美少女の表現は難しい

 というか、話書く度に色んな美少女を書くことになるから、毎回毎回この子はこんな感じの美少女ですよ、と描写を重ねるのが大変。
 どちらかというと、リアクション芸で表現する哲学さんにとって、直接その子の美しさを書くのはなかなかに辛い。
 単純に言うと

書きやすい

 主人公の心臓が跳ねたり、時が止まったり、二度見したり、道行く人が振り向いたり、ヒロインが登場するだけで会場が静まりかえったり、アイエェェェ!ニンジャナンデ!?等のリアクション芸


書きにくい

 白磁のような肌、艶やかな黒髪、透き通るような金髪、吸い込まれそうな瞳、宝石のような瞳、柔らかな肌、少女の胸は豊満である、みたいな直接表現。

 自分の語彙のなさ、というよりは、自分が相手の見た目とかあんまり気にしないタイプっぽいのが足引っ張ってる。そんなことより、見てる方、観測者側がどんなリアクションをするか、の方に哲学さんの興味が行くんだよね。
 たとえば、『ぬらりひょんの孫』に出てくる「羽衣狐」様だと、「いかに美しい艶やかな黒髪であるか、いかに雪のごとき白い肌をしているか」、とかよりも「視る者がひれ伏し、崇めたくなるような美しさかどうか」、の方が重要みたいな。

 極論、周りに見向きもそれない美人よりも、周りにちやほやされる不美人の方が哲学さん的には重要――てな感覚。



 関西人の漫才脳。
 汚いおっさんが二人出てきても、「ショートコント〜」とか言い出して、片方が「うわ、向こうからめっちゃ美人が歩いてくるー、ナンパせなー」て言い出したら、あーもう片方はきっと美人さんなんだなー、と「そういう設定」として処理する感覚。




 とはいえ、挿絵があるならそれでもいいけど、ないというのなら、やっぱり描写しないといけない訳で、ここら辺はもっと上手くなりたいものだ。