んでいた頬を引き締め、改めて告げた。
「私は法助さんのことを信じますよ」
「…………?」
 突然の台詞に法助は眉をひそめる。
「法助さんが私の言うことを信じてくれなくても、私は法助さんの言うことを信じます。 普通なら、自分が魔法使いだ、なんて嘘をつく意味なんてありません。自分の家族のことも先祖のことも、そんなこと言ったって他の人に笑われるようなことをそんな真剣な目をして話してくれたんです。信じますよ」
 遊奈の大きな瞳に射貫かれ、法助は何も言い返せない。
「それになにより、私はあの時本当なら死んでいたかも知れないんです。この命は全部、法助さんのためのものです。どんな嘘をつかれても、どんなに利用されても、私のこの体、全部差し上げますよ」
 一点の曇りのないその瞳に見つめられ、法助は視線を逸らさざるを得なかった。彼女のその極端な態度は普通ではありえないものだが――どうみても本気だった。
「法助さんは浪人生なんですよね?
 私は高校一年ですけど、もう高校の学習指導要領で決められた範囲のカリキュラムは全て終了してます。こんなことを言うとしゃくに障ると思いますが、勉強なら私の方が上です。その気になれば飛び級も可能です。
 色々と考えたんですけど、私と結婚してくれれば法助さんの勉強をサポートしてあげられます。決して悪い話じゃないと思います」
 まさか自分の見た目じゃなくて学力をウリにして口説いてくる少女がいるとは法助も想定外である。
「それに、今の時代、未成年のうちに結婚した方がなにかと有利じゃないですか。子供も作れば補助金も出るし、未成年の学生は学費免除になります。理論的に考えても私との結婚にはメリットがあります!」
 法助は肩をすくめる。感情論が通じないなら、理詰めで攻めてきたつもりらしい。手にした《携者》を遊奈に突っ返しつつ、ため息をつく。
「…………持参金は献身で、嫁入り道具が学力ってか。
 勘違いするなよ。俺が魔法使いを名乗るのは何もお前に心を開いたからじゃない。ほんの気まぐれだ。その後の質問に答えているのも魔法について嘘をつけない、という制約があるからだ。俺にとって、お前は今まで助けた人間の一人でしかない」
「でも、私にとって、あなたは特別なんです。
 あなたは宇宙飛行士を目指しているんでしょ? 今の日本なら、未成年で結婚することに多くのメリットがあります。これからの将来を思えば、学生結婚することに意味はあると思います」
 遊奈の言葉に法助は舌打ちをする。遊奈の語る結婚観は別に変ではなく、むしろこの時代においてはメジャーな考え方だ。政府が既婚者の優遇政策を取ったため、若いうちに結婚して人生設計の基盤を固めよう、と言う学生も少なくない。海外留学に際しても援助金が出るために、勉強や就職のために結婚を考えるケースも多い。
 遊奈が他と突出しておかしいのは出会ったばかりの人間に求婚しているという点である。その点を除けば彼女の考え方は至極常識的な考え方だ。
 が。
「俺はそういうのは嫌いだ。
 愛のない結婚はする気もないし、俺は宇宙に行くまでもう女に関わらないと決めた。女に関わるとろくな事がないし、俺は自分のことで手が一杯だ。
 あと、俺にも選ぶ権利ってものがある。お前は俺のタイプじゃない」
 パタパタと手を振って、この話は終わりだ、とアピールするが、遊奈は引き下がらない。
「じゃあどんな子が好きなんですか? そう言う子になって見せますよ!」
「少なくとも、うるさい女は嫌いだな」
「じゃーいいですよ? 静かな女になりますよ! ええ! それはびっくりするくらい静かで従順な大和撫子になっちゃいますからね!」
 静かになりますよアピールをうるさいくらいしてくる遊奈に法助は頭が痛くなってくる。成績がいいからと言って、頭がいいとは限らないとはまさに彼女の為にある言葉だな、と法助は思った。人間の価値とは学力で決まることではないことを改めて実感する次第である。
「そもそもですね。私って意外と昔から大人しいところもあったんです。たとえば小学校二年生の時に家族で旅行に行った時の話なんですが――」
 法助が黙っていると遊奈は勝手に昔自分が大人しい子だったよエピソードを語り始める。この少女が静かになることを期待することは絶望的だろう。
 もうこうなったら席を立つのが一番だが、きっと遊奈はついてくるだろうし、撒くのに失敗して宿泊しているホテルの部屋を特定されてはかなわない。仮にも政府のエージェントである法助が一介の女子高生に後れを取るつもりはないのだが、無駄に能力の高いこの少女はもしかしたらストーカーとしての適性が高い可能性もある。そう考えるとうかつな行動は出来なかった。
 だとしたらもう、これは白黒はっきりつけるしかない。
「よし、なら勝負だ」
 法助は問題集のとあるページを開き、テーブルに載せる。
「四年前のセンター試験の過去問。何点取れるか勝負だ」
 法助の提案に遊奈はきょとんとする。
「そんなのでいいんですか?」
 彼女の顔は明らかに自分の勝利を確信しているものだった。
「……浪人生舐めんなよ。俺が勝てばお前は金輪際俺につきまとわない」
「私が勝てば?」
「友達くらいにはなってやる」
「せこいっ! せめて連絡先くらいくださいよ!」
「……メルアドと電話番号もやる」
「よし、それでいきましょうっ!」
 どちらかといえば不公平な条件ではあるが、遊奈はそれでも充分満足らしかった。
 鞄からタブレット端末を取り出し、命令する。
「トライラっ! 四年前のセンター試験の問題データをタブレットの方に入れて」
『かしこまりました』
 《携者》の忠実なるサポートAIがすぐさまタブレット端末にセンター試験の情報を入れていく。
「……っと、タブレット使っていいの? 勿論、電卓アプリとかは使わないつもりだけど」
「好きにしろ。たた、回答はこのレポート用紙に書いてくれ」
「りょーかいっ!」
 法助の用意したレポート用紙を受け取りつつ、筆記用具を取り出す遊奈。この時代においても紙と鉛筆というものは根強く残っている。特に日本の場合は、教育には自分で文字を書くという経験が必要になる、という教育界の主張を受けて教科書は電子書籍化されているものの、メモやノートは従来の紙製のものが使われているのだ。
 そもそも、大学入試でタブレット端末を導入している学校も少なくない中、センター試験は今も紙と鉛筆によって行われている。理由は単純で、過去に一度導入した際、停電やネット回線の不具合で正常に出来なかったり、暇を持てあました老人情報犯罪者(クラツカー)達によって試験サーバーをダウンさせられたりと歴史的経緯があるためだ。デジタル化の進む昨今において、定年退職した熟練の情報技術者達が老後の暇つぶしにネット犯罪に走るのは現代の社会問題となっている。
 ――それはともかく。
「科目は、国語、数学、英語の三つ。時間は本番の半分。それでどれだけ取れるか。合計得点で判定な」
「……二人とも同点の場合は?」
「お前の勝ちでいい」
「わーい、優しいっ!」
 無邪気に笑う遊奈を前にして法助は内心ほくそ笑む。
 ――勝った。
 何を隠そう、この問題、法助が解くのは四回目である。問題内容も大体覚えている。時間制限が本番の半分だったとしても限りなく満点に近い点をとることは難しくない。卑怯な方法であるが、向こうも快諾したのだから、何も問題ない。問題があるとすれば、向こうが約束を守ってくれるか――と言うところだがその時はその時だ。
 なんにせよ、これで彼女の馬鹿話に勉強を邪魔されなくなる。今は静かに勉強できることの方が重要である。
「――じゃあ、まずは国語からな。 三、二、一、スタート」



 授業終了のベルが鳴ると共に少年は席を立った。
 ライバルのいない教室にこれ以上いても仕方ない。
 荷物をまとめ、少年はそそくさと予備校を後にした。夕闇の街を少年はひた歩く。
 少年には恐ろしい敵がいた。
 一口に言って、相手は化け物である。
 相手は少年と同じ、高校一年の少女である。茶髪で瞳が大きくやや童顔ぽいことくらいしか特徴のないぱっとしない少女だ。口を開けば話すことは支離滅裂で、とりとめがなく、話題もあっちこっちに飛びまくる。おおよそ知性のある会話の見込めない人種だ。
 しかし、それでもいざ勉強となれば周囲が目を疑うほどの実力を発揮する。クラスで誰も解けないような難問が出てきても、一・二分も考えれば習ってもいない解法を思いついたり、あるいは教師ですら思いつかなかった方法で問題を解いてくる。かと思えば知識量も豊富で、文系の問題もそつなくこなす化け物だ。噂では運動神経も抜群で、少年と同じように彼女をライバル視している運動系の生徒も少なくないらしい。
 親が特別優秀という訳でもなく、両親共にサラリーマンで、彼女の弟達も特に優秀という訳でもないらしい。鳶が鷹を生むとはまさに彼女のような存在を指すのだろう。
 正直に言って、勉強で彼女に勝つのはもう、少年のレベルでは不可能と言っていい。
 しかし、それでも少年はかの化け物――比良井遊奈に勝たなければならない。何故ならば――少年の未来がかかっているからだ。
 少年には幼い頃より憧れていた従姉がいる。とても美しい少女で、大学でも人気の高い才色兼備の女性である。彼女は高校にあがった際に有名企業に就職した男性と結婚したが、三年前の事件によって、未亡人となっている。高校生にあがった少年は死んだ彼女の元夫には悪いと思いつつも、積年の想いを彼女に告白した。
 だが、従姉は少年の想いを受け入れなかった。様々な理由をつけて断られた。あの手この手で求婚を試みたが、いずれも失敗した。そして最後には、
「県内一位の成績を取って僕が従姉さんにふさわしい男であることを証明してみせるよ!」 と、叫んで半ば喧嘩別れのように従姉の前から走って逃げた。今にして思うと恥ずかしくて仕方ない。そもそも、だからといって向こうが結婚を受け入れてくれるとは限らない。あくまで、少年が宣言しただけだ。
 しかしだからこそ、自分から言い出したことを取り下げて今更彼女の前にもう一度現れるなんてもっと恥ずかしい。ここはなんとしてでも早急に県内一位の実績を取り付けて彼女に謝りに行きたい。家が近いのに彼女に会いに行けなくなって早二ヶ月。あまりにも恋しすぎて心が折れそうである。
 ――どうすればいい。どうしたら、あの化け物に勝てる?
 いっそ今日みたいにテストをサボってくれないものだろうか。
 ――あの女さえ居なくなれば。
「いいねえいいねえ。実に若者らしい短絡的で刹那的な発想だね」
 不意に聞こえてきた声に少年は立ち止まる。見覚えのない場所だった。
 少年は家へ帰るべく、予備校から駅へ向かう道を歩いていたはずである。
 なのに、考え事をしていたせいか、いつの間にか人気のない場所に迷い込んでいたらしい。シャッターの閉まった裏通りにぽつねんと少年が一人だけ立っていた。
 ――いや、おかしい。
 時刻は十八時過ぎ。七月初旬である今の時期は空もまだ明るく、帰宅や夕食のために多くの人がごった返す時刻である。幾ら人気のない場所とはいえ、遠くから大通りの騒音などが聞こえてくるはずだ。
 ――なのに。
 少年が周囲に耳を澄ませても、聞こえてくるのはやけに動悸の早まった自分の心臓の音だけ。それ以外は何も――人の足音も話声さえも聞こえない。 
「一体これは……」
「おやおやおやおや。気付いたかい? 気にしたかい?
 他の人間達にはちょっと、そっと、さくっと立ち退いて貰っただけさ」
 人を食ったような不気味な笑い声が少年の恐怖心を増大させる。おかしい。明らかに普通ではない。こんなことは普通に起こるはずがない。では一体何だというのか。
「はははは、怖いかい? 恐ろしいかい?」
「それはいいこと。とてもいいこと」
「未知への興味は人を進化させる。未知に対する不安もまた人を進化させる」
「我々は停滞するこの世界に現状に飽き飽きしている」
「変わらなきゃ。動かなきゃ。進まなきゃ」
 聞こえてくる声は一つ。なのに、その発生源は右から左から。前から後ろから。幾つもの場所から同じ声が台詞を変えて少年に語りかけてくる。
 少年は自らの正気を疑った。恋煩いをこじらせた挙げ句、狂ってしまったのか。それとも。
 ――何か恐ろしいものに出会ってしまった?
 夕闇に沈むシャッター街の中、ただ一人立ちすくむ少年。そこかしこから聞こえてくる声の波にさらされ、少年の理性は緩やかに摩耗していく。
「君は凡庸で特別な存在さ」
 耳元で囁かれた言葉に少年はびくり、と全身を震わせる。
 それっきり狂おしいほどの声の波が途絶えた。
 恐る恐る振り返る。
「やあやあ、にゃあにゃあ、こんばんわ」
 そこにいたのは美しい一人の少女だった。年の頃は十歳くらいに見える。夕闇の中に浮かび上がる輝かんばかりの白い肌に、人形のようにほっそりとした手足。あまりにも整いすぎて目の前にいるのに現実味が感じられない。
 そして、なにより現実味を失わせるのが彼女の腰まで伸びた翡翠色(エメラルドグリーン)に輝く長い髪と瞳だ。こんなに美しい緑色を見たのは生まれて初めてだった。人にはこんなにも緑色が似合うものだと少年は初めて知った。
「ふふふ、見とれた? 見惚れた? いいでしょう? この色」
 エメラルドの少女はほくそ笑み、立ち尽くす少年へと近づいてくる。
「大丈夫、心配ないし、問題ないよ」
 少女は見た目に似合わぬ蠱惑的な笑みを浮かべ、少年に抱きついた。少女の暖かな体温が少年の動悸を加速させる。
「君も、輝ける。綺麗で美しい、緑色に」
 語るその少女の両の瞳は緑色に輝いていた。



「……なんてこった」
 法助は自らの目を疑った。あり得ないことである。こんなことがあっていいはずがない。事実は小説より奇なりという。だが、それにしても限度というものがある。
 ――嘘だと言ってくれ、どうか、これが夢であってくれ。
 だが、法助の祈りは届かない。現実は非情だ。
 法助は閉じた瞳を見開き、もう一度手元にあるレポート用紙を見比べる。
 九割の点数を取っている法助の答案と、満点を取っている遊奈の答案。そして、向かいの席で腕を組み、得意満面な笑みを浮かべる遊奈の顔。
 ――うわぁ、殴りてぇ。
「いやー、よかった。たまたまこのテスト、二ヶ月くらい前に一度だけやったことあったんですよー。だから、大体の問題は覚えてたんですよねー。勿論全部じゃないですけど、間違いやすいところとか、大事なところはその時にチェックしてましたからー。あは。あは。あはははははははははは」
 つまり、向こうとしては前に一回だけ解いたことがあるからいい点が獲れるのも当然だと言いたいらしい。法助は事前に三回も解いてるし、その度に間違いを修正してきた。これで負けてしまっているのだから言い訳のしようがない。
「……くっそ、世の中狂ってやがる」
 それでも、法助は認めざるを得なかった。少なくとも、このバカっぽい少女の方が頭がいいと言うことを。
 ――とはいえ、学力と地頭のよさはまた別の話だが。
 脳内で、言い訳がましい注釈を入れつつ、法助は自分の《携者》を取り出した。サポートAIは切ってあるのでマニュアル操作で自分のアドレスを出す。
「ほれ、《携者》だせよ」
「やった!」
 喜びながら差し出された遊奈の《携者》に法助は自分の《携者》をコツン、とくっつけた。そのまま接触通信(ダイレクト・コネクト)で自分の電話番号とメルアドを送る。情報機器同士のデータを直接やりとりする場合、赤外線通信やUSBケーブルなどで情報をやりとりしていた時代もあったそうだが、現在ではこのように接触通信が主流である。パソコンのデータを転送する場合も、パソコンの上に《携者》やメモリスティックを乗せるだけで簡単に出来るのだ。
「これで結婚にまた一歩近づきましたね!」
「……それはねぇよ」
 法助は舌打ちしながらコーヒーを啜った。色々と屈辱な話である。しかし、法助の高校時代も、本当に頭一つ抜けた成績をたたき出す人間はどこかおかしな人種が多かった。色々と納得はいかないが、遊奈は典型的な天才タイプの人間なのだろう。
 ――納得はいかないが、な。
 脳裏で独白を反芻しつつ、法助は自分の上司のことを思い出す。初めて見た時からどこか既視感があったが、遊奈は法助の上司と同じタイプの人間のようだ。よくよく変な女性に縁のある人生である。何も嬉しくはないが。
「……超能力者に何故なろうとした?」
 突然の質問に遊奈は目をぱちくりとさせる。
「――その話題はタブーじゃないんですか?」
 法助は肩をすくめる。
「俺の裏の仕事に関わらなければいい。
 それはともかく、見たところ、お前は充分特別で、普通じゃない。
 大抵の超能力者に憧れる人間ってのは凡庸な自分にコンプレックスを持ってて、特別な存在になりたがる。その隙間を悪党に狙われたりする」
「いや、ただ単に面白そうだから例の場所に行っただけです」
 頭の悪い何も考えてなさそうな回答に法助は頭が痛くなる。そんな理由で蛍河市でも危険地帯とされる《廃墟街》へ足を踏み入れるなんてまともな神経ではない。
「そうか。なら、以後、そんな軽率な態度で超能力事件に関わるな。少なくとも、俺の友人で居たいなら、な」
「あ、私のこと心配してくれるんですね! さすが! 見た目の割りにやさしい!」
「……お前本当に俺に惚れてるのか?」
「当然ですよ!」
 少なくとも、見た目に惚れた訳ではないのは間違いないようである。人を見た目で判断しないのは美徳の一つだが、ないがしろにするのはいかがなものだろうか。悪意はないのだろうが、一緒にいて疲れる存在だ。
 ――こいつ、友達とか居るんだろうか。居たとしたら相当な人格者だろうな。
 その友人の一人に法助自身が今加わった訳だが、早くもやっていける自信がない。けれど、「約束は守る」と言うのが法助のポリシーだ。約束は守る。夢は叶える。その為に生きている。
「あーでも、なんで超能力者って出てきたんでしょうね?」
 遊奈の言葉に法助は眉をひそめる。自分自身がなりたがっていたのになんのつもりだろうか。
「いや、だって、今の時代って、超能力者が必要とされる場面て全然ないと思うんですよ。進化論的に考えて。大抵のことは機械で出来ますし。テレパシーを使えるようになるよりは、《携者》買った方が早いですし。
 勿論、人の心を読むとかは出来ないですけど、無くても生きていけますし」
「そんなもん、俺が知るかよ。学者連中が考えることだ。俺は宇宙にいければそれでいい」
 法助はもう一度コーヒーを啜り、ため息をついた。同じような疑問は超能力の関係者ならみんな一度は考えることだ。しかし、その答えに辿り着いた者は法助の知る限り一人も居ない。そもそも、普通の人間が生きる意味や理由ですら定かではないのに、そこから更に超能力に目覚めた人間の意味など誰も分かるはずがない。
「あれ? そもそも、なんで魔法使いの法助さんが超能力者に関わってるんですか? おかしくないですか?」
「それは秘密だ」
「あ、情報が隠せるということは、魔法とは関係ない理由で超能力に関わってるんですね? だってさっき、魔法については隠し事できないって言ってましたし」
 ――こいつは本当に頭がいいのか悪いのかよく分からんな。
 いつもこれくらい洞察力を発揮してくれれば楽なのだが。まともな時とそうでない時の落差が激しすぎる。
「安心してください。仕事柄、守秘義務とかあるんですよね。一般人の私に言えないことは無理して言わなくていいですよ。理解ある妻でありたいと思いますからっ!」
「最後の台詞がなければとてもいい台詞なんだがな」
 色々と残念な子である。ため息をつき、視線を窓の外へ向けた。
 遊奈と勝負しているうちにすっかり陽が沈んでしまった。街の中央に広がるクレーターも周辺部はビル街の光に照らされてはいるが、中心部は真っ暗でまるで底なしの穴が出現したように見える。見ているとその闇の中に引きずり落とされそうな気がして法助は視線を目の前に戻した。
 そこで、ぐう、と体が空腹を訴える。
「……晩飯にするか」
 さすがにコーヒーだけでは空腹は満たされない。法助はテーブルの上に広げていた勉強道具を片付けることにした。遊奈もそれにならいつつ、笑顔で提案してくる。
「あ、じゃあウチに来ます? 私は料理も得意なんですよ!」
「……お前は何でも出来るんだな」
 ある意味超能力者よりもよっぽど超人に見えてきた。
「だが、お前の両親に顔合わせするつもりはない」
「えー! いいじゃないですか! へるもんじゃなし!」
「色々と減るんだよ、この場合は」
 ――外堀を埋められてたまるか。
 この軽いノリな遊奈を見る限り、親もきっと軽い人間に違いないだろう。だとすれば顔合わせしただけで「よし、ワシの娘をやろう。結婚したまえ」とか言い出しかねない。出会わない方がいいに決まっている。
「夕食は適当にメシ屋で食べる」
「じゃ、私もご一緒します!」
「……好きにしろ」
 法助はショルダーバッグを肩にかけ、席を立った。遊奈もすぐに後に続く。
「この辺でうまいメシ屋はあるか?」
「どんなのがお好みですか? 中華? 和食? 洋食? イタリアン?」
「千円以内で大量に食える場所ならなんでもいい」
「じゃ、ステーションデパートの地下街へ行きましょう。そこで大盛りで有名な店があります」
「よし任せた」
 道案内を任せつつ、法助は感心していた。即座にこちらのリクエストに対応した店をリストアップしてくるとはなかなかの有能ぶりである。これで頭の痛い会話と求婚癖がなければいい友人になれたかもしれないのに、残念な子だ。
 四六時中求婚を迫ってくるのはうるさいが、法助の中での遊奈は『求婚』がウリの『求婚芸人』ということで割り切ることにする。
 ――『求婚』はこいつの持ちネタ、そういう解釈にしておこう。
 持ちネタなので、求婚するのは仕方ない、と言う考えなら納得が出来る。実に関西人的発想だ。
 それはともかく、法助達はさっきまでいたスターバックスのあるビルを出て駅へ向かう。駅へ続くセンター街は平日ではあるものの、それなりに多くの人が行き交っている。とても三年前に隕石が墜ちて一度壊滅した街には見えない。むしろ、前よりも発展しているんじゃないかとすら思える。ちらりと空を見上げると歓楽街の光が眩しく、星が見えない。この街の外に広がるゴーストタウンのような《廃墟街》とは大違いだ。
 星は魔法使いである法助にとっては重要なファクターである。それが見えない現代と言う時代において魔法使いが消え去っていくのも仕方ないことかもしれない。
「法助さんはいつまでこちらにいるんです?」
 隣を歩く遊奈が訊ねてくる。実は店を出てから今までずっと遊奈による一方的な身の上話を聞かされていたのだが、ようやく話題が減ってきたらしい。あるいは片っ端から聞き流していた法助の態度に業を煮やしたのか、法助へコメントを求めてくるように切り替えてきた。
「――さあな。場合によっては明日にも居なくなるかもな」
「ええっそんな!」
 驚く遊奈に対し、法助は黙って肩をすくめる。実のところ法助がこの街にいる意味はあんまり残っていない。法助の今回の仕事は超能力覚醒剤《ゲイト》を売りさばく犯罪組織《新夜》の所在を暴くことである。その為の潜入調査だったのだが――横にいる変な少女を助けたせいでご破算になってしまった。
 仲間が追跡調査を行っているが、捕まえた容疑者達は口を割らず、押収した資料に載っていた組織の支部はいずれももぬけの殻。
 遊奈をあの時見捨てていればよかった話なのだが――。
――『私と一緒に逃げてくれる?』――
 不意に、脳裏にとある少女の声が浮かび上がる。法助にとっては忘れることの出来ない一人の少女の声。法助が見捨ててしまった少女の声。
 法助は頭を振った。この声が消えない限り、法助は女性を――特に少女を見捨てることなど出来ないのだろう。
「どうしました?」
「……たいしたことじゃない」
 なんにしても、遊奈を助けた日から待機命令が出ている。法助はその時間を利用して、観光をしつつ、遅れていた受験勉強を再開していた。後は捕まえた組織の構成員からの事情聴取の結果待ちだが、このまま成果が上がらないようならば法助に帰還命令が出るのも時間の問題だろう。
「ああもう、せっかくのデートなのに眉間に皺を寄せすぎですよ! いついなくなるか分からないなら二人の時間を大事にしないと!」
「デートじゃねえよ」
 さっきから微妙にウキウキしてると思ったら、これをデートだと思っていたらしい。残念ながら、法助としては、好意のない異性との食事はデートにカウントしない。心外である。
「またまた、そんな照れちゃって!」
「どうしてもデートだと言い張るなら俺とお前はここで絶交だ」
「早っ! 絶交早すぎですよ!」
 法助は肩をすくめ、ため息をつく。
「友達になっただけで安心するな。友情なんてささいなきっかけで崩れるもんだ」
 もっとも、それは友人だろうと、恋人だろうと同じ事だ。親しいからと言って相手を軽視するようなヤツとは長続きするはずがない。
 法助は友人であり続ける努力の無いヤツは嫌いなのだ。
「分かりました。じゃあ、デートじゃなくていいです。
 なんというか、魔法使いと言うよりは、修行僧(モンク)ですね。もしかして肉は食べないとか色々と戒律があったりします?」
「魔法と宗教の関係は深いぞ。魔法のために生き方を制限されることもままある。
 つっても、肉は食べるし、食べるのを禁止されたものはない」
「じゃあ私を――」
「食べねえって言ってんだろ」
 遊奈の額をつん、と押して黙らせる。
「ああもう、こっちは空腹で結構苛立ってるんだ。これ以上下らんことで俺を怒らせるな」
「うー、じゃあどんな話題ならいいんですか?」
「お前は喋らないと死ぬのか?」
 法助の言葉に遊奈は黙り込み、真剣に考え込む。そして、これ以上ない真面目な顔で言い放った。
「――死ぬ、かもしれません」
「いや、今黙ってただろ。お前」
「会話の合間の沈黙はノーカンです」
「寝てる間はどうしてんだよ?」
「夢の中でお喋り爆発です」
 ――夢うつつの区別が本当についてないのか、こいつは。
 ここまで面倒な人間だと呆れるを通り越して感心するしかない。
「まあいい、とっととメシ屋に――」
「……ん? どうしました?」
 急に黙り込んで立ち止まった法助に遊奈はきょとんとする。
 法助の三白眼はこれ以上になく鋭くなり、周囲を見渡していた。法助は遊奈との会話により先ほどから険しい表情をしていたが、今の表情はその比ではない。法助はこの表情を三日前に見せている。すなわちそれは、戦士の顔だ。
 ――どこからだ? 殺気が飛んできてやがる。
 法助達が居るのは歓楽街から駅へ続く大通りだ。勤務帰りのサラリーマンや、予備校帰りの学童達でごった返している。普通の相手ならばこんな衆人環視の中、襲いかかってくるはずがない。
 ――普通の相手なら、だが。
 しかし、超能力者なら話は別だ。一定レベル以上の超能力者なら、誰にも気付かれずに暗殺することは難しくない。超能力の内容によっては素手でいとも簡単に人を殺すことが出来る。目が緑色に光ることさえ隠せばこれほど暗殺に適した力はないのだ。
 相手はこれだけの殺気を放ちながら法助にその位置を気取らせていない。相当な手練れの可能性が高い。
 法助は遊奈の背中を押し、大通りの隅に移動した。ビルを背に、周囲に注意深く気をやる。壁を背にすれば少なくとも、敵の攻撃方向を絞ることが出来る。
 警戒する法助をよそに、荒事には疎い遊奈が突然の法助の態度にきょとんとした。彼女は今の現状を理解してないらしい。ただの女子高生が殺気に気付いたり、法助のごとくいきなり戦闘態勢に入れる訳がない。
 殺気立つ法助と、戸惑う遊奈。そんな二人の元へ声がかかる。
「やあ、比良井さんじゃないか?」



 聞き知った声に遊奈は振り向く。
 そこにいたのは同じ予備校に通う男子高校生だった。成績が近いこともあり、話すことも多い。
「あ、手嶋くん。予備校の帰り?」
「そう。そっちはどうしたの? なんか今日休んでたみたいだけど」
 どうやら同じ教室の仲間として心配してくれたらしい。良くも悪くも遊奈の存在は目立つので、居ないなら居ないでみんな気になったのかも知れない。
「いやー、実は婚活が忙しく――へぶっ」
 喋ってる途中で後頭部を叩かれ、遊奈は舌を噛みそうになる。
「ちょっ、何するんですかっ?!」
「下らん戯れ言を弄するからだ」
 殺気立った法助に睨まれ、さすがの遊奈も気圧される。
「はっ……! でも今のは関西の夫婦漫才にのみ許されるツッコミ秘技NANDEYANEN! 夫婦漫才が行える――すなわち、これはもはや――夫婦同然」
「お前、漫才のことよく知らないだろ」
 法助は呆れ声を出しつつも、その三白眼を周囲へ向ける。遊奈には何がしたいかさっぱりである。
「えっと……そっちの人は?」
 遊奈に話しかけてきた男子が遊奈以上に状況が把握できずに顔を引きつらせている。
「こっちの人はー……えーとー……なんと説明したらいいのやら?」
 本能的にツッコミの気配を察した遊奈が腕を組み、考え込む。テスト問題には即答出来る彼女の頭脳もこう言う時はまったく役に立たない。
「……まあ、色々あるみたいだね。それじゃ僕はこれで――」
 どうやら取り込み中だと察した男子が別れを告げ、遊奈もごめんね、と手を大きく振る。
 その次の瞬間――。
 遊奈の体が宙を舞った。
「ええっ!?」
 悲鳴を上げる暇があればこそ。まるで、磁石で引き寄せられるかのように遊奈の体は不可視な力によって大通りの対面にあるビルの屋上へと運ばれ、コンクリートの床に叩き付けられる。
「いてて……なんなのいきなり? どういうこと?」
 遊奈が痛打したお尻を押さえつつ顔を上げると、一人の男子が立っていた。年齢は同じくらいだろうか。先ほど声をかけてきた知り合いと同じ高校の制服を着ているが、遊奈には心当たりがない。
「見つけたぞ……比良井遊奈」
「えっと……誰?」
 質問と共に目の前の男子の目が緑の光を放った。起き上がっていた上半身がコンクリートに叩き付けられ、遊奈は悲鳴を上げる。
 ――超能力者っ! でもなんで私を!
 法助ではなく、遊奈を攻撃するなんて意味が分からない。遊奈としては超能力者に命を狙われる心当たりはない……と思う。
「お前……俺のことが分からないのか?」
 怒りに震える男子の言葉に遊奈は必死で相手が誰かを必死で考える。先ほど声をかけてきた男子と同じ学校の制服を着ていると言うことは同じ予備校の生徒かもしれない。だが、遊奈のいる教室には生徒は五十人くらいいるが、席は自由なので大概は同じ学校の生徒同士で仲良しグループを作って座っており、他のグループとの関わりはほとんどない。それでなくとも、女子は女子だけでグループを作ってたりして、他校の男子生徒と会話なんてなかなか起きない。よほど社交的な人か、前高校は違うが同じ中学に行ってたとかでもない限りは同じ教室にいても関わる事なんて皆無だ。
「うん、よく分からない」
 正直に答えると再び地面に叩き付けられた。
 ――本当のことを言ってるだけなのに酷すぎるっ!
 遊奈はもう一度叩き付けられてはかなわないので地面に寝転がったまま相手の顔をもう一度見た。周囲のビルの光に照らされた薄暗いビルの屋上で相手のことを必死で思い出そうとする。しかし、そもそも、遊奈自身は悪目立ちするタイプなので、遊奈が相手のことを知らなくても相手は遊奈のことをよく知ってるなんてことは多い。
「畜生! 畜生! 畜生! お前にとって、俺は存在すら認識されてなかったのか! お前のせいで! 俺は! ずっと振り回されて! バカの癖に! 俺は! 勉強だけが取り柄だったのに! お前のせいで! 従姉さんを! 俺の従姉さんを!」
 遊奈に顔を覚えられてなかったことが余程気に入らなかったらしく、男子の顔は憤怒の表情で次々と遊奈に呪詛を吐く。しかし、余りにも断片的で一方的なその言葉は遊奈にはまったく理解できなかった。どれだけ罵られてもぽかんと気の抜けた顔をするしかない。
 そんな遊奈の表情がますます男子を怒らせるのだが、やがて彼もそれを察したらしくぜぇぜぇ、と荒い息を吐き、最後に一言もう一度、畜生、と呟いた。
「……もういい、何も知らないまま死ねよ、バカ女」
 男子の目が緑色の光を放ち、遊奈の体は音もなく吹き飛ばされた。ビルの屋上を軽々と越え、遊奈の体は大通りの元へ落下し――。

「――させねぇよ」

 落下しつつあった遊奈の体を細いながらもがっちりとした腕が抱きとめる。
 歓楽街の光をバックに浮かぶは現代に生き残る最後の魔法使いの姿。 
「法助さんっ! 助けに来てくれたんですね!」
「当ったり前だろ。一応……友達だしな」
「素敵っ!」
 お姫様抱っこの状態から上半身に抱きついてくる遊奈に法助はため息をつく。夏場でそういうのは熱いのでやめて欲しい。
「……で、あいつが超能力者か」
 法助はビルの屋上に立つ男子を見た。どうみても普通の高校生で、熟練の戦士には見えない。突然現れた法助に驚き、尻餅をついている。
 ――まさか、組織とは関係ない超能力者か?
 さっきまで法助に向けられていた殺気は消えていた。だが、無関係とは考えにくい。あれは遊奈をさらうためにわざと注意を向けていたと考える方が自然だ。
 ――つまり、裏でこいつを操ってるヤツが他にいる?
「お、お前っ! お前も従姉さんと俺を邪魔するのかっ!」
 尻餅をついていた高校生が立ち上がり、わめく。
「……こいつ何言ってるんだ?」
「うーん、よく分からないです」
 遊奈の言葉に法助は苦笑した。
「なら――あいつをぶっ飛ばして訊くしかないな」
「ぶっ飛ばされるのはお前の方だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 目を鋭くする法助に対し、高校生は目を緑に光らせ、絶叫した。
 ここに魔法使いと超能力者の戦いが火蓋を切って落とされた。



 細かい補足はまた後日。
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