ゲームものの難しさ?

 哲学さんは今ゲーム物の小説を書いてる訳なのだけれど、今週の『ジャンプ』で遊戯王の作者の高橋先生が読み切りを書いてるのを見ててふと思ったことなど書いておく。
 あれってファンタジー的なギミックは面白くって、「千年前にドラゴンが封印されたトランプを発掘したら、伝説のドラゴンと魂がリンクして、意識が千年前に行き、ドラゴンの完全封印を主人公が図らずも阻止してしまう。それを感じ取った古代の魔道士が千年前からタイムスリップして主人公へと襲いかかってくる」とか色々とアイデアとしては面白い物があると思う。
 が、それで千年前の魔女といざバトルが始まるとトランプによるカードゲーム。ルール的には変則ブラックジャックみたいなもの、と哲学さんは感じた。ルールとか戦略性を考えるとそれなりに面白いと思うのだけれど、各所の感想を見ると「え? 新しいゲームの販促? でもトランプで出来ることなら意味ないよね?」みたいな感想が見受けられててうーむ、と哲学さんは思った。
 作者としては、たぶん、既存のトランプを使って出来る新しい遊び方、例えば「七並べ」「ブラックジャック」「ポーカー」……等の遊び方のバリエーションの一つとして『DRUMP』というルールを提唱したかったのかなぁ、と思う。けれど、「トランプを使って、こんな新しい遊び方が出来る!」ということがあんまり読者に面白さとして伝えられてない感じ? まあネットの意見なんて一般の意見とイコールではないと思うけど、連休明けに小学生達が自前のトランプをもって「よーし、ちょっとDRUMPしようぜー」てなるかと言うと、ならないだろうなぁ、……みたいな。

 哲学さんの今書いてる話も、前のバージョンの感想で「話全体が、ゲームのチュートリアルみたいでした」とか言われてるし、こう、「ゲームとしての面白さ」と「物語としての面白さ」の両方を伝えるのはなかなか難しいな……と思った。
 遊戯王はその点、実物がちゃんと販売されて長期にわたって浸透していたっていうのが大きいんだろうなぁ。でも、初期・中期のマンガ版遊戯王のように、本来であれば、作者はさいころを使ったチンチロリンみたいなゲームであったり、TRPGであったり、カードゲームに限らない色んな『遊戯』を楽しむ話を書きたかったのだろうな、と思うのだけれど。なかなか世の中って難しい。



 ま、取りあえず哲学さんは自分の作品を頑張るとしよう。