【小説】がれがれん 第二章

 さらに第二章まで。今は第三章書いてる途中なので、またしばらく公開が止まります。
 よければどうぞ。


がれがれん

第二章 家を片付けましょう

「とりあえず、一つ問題があることが発覚した」
 呆然と自宅のキッチンを眺めつつ、俺は言う。
「……一つ? 一つだけ? 正直問題だらけだと思うんだけど」
 同じく呆然とキッチンを見つめる真緒が問うてくる。
「ああ、まずは一つ、だ」
 俺はため息をつきながら、答える。
「うちの両親もいない」
 キッチンは荒れ果てていた。冷蔵庫が倒れ、食器棚の中断に激突し、中の食器類を粉々に砕いている。あちらこちらに花瓶や皿の破片が散らばり、椅子と机もバラバラの位置にある。正直、強盗に遭ったとしてもここまで酷いことにはなるまい。
 では、何があったのか。言うまでもない、大地震に遭遇したのだ。
「――何一つ片付けられてないこの状況からすると、うちの親は被災してない可能性が高い。さっき、寝室も見てきたが、貴重品を持ち出したような形跡もない」
 俺の言葉に真緒は不思議そうにこちらを見上げてくる。
「え? じゃあなんでフーガは帰ってきたの?」
「俺はとある私立高校の下宿生でな。そこは山奥にあって人里とは隔絶された世界だ。外の情報はほとんどシャットダウンされてて、こっちで地震があったことを知らなかったんだ」
 まあ、シャットダウンは言い過ぎだけど。テレビもネットもあるから調べようと思えば調べられた。が、それをしなかったのはひとえに俺のライフスタイルのせいだ。
 山奥という隔絶された世界で、人間の傾向は主に二タイプに分かれる。一つは外の世界の動きに敏感なタイプと、世捨て人のように外の世界にほとんど興味を示さなくなるタイプ。そして俺は後者だったという話だ。
「なによそれ。仙人の養成学校にでも行ってるの?」
「……まぁ、近いところはある」
 俺の言葉に真緒はえっ? と目を丸くする。
「山奥ですることなんて勉強と精神静養だけだからな」
「どんな学校よ。今度連れて行きなさいよ」
「残念ながら、女人禁制だ」
 俺の言葉に真緒は首を傾げる。
「ニョニンキンセイって何?」
「自分で調べろ。辞書でも、ネットでもいいから」
 それはともかくとして、この状況だ。
 とりあえず荷物を下ろす為に俺は自宅に入った。そこで見たのは震災の爪痕がそのままに残っている荒れ果てた部屋の数々だった。
「いつも通り、海外出張にでも行ってんだろな。親父の仕事の関係上、長期で家を空けることは珍しくない。お袋もそれについていってんだろ。今度の震災で帰国を見合わせてるのか、それとも別の事情で帰れないか、まあそんなところだな。電話は繋がらないので確認こそ取れないが、うちの親に関しては心配しなくて良いだろう」
 と、俺は自分の推測を述べる。まあ事前に大丈夫、と言う電話も貰ってるしな。
「へぇ。お父さんどんな仕事してるの?」
 彼女の言葉に俺は肩をすくめる。めんどくさいことを聞かれた。
「知らん」
「は?」
「知らねぇよ。会社の名前も知らなければ、仕事内容も知らん。サラリーマンだと言うことだけは知ってるけどな」
 俺の言葉に真緒は眉をひそめる。
「なによそれ。あんた父親と仲悪いの?」
「別に。二人で会話してるところを見られたらむしろ、世間一般の親子よりは仲が良いって言われるな」
 ただ、俺がそう言うことに頓着しないだけだ。俺がこういうことを言うと毎回不思議がられるのだが、俺からすると父親の職業なんてどうでもいいと思うのだが――まあ、それは俺だけか。
「じゃあ、お前の父親はどんな仕事をしてるんだ?」
 俺の問いに、さも自分は違うんだと言わんばかりにえへん、と彼女は胸を張る。
「貿易商よ。海外から色んな衣装を輸入してるの」
「へぇ」
「二人とも親は海外で働くのね。案外、フーガのお父さんとお父様は知り合いかも?」
 何故か嬉しそうな真緒。いや、関係ないだろ。
「商売敵かもしれんぞ」
「まあ、親は関係ないわ」
 なら最初から言うなよ。
「……そうだな」
 ため息と共に会話が途切れる。
 現実逃避の時間終了、と言うことだ。
「なんにしても、うちの親はいない。だから、これは俺たちが片付けないといけない」
 相変わらず二人の前には散らかったキッチンがある。これを片付けるのは骨だろう。
 いや、ここだけじゃない。他の部屋でも本棚やタンスが倒れて大変なことになっている。これを男子高校生一人と女子中学生一人で片付けるのは骨だろう。
「よし、まず寝床と居間を確保しよう。キッチンは後回しだ」
 部屋二つくらいならなんとかなるだろ。
「え、私のお母さん捜しは?」
 真緒のすっとぼけた言葉に俺はため息をつく。
「これから被災地回ってお前の母さん探すんだろ? へとへとに疲れて家に帰ってきて、そこからさらに夜、暗い中でこの家を片付けるのか? こんな部屋でも安眠できるほど図太いなら文句は言わんけどな」
「うー、確かにそうかも。私片付けとかしたことないから」
 さらっととんでもない言葉出てきたな。いつもはメイドとかが片付けてるのか、このお嬢様は。
「なんにしても、今日は片付けをする。お前のお母さん捜しは明日からだ」
「うん、頑張って!」
「てめーも手伝うんだよ!」



 とりあえず、居間の片付けは意外となんとかなった。もともとモノがあまりなかったので、家具類を全部、一端廊下に出してから掃除機で清掃して、ソファーとテーブルを配置、電話を再配線、他の小物は全部まとめて別の散らかってる部屋に移動させた。応急処置だがこれでよしとしよう。
「しかし、意外と電気が通ってるだな。停電してるかと思った」
 電話が繋がることを確認して、俺は一息つく。
「まあ、震災から一ヶ月も経ってるしね」
 と、廊下で掃除機をなにやら楽しそうに前後させる真緒。こいつ結局掃除機しかやってない。
 ――ほとんど俺が掃除したみたいなもんじゃねぇか。
「でも、掃除機って凄いね! すいすいってゴミ吸い取ってるよ!」
「その台詞何度目だよ」
 目をきらきらとさせる真緒。生まれて初めて使う掃除機に感動してるらしい。さっきからこの調子だ。最初は可愛いなと思ってたが、十分おきに掃除機凄いよ! と報告されるといい加減飽きてくる。
「あ、そのテレビ設置しないの?」
 と、俺がテレビを他の部屋に運ぶのを見て真緒が言う。
「液晶割れてるしな。たぶん壊れてるだろ」
「でも、テレビないと不便だし、つけてみようよ」
「テレビなんてなくても生きていけるだろ」
 少なくとも、寮にいた時、俺は全くテレビなんて見てなかった。
「そんなんだから、大地震のこと知らなかったんでしょ? 山奥ならともかく、街で生活するならテレビがないと!」
「やれやれ、うるさいヤツだ」
 そう言えばうちの母も暇な時はずっとテレビ見て時間潰してたな。女とはテレビが好きなのかもしれない。いや、育ちの問題か。まあいいか。
 俺はソファーの正面にテレビ台を運び、その上にテレビを置く。三十インチ型だから俺一人でも運べる。
「お、ついた」
 配線をしてみると、意外にもテレビはついた。画面の左上に斜めの亀裂が入ってるのが気になるが、見れないほどじゃない。
「じゃ、休憩にしましょ」
 いつの間にか廊下にいた真緒が居間に来てどかっ、とソファーに座ってた。
 ――現金なヤツだ。
 テレビ画面ではニュースキャスターが地震関連の情報を告げていた。復興基金の話や避難所の人たちの新しい受け入れ先が決まらないことや、避難所に他県からやってきた大量のホームレスが居座って救援物資を貪っていることが問題化していること、震災当初に作られたプレハブのトイレが汚くなって文句を言ってる住民の意見など。
「……あ、トイレも掃除しないとな」
 さっき見たら水がびしょびしょにこぼれたり、ホコリが大量にたまってたりした。
「私は嫌よ。トイレ掃除なんて」
「トイレ掃除くらい学校でやらなかったのか?」
「うちの学校では清掃員がみんなやってくれてたわ」
 ――うわ、殴りてぇ。トイレ掃除もせずに何が押しかけ女房だよ。
 よほどいいお嬢様学校に通っていたのか。それとも、俺が行ってた山奥の学園が古くさいだけだろうか。ジェネレーションギャップを感じる。
「なら、いい機会だ。教えてやるから、トイレも掃除しろ」
「えー。そんな汚いの嫌よ」
 ソファーで不満の声を挙げるお嬢様。
「当たり前だ。汚いものを綺麗にする。それが、掃除ってもんだ。汚くないなら掃除なんてしない。人間、生きてる限り色んなモノを汚すってことを覚えとけ」
「フーガってほんと説教くさいのね! そんなんじゃモテないわよ!」
「嫌ならとっとと家に帰りな。俺はお前が居なくても困らない」
 俺の言葉に真緒はソファーから立ち上がり、こちらを見つめてくる。
「フーガは家庭的な女の子が好き?」
 ――なんだその訊き方?
「俺が好きかどうかじゃなくて、人間としてどうか、という話をしている」
「私は、人間としての話じゃなくて、フーガの好みを聞いてるのよ」
 どうやら、彼女にとっては大事なことらしい。
「……そら、家庭的な女の子を嫌いだという男はなかなかいないと思うぞ」
「そう。じゃあやるわ」
 彼女は大きく頷き、微笑んだ。
「そいつはありがたい話だ」
 なんというか、むずがゆい感覚だ。俺が好きと言えばなんでもしてくれるのだろうか。基準がよく分からない。
 ――人の好意につけ込むみたいでなんとなく嫌なんだけどな、こういうやり方。
 と、そこでテレビ画面でニュースキャスターの声が途切れた。
「ん?」「あれ?」
 気になって画面を見る俺と真緒。そこでは放送局が揺れていて、ニュースキャスターが机にしがみついていた。結構大きい。
「あ、向こうで地震が――」
 瞬間、足下から脳天へと凄まじい震動が突き抜けた。
 自分の体が、いや、世界が揺れていた。
 家全体が揺さぶられ、足下の定まらない、浮遊するような感覚。
 ――恐怖した。自らの立つ場所が定まらず、視界に入る全てが揺らいでいく感覚。
 家そのものの軋む音や、ガラスの割れる音、家具のぶつかり合う音、様々な音が耳を支配する。地震とはこんなにもうるさい物だったのか。
「フーガ!」
「こっちに来るな! しゃがめ!」
 パニックを起こした真緒がテーブルの向こうから俺の方へと来ようとするが、制止し、しゃがむように指示を出す。真緒は素直にしゃがんだが、肝心の俺は情けないことに足がすくんで動けず、立ち尽くしたまま、揺れに任せた。
 永遠にも等しい数十秒が過ぎた。
「…………収まったか」
「そうみたい」
 俺はため息をついて、あたりを見回す。掃除して棚とかを排除していたのが幸いした。居間で倒れたのはテレビだけらしい。他の部屋は――今は考えないことにしよう。
 テレビで起きてることが現実のことなんだとなんだか見せつけられた気がした。この大災害は空想の出来事でもないし、かといってテレビ画面の向こう側は安全と言う訳でもない。そして、余震があるとおり、地震はまだ終わってないのだ。
 と、そこで俺は突然横合いから飛びつかれて尻餅をつく。
「……おいおい、どうしたいきなり――」
 俺が軽口を叩こうとするが、そこで気付く。俺に抱きついたまま、真緒は震えていた。「…………」
 彼女は何も言わない。ただ、俺に抱きつき、下を向く。
 ――小さいな。
 小柄な彼女の体だが、抱きつかれてより一層それを感じた。とても軽い。触れている体はあまりにもか細く今にも壊れそうだ。
 ――妹がいたらこんな感覚だろうか。
 知り合いの妹持ちの奴らが妹に何かあれば命を賭けて守る、なんてことを言っていたが、その気持ちが少し分かった気がする。こんな小さな少女が身内にいるのならば、守ってやりたいと思うのが自然だろう。
 ――もっとも、別に俺はこいつの兄貴ではないんだけどな。
 俺は苦笑しつつも、真緒を引きはがすこともできず、黙って彼女に抱きつかれるままにした。俺も大概甘い。
 倒れたテレビから今の余震がこの地区では震度四であることを口頭で告げているのが聞こえた。
 ――そうか、これで震度四か。
 昔地震に遭遇したことのある友人が、震度四くらいなら大したことないよ、みたいなことを言っていたがとんでもない。初めて経験するが恐ろしい揺れだった。
 ――と言うことは、この街を襲った地震てのはとんでもない揺れだったんだな。
 駅から歩いていた時に見た街の風景が思い浮かぶ。あれほどまでに街を破壊した大地震とはどんなものだったのだろうか。全く想像がつかない。本当に、よくうちの家が無事だったものだ。まあ、今回の地震に関しては、マンションより一軒家の方がよく残ってたので我が家も一軒家であることが幸いしたのかも知れない。きっとこの辺りの家を造ったのは腕のよい大工さんだったのだろう。
 そんなことを考えているうちに、真緒の体から震えがなくなっていることに気付いた。
「……大丈夫か?」
 頭に手を置き、撫でてやる。
「うん、ありがと」
 先ほどまでとは比べものにならないくらい、弱々しい真緒の声。
「やれやれ。本当は揺れが収まったら、一旦外に出るのが正しい対処法、て聞いてたんだけどな」
「外で抱きつかれて欲しかったの?」
「危うく外堀を埋められる所だったのか。油断も隙もないな」
 彼女の肩を叩き、俺は立ち上がる。
「いいじゃない。雅亮院風雅って名前凄く似合うと思わない?」
「婿養子前提かよ! 悪いが商売人になる予定はねぇよ」
 俺の言葉に真緒は口を尖らせる。
「えー。私のどこが不満なのよ」
「今日会ったばかりの人間にそこまで惚れ込むお前の方が分からねぇよ」
「ビビッ、と来たもの」
 ――うわぁ、適当だな。
 俺は肩をすくめて倒れたテレビを見る。テレビ台から仰向けに落ちたテレビは亀裂が拡大し、画面の右上が真っ白で何も映らなくなっていた。とはいえ、白い大三角形ができたものの、画面の六割は正常にニュースの映像を映していた。
「……なかなか頑丈だな、こいつ」
 とはいえ、いつまた余震が起こるか分からない。俺はテレビをもう一度テレビ台の上に置くと、ガムテープをべたべたに貼り、平台の上に固定した。
「そのまま使うの? なんとか修理出来ないの? 男の子なんだから機械に強いでしょ?」
「どういう理屈だよ。割れた液晶を素人が修理出来る訳ないだろ」
「画面見にくいじゃない」
「嫌ならテレビを見るな」
 映ってるだけありがたいと思うべきだ。
「まあいい、それじゃ、トイレを掃除するぞ」
「えー! あんな余震があった後なのに!」
「関係ない。自分でやるって言ったんだ。やれ」
 こうして、俺たちは家の掃除を再開した。



「さてと、居間とトイレはなんとかなったが、こいつが問題だな」
 俺は二階に上がって自室を見ていた。
「……ていうか、何この本の量。おかしくない?」
 俺の側に立つ真緒が呆然と呟く。トイレ掃除が相当疲れたのか、ややふらついている。本当に掃除をしたことがないらしい。まあ、彼女からしたら俺の体力が異常、と言ってたので山暮らしで鍛えられた俺の感覚はあまりいい基準にはならないようだが。
 なんにしても、彼女の言いたいことは分からないでもない。
 なぜなら俺の部屋は本の山で埋め尽くされていたからだ。俺の部屋は実にシンプルでベッドと本棚と机しかない。だが、本棚が問題で、六畳の部屋に大きな本棚が六架もあり、その全てが地震でぶちまけられ、ベッドの上まで本で埋め尽くされている。足の踏み場もないとはこのことだ。
「……しかし、これはこれで本の山で寝転ぶという男のロマンが実現できるな」
「え? 何その変なロマン」
「おいおい待てよ。部屋を埋め尽くすほどの本の山で寝転がりたいとか、本の海を泳ぎたいとか、そんなこと思ったことないのか?」
 さも当然という俺の言葉に彼女は呆れた声を出す。
「ある訳ないでしょ。どんだけ本が好きなのよ、あんた。もし、地震の時この部屋にいたら本の津波で死んでたかもしれないのよ」
「それならそれで本望だ。本に殺されるのもまた一興」
「ばっかじゃないの」
 ――ま、こんな感覚、読書人にしか分からないだろうな。
「しかし、俺の部屋でこうなら、本屋とか図書館は震災の時凄かっただろうな。今はさすがに片付けられてるだろうけど。いや、今の余震でまた崩れてるか?」
 想像してみるとなかなかうらやましいというか、とりあえず見てみたい。
「不謹慎よ。実際に地震に遭った図書館や本屋の人達に失礼だわ。それを直すのってどれだけ大変だと思うの?」
「馬鹿言え、俺は頼まれたら嬉々として一冊一冊棚に戻す作業手伝うぞ」
 乱雑に落ちた本を綺麗に棚に並べていく地味な作業――実に手伝いたい。俺の本好きはおいておくとしても、本は文化だ。財産だ。それを乱雑にしておくのはよくない。真緒の件が終わって余裕があれば図書館などボランティアで片付けに行きたいところだ。
「で、結局どうするの? ここを片付けてたら本当に日が暮れるわよ」
 彼女の言葉に俺は我に返る。いつの間にか本のボランティアに行くことばかり考えていた。今は――真緒を優先してあげるべきだ。
 二階にあるのは俺の自室と両親の寝室、それから和室だ。俺の寝床を確保しようにも、俺の部屋を片付けるのは現実的ではない。さりとて、親の部屋に今日会ったばかりの真緒を入れるのもはばかられる。
「……そうだな。俺の部屋は諦めて和室を片付けよう。あそこなら二人分の布団も引ける」
 二階の和室には衣装棚が二つと机、デスクトップパソコンがある。こちらの片付けは二人で手分けすると三十分くらいで出来た。
「……ねえ、ふすまがあんまり動かないんだけど」
 押し入れの横でもうダメ、とへたり込んだ真緒が言う。どうやら体力の限界らしい。
「おいおい、押し入れも開けられないくらい疲れたのか?」
 苦笑しつつ押し入れのふすまを触ると確かに固かった。指が僅かに入るくらいしか開かない。反対側も同じだった。
「そうか、家全体が歪んでいるんだ。見た目的にはあんまり気付かないが、細かい所で色んなものがずれてるんだな」
「だ、大丈夫なの、この家?」
 真緒が不安そうに言う。
「さあな。こればっかりは神様の気分次第、てとこだろ」
「うぅ、そんな投げやりな」
 そんなことを言われても、こればっかりは俺にもどうしようもない。大震災を生き延びたこの家を信じるしかない
「嫌なら帰りな」
「わ、私はフーガを信じるわ」
 そう言って彼女は俺の手を握る。
 ――えらく信頼されたもんだ。
 いや、違うのか。
 俺はそこでようやく気付く。
 彼女の家庭環境を鑑みれば、両親をはじめとして家族の誰も信用できない状態かもしれない。その上、今は自宅からは遠く離れた地震の被災地にいる。彼女の不安や孤独は俺が思っている以上に違いない。
 彼女には母親を除けば本当に、俺以外頼る人間がいないのだ。
「…………」
 そう考えると、彼女の俺に対する極端な依存ぷりが分かってくる気がした。
 ――やれやれ、困った話だ。
 なんでまたよりにもよって俺なのか。
「……フーガ?」
「ああ、俺に任しとけ」
 そう言って俺は彼女の頭に手を置いた。
「え?」
 ――仕方ない。納得した訳ではないが、今しばらくは彼女の力になってやろう。
「お前を特別扱いしてやる。そう言ったんだよ」
 俺はそう言って彼女の手を振り払い、両手でふすまに力を込めた。
「んぎぎぎぎぎぎぃぃぃ……よいしょっ!」
 全身全霊の力を込めたおかげか、なんとかふすまが開いた。
「ふぅ、なんとか開いたな。布団もあるし、今夜はなんとかなりそうだ」
 と、振り向いて真緒を見るとこちらを惚(ほう)けた顔で見ている。
「ん? どうした?」
 すると、彼女は頬を赤らめて、上目遣いに訊いてくる。
「ね、ねぇ、今の……」
「あん?」
「もしかして、愛の告白?」
 真緒の言葉に俺はがっくりと肩を落とす。
「アホか。飛躍しすぎだ」
「あいたっ!」
 真緒の額にデコピンを軽くかましてやる。
「お客さん扱いくらいはしてやる、てことだよ」
「もう、あんたは客にデコピンするのが礼儀なの?」
「んにゃ、可愛い女の子にだけすることにしている」
 瞬間、彼女の目が見開き、顔があっという間に赤くなる。
「えっ? えっ? えっ? えっ?」
「イッヒッヒッヒッ! 本気にしてやんの!」
「こ、この馬鹿っ!」
 からかわれたと気付いてぽこぽこと俺の体を叩いてくる真緒。その様が面白くて更に俺は笑ってやった。すると、彼女もいつのまにか笑っていた。
 よく分からないまま、俺たちは笑いあう。
 こうして俺たちは恋人まではいかないまでも、友達くらいにはなった――そんな気がした。



 夜。
 俺たちは近所のファーストフードで夕食をとり、銭湯で風呂を済ませた。
 結局、キッチンを片付けることが全然できなかったので、外食で済ませたのだ。明日は余裕があればキッチンも片付けたいところだが、果たして上手く行くか。
 風呂に関しては、自宅の風呂はタイルが剥がれまくってて砂埃まみれになっており、素人では手の施しようがなかった。あれは専門の業者に頼むしかないだろう。
 そんな訳で近所の銭湯に行ったのだが、結構な賑わいだった。俺の家みたいに風呂が壊れた家が沢山あるということか。震災前はガラガラとは言わないが、もっと空いていたように思う。また、この銭湯は避難所にいる人は無料で入浴できるらしく、家族連れがそこかしこに見られた。
「――待った?」
 銭湯の待合室でテレビを見ていたら、顔をほてらせた風呂上がりの真緒がやってくる。ポニーテールははずし、長い髪をそのまま腰までおろしている。つややかな髪と、上気した顔は昼間よりもやや彼女を大人びて見せた。
「ん? どうしたの? なにかおかしい?」
「……いや」
「あ、もしかして、見惚れちゃった? 今の私は水も滴るいい女だものね」
 そう言って何故か腰をくねらせ、くるりと回って見返り美人のポーズを決める真緒。どっかのモデル雑誌の真似だろうか。
「バーカ、十年はえーよ。俺はちゃんと銭湯を使えることに感心しただけだ」
「もう! またそうやってバカにする! 修学旅行で温泉くらい入ったことあるわ」
「へぇ。で、感想は?」
 俺の言葉に彼女は目を輝かせ、嬉しそうに語る。
「露天風呂が凄かった! あんな露天風呂がちゃんとあるなんて!」
「幸い、水の供給は回復してるみたいだからな。ありがたい話だ」
「ねえねえ、明日もここに来るの?」
「ん? そりゃ、風呂がないからしばらくお世話になるだろうな」
 すると、彼女はやったー! と文字通り諸手をあげて喜ぶ。
「これから毎日ここでお風呂に入れるなんて最高ね」
「……別に、この銭湯、そこまで凄い浴場じゃないんだけどな」
 予想以上の喜びように俺は困惑する。新しいモノを知るというのはそれだけ楽しいということか。
「まあいい、帰るぞ」
「うんっ!」
 建物の外に出ると真緒は俺の手を絡めてぴったりと体を密着させてくる。
「……だから、恋人ごっこはやめろってのに」
「いいじゃない。それとも照れてる?」
 俺は周囲を見渡すも、特に俺たちのことを気にしている様子はない。むしろ、俺たちに負けず劣らずみんな活気があった。駅前の被害から考えると、もっと街は暗いムードに包まれているかと思っていたが、意外にも人々の顔には笑顔があった。
 震災から一ヶ月経ったのだ。彼らは復興に向かって動き出しているのだろう。思った以上にこの街の人々は強いらしい。もっとも、俺がこの街に帰ってきてからまだ半日しか経ってない。きっとまだまだ被災から立ち直ってない人も大勢いるに違いない。だが、少なくとも、街がこんなにも崩壊してても、これだけ元気な人々がいるというのはなんだか嬉しいことだった。
 ――まあだからといって、真緒と恋人ごっこする気はない。
「暑苦しいんだよ。今は八月だぞ」
「ふーんだ、絶対離れてあげないんだから」
 俺の返答が不満だったのか、さらに密着してくる真緒。よく分からんアピールだ。
「馬鹿だな。歩きにくいだけだろ」
「いいの。私がそうしたいの!」
 と、そこで道行く人々が急に立ち止まった。
 俺は訳が分からずきょとんとする。
 ――まさかイチャイチャしすぎたのが気に障ったのだろうか。
 そんなどうでもいい心配をしてみるが、街の人達の反応は俺の予想を超えたものだった。みんな近くの人達と急に喋りあう。
「……今、揺れたな」「ああ、そうだな」「んでも、大したことないみたいだ」「らしい」「よかったよかった」「震度1か2、てところか」「おー、速報出てる出てる震度1だわ」
 街の人々の交わす言葉に俺と真緒は顔を見合わせる。
「今の分かったか?」
「んん、全然」
 首を振る真緒と俺は見つめ合う。どうやらこの街にいる人間は、地震に対する感じ方が根本的に違うらしい。
「俺たちが気付いてないだけで、今日は何度も余震があったのかもな」
「……かな」
 弱々しい真緒の相づち。
「まあ、別に俺たちが敏感になる必要はないが」
「……お母さん大丈夫かな?」
 予想外の言葉に俺は一瞬言葉を失う。
「――心配するな。きっと大丈夫だろ」
 我ながら下手な気休めだ。
「……そう……よね」
 心なしか、俺の腕を掴む彼女の手にぎゅっと力が込められた気がする。俺はそれに気付かないふりをして、辺りを見回した。
 俺たちが歩いているのは商店街だった。七割型シャッターが降りているが、それでも残りの店は開いている。たくましい人達だ。この商店街の外にある新しい建物は潰れて倒れているものも結構あったのに、この商店街ではそういう建物が見あたらない。案外古い建物の方がしっかりとしていたのかもしれない。
 と、見回しているうちに俺は目的のものを見つける。
「おい、お前は何味が好きだ?」
「え?」
 きょとんとする真緒に近くの屋台を指差してやる。今は八月の初めで、とても暑い。こういう時期にはアイスの屋台があったりするのだ。
「……バニラ、ストロベリー、メロン、宇治金時の四つしかないじゃない」
 普段から色んなスイーツを食べているであろうお嬢様には素朴な庶民の屋台ではご不満らしい。
「嫌ならとっとと帰るぞ」
「でも、私現金持ってないよ」
 言葉通り、真緒は現金を持ってない。親から貰ったケータイに電子マネーがチャージされているだけだ。先ほどファーストフード店でちょっと金額を見せてもらったらかなりの額があり、彼女の裕福さを思い知られされたばかりである。だが、そんな電子マネーも決済システムのない場所ではただのガラクタでしかない。こういう屋台では買い物が出来ないのだ。
「いいよ、おごってやる」
「ほんとっ? すごい! フーガって凄くケチくさそうなのに!」
「余計なお世話だ。アイスいらないのか?」
「いるいるいるいるいる! すごくいる!
 今ここでアイスを食べないと死んでしまうから! 早く買って買って!」
 ――大げさな。
 俺はストロベリーを、真緒はメロンのアイスクリームを買った。カップに入ったヤツではなく、コーンに載ったヤツである。
 アイスを舐めながら再び家路を歩く。
 通い慣れた地元の道だが、道の暗さに以前とは違うことを認識させられる。商店街を抜け、大通りを外れたら街頭の明かり以外はほとんどなく、まるでゴーストタウンのようだ。以前ならこの辺りもマンションの各部屋から明かりが付いて夜中にコンビニに子供が買い出しに行けるくらい明るかったのだが。
 ――そうか、あのコンビニもなくなってる。
 お風呂に入ってた時は忘れていたが、震災の爪痕はまだ残っており、この町の半分は廃墟のままなのだ。
「ねえねえ、ストロベリーの方は美味しい?」
 沈黙に耐えられなくなったのか、真緒が聞いてくる。
「んー? ふつーだな」
 俺は感傷に浸るのを中断し、彼女に目を向ける。
「一口頂戴」
「お前メロンあるだろ」
「でも、そっちも食べたいもん!」
「ほんとワガママなヤツだな、お前は……ってコラっ!」
 俺がため息をついている間に真緒は俺の持ってるコーンにがぶりと噛み付き、アイスの半分を口の中に収める。
「んー、ストロベリーも美味しいっ!」
「……おまっ!
 ………………行儀悪いだろ!」
「怒るのはそっち?!」
 ――いや、本当は純粋に俺のストロベリーが奪われたことを怒りたかったのだが、俺の中の最後の理性がそれを制したのだ。こんな子供に卑しん坊であることがバレるのは避けたい! いやしかしどうだろう。ここは素直に怒っていいところじゃないのか。変に格好つける必要なんてない……いやいや、年長者として――。
 かじられたアイスと真緒を見比べて混乱する俺を見て彼女は苦笑した。
「……もう、素直じゃないんだから」
 ――え? なんでお前がため息ついてるんだ?
「はい。フーガも食べていいよ」
 と、真緒が自分のメロン味のアイスを差し出す。
 俺は迷わずかじりついた。
 目には目を。歯には歯を。因果応報。それでなくとも俺は施しは受けるタイプだ。
 ――貰えるもんは貰う!
「ふふん、これで私達間接キッスね」
「いや、それはどうだろう。というか、昼間に俺の唇奪ったじゃねーかお前」
「あら、もう一度して欲しいの?」
 誘惑するように唇をぺろりと舐め、挑発する真緒。何故かやる気満々だ。
「……もしかして、キスして欲しいのか?」
 呆れて呟くと何を想像したのか真緒の顔は急に赤くなる。
「べ、べべべべべ、別にそんなこと言ってないでしょ!」
 ――こいつ、自分が攻められる分には弱いな。
「あいにく、俺はお前の唇に興味はねぇよ」
 その言葉にそれはそれで真緒が抗議の声をあげる。
「ひっどーい! こんな可愛い私の何が不満なのよ!」
 ――何が、て言われてもなぁ。
 俺たち成長期の十代は一歳年齢が違うだけでその成長度合いががらりと変わる。
 正直、見た目が小学生に近い真緒は恋愛感情なんて全く浮かばない。
 正月などでは小学生の従妹達の面倒を見てたこともあり、どちらかというと世話の焼ける親戚の印象の方が強いのだ。
 ――確かこいつ十四歳って名乗ってたけど、たとえ見た目が年相応だったとしても、俺のストライクゾーンの対象外なんだよな。
「……まあなんというか、リア充になったらうちの先生が爆殺しにくるしなぁ」
「へ?」
「夏休みの間、下界で煩悩に負けるなよ、て学校で言われてるのさ」
 肩をすくめる俺に、真緒は釈然としない顔をする。まあそうだろう。意味は分かるまい。
「それはそれとして――ん?」
 俺たちは話しているうちに自宅の前に辿り着いたのだが、隣の家――すなわち、真緒の母親の家の前にスーツ姿の女性が一人立っていた。
 真緒もそれに気づき、息を飲む。
「あの――」
 声をかけようとする真緒を手で制し、俺は前に出る。
「こんばんわ」
 俺が声をかけると、女性はこちらを向いて微笑んだ。
「あら、こんばんわ。震災から一ヶ月経つとはいえ、夜道を歩くのは危ないわよ」
 スーツの女性は穏やかに言う。
「ええ、気をつけます。
 ……その、さっきから藤田さんの家見てますけど、藤田さん家になんか用ですか?」
「あら、あなたたちは?」
「隣の家の藤日です」
 俺が名乗るとスーツの女性は懐から手帳を取り出し、静かに言った。
「私はこういうものなのだけれど、坊や達はここに住んでいた藤田美咲さんの行方を知らないかしら?」
 彼女の取り出した手帳は――警察手帳だった。


 と、言う訳でやっと話が動き出しました。
 最初、真緒のお風呂シーンどうするか、とか、真緒が必死でトイレを磨いてアクセクする様をねっちり書いてやろうかとか色々考えていたけど省略しました。全然話が進まないので。 
 というか、真緒は五右衛門風呂にして「いやーん、まいっちんぐー」なサービスシーンも考えたのですが、この状況下で五右衛門風呂をするためのドラム缶とか色々調達するのが難しいと考えてリアリティ的に断念しました。(※風呂は壊れてなかったという選択肢もありましたが、それは却下でする)
 書いてて思ったのは「テ、テレビィィィィ」と余震のたびに壊れていくテレビさんに対する哀悼の意。テレビさん……キミの雄志は忘れない。いや、まだ画面の2/3は映るけど!

 しかしあれですよ。書いていて、もう、ラストでスーツの女性が出てくるシーンを書きながら「めんどくせー、こいつもう怪人に変身して、それを主人公が仮面ライダーみたいなヒーローに倒すバトル展開にしてぇぇぇ」とか思ったりしてたけど自重しました。頑張りました、哲学さん。

 それはともかくここから先は

1.真緒と被災地同棲生活ラブコメ展開
2.母親の失踪を追うミステリー展開
3.廃墟にはびこる謎の秘密結社と戦うバトル展開←(嘘)

 と選択肢があるのですが、読者的には1と2どっちがいいんでしょうねぇ。
 まあ、1と2の配分を上手く考えながらさらさらと書いていこうと思います。
 ではでは。