小説『ルーデンス・ディグニティ −サムライ・ミーツ−』
という訳で小説投稿します。
細かい補足とかは次の日に。
……色々とツッコミどころ満載ですが、よかったら感想とか待ってます。
私――翔烈火がサムライでなければ何だというのか。
常日頃からそう思って生きている。
幼少より《現代のサムライ》と名高い祖父に厳しく育てられてきたのだ。そう思うのは当然のことだ。
しかし、二十一世紀の現代日本においてそのことを面と向かって口にすると鼻で笑われるのが普通らしい。
人の生き方を笑うのは何事か、と思うけれど私が真面目に主張すればするほど周囲には茶化されてしまう。
なので、それを声高に主張するのは諦めた。
後は自分の行動で示していくしかない。
常日頃より、サムライらしく生きていくだけだ。
「お前だろ、あのことを広めたのっ!」
「ああんっ! シラネーよっ! テキトーぶっこいて八つ当たりしてんじゃねーぞ!」
故に、登校中、校門の近くで騒ぎを聞きつけた時、私は真っ先に現場へ向かった。
二人の男子生徒が睨み合い、怒鳴り合っている。襟章を見る限り二人は三年生か。掴み合いをしたのか制服も乱れていた。周囲には幾人もの生徒がいるものの、スマホで写真を撮ったり、ネットに発言を投稿したり……誰一人止めようとしていない。
私はそれらの生徒を押しのけ、前に進み出た。
「朝っぱらからなにやってるんですかっ! こんな皆の通るところでっ! 迷惑でしょうっ!」
拡声器不要と名高い私の声に喧嘩していた二人は一時的に耳を塞ぎ、睨み合いをやめた。
しかし、私が発言を止めるとすぐさま突っかかってくる。
「うるせぇ、一年は黙ってろ!」
「てめーには関係ないだろっ!」
仲裁に入ったはずが、何故か二人の怒りは増しているようだった。理解に苦しむ。
「関係ありますっ! こんな正門の前で喧嘩されたら全校生徒に迷惑です!
高三にもなってそんなことも分からないんですかっ!」
「うるせえ、お前の大声の方が迷惑だっ!」
「騒音公害も甚だしいっ! 黙ってろっ!」
そう言って二人は私を無視し、睨み合いを再開する。
――ぐっ、なんて言い草。
人の親切をなんだと思っているのか。
「口で言って聞かないのなら――」
私は肩から提げていたカバンを地面に落とし、戦闘態勢へ。祖父より徒手空拳での戦い方も叩き込まれている。木刀がなくとも後れを取ることは――。
しかし、カバンを落とした瞬間、私は後ろから強い力で引っ張られた。
――なっ、私が背後を取られたっ!?
呆気にとられている間に、引っ張られるまま後ろへ下がる。
野次馬の輪の外に引っ張り出され、私は振り返った。
「何をす――デカッ」
腕を引っ張ったのは同じ一年の男子生徒だった。身長は百八十センチほどだろうか。
――おかしい。これだけデッカイ体してるのに、気配が全然ない。
どんなものにだって、存在感というものはある。相手に敵意がなくたって、人間は自分より大きな体をもつ存在にはやや威圧感みたいなものを感じるのだが、彼にはそういうものが一切なかった。身長に対して半分以下の存在感しかない。
――草食動物の象とか馬だって、近くにいたらやたら存在感を感じるのに、この人、亡霊なの?
これでは草食系男子を通り越して幽霊系だ。
そんな幽霊男子は片目をやや歪めながら呟く。
「そんな小学生みたいな大声を出さなくても聞こえる。落ち着け」
ウインクかと思ったら私の大声にキーンときてるだけらしかった。失礼な。
「……私は冷静よ。向こうの二人が大声で騒いでたからそれに合わせただけ」
声のトーンを落とすと幽霊男子は引っ張っていた手を離した。
「議論は声のでかいが勝つ、て小学校のディベートで習わなかったの?」
「……アメリカ帰りのサムライは言うことが違うな。日本にそんな授業はないし、その結論はおかしい」
相手は私が帰国子女だということを知っているようだった。高校に入学してからまだ一月も経ってないのに何故か私は学内でも有名らしいので当然か。
「なんにしてもあの人達を放っておく訳にはいかない。とっとと止めに行かないと」
「大丈夫。手は打った。あんたは見てるだけでいい」
幽霊男子がすっ、と校舎を指さす。視線を向けると強面の体育教師が数人こちらへ向かっていた。
「お前等なにやってる! みんなの迷惑だろうが! 近隣から苦情が来てるんだぞ!」
自分たちよりガタイのいい体育教師に怒鳴られ喧嘩していた二人がぴたりと争いをやめる。
そのまま二人は互いに睨み合いながらも教師に連れて行かれた。周囲にほっとした空気が流れる。
「近隣住民の振りをして匿名の電話を学校に入れた。メンツを気にする教師達はすぐさま対応するさ」
――というか、生徒が訴えても無視されてたんだけどな、と彼はうそぶく。
けれども、私はそんな彼の言葉は全く耳に入ってなかった。
「……私と同じ事言ってるのに」
理不尽だ。私の方が声がでかいし、実際に戦ったらあんな体がでかいだけの体育教師だってぶん投げるくらい強いのに。
「キミみたいな美少女に止められたら誰だって引っ込みがつかないもんだ」
「なっ……」
突然の恥ずかしい言葉に私は言葉を失い、幽霊男子を見返す。
「な、なによそれ。映画に出てくるカウボーイ気取り? 変な格好つけやめてよね」
私の台詞に何が可笑しいのか幽霊は吹き出し、笑い出す。
私がじろりと睨むと彼は笑みを浮かべてこう言った。
「男はみんなカウボーイみたいなもんだ。馬鹿だからどいつもこいつも格好つける。あきらめろ」
納得できず、憮然とした表情を浮かべると彼はつかつかと歩いていき、先ほど私が落としたカバンを拾いって持ってくる。
「ほら、授業始まるぞ。とっとと教室へ行け」
鳴り響く予鈴を聞いて私はしぶしぶカバンを受け取った。
「ああもう、なんなのあいつはっ!」
昼休み。二人の友人と弁当を囲んでいた私は思わず叫んでいた。
二人の友人は慣れた様子で塞いでいた両耳の手を下ろし、聞いてくる。
「あいつって誰?」
「…………なんか体のでかい幽霊みたいな奴」
朝の喧嘩の仲裁を邪魔されてからこっち、私はずっとフラストレーションがたまっていた。おかげで午前中の授業はほぼ耳に入ってない。
「幽霊みたいな?」
「そう、体がでっかい癖にやたら存在感の薄い変な男」
私の言葉に二人の友人は顔を見合わせた。
「誰だろ?」
「粟井くんじゃないかしら?」
「あ、そうかも。ぽいね。それっぽい」
二人には心当たりがあったのか、勝手に納得される。
「ちょっと、誰なのそれ?」
「隣のクラスの粟井友重って男子。美術の授業でレッカと同じでしょ?」
「…………そうだっけ?」
全然記憶にない。友人の話が本当なら一ヶ月近く同じ教室で勉強していたことになるのに「そう言えばそんな子いた」なんて出てこない。
「おかしい。そんな剣豪みたいな古めかしい名前してるのに私が気付かないなんて」
「剣豪みたい? 古くさい名前だなぁ、とは思うけど」
「柳生四天王の一人にそんな人いるの」
私は祖父からは剣術の手ほどきを受けているが、その過程で剣術の歴史も教えて貰っており、有名な剣豪の名前なら諳んじている。そんな珍しい名前なら私が見落とすはずがないのだが。
「あー、翔ちゃんサムライマニアだもんね」
「マニアじゃなくて、私は歴としたサムライ!」
「はいはい」
軽くあしらわれて私は憮然とする。
私としてはいつだって真面目なのに、日本に来てからこっち、「そんな子供みたいなことを言って」と流されてしまう。
――少なくとも、アメリカではこんなことなかったんだけどな。
祖父は若い頃に渡米し、武者修行に明け暮れた剣術家だ。ロサンゼルスの郊外に道場を構え、多くの門下生を持つ。ハリウッドのアクションスターの幾人かは祖父の指導を受けている。
そんな祖父の孫なのだ。誰もが私をサムライの後継として扱ってくれたのだが――。
――いや、周りの扱いなんて関係ない。ただ、私はサムライらしくあるだけ。
どう思われるか、よりも、どうあるべきか、の方が大事なのだ。
「まあまあ、ほらほら、こう言う時は魚だよ。カルシウム摂ろうよ。ほら、ほらほら」
友人の手作り弁当から小魚を差し出され、私は仕方なくかじりつき、ムシャムシャと口の中で噛み潰す。
「……何故かよくそんなこと言われるけど、なんで怒ってる時はカルシウムなの?」
「さあ? 詳しいことは知らないけど、偽薬効果<プラシーボ>じゃない?」
友人に言われてきょとんとする。
「……プラシーボ?」
「思い込み効果よ。端的に言うとあんなのを指すの」
と、友人が指を向けた先では男子生徒達が学食のパンを食べながらわいわいと騒いでいた。
「最近の風邪ってやべーよなー。人生初めての風邪でいやーもー、死ぬかと思ったんだけどよー、彼女がおかゆ食べたら治るっつったから食べてみたら一発で治ったんだわよー」「何回目だよその話」「先週から毎日聞いてるぞ」「いやー、やっぱ持つべきものは彼女だよなー」「うるさい、死ね」「馬に蹴られろ」「やっぱ愛の力だよなー」「つーか、毎回思うけど人生初の風邪って嘘だろ絶対」
男子生徒達の会話を聞いてなんとなく理解する。
「病は気からってこと?」
「似たようなものね。嘘も方便って言うし、人間思い込みでなんとかなるものよ」
――もしかして、私がサムライだと思ってるのも思い込みだと思ってるのかしら、この子。まあ、自称なのは確かだけど。
「…………」
――まあ、今はそんなことより、あの男子ね。
追加でご飯を食べながら、考える。
かの幽霊みたいな男の子の気配を感じ取れなかったのは何故か。
あのガタイの大きさであの気配の小ささはどう考えてもおかしい。大人しい草食動物でも、馬や象・キリンなどが間近に居たらその体の大きさから存在感というものを感じるはずだ。
それも私のただの思い込みなのか、あるいはあの男子が特別なのか――。
「そう言えば、粟井くんは一つ面白い話があるよ」
「え? 何が?」
「これは保健のセンセーから聞いた話なんだけど――。
粟井くんはいつも体育を見学してるんだって」
友人の言葉に私は眉をひそめる。つまり、体が弱いと言いたいのか。
「それのどこが面白いの?」
ややトゲのある私の物言いに苦笑しつつ、友人は続ける。
「その理由がね――医師に勝負事を禁じられてる、てさ」
「What`s?」
「よーし、それじゃ、誰が残り一個食べるかジャンケンで決めようぜ」
先ほど友人達に「うわー、リアクションがすごくガイジンっぽい」と笑われてよく分からない赤っ恥をかいた私は食堂に来ていた。
――素のリアクションなのに何故笑われないといけないのか……日本は理不尽ね。
それはともかく、自動販売機で飲み物を買おうと思っていたのだが、食堂の真ん中では焼きそばパンの最後の一つを巡ってジャンケン大会が始まっているようだった。
男子達が気合い入れて食堂のおばちゃんとジャンケンをしようとしていたが、その中からすっ、と例の幽霊――粟井友重が出てくるのが見えた。
――やっぱり、気配が薄い。なんなのこの人。いや、今はそんなことより……。
「ちょっと、あんた! 焼きそばパンいらないの?」
思わず呼び止めて聞いてみる。
いきなり話しかけられた彼はやや面食らいながらも淡々と答える。
「そのつもりだったが、諦めた。医師に争い事は止められているからな」
「ええっ? ジャンケンですらっ?!」
――意味が分からないっ!
運動を禁止されてるならまだしもジャンケンとかお遊びすら禁じられているってどういうことなの?
「意味が分からないっ! どういうこと? 戦ったら死ぬ病なの?」
思わず発した冗談に粟井は何故かにやりと笑った。
「そういうことだ。よく知ってるじゃないか」
面と向かってそんなことを言われて私は混乱する。
「馬鹿にしてるのっ!? そんな病気ある訳ないでしょっ! ぶっ飛ばされたいの?」
「おー、怖い怖い。あんたは、戦わなかったら死ぬ病なのか? 後、声は小さくな」
飄々とそんなことを言ってくる粟井。
私は一旦深呼吸をしてから、言い返す。
「常在戦場。いつだって、戦場にいる気持ちで生きてるつもり」
それが、祖父の教えだ。いつだって、私は真剣だ。戦うように生きている。
「……なかなか疲れる生き方をしてるな」
「悪い?」
「まさか。尊敬に値する。あんたは強い人間だ」
面と向かってそんなことを言われて思わず黙り込む。
「一身上の都合で病名は言えない。
けど、戦えないことは事実だ。
塚原卜伝は分かるだろう? 戦えない俺は戦わずして勝つしかない」
気負いのないその言葉に嘘偽りのなさを感じ、私は戦慄する。
にわかには信じがたいが、彼はジャンケンから殴り合いに至るまで、あらゆる戦いを禁じられているのだろう。
荒唐無稽な話だけれども、少なくとも彼に嘘がないということだけは信じられた。
「……なんで泣いてるんだ?」
指摘され、私は自らの頬に手を当てる。果たしてそこには涙があった。
――いつの間に。
そんなつもりはなかったのに。でも、理由なら分かる。
「かわいそう」
「え?」
「誰かと戦うことが出来ないなんて、すごくかわいそう」
涙を拭い、私は相手を見つめる。
さすがの粟井も戸惑いの表情を見せる。当たり前だ。こんな一方的な同情、戸惑わないはずがない。
「……戦わなくたって生きていけるだろ」
「日本じゃ何故か嫌われるけど、何かを勝ち取るという行為はとても気持ちいいことでしょ」
「負けて奪われた方はたまったもんじゃないだろ」
彼の言葉に私は首を振る。
「負け方次第。いい勝負をすれば、勝者も敗者も気持ちいいもの」
勝負とは殺し合いだけを指すものでもない。剣術でも、スポーツでも、何かを競うと言うことは楽しいことだ。
ジャンケンだって、相手と運を競う楽しさがある。それすら封じられた彼は一生戦う楽しさを知ることは出来まい。
「サムライの癖に無手勝流全否定だな」
「お爺様の流派とは違うもの」
「なるほど、流派が違うなら仕方ないな」
苦笑する彼につられて私も笑った。
よく分からないけれど、彼が戦わないことは仕方ないことだと私の中で納得した。
放課後。
自宅へ帰る道すがら、背後からの気配に私は上半身を沈み込ませた。
一拍遅れて頭上で私を掴もうとしていた両の手が空を切る。
私はカバンを手放し、立ちあがりながら背後の相手の顎へエルボーを決めた。
悲鳴と共に襲撃者は仰け反り、鼻血を吹き上げながら地面に倒れる。
「……誰?」
地面に転がる相手を見下ろし、私は首を傾げた。
同年代の少年のようだが、全く覚えのない顔をしている。そもそも、背後から襲われるような恨みを買った覚えはない。
――少なくとも、日本ではまだのはず。
敵を作りやすい性格だと自覚はしているが、ずっと住んでたアメリカならいざ知らず、日本ではそこまでの大事に発展した覚えはない。……今のところは。
「……くっそ」
襲撃者が逃げようと立ちあがろうとした瞬間、足払いをかけ、再び転がす。
そのまま相手を取り押さえようとするが、すぐさま左側へ飛び退く。
背後から現れた第二の襲撃者がつんのめり、最初の襲撃者と抱き合うように地面を転がる。
「他に遠巻きに見てるのが……三、四、五人くらい? さっきから尾行してたみたいだけど何者?」
私の質問に二人の少年は渋面になる。
「なんだよこの女」「おかしいだろ、後ろに目がついてるのか」
襲撃者に糾弾され、私は思わず呆れた顔をする。
――私の方がおかしいみたいに言われても困る。
私は尾行者達にも告げたつもりだったけれど、周囲にいる連中は身を隠したまま出てこない。
状況はあまりいいとは言えなかった。
素人とはいえ、自分より体格で勝る男子に総計七人に取り囲まれるというのは余りいい状況ではない。
私が今居るのは通学路ではあるが、学校と駅の中間点にある人気の少ない通りだ。少々荒事があったとしても騒ぎになりにくい。
実際、今私の周りにいるのは五人の尾行者と二人の襲撃者だけだ。
――無理はしない。
私は地面に落ちたカバンを拾い、再び周囲を見回す。
相手は次なる攻撃に備え、身構える。
向こうに退くつもりがないことを確認し、襲撃者の一人へ突撃した。
カバンを振りかざす私に対し、襲撃者は両腕をあげてガードする。
その横を、私は全速力で通り過ぎた。
「ちょ、えっ?!」
愕然とする襲撃者達を尻目に私はそのまま駅へと全速力で走る。
一拍遅れて私が逃げ出したことに襲撃者は気付いたようだが、その時には後の祭り。
普段から鍛えている自慢の足で襲撃者達の包囲網から抜け出した。
――あまりにも不利な状況であれば逃げるのも一つの勝利。
これもまた祖父の教えである。
「粟井くんに泣かされたんだって!」
次の日の朝、教室で友人達に問い詰められ、私は目をぱちくりする。
「え?」
「昨日食堂で泣かされてるのを見た、て聞いたよ!」
言われてそんなこともあったと思い出す。私の中ではもう終わったことなのですっぱりと忘れていたが、噂が遅れて出回ったらしい。
噂とはえらく早く回る時もあれば、遅い時もあってなんだか不思議な感じだ。
「泣かされた訳じゃなくて……勝手に私が彼に同情して泣いたのよ」
「え? 同情?」
私の言葉が予想外だったのか友人が怪訝な顔をする。
「戦えないのが可哀想、てね。向こうにはどんだけ戦闘民族だよ、て言われちゃったけど」
友人は意味が分からず固まっていたが、しばらくして理解が追いついたのか大きくため息をついて後ろに引いた。
「……私も粟井くんと同意見ね」
心配して損した、とぼやかれ、私も思わず苦笑いを浮かべる。
「あーっと、その、心配させてごめんなさい」
「まったくよ。まあショーちゃんが男に負ける訳ないと思ってたけど」
「それは偏見ね。私だって真正面から男に勝つのは難しい」
彼女は私をなんだと思ってるのか。
「え? 意外。そう言うことは思ってても口にしないと思ってたわ」
「武道をやってるとね、自然男女の肉体差は意識するようになる。その上で、格上の敵と戦うの」
例えば身長差はどう頑張っても覆らない。それはリーチの差になるし、体重差は攻撃の重みに繋がる。更には女子には生理もあるので男と比べて常に万全に戦えるとは言い難い。
「相手の方が強い、て認めても戦うのね」
「必要な時はね」
話しながら昨日の帰りのことを思い出す。
「そう言えば、この近辺て誘拐事件とか起きてたりする?」
「何それ?」
「……いや、いい。忘れて」
昨日の帰り、誘拐されそうになったことは一応駅前の交番で警察に通報というか報告はしている。
しかし、警察からすれば分からない事が多すぎて、せいぜい周辺の巡回を強化することくらいしか出来ないと言われてしまった。
――もし今度襲われたらスマホで写真を撮ってから逃げよう。
正直逃げるのは癪だが、多勢に無勢では仕方ない。
――これが試合とかだったら相手との実力差と関係なしにぶつかっていくけど……実戦なら下手な戦いは避けた方がいいもの。
「翔さんっ! 大変っ!」
と、そこでクラスメイトの一人が血相を抱えて教室へやってくる。
「どうしたの?」
「……これ」
真っ青な顔で差し出されたスマホには同じクラスの女子が拘束されている写真が映し出されていた。
「?! ……何これ?!」
「メールでさっ、なんか人質だって! 十時半までに指定の場所に来いって……」
血相を変えるクラスメイトだが、私の中では焦りより疑念の方が先立った。
――そんな、人質を取るにしてもなんで無関係な子を?!
捕らわれた女子は確かに私と同じクラスメイトだが言うほど親しくない。人質としていい加減すぎる。
その他、メールの文面にはありきたりだけど、この事は他の誰にも言うな、とか一人で来いだとか言う文字が躍っていた。
「指定の場所って?」
「……えっと、写真と一緒にマップもメールについてる」
「え? ショーちゃん行くの?」
私の反応に友人達が驚く。
「敵の目的は皆目見当がつかないけれど、サムライとして悪党に屈する訳にはいかない」
決意を込めて私は宣言する。
なにより、私のせいで無関係な人間を巻き込んでいるのも見過ごせない。
私の決意に友人達は黙り込む。もう私を止められないと気付いたのだろう。
「ごめん、このスマホ借りていい?」
そう言ってスマホを掲げた時――。
「そう言う訳にはいかないな」
私達の意識の隙間を縫うように大きな手が割って入る。
「すいません、警察ですか? 友人が誘拐されてしまったのですが――」
警察に電話をするという言葉を聞いてようやく私はスマホを奪われたことに気付く。
「……粟井っ!?」
振り向くとそこにはクラスメイトのスマホを片手に自分のスマホで警察に連絡する長身痩躯の男子――粟井友重が居た。
「はい、脅迫文がメールで届いてまして。そちらに転送します。
…………はい。……はい。
人質交換は一時間後を指定してます。
今は学校です。
……分かりました。はい。
待ってます」
電話を切ると彼は何食わぬ顔でスマホをクラスメイトに返した。
「ほらよ。
十五分後に近くの交番から警察が来る。
あんたらは何もせずここで待ってればいい」
ぶっきらぼうな言葉に私は思わずかっとなる。
「ちょっと! いきなりやってきて何を!? これは私に対する悪党からの挑戦なのに!」
「だから何だ。犯罪者とまともに交渉する必要はないだろ。
事情はよく知らんが、あんたがノコノコと出て行く意味はない」
「……それは…………そうだけど!」
粟井が言っている意味は分かる。けれども、なんだか納得がいかない。
――私は自力でこの事件を解決しようとしていたのに!
私が幾ら睨んでも粟井はいつも通り、泰然と見つめ返してくる。何を考えてるか分からない、薄ぼんやりとした気配。これではまるで幽霊と話しているようだ。
睨み合う私達に周囲の女子達は何も言えず固まる。
そこへ慌ただしい足音と共に教師がやってきた。眼鏡をかけた年配の老教師――確か教頭先生だったか。
「粟井と、翔はいるかっ!?」
声をかけられ、粟井はあっさりと視線を私から外して手を挙げる。
「ここにいますよ」
「お前かっ! 何故警察になんか連絡した!」
予想外の怒声に私は怪訝な顔になる。
「何か問題でも?」
訝しむ私を放置し、粟井が教師に質問をする。
その回答は意外なものだった。
「さっき学校に警察から連絡があった! こんなことが公に知られてしまったら学校は困るだろう!
先に先生に相談するのが筋だろう?」
信じられない回答に私の怒りが一瞬で爆発する。
「それが教師の態度ですかっ! 自校の生徒がさらわれたと言うのに世間体の方が大事なのですかっ!」
教頭や周囲の生徒達は目を白黒させふらつく。ただ一人、咄嗟に耳を両手で押さえていたらしい粟井が私の肩を叩いた。
「落ち着け。至近距離でお前に叫ばれたらまともな議論もできない」
「……なっ!?」
咄嗟に肩の手をふりほどこうとするも、その前に彼の方が手を引く。
愕然とする私を尻目に粟井は教頭に向き直る。教頭は心臓を押さえてその場に崩れ落ちそうになっていたがなんとか立ちあがった。
「先生に報告すればどうなっていました? 警察に通報しなかったとでも言うんですか?」
落ち着いた粟井の言葉に教頭は首を振る。
「まさか。勿論最終的には通報をする。
粟井よ、お前のしたことが間違っているとは言わん。だが、順序が悪い」
教頭が言葉を返す間にパトカーの警報が近づいてくるのが聞こえた。
正門前に止まったパトカーを見てそれまで傍観していた生徒達が窓際に群がり、次々とスマホで写真を撮り、情報を交換し合う。
学校の外でも何事かと騒ぐ住民達の姿が見える。何かを囁き合う住民達からはなにやらよからぬ視線が発せられている気がした。
「教頭! 保護者や近隣住民達から説明を求める電話が殺到しています! 生徒達も言うことを聞かず各教室で混乱が――」
職員室から走ってきたらしい学年指導の先生の言葉に教頭は苦虫を潰したような顔をした。
「満足かね。これでこの学校の機能は完全に麻痺した。周囲の混乱の収拾に力が割かれる事になる。
さらわれた生徒の一人も大事だが、私達教師にはさらわれてない数百名の生徒のことも考えねばならんのだ」
「それは俺の知ったことではありません。学校のことは学校でなんとかしてください」
悪びれもせず言い返す粟井に教頭はため息をついた。
「今時間が惜しい。
粟井と、翔、それと脅迫メールを受けた西川。この三名は正門にいるパトカーの所へ向かいなさい。警察が呼んでいる」
教頭の言葉に粟井はありがとうございます、と一礼をして歩き出した。私と、最初にメールを貰った西川さんも慌てて一礼をし、それについて行く。
彼について行きながらも私の中ではモヤモヤしたものが渦巻く。
手助けをしてくれた彼に感謝すべきなのか、それとも余計な手出しをして事態を混乱させていると彼に怒るべきなのか。
その答えを見つけ出せぬまま、私は校舎を出て、正門の前に止まっているパトカーへ向かった。
「集まった警察ってあれだけなんですか?」
咄嗟に動員出来た警官は十五名と聞いて私は少ないと思った。
「通報を受けてもう三十分も経ってるんですよ?」
「大丈夫。みんな訓練を受けた警官だから」
そう言われても半数以上は三十代から四十代の中年のおじさん達であり、誘拐を仕組んだ相手に本当に戦えるのか、と不安に思った。
犯人グループの規模は分からないが、もっと人数がいてもおかしくないのに。
「他の連中は今、別の事件に――」
「よせ、被害者には関係ないことだ」
何か言いかけた若い警官の言葉を年配の刑事がたしなめる。
なにやら別の事件が同時に起きててそちらへ人員が割かれているらしい。
「警察を信じてください。我々は市民の安全を守るために常に全力を尽くしています」
隠していたつもりだが不満な表情になっていたのだろう、私の側に居る女刑事が言葉を添える。
私とクラスメイトの西川さんは今覆面パトカーの中にいた。
誘拐犯の指定した場所は学校からほど近いところにある町外れの廃工場。工場が潰れた後も買い手がつかずに放置されていたのを不良のたまり場になっていた、とのこと。
何故、そんなものを放置していたのか、と聞いたら通報されてなかったから、と言われた。
なんにせよ、その廃工場のにほど近い場所に私は警察の護衛付きで待機させられていた。いざと言う時は犯人との交渉に出番があるかもしれない、とのこと。
移動しながら私と西川さんは警察から犯人の心当たりを聞かれたが、分からない、と答えていた。勿論、昨日襲われたことも向こうは知っていたが、やはり犯人についての心当たりはないと答えた。
祖父はアメリカで財を築いたのでそれなりに裕福な家ではあるが、その割に身代金の要求などがなく、犯人の意図がさっぱり分からない。
一緒に警察に連れて来られた粟井は別のパトカーに乗っている。彼もまた取り調べを受けているのだろうが、この件に関して言えば彼は通報しただけなのでほぼ部外者だ。
パトカーに備え付けられている無線からなにやら暗号めいた通信が聞こえるが、雰囲気から察するに「隣町からの応援は時間的に間に合わないし、今のメンツで頑張れ」と言うことと思われる。
もし、犯人グループが昨日私を襲ったメンツと同じなら十代の若者が七人以上いることになる。
十五名の警官で足りるのか……と言えばやはり不安だった。返り討ちに会うことはないだろうが、数人取り逃がす可能性がある。
「……やはり、まずは私が単身で待ち合わせ場所に行くべきじゃないでしょうか?」
警察に何度目かの要望を告げる。私が囮となった方が逮捕に繋がりやすいはずだ。
「被害者を危険に合わせることは出来ませんよ」
警察はあくまで取り合わない。かくて誘拐者との約束の時間まであと十五分となった。
警官達はすでに配置につき、犯人が逃げられないよう包囲網は完成済みらしい。。
「ホシの影は?」
「見あたりません。中に潜んでいるのでしょうか」
運転席にいる年配の刑事達の会話。廃工場には遠目には人影はさっぱり見あたらないらしい。
「約束の時間の十分前です」
「――突入しよう」
リーダーからの号令により、数名の刑事達が廃工場へと突入していった。
一騒動が起きるかと思ったが、廃工場は静かなものだった。
数分後、沈痛な面持ちの刑事達がやってくる。
「犯人グループは逃げた後だったようです」
報告を受けた女刑事が私達に告げる。
「そんな……さらわれた雅美は!?」
「保護されました。彼らは人質をおいて逃げたようです」
「……よかった」
大きくため息をつく西川さんとは対照的に女刑事の表情は沈痛なものだった。
私は違和感を覚え、訊ねる。
「すいません、人質の子は無事だったんですか?」
「……命に別状はありません。しかし――」
話している間に建物の中から保護された女の子が連れてこられていた。確かに人質の少女は自分の足でしっかりと歩いているが――。
「そんな――」
隣で西川さんが絶句する。私は思わずパトカーの扉を開け、人質の彼女へ駆け寄った。
「ごめんなさいっ!」
開口一番頭を下げた私に対し、人質だった彼女は――。
「……なんで一人でこなかったの?」
驚くほど静かな声。
「サムライだったんでしょ、あなた? 警察が来ると知ったらあいつら腹いせに私の頭を掴んで――」
それ以上口にするのも嫌だったのか一度口を紡ぐ彼女。が、それまで虚ろだった彼女の瞳に火が灯り、私を睨んでくる。
「あなたが大人しく一人で来てたらきっと私は解放されてたわっ!
なんで私がこんなとばっちりを受けないといけないのっ!
ふざけないでよっ!
普段はすまし顔で、なんでも一人でこなすみたいなスカした態度を取ってる癖に何よっ!」
「…………っ」
なんと返せばいいのか分からなかった。
私には何故こんな誘拐事件が仕組まれたか、犯人の狙いも原因も分からない。
けれども、もし私がサムライらしく一人でこの場に踏み込んでいれば――、私がもっとサムライらしくあれば――。
「馬鹿を言うな。
警察が来なければ二人とも被害は髪だけじゃなかったに決まってる」
黙り込む私達へいつの間にか現れた粟井が割って入った。彼の長身に覆われ、私には彼の背中しか見えなくなる。人質だった彼女にも粟井に隠れて私が見えなくなったことだろう。
「ベストだったとは言わないが、まだマシな結末だ」
「誰よ、あなたっ!?」
「警察に通報したのは俺だ」
人質だった彼女が息を飲むのを感じた。
「この突撃娘が馬鹿みたいに犯人の言いなりになりそうだったから、通りがかった俺が警察に通報した。
学校にも、クラスメイトにも反対されたが、関係なく俺がやった」
「なんでチクったのっ?! 信じられない!!」
「俺の勝手なお節介だ。俺が、俺の正しさに基づいた行動した。それだけの話だ」
不遜な彼の態度に思わず私は声を張り上げる。
――彼が、全てを背負おうとしてるっ! これは私の問題なのに!
「でもっ! 犯人の本当の狙いは私だった! 被害が及ぶなら私だけでよかったはずっ!」
突然の大声に粟井はこめかみを押さえ、周囲の刑事達も耳を押さえて顔をしかめる。
粟井に流れかけていた議論の中心が一気に私の元へと引き戻される。
「犯人の狙いは分からないっ! けど、呼び出しを受けたのは私だった! 私がなんとかしていればっ!」
「……そんな大声を出さなくても聞こえてる」
顔をしかめながら粟井が口を開く。
「正解なんてものは誰にも分からんが、今回の責任は俺にあるだろ」
睨む私に対し、彼は淡々と語る。互いに責任を取り合う不思議な光景に人質だった彼女は戸惑い――。
「はいはい、青春ごっこはそこまで」
張りつめた空気を割るようなだみ声。
全身からタバコの匂いの漂う、ヨレヨレのスーツを着た年配の刑事が手をひらひらと振りながら建物から現れる。
「誰が悪いって? そんなの犯罪者が一番悪いに決まってるだろ。
そんなことも分からないなんて最近の子供はデキが悪いね」
その場にいた高校生全員の視線が集中するも年配の刑事はまったく気にしない。
「君らは改めて事情を聞かせて貰う。パトカーに乗って署に移動ね。テメー等は現場検証と周囲の聞き込み! ……よろしいですね?」
各員に指示を出しつつ、最後に隣にいた年若い刑事に敬語で確認を取る年配刑事。
年若い上司が頷くと現場は一気に動き出した。
年配刑事は肩をすくめつつ、胸ポケットから禁煙ガムを取り出し、くちゃくちゃと噛み始める。
「なんだ、お嬢ちゃん。このガムが欲しいのか?」
「……いえ」
言い合いを中断され、不完全燃焼だった私は無意識に年配刑事を睨んでいたらしい。
「ほら、ガムならやるよ。とっとと事情聴取受けて今日は早く家に帰りなさい」
ゴツゴツした手に強引に禁煙ガムを握らされ、私はパトカーに押し込められた。
次の日の学校は最悪だったとしか言いようがない。
人質だった子と西川さんは出席していなかったが、学校中には「呼び出しに応じず警察にチクった卑怯者」のレッテルが噂として広まっていた。
粟井は――違うクラスなので出席してたのかどうか分からない。
彼の場合、存在自体が幽霊のようなものなので同じクラスだったとしてもいたかどうか分からないかも知れないが。
なんにしても、「普段お高くとまってるくせに」とか「サムライとか変なこと言ってる癖に」と言う台詞をそこかしこで聞いた。
――こんなこと言われながらなんで私は学校に来てるのだろう。
そんなことを思いつつも、背筋だけは伸ばして私は粛々と学校生活を過ごした。
たった半日の罵詈雑言――耐えようと思えば耐えれなくもない。
――私はサムライなのだから。
祖父の自慢の娘であるために、こんなところでくじける訳にはいかない。
昨日、家で事件について話した時、祖父は大変だったな、と労ってくれた。そして、「助けが必要か」と聞かれ、私は断った。
祖父に負担をかける訳にはいかない。
これは私につけられた因縁であり、私が決着をつけねばならないことなのだから。
――ああ、でも、お爺様には知られたくなかったな、こんなこと。
いずれは知られるにしても、事件がすべて解決した後に話したかった。
と、言うようなことを考えていたらいつの間にか放課後になっていた。
私は荷物を整理し机の中のものをカバンに入れ――そこで違和感に気付く。
知らない手紙が一枚、ノートに混じって入っていた。
「今度は警察にチクらなかったんだな」
嘲るような声よりも、周囲のほこりっぽさに私は顔をしかめた。しかし、すぐに顔を引き締め、相手に向き直る。
「人質を取ってないようだったしね」
私は言い返し、辺りを見回す。
元はゲームセンターだったのだろう。電源の切られたアーケードゲームの筐体が幾つも並んでいた。店内の照明は切られ、部屋の中心にただ一つキャンプ用のランタンが置いてあり、そのランタンを中心にたき火取り囲むように座る不良達が十人ほど見受けられる。
呼び出された場所は繁華街の一角にある廃ビルで、手紙に書いてあった通り、裏口は鍵が開いていたままですんなり入れた。
前回の廃工場といい、普段は目につかないけれど意外と不良のたまり場というものはどこにでもあるものらしい。
「私に用があるのなら最初から正々堂々と呼び出せばよかった。
何故、人質を取ったりとか回りくどい手を取ったの?」
最初に話しかけてきたリーダーらしき不良に問いかける。
「あんたみたいな正義感には人質がいた方が来てくれると思ってな。ただの呼び出しだと無視してただろ?」
「決闘の申し込みなら無視しない」
私の回答に何がおかしいのかたむろしている不良達がゲラゲラと笑う。
「今時タイマンで決闘とか馬鹿なことする奴いねーよ。気にいらねー奴がいたら仲間集めてボコるのがジョーシキだっつーの。
アメリカ帰りなら数・イズ・ジャスティスなことくらい知っとけよ」
生まれ故郷を馬鹿にするような発言に私は顔を歪ませるも、議論するだけ無駄だと割り切り無視することにした。
「そんなことより、最初の質問に答えて貰ってないんだけど? 何故私を呼び出したの?」
そもそもこの事件はそこが一番分からない。
ここにたむろする連中については誰一人顔に見覚えがなかった。いや、正確には二日前に取り囲まれた時に見た顔はいるが、それだけだ。
不良連中に狙われる理由がまったく分からない。
果たしてどのような因縁があるのかと身構える私だったが、不良のリーダーの答えは意外なものだった。
「俺はよう、お前みたいな気の強い女が大好きなんだ」
意味が分からず私は混乱する。
――嫌いじゃなくて、好き?
「ガキの頃はよう、マジでよう、男に対してガンガンもの言ってくる女は多かった。
けどよう、マジでよう、高校くらいになったら、男に媚びるか、自分が女で可愛いことを自覚して立ち回る奴の多いこと多いこと。
男と正面からガチでぶつかってくるような女全然いねーんだわ、俺の周りじゃな」
「……それこそ合衆国行きをお勧めね。
この国を出れば幾らでもそんな子はいるし、日本にだって柔道とか武道やってる子ならそんな子幾らでもいるんじゃない?」
私の言葉に不良リーダーは首を振る。
「女を探す為だけにいちいちガイコクに行くとか馬鹿じゃねーの?」
「運命の相手を探す為に旅立つ気概もないとか器が小さすぎるんじゃない?」
私の挑発に怒るかと思いきや不良リーダーはますます笑みを深めた。
「いいぜーいいぜー、そういう反抗的な態度。実に俺好みだ。
弟に聞いた通りよう、マジ、俺好みだわ」
私は戸惑った。
強気な女が好きなのは本当らしいが、だとしてもこの状況は理解が出来ない。
「そういう強い女をメチャクチャにしてやるのが俺の趣味だ」
リーダーの合図にそれまでゲーム筐体の上に座っていた不良達が立ちあがる。
「俺の弟がお前と同じ学校に行ってるんだけどよう、俺好みの強気の女が居るってメールしてくれて、これはすぐさま囲んでボコにしなければって思ってな。
けど、尾行からは逃げられるし、代わりに人質を取ったら通報されるし、そもそもスマホ持ってないから直接呼び出しも出来ないしで困ってたけど――。
やっと調教できるぜ」
周囲を警戒しつつも、私は余りにも馬鹿げた理由に怒りを通り越して呆れかえるのを自覚した。
「……そんな、くだらない理由で?」
「はぁ? 崇高な理由で動く人間がどれだけいると思ってんだ?
人間てのは、腹減ったとか女欲しいとか眠いとか、そんなチンケな理由で動く生き物なんだよ。
高校生にもなってそんなことを知らないとは世間知らずだな、アメリカン・ザムライさんよ」
――伏兵の気配はなし。
私は周囲を取り囲む男達を見据えつつ、頭を戦闘に切り換えた。
これ以上この馬鹿と話しても仕方ない。後はただ戦うのみだ。
ここは予想通りの罠で、敵との戦闘も想定の範囲内。
理由がこんなにも馬鹿馬鹿しいのは予想外だったが、やることは変わらない。
――悪党を成敗する、ただそれだけよ。
幸い、今回は木刀を持ってきている。
「おっと、やる気満々だな。さすがアメリカ帰りだ。
好きだぜ、鼻から話し合いで解決させる気がない感じとかよう」
携行していた木刀を構えた私に対し、不良リーダーは更に笑みを浮かべた。
「せっかくだから写メ撮らしてくれよ」
不良リーダーは何気ない仕草でスマホを取り出し、スイッチを押した。
パシャリ、と放たれたフラッシュに僅かに目を細めた瞬間――二つの気配が背後から襲ってきた。
こぶし大の気配が二つ――拳撃か? いいや――。
放った斬撃がアルミ缶を一つ弾き、もう一つがあろうことか木刀の切っ先に突き刺さった。液体の重みが木刀を重くする。重心がずれる。
――しまったっ!
まさか木刀にアルミ缶が突き刺さるなど予想外。とっさのハプニングに私は刀を振り払い、取り外そうとした。
が、一拍遅れてアルミ缶から液体が吹き出し、私の顔に降りかかる。アルコールの匂いとべとつく不快感が私の集中力を掻き乱した。
「……ぐっ」
そこへ側面からの体当たり。
私はたまらず吹き飛ばされ、近くにあったゲーム筐体に激突し床に倒れる。
「おぉぉぉぉぉおおおっ!」
近づく気配に叫び声をあげ、牽制する。目を開けると案の定何人かが耳を押さえ、顔を歪めていた。
その隙に腹筋の力だけで強引に起き上がり、先ほどのタックルでも手放さなかった木刀を放とうとし、ガリっ、と近くにあるゲーム筐体にぶつけた。
「こんな障害物の多い場所でチャンバラとか、考えなしだなっ!」
腹に重い一撃を受け、私はたまらずもんどりうって地面に倒れた。
「かはっ!」
――呼吸がうまくできないっ!
口をぱくぱくと動かす私に不良リーダーが煽る。
「あぁ? なんか言ったか? きこえねーよ! 言いたいことがあるならもっとはっきりと喋れよ!」
そのままうつぶせに組み敷かれ、私の上に数人の男達がのしかかる。
「案外あっけなかったな。自称サムライもこの程度か」
「…………っ!」
私は叫び声をあげようとするが、先ほどのダメージで声が出ない。
「きこえねーな。さっきまでの威勢はどうしたよ?」
ゲラゲラと不快な笑い声がそこかしこで響く。
――こんな奴にっ!! この私がっ!!
体をよじろうにも体重差はいかんともしがたく、びくともしない。
「……かはっ、かはっ!! はぁぁっ!」
何度か息を吐き、ようやく呼吸を整える。だが、もう大人数に組み敷かれ、体をよじるのも困難な状況だ。
呼吸が整うと共に頭が冷え、絶望的な状況を理解する。
孤立無援の上に身柄も拘束され、悪意ある男達に取り囲まれるという最悪の状況。
――しくじった!
「お、すごい顔してんな。目力だけで人殺せそうだな、おい」
不良リーダーを睨みつつも、私の心は相手のことなどてんで考えてなかった。
あるのはただ、自らへの怒り。
軽率な行動、お粗末な対応、どう見ても自業自得な結末。
――なんて愚かな私。
こんなことではとてもではないが祖父に顔向けできない。祖父にふさわしい孫では、後継者とは呼べない。
相手の罠だって分かってた。戦いになる覚悟もしていた。場合によっては敗れる覚悟もあったはず――なのに。
――自分で自分が嫌になる。
「おーい、聞いてるか、サムライ女」
話しかけられ、不良リーダーを睨むもまったく相手は動じない。
「あーダメだこいつ。まったく分かってないじゃんかよう、がっかりだぜ」
不良リーダーはヘラヘラと笑い、近くの椅子に腰掛ける。
「おい、こいつと仲良さそうな女子を捜してさらってこい。クラスメイトのリストはあるだろ」
「……っ!? なんでそんなことをっ!」
叫び声をあげる私に対し、不良リーダーがまた下衆な笑みを浮かべる。
「やっと俺を見たな。お前の対戦相手は、弱いテメー自身じゃなくて、俺らだっつーの忘れんなよ」
「無関係な人間を巻き込むなど――」
声を張り上げる私に向こうは耳を塞ぎつつ、楽しげに笑う。
「おーう、やっぱお前は他人が傷つく方が嫌いなタイプか。いいねー、これはますます生け贄を用意しないとよう。
お前の目の前で仲のいいヤツがヤラれんのを見てろよ」
「ふっざけるなぁぁぁぁぁぁっ!」
力を振り絞りもがくも拘束はびくともしない。体重差はいかんともしがたく、のしかかる男達を振り落とすことが出来ない。
「ハッハッハッ、いい声で鳴くなぁ! そう言う声大好きだぜぇぇ、俺っ!
楽しいなぁ。
悲鳴ってのは生き物が発する一番綺麗な声だぜ。
お前の声はうっせーけど、悲鳴なら大歓迎だ。幾らでも大声で鳴けよ、さぁ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!」
私は涙した。泣きながら、それでも声にならぬ声で叫び、必死にもがく。
そんな私をよそに不良の部下達が楽しげに入り口へ歩いていく。それを私は止めることもできず、ただ叫ぶしか出来ない。
絶望の中、それでも必死でもがき――。
ガタン、と大きく扉の開く音が室内に響き渡った。
「まったく、相変わらずうるさい声だ」
不意に聞こえてきた声にはっとする。
「あん? 誰だテメーは? ヤローはおよびじゃねぇぞ?」
ゼーハー、と荒い吐息が入り口の方から聞こえてくる。
「……でも、今回ばかりはでかい声で助かった。裏通りを駆けずり回った甲斐があったってもんだ」
「誰だっ、つってんだろ、テメーっ! 無視すんなっ!」
憤る不良リーダーに対して、声の主は――呼吸を整えつつも、おそらくはふてぶてしい笑みを浮かべながらこう言った。
「俺はそこのサムライの友人だ」
ゆっくりと、しかし確かな足取りで乱入者は部屋の中心――組み敷かれた私の近くへと歩いてくる。
「もしくは、昨日お前等を警察に通報した人間て言った方が分かりやすいか?」
「テメーかよ。俺等の遊びを邪魔したチクリ魔は」
乱入者――粟井友重が警察への通報者と知って不良リーダーが目を尖らせる。
「ふざけんなよ、テメー。俺等はガキの間で勝手に遊んでるのに、無関係な大人を巻き込みやがって。恥を知れ」
「悪いな。俺は空気を読むのが苦手でね。今回も邪魔させてもらう」
そう言って彼は不良リーダーと真っ向から対峙した。
身長は高いが痩せている彼は、普段であれば幽霊のように存在感が薄い。しかし――。
――どういうことなの?
ここに現れた彼は、普段の彼とはまるで別人だった。
長身痩躯という体格は変わっていないはずなのに、全身に活力が満ち、飢えた狼の如き攻撃性がにじみ出ている。
――いや、そんなことより……。
「何しに来たの! こんなところにわざわざ踏み込まずに前みたいに警察を呼べばいいじゃない!」
私みたいに単身で敵地に乗り込むような馬鹿はしない――少なくとも彼はそういう人間だったはずだ。
「そうなったら、今度はお前が傷つく。同じ失敗はしたくない」
粟井の言葉にはっとする。前回不良達に逃げられて彼もまた傷ついていたのだ。
「もちろん最終的に警察は呼ぶ。けど、それはこいつらからお前を助けてからだ」
「…………っ」
私は何も言い返せなかった。彼の友情に喜ぶべきか、無謀に怒るべきか、それを招いた自分の浅はかさを悲しむべきか。いろいろな感情がない交ぜになって私の言葉を重たくする。
――そんな、私は……っ! どうすればいい……っ!
「おいおいむかつくなぁ、お前。ヒーロー気取りか。
俺は生意気な女は大好きだが、生意気な男は大っ嫌いなんだよ」
不快感を露わにする不良リーダー。
「状況をよく見ろよ。テメーこの場所からまともに帰れると思ってんのか?」
不良リーダーの言うとおりだ。私を拘束するのに三人ほどいると言ってもリーダーも含めて七人も余っている。
加えて私の見る限り粟井に戦闘能力があるようには見えない。武術の心得などがあれば初めて会った時に気づいていたはずだ。
――いや、それどころじゃないはず。
そもそも彼は――。
「ならここは、男らしくタイマンといこう。
俺とあんたで勝負。もし、俺が勝ったらあんたは俺の友達を解放してもらう。
ちなみに、この解放とは建物の外へ逃がす、と言う意味だ」
「俺にその条件を飲む理由はないな。今ここで全員でボコったほうが早ぇよ。
俺が勝ったらお前は何をくれるって言うんだ?」
当然といえば当然の反応に粟井はにこりともせず応える。
「俺の命をやる」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
周りを取り囲んでいた不良達も怪訝な顔で粟井を見つめる。
「はぁ? お前今なんつった?」
「命を賭ける、と言ったんだ。敗北の代償は俺の死をもって償う」
生真面目に応える粟井に対し、不良達の反応はすこぶる悪かった。
「命を賭けるって……なんだお前、こいつにそこまで惚れてるのか?」
「別に。ただ単に、俺が差し出せるものが命くらいしかないからそう言っただけだ」
「…………」
不良達は押し黙った。
口にするには馬鹿馬鹿しい行為だが、それでも粟井が本気であることだけは伝わったらしい。けれども、だからこそ彼らは困惑する。いや、彼らだけでなく、私だって混乱していた。
――命を賭ける……どうして?
私は彼にそこまでされる覚えはない。
けれどもそれ以上に、私の故郷のロスならいざ知らず、現代日本でそんな命を賭けて戦うみたいなことは常識的に考えてありえない。
不良達だって私や粟井を犯したり痛めつけたりするつもりはあっても、命を奪うつもりまではないはずだ。
彼らがやろうとしていることは許されざることではあるが、結果的に殺人になることはあったとしても、少なくとも今の彼らは人を殺すつもりはない……ように見受けられる。そんな度胸もなければ覚悟もないはずだ。
でなければ、こうして命を賭ける、と言った粟井の提案にここまで及び腰になるはずがない。
「ひくぜー。お前マジひくぜよう。
俺らもワルだけど、命まで奪ったりしないぜ」
「存外に臆病だな」
「人殺しにはなりたくねーからな」
やはり不良達にとっても殺人はタブーだったらしい。
「別に、お前らが手を下す必要はない。勝負に負ければ俺は勝手に死ぬ」
「そんなのどうやって信じればっつーか、お前が死んでも俺になんのメリットもねーんだけど……ん?」
不良リーダーははたと何かに気付いてまじまじと粟井を見つめた。
「もしかして、お前……アワイトモシゲか?」
「いかにも」
頷く粟井に不良リーダーは笑った。
「おもしれえ。それなら、乗った。テメーの条件で勝負してやる」
不良リーダーの豹変に不良仲間達が顔を見合わせる。
「おい、ミッチャン! なんだってそんなこと――」
「まあまあ、テメーらは黙って見てろ」
――リーダーのあだ名はミッチャンなのか。
いや、そんなことはどうでもいい。それよりも何故彼が急に粟井との戦いを引き受けたのか。
いやそもそも、それ以前の問題として――。
「……戦えるの?」
粟井は医師に争い事を禁じられていたはずだ。
私の呟きに粟井はちらりとこちらを見た。
一点の曇りもない澄んだ瞳に私は押し黙る。私はこの瞳を知っている。
――戦士の目だ。
戦いを前にした本気の祖父と同じ目をしている。そんな目をされてしまったら、私は何も言えない。彼には覚悟があるのだから。
私の反応に満足したのか粟井は再び不良リーダーへ視線を戻した。
「勝負方法は任せる。好きな方法で俺が戦ってやる」
「ならジャンケンにしようぜ。恨みっこなしの一発勝負」
粟井の背が固まり、不良リーダーがにんまりと笑う。私からは見えないが、きっと彼の顔は強ばっているのだろう。
「……いいだろう」
それまでふてぶてしく自分の意見を押しつけてきた粟井が、絞り出すような声で応える。
その声がおかしかったのか不良リーダーが笑う。
「おう、どうした? さっきまでの勢いはよう? それともジャンケンじゃ命賭けられないか?」
「ただし、一つルールを変えたい」
不良リーダーの笑みを断ち切るように粟井が言う。
「へぇ?」
「一発勝負じゃなく、三回先勝した方が勝ち、てのはどうだ?」
粟井の提案に不良リーダーはにたにたと憎たらしい笑みを浮かべた。
「自分から振っといて注文をつけれる立場かよ」
「死に方くらい選ばせてくれてもいいだろ」
粟井の言葉に再び不良リーダーは笑った。
「いいぜーいいぜー。俺様すごく優しいからな。その条件飲んでやるよ。
ジャンケン勝負で、先に三回勝った方が勝ちな。
証人はここにいる全員だ。それでいいなお前ら?」
トントン拍子で決まっていく話に不良達は戸惑っていたが、それでも最終的には「ミッチャンがそう言うなら」と同意を示した。
「決まりだ。いいねー、さっきはあんなこと言ったけどよう、実はデスゲームとか憧れてたんだよねー」
そう言って彼は立ち上がり、粟井とにらみ合う。
「俺様の優しさに感謝しろよ、アワイ」
「ああ、あんたが優しすぎて泣きそうだよ」
そう言って粟井はにこりともせず軽口を叩く。
そのまま二人は、順番として最初はグー、と一度両者がグーを出した後にジャンケン・ポン、で出した手で勝負すること、先に三回勝利した方が勝ちであること、負けた方はかならず勝った方の約束を守ること等を確認しあった。
その間、私はただ押し黙っていた。
なにやらとても不味いことが進んでいる気がしてならない。
粟井友重にどのような勝算があるのかも分からないし、彼が背負うリスクも未だに分からない。争ったら死ぬとはどういうことなのか。医師に止められたという彼の体質はいかなるものなのか。
何度もやめるべきだと口にしようとして、しかしその度に彼の目を思い出し、私は口をつぐんだ。
たとえ間違っていたとしても、男の決意を無下に出来ない。私はそういう人間だ。
「じゃあ、ルールも決めたところでそろそろやり合おうか」
不良リーダーが手を何度もグー・パーしながら言ってくる。
「いいだろう。ここから先、何が起きたとしても互いに恨みっこなしだ。
死体の処理は好きにするがいい」
粟井の不穏な言葉に不良達は眉をひそめつつ、それでもリーダーに逆らえないのか固唾を飲んで見守る。
かくて、二人は半身をひき、戦いの構えをとった。それだけを見ればこれから格闘戦が始まりそうな勢いである。
「せぇぇぇのっ!」
不良リーダーが声を張り上げる。それと同時に二人は動いた。
「「最初はグーっ!」」
互いの出した拳が中空でお見合いし、すぐさま引っ込む。
「「ジャンっ!ケンっ!」」
二人の右手が裂帛の気合いと共に放たれる。
「「ポンッ!」」
不良リーダーの出した手はチョキ、粟井の出した手はパーだった。
「へっ、まずは一勝だな」
不良リーダーが勝ち誇った顔をする。
不良達も笑みを浮かべ、戦いの優勢を喜んだ。
和やかな空気が元ゲームセンターに流れた瞬間――。
「…………かはっ!」
一拍遅れて粟井友重は全身から血を吹き出し、どちゃり、と自分の作った血だまりに倒れた。
むせるような血の匂いが辺りに拡散し、誰もが顔を歪めた。
一体何が起きたというのか。
信じられない光景に全員が絶句し、動けなくなる。
時間が止まったような錯覚を起こすが、ただよう血の匂いが脳を揺さぶり、吐き気を催す。
実際、見ていた不良のうち、何人かは背を向け、嘔吐しているようだった。
私を取り押さえていた不良もあまりのことに拘束が緩んだ。その隙に拘束から脱出し、粟井の元へ駆け寄る。
「粟井っ!! 粟井っ!!」
私は声を張り上げ、必死で動かなくなった彼の体を叩く。
本当に、何が起こったのか。
無傷な人間が突如血しぶきを上げて倒れるなど、ありえることじゃない。
――何故こんなことに。
さっきまで彼は確かに元気に会話していたというのに。
これは一体誰の招いたことなのか。
決まっている――これはすべて私が……。
「……そんな、小学生みたいに騒がなくても聞こえている」
何度彼の名前を呼んだか。
どれくらいの時間が経ったのか、一分にも満たないかもしれないし、本当は三十分以上彼の名を呼んだ気もする。
なんにしても、彼はいつの間にか私の手をふりほどき、ふらつきながらも立ちあがった。
「…………は、ははは……はははははははははははっ!
おい、マジかよっ! こいつ、本当に負けたら死んだぜっ!」
不良リーダーがようやく思い出したように笑い出す。
「死んでない。ちょっと、体の三分の一くらい血が減っただけだ」
粟井はまるで拗ねた子供のようにぶっきらぼうに反論する。
「ちょっとっ! 人間は三分の一出血したら死んじゃうって知らないのっ?!」
「じゃあ、たぶんその三分の一の九分の一くらいしか減ってない。だから大丈夫だ」
動転した私のどうでもいいツッコミに粟井も訳の分からない言い訳をする。
――そんな、小学生だってもっとマシな言い訳をするでしょ。
「一体、これはどういうことなの?」
「……なんだ、アメリカン・ザムライ。こいつのこと何も知らなかったのか?」
けたけたと笑いながら不良リーダーが楽しそうに告げてくる。
「プラシーボ効果ってやつだよ」
何が楽しいのか嬉しそうに彼は解説する。
「ただのビタミン剤でも薬だと思って飲まされればそれを信じて病気がなおることだってある。
それと同じさ。
世の中、思い込みの激しいやつっているもんでな。
負けたら死ぬ――そう思い込んだ結果、ジャンケンだろうとなんだろうと、負けたら本当に死ぬ――こいつはそういう思い込みの激しい体質なんだよ」
不良リーダーの言葉に私は目を見開く。
「そんな……思い込みだけで死ぬなんて」
「女だって、想像だけで妊娠することもあるんだ。想像で死ぬことだってあるだろ。
ウケるぜー、ちょーウケる。
マジでこんな馬鹿な体質の奴がいるなんて、世の中広すぎて馬鹿ウケだぜ」
ケタケタと不良リーダーは笑うが、全然笑い事ではない。
でも、――少なくとも目の前で起きている現象のすべてが、あの不良リーダーの言う通りだと証明している。
彼は何故医師に争いごとを止められていたのか、何故ジャンケンですら忌避していたのか、そのすべての理由がこれだと言うのなら理解出来る。
「そんな馬鹿な事が――」
「……お前と同じだ」
それでも否定しようとした私の叫びを遮り粟井が笑う。
「常在戦場――常に戦場にいるのと同じだ。別に、大したことじゃない」
絶句した。確かに私は常在戦場を常としていると公言していた。
人間いつ何時襲われるか分からない。常に死と隣り合わせである。
故にいつも戦場にいるのと同じ心構えでいるべきだ――そう教えられてきた。
「でも……っ!」
――私はあなたほど死にやすくはない。
放とうとした言葉がのど元で止まる。
そんなことを言ったとして彼が納得する訳がない。
私は頭を振って、思考を切り替える。
「…………やめましょう、こんな馬鹿な戦い。私はこの通り自由になった。こんな場所から出て行きましょ」
私の言葉に不良リーダーが近くにある椅子を蹴っ飛ばした。
「おいおい、つまんねーこと言うなよう。サムライの癖に男と男の戦いに口を挟む気か?
やっと面白くなってきたところじゃねーかよう」
へらへらと笑う不良リーダーを私は真っ向からにらみ返す。
「分かってるの? このまま続けたら、下手したらあと一回負けるだけで彼は死ぬかも知れない!
あんた達さっきも言ってたじゃない! 人を殺すつもりはないって!」
「言っただろ。そいつが勝手に死ぬだけだ。俺達が殺す訳じゃない。
それとも力尽くで脱出するつもりか? いいぜ、だったらやってみな。
腕っ節の強いお前一人くらいなら脱出できるかもしれないが……後ろに居る半死人を連れて逃げられると思うなよ?」
不良リーダーの言葉に私は口をつぐむ。
確かにこの死にかけの粟井を連れてここから脱出するのは不可能に近い。よしんば私だけ脱出したとしても、助けを呼ぶ前に彼はリンチされて死んでしまうかも知れない。
「それに、本当に死ぬかわかんねーだろがよう?
人は本当に想像だけで死ねるのか、最後まで見たいとおもわねーのか?
知的好奇心のたりねー女だなぁ、おい?」
「こんな不公平な戦い、成立するはずがないっ! 彼は命がけなのに……だったらあんたも命賭けなさいよっ!」
売り言葉に買い言葉。私は思わず無茶苦茶なことを口走る。
「いいぜー、じゃあ、俺も命賭けるぜ。負けたら死んでやるよ」
へらへらと笑う不良リーダー。言葉になんの重みもない口約束。
けれども――。
「今、《命を賭ける》と言ったな?」
それまで黙っていた粟井が口を開く。
「おう、言ったぜ? そこの女がフェアじゃないってうるさいからな。はいはい、じゃー命賭けてやるよ。マジで賭けてやるよ」
「神に誓って?」
「いいぜー、神に誓ってやるよ。まあ、神様なんていないけどなよう! アッハッハッハッハッ!」
哄笑する不良リーダーに対し、粟井は重々しく頷いた。
「……そうか。その言葉、後悔するなよ」
そう言って粟井は私の肩を掴み、そのまま後ろに引き下がらせた。
「続けよう。もっとも、俺はもう二度と負けないがな」
「ちょっと! 粟井! そんな呪われた体でどうするつもりなの?」
私の言葉に、粟井は何がおかしかったのか、吹き出す。
「呪われた? とんでもない、俺にあるのはただ神の祝福のみだ」
彼は振り向き、ずい、と顔を寄せてくる。
互いの鼻先が当たりそうな距離で、彼は囁く。
「俺は昔、魔法使いと出会った」
「何を言って……?」
「その時に、魔法をかけられたんだ。だから、こうなってるだけだ」
「魔法? 一体その話になんの関係が?」
「誓いの魔術――<ゲッシュ>。俺は神に不敗を誓い、勝ち続ける限り神は俺を祝福する」
まったく意味が分からなかった。彼は何を言っているのか。
魔法なんて、そんなものあるはずがない。
あるいは、思い込みが激しい体質の彼がそう思い込むことによって、今のように負けたら死ぬ体質になっているのか。
「戦ったら死ぬと言ったが、あれは不正確だ。勝てば何も問題ないんだ。
だから、……俺を信じろ」
そう言って彼は私を突き放した。
私は――何も言えなかった。
顔面が紅潮し、心臓がバクバクと異常なほど高鳴っている。
顔を近づけられたから? それとも、彼のあまりにも真剣な顔に見とれてしまったから? それとも――。
私は胸の前で右拳を握りしめ、彼の背を見守った。
果たして私はどうかしてしまったのか。
「おいおい、こそこそと何を話してたんだ? 人前でイチャついてんじゃねーぞ、おう?」
さっきまでの調子の良さに不機嫌を混ぜつつ不良リーダーが茶化す。
「悪いが、俺達はそういう関係じゃない」
そして、半身をひき、構える。
「それよりも、続きを始めよう」
満身創痍のはずなのに、しっかりとした口調で粟井が語る。
「もっとも、もう俺が負けることはないが」
「……なんだと?」
堂々たる発言に不良リーダーが訝しむ。
「ハンデだ。俺は次の手番にパーを出す」
粟井の発言に私は驚愕する。
「なっ! ……いきなり自分の手をばらすなんて! なにを考えてるのっ!?」
彼を信じる――そう決めたはずなのに、さすがにこれには異を唱える。
ジャンケンで自分の手をバラすなど自殺行為でしかない。私が悲鳴に似た声をあげるが彼は振り向きもせず、ただ自らの対戦相手を見据える。
これでは敗北は確定したも同然――そう思う私とは違い、不良リーダーは真顔になって粟井をにらみ返した。
「場外戦術ってやつか。俺を揺さぶるつもりか?」
「信じる信じないはお前の勝手だ」
ここにきて私はようやく粟井が心理戦を仕掛けたことに気付いた。
粟井はパーを出すと言った。しかし、それが本当という保証はない。
不良リーダーは勝つためにチョキを出すも、粟井が嘘をついてグーを出されれば負ける。
では、粟井が嘘をついてグーを出すつもりならばパーを出せば不良リーダーは勝てるし、嘘をついてなかったとしても、両方パーで引き分けになる。
けれども、更にパーでくることを粟井が読み切ってチョキを出してくるかもしれない。それならば不良リーダーはグーを出すべきだ。しかしそれは相手が嘘をついていのならばパーを出されて不良リーダーの負けとなる。
真っ向勝負を信じるのならばチョキ、安全策をとるならパー、相手の裏の裏をかくのならばグーを出すべきだ。
何も言わなければ、純粋な運の勝負となっていただろう。
けれども、粟井が出す手を宣言したせいで、この戦いは相手の心を読み合う心理戦となったのだ。
相手を信じるのか、裏をかくのか、安全策をとるのか――はたまた何も考えずに適当に手を出すのか。
不良リーダーは心理戦に乗らないと言う手もある。
だが、粟井は文字通り命を賭けて戦っているのだ。絶対に裏があると考えざるを得ない。
粟井友重の覚悟が不良リーダーの心を惑わす。
「……早く構えろよ。俺としてはこの戦いを早く終わらせたいんだ」
黙って考え込んでいた不良リーダーを粟井は急かす。
「くっそ……いいぜ、やってやろうじゃねーか。どうせ負けたって俺が死ぬことはねぇっ!」
不良リーダーも覚悟を決め、半身をひき、粟井と対峙する。
「最初はグーっ!」
初手、互いの拳が中空で向き合う。
そして同時に腕をひき、更に両者が構える。
「ジャンッ!」
「――ケンッ!」
互いに覚悟を決め、粟井は命と魂の全てを賭け、叫ぶ。
「ポンッ!」
出された手を見て私は息を飲んだ。
「てめぇ……」
「信じてたぞ……お前がその手を出すと」
果たして出された手は粟井はパー、不良リーダーはグーだった。
「……くっ!」
不良リーダーは粟井を信じなかった。裏があると信じて、裏の裏をかく手であるグーを放った。
けれども、粟井は嘘をつかず、宣言通りの手を放った。
――なんという胆力。
作戦通りだとしても、自分の宣言通りの手を出すのはかなり勝率の低い賭けだった。普通ならば、チョキを出されて粟井は負けていたはずである。
「だから、パーを出すと言っただろう?」
けれども、粟井はためらわず、宣言通りパーを出した。
「卑怯者め」
「何が卑怯か、俺は正直に宣言通りのことをしただけだ」
「減らず口を!」
してやられた、と言うことが気にくわないのか不良リーダーが声を荒げて一歩踏み出す。
が、そこでずるりと体勢が崩れて不良リーダーが床に倒れた。
「……ミッチャン!」「ミッチャン!」「ミチ公っ!」「ミッチー!」
それまで黙ってリーダーの行動を見守っていた不良達が慌てふためく。
数人が彼の元に駆け寄り、体を起こす。
不良リーダーの顔は驚愕に張り付いていた。
「……なんだ……右足の感覚がねぇ……どういうことだ」
見たところ、彼の体は特に異常は見られない。
傷もなければ出血も見あたらない。さきほどのジャンケンが終わるまで誰も体を触っていなかった。
だというのに――不良リーダーは立ち上がれなくなっていた。
「ミッチー、おい、しっかりしろよ」「何が起きた?」「傷とか全然ねーぞおい」
口々に騒ぐ仲間達をうるせえぞ、と払いのけ、不良リーダーは粟井を睨んだ。
「てめぇ……何をしやがった?」
彼はこれを粟井の仕業と信じて疑わないらしい。
「別に、俺は何もしていない」
当然彼は首を横に振る。が、続けてこんな言葉を言う。
「あえて言えば――これは共感力の問題だな」
「なんだと?」
「共感<シンパシー>――よくあるだろ? 他人の痛みがなんとなく自分のもののように感じる感覚」
「訳の分からないこと言ってんじゃねーぞっ!」
淡々と語る粟井に不良リーダーは声を荒げる。
「たとえばの話、この女が男の股間を蹴り潰したことがある……と言ったらどう思う?」
「なっ……!」
粟井の出したたとえ話に私は唖然とする。
周囲の不良達は思わず股間を押さえ、青ざめた顔をする。
「今、蹴られた訳でもないのに痛みを感じただろ? 人間の想像力ってのは怖いも――」
「ちょっとちょっと!!」
不良達に自信満々で解説する粟井の肩を思わず叩いて中断する私。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえる。たとえ話に使って悪かっ――」
「いや、そうじゃなくて……なんで私が男の股間潰したことがあることを知ってるの?」
目をぱちくりして質問する私に対し、粟井は真顔で黙り込んだ。
少し考えた後、聞き返してくる。
「え?」
「だから、確かに私はロスで不良の股間を潰したことが――」
「ちょっと待ってくれ」
出血のせいか心なしか青ざめた粟井が片手で私の発言を制止する。
あれは嫌な経験だった。複数のヤンキーに襲われた時、私は仕方なく戦い、リーダー格の股間を蹴った時に足先でブドウ状の何かが弾け飛ぶ感覚が思い出せる。
そんな私に対し、粟井は一言。
「……とりあえず、勝負が終わるまで俺に近づくのはやめてくれ。集中力が削がれる」
結構切実な声で粟井は私を下がらせた。
――失礼ね。
私がちらりと不良達を見るとひぃっ、と青ざめるのがはっきりと分かった。
「ミッチャンやめようぜ」「この男以上にやっぱりあの女やべえよ」「ミッチー、諦めようぜ」
先ほどまでとは打って変わって厭戦ムードの漂う不良達。
だが――。
「うるせぇ……そんなの信じられるかよ。気のせいで足の感覚がなくなってたまるかっ!」
「……気のせいと思うならそうしていろ。だが、お前の足が動かない事実に変わりはない」
気を取り直した不良リーダーに対して、肩をすくめる粟井。
「知るか。俺は、他人を屈服させるのは大好きだが、他人に屈服させられるのは大っ嫌いなんだよっ!
絶対にジャンケンでお前を負かして死なすっ!
なにがなんでもだっ! お前等も絶対こいつらを逃がすなっ! 後そこの女は少しでも変な動きを見せたら構わず殴れっ!」
心なしか不良達の私に対する警戒度はぐっと上がってしまったようだ。
青ざめながらもギラギラと警戒心に満ちた目で粟井と、それ以上に私を睨む不良達。
今なら不良達の警戒網を抜け出せるのではと思ったが、逆に窮鼠猫を噛むのごとく不良達の恐ろしい反撃を受けそうだ。そうなってしまえば、私はともかく大量出血している粟井は今度こそ死んでしまうに違いない。
私は考えた末、やはり粟井に任せることにした。
かくて、命を賭けたジャンケンは続行させれる。
「なら、次に俺はグーを出す」
粟井は拳を掲げ、宣言する。
「……俺に同じ手が二度も通用すると思ったら大間違いだぞ」
「通じるかどうかはお前次第だ」
粟井の言葉に不良リーダーは笑う。
「上等だ。今度こそ血を吐いて倒れやがれ」
不良リーダーは仲間に肩車された状態のまま、右手を背に構えた。
対する粟井も半身をひいて構える。
互いに息を吸い、睨み合った。
空気が張りつめ、場のボルテージがあがっていく。
「最初は……」
「「グーっ!」」
粟井が拳を前に出し、不良リーダーも仲間に体を支えられながら拳を出す。
互いの手がグーを出した後、即座に手が引っ込められ、粟井の体がぐっと沈んだ。それはまるで引き絞られた弓のよう。
「ジャンッ!」
ひいた拳に力を込め、不良リーダーが吼える。
「ケンッ!」
それに応えるように粟井も猛る。
互いに譲れない何かを賭けて、両者の手が放たれる。
「「ポンっ!」」
出された手に不良達がざわめく。
「てめぇ……っ!」
不良リーダーの出した手はパーであり、粟井の出した手はチョキであった。
すなわち、粟井の勝利である。
「嘘をこきやがったなっ!」
声を荒げる不良リーダーに対して粟井はすまし顔で首を横に振る。
「嘘は言ってない。次にグーを出すと言ったが、手番で出すとは言ってない。ちゃんと、最初はグー、でグーを出していただろう?」
「…………屁理屈をっ!!!」
不良リーダーの非難に私は思わず心の中で同意した。
勿論、粟井が嘘をつくことだって考えられたが、場外戦術で言葉遊びを弄して正面から戦っていないのは粟井の方だ。
それこそ、不良リーダーの方がまだ正々堂々戦っていると言える。
見ているうちに不良リーダーは支えられた体がずるりと地面へと崩れ落ちた。
「ミッチー!」
「……くっそ、左腕も力が入らねぇ」
不良リーダーは左足に続き、左腕も感覚がなくなったようだ。いや、見る限り左目も閉じている。体の左側は完全に半身不随になったのかもしれない。
「畜生っ! 卑怯だぞてめーっ!」「ミッチーをこんなにしやがって!」「しっかりしろミッチーっ!」「やべぇよ、引っ張ってるのにミッチーの腕の反応が全然ねーよ。人形を触ってるみてーだ」
いつの間にやら半身不随になってしまったリーダーを前に慌てふためく不良達。
敵ながら思わず同情しそうになってしまうが――。
「……くっ」
粟井もまた膝をついた。
「粟井っ!!」
顔は青ざめ、幾つもの汗が彼の顔を伝う。
当然だ。大量の血が彼の中から失われているのだ。二戦目以降ペナルティを受けていないとはいえ、放っておけばいつ死んでもおかしくはない。
半身不随の不良リーダーも危険だが、それ以上に粟井の方が死に近いと言えるだろう。
文字通り、二人とも命を削って戦っている。
――卑怯で何が悪いのか。
負けたら死ぬのだ。文字通り、粟井は生き残る為に必死に知恵を巡らせ、策を弄しているのだ。
それを卑怯などと罵ることは――少なくとも私には出来ない。
彼は最後の最後まで生きようと足掻いている。しかもそれは――。
――私を救うために。
そう思うと心が震えた。
本当に、どうして彼が私の為に命を賭けてくれるのか。彼とは数日前に出会ったばかりだ。
いや、正確には一ヶ月ほど美術の授業で一緒だったらしいがまったく接点がなく、同じ教室にいることすら知らなかった。
「……どうしてここまで?」
我知らず疑問を口にする。
「キミは俺のために泣いてくれた」
不規則な呼吸を必死で整えながら、それでもなお彼は笑った。
「戦えない俺をかわいそうだと泣いた。
笑っちまったよ。そんな馬鹿馬鹿しい理由で泣く奴がいたなんてな」
語りながら、再び粟井は立ち上がる。
もう立つことすら辛いはずなのに、意地を張って立ち上がる。
「でも、その涙に嘘はなかった。だから、感謝してる。
待っててくれ。
後少しだ」
――格好つけちゃって。
他方、不良リーダーも再び身体を起こした。
正確には三人の仲間に支えられながら――だが。
「今ここでやめれば身体は元に戻るかも知れない」
ぽつりと粟井が呟く。
「……続ければどうなるってんだよう?」
目を尖らせ、不良リーダーが問う。
「三境昇也<ミサカイショウヤ>を知っているか?」
粟井が質問で返し、不良リーダーが仲間達へ目をやった。すると一人が怯えた顔で口を開く。
「以前隣町をシメてた暴走族のヘッドっすよ。確かこないだ事故って植物人間になってるとか」
不良の言葉に粟井は目を瞑った。
「そうか。奴はまだ生きていたか」
感慨深げに語る粟井に対し、暴走族の名を呟いた不良が青ざめた顔で語る。
「ミサカイさんが植物人間になった理由はとある背の高い男と勝負したからって言う噂が――」
そこで不良は押し黙った。それ以上言葉を発することを恐れるように。
「お前も言うほど俺に《共感》してないようだからな。命までは失わずに済むかもな」
どこか他人事のように粟井は呟く。
「ふざけんなよっ! そんなことあるかよっ!
なんだよ! ゲームに負けただけで死んだり植物人間になるとかっ!
そんなことある訳ねーよ!
いい加減にしろよっ!
何かトリックがあんだろっ! あぁっ!
ざっけんな、くっそ!
動けっ! 動けよ俺の身体っ! こんな訳分からんことで半身不随になってたまるかっ! 俺は認めねぇぞ!」
叫ぶ不良リーダーだったが、それでも彼の身体が動かない。
「引き返すなら今だ。降参しろ」
粟井は警告する。
確かに大勢は決したように見える。粟井は現在二勝一敗。巧みな話術で勝ち進めている。
勿論、まだ不良リーダーに勝ちの目はあるが、戦いには《流れ》があり、彼が勝つのは非常に困難に見える。
「てめぇ、さっきから黙ってたら勝手なこと好き放題いいやがって!」
不良の一人が激昂する。
「ミッチーを治せよ! 今すぐ治せ! てめぇなら出来るんだろ!」
「そうだそうだ!」「治せ!」「この卑怯者っ!」
罵る不良達だが、粟井は動じない。
「命を賭けると神に誓っただろう?
俺に分かるのは、それが原因と言うだけで――何故そうなったのか、原理も仕組みもまったく知らない」
彼は不良リーダーのことをまっすぐに見据え告げる。
「ただ分かることは次の戦いですべてが決まる、と言うことだけだ」
「んだと、だったらその前にテメェを俺の手で殺してやろうかっ!」
「そしたら――お前らのミッチーは一生半身不随のままかもな」
冷静な粟井の言葉に不良達は黙らされる。
やはり勝敗は決したも同然。これ以上の戦いは無意味――そのはずだ。
意地張って戦うよりは、ここで退くべき――そうに決まっている。だというのに――。
「おい、何勝手に盛り上がってんだよお前ら」
不良リーダーが声をあげる。
「次で決まる? そんなの決まってる訳がねぇ」
先ほどまでの必死さはどこへやら。いつの間にか不良リーダーは立ち直っていた。
「簡単なことじゃねーか。負けなければいい。次に勝って、もう一度そこのデクノボーに血を吐かせればそれでいいじゃねーか」
彼は出会った時のように自信満々に語る。
「でも、ミッチー。二回勝たないと……」
「二回も勝つ必要はあるか? あいつを見てみろよ。すまし顔に見えるけど、かなりフラフラだぞ?
あと一回血を吐いて耐えれるか怪しいところだ」
不良リーダーの指摘に粟井は反論しない。黙ってにらみ返す。
「俺はな。弱い者イジメが好きなんだ。自分が強いと勘違いしてる奴の鼻をあかして屈服させてやりたいと常日頃から思ってる」
不良リーダーの独白に私と粟井はどうすればいいのか反応に困る。
「なんでかって? それは……俺が強いからだ」
半身不随になったはずなのに、彼は活き活きと語る。
「俺は生まれた時から何だって出来た。
初めてのことでもちょっと練習すれば簡単にできるようになった。
初心者なのに経験者を簡単に負かしてやってきた」
確かに、世の中にはそういう才気に恵まれた人間は存在する。
しかし、だからそれがどうしたというのか。
「言っちまえばな。俺以外の人間はみんな弱いモンなんだよ。
それを証明するために生きてるようなもんだ。
次で俺に勝つだと?
ふざけんな。俺は強い。俺は負けない。
これは《強い俺》による、弱い者イジメだ。負ける訳がねぇんだよ」
なんという暴論。論理性の欠片もない。
しかし、覚悟を決めた不良リーダーの顔は活力に溢れ――少なくとも、戦いを前に怯える弱者のものではない。
「この土壇場で化けたか」
さすがの粟井も厳しい顔をして、相手を認めた。
「俺は次の手番――チョキを出さない」
「じゃあ、俺はパーを出すぜ?」
即座に切り返す不良リーダーの言葉に粟井は息を飲んだ。
粟井の心理戦にむしろ不良リーダーが攻めてきた。
今までは粟井の提示した情報に不良リーダーが振り回され右往左往してたのが、逆に粟井の判断を絞ってきた。
「貴様……」
「いくぜ……最初はグーっ!」
何かを言い放とうとする粟井に対し、不良リーダーが戦いを急かし、強制的に戦いへと引きずり込んでくる。
粟井も仕方なく、グーを出し戦いの土俵に登る。
「ジャンッ!」
「ケンッ!」
半分寝たきりの不良リーダーが気勢を上げ、粟井も負けじと声を張り、体を沈める。
「「ポンッ!」」
出された手は両者共にグーだった。
「…………っ!」
あいこ……引き分けである。
両者一歩も譲らずという場面……のはずなのに二者の表情は明暗が分かれていた。
余裕綽々の不良リーダーに対し、粟井の顔は厳しい表情だ。
考える前に戦いが始まったせいで、私の中で今の戦いでどのような心理戦が行われたのか理解が追いつかない。
粟井はチョキをださないと言ったのだから、グーとパーを出すしかない。その選択肢に対し、不良リーダーはパーを出すと言ったけど、実際にはグーを出して――だからつまり?
「浮かない顔だな、デクノボー? ああん? さっきまでの余裕はどうしたよ?」
結局の所――ジャンケンなんて運次第。そのはずだ。
しかし、粟井はあえて出す手を宣言することによって相手に思考させ、手を誘導していた。