【短編小説】日常の王女様

 と言う訳でまたさらっと短編書きました。
 よかったらどうぞー。

日常の王女様

 その日も朝食は俺が作っていた。
 トースターのチンッと言う音が目覚まし代わりとなったのか、寝室から人の起きる音がする。。
「んー、もう朝かえ?」
 どこか時代がかった口調で同居人の女性の声が聞こえてくる。
「ああ、もう朝だ。早くしないと俺が全部食べるぞ」
 俺が叫ぶとがたーん、という音が寝室から聞こえてきた。
 ――またベッドから落ちたのか。学習しない奴だ。
「あいたたた……ならぬ! ならぬぞ! その朝食は私のものだ!」
 勢いよく扉が開けられる。
 そこにいたのは美しい金髪が寝癖でぐしゃぐしゃで、やたら目の据わった一人の少女だった。
 白く透き通る素肌やくっきりとした目鼻立ちはきちんと化粧をすれば一流の貴婦人に見えること間違いないし――なのだが。
「今日の朝食はなんぞ?」
「パンと目玉焼きだ」
「またか、代わり映えのない」
「今日はヨーグルト付きだ」
「それは真か! 大義である!」
 自慢の蒼い目を輝かせてその貴婦人崩れの少女は寝起き姿のまま席に座る。
 ――安い大義だなぁ。
 俺が苦笑しているうちに、彼女は俺の知らない神様に感謝の祈りを捧げた後、食事に取りかかった。
 寝間着姿だというのに彼女のトーストを頬張るその姿は俺の知る限り誰よりも上品で、美しい。
 それも当然のことかもしれない。
 なぜならば――俺の同居人であるティティルニア・エルホ・デバステスト・カスタタムは異世界から着た王女様なのだから。



 それは三日前のこと。
 俺がバイトから帰ってぼーっとテレビを見ていたら突如部屋の中心にてまばゆい光が発生し、気がつけば一人の少女が部屋の真ん中に倒れていたのである。
 その少女は中世の王族のようなドレスを着た美しい少女だった。
 気絶した彼女を起こすも、言葉が通じず、最初は困ったが、やがて思いついたように彼女が身につけていた宝石を持ってなにやら呪文を唱えると言葉が通じるようになった。
 いわく、自分はカスタタム王国の王女であると。
 色々と話を聞いて分かったことは、どうやら彼女は異世界からなんらかの理由で転移してきた、ということくらいだ。
 彼女の話を鵜呑みにするのは普通に考えればあり得ない選択肢だったが――かといって突然俺の部屋にワープしてきたことに説明が付かないし、彼女の衣装もこちらの世界では再現できそうにないものばかりだった。
 余りにも非常識な事態だが、あり得ないことが次々起こることはここ数ヶ月で慣れている。
 だから、今起きてることを俺はただありのままに受けすれることにした。
 まあ、そんな訳で行く当てもないこのお姫様は俺の家に居候することになったのであった。
「おお、そう言えば、リョースケンよ。このテレビという魔導機に最近よく出ているゲンパツとはなんぞや?」
「俺の名前は良介だ」
「いいではないか。リョースケでは発音しにくい。リョースケンで。
 それはともかく、ゲンパツじゃ」
 と口をとがらせてテレビを指さす。
 この世界に来て最初にテレビを見て大騒ぎしていた姫様も三日目にしてすっかり慣れている。遠くの情報を映す魔法のアイテムと言ったらなんか納得してくれた。
 以来、訳分からないことを見つけたら「まあ、そういう魔法がかかってる」と言うことにしている。大体は納得してくれる。すごいな、魔法って言葉。
 とりあえず、彼女の感想としては、「遠見の水晶球は球形よりも平面の方が見やすい。これは大発見じゃ」というものだった。
 でも、球形じゃないと魔力が拡散してしまうから四角いものにどうやって魔力を維持させるかが課題――と頭を悩ませてもいた。
 まあ、それはともかく。
「気になるのか?」
「これだけ連日聞いてればの。なにかとても大変なことが起きているようじゃが」
「……まあ、簡単に言えば、この国の存亡の危機みたいなもんだな」
 俺がコーヒーを飲みながらそう言うとガタッと姫様が立ち上がる。
「な、なんじゃとっ! 一大事ではないか! なのにお主はなにを暢気なことを!」
「……落ち着けよ、姫様。すぐにどうこうなる訳じゃない」
 俺はため息をついて諭す。俺の落ち着いた様子に彼女も慌てるのをやめて不承不承座り直した。
「私もこの地に来てしまったからには他人事とは言えぬ。納得のいく説明をしてもらおうか」
 そんな寝起きでぼっさぼっさの毛玉みたいな頭ですごまれてもなぁ。
 まあ、帰るアテもないこの状況で、今居る土地が滅びてしまうのは困るのだろう。
 何せ彼女は王族で、民を導く使命があるのでなるべく早く帰らなければならない、と息巻いているのだから。
 もっとも、三日間この世界を満喫している姿からはとてもそうは見えないのだが。
「んー、『原発』、てのは正確には『原子力発電』という大がかりな機械――まあ魔導機だ」
「ほう。して、その機能は?」
「たとえば、今俺たちが見ているテレビとか、そこにある冷蔵庫とか、上の電球とか、全部電気という魔力で動いてるって説明したよな」
「うむ。だが、お主は一向に魔力を消費しているように見えぬので不思議に思っていた」
「実は全部、術者である俺じゃなくて、外部から魔力を供給してるんだ。
 この世界では、巨大な魔力発生装置が幾つもあり、そこから魔力を取り出して、魔導機に魔力を込めてるんだ」
「――なんという発想じゃ! 外部から魔力供給を行うとは。と、言うことは、魔法が使えない者でも魔法が使えることに!
 す、凄すぎる。そんな技術があるのならばこの世界がここまで発達しているのも納得がいく」
 姫様は異世界の技術を前に愕然とする。
 というか、ここに来て三日目なのにびっくりしすぎだなぁ。いい加減に慣れてこればいいのに。
「で、話を戻すと原発はメンテナンスさえすれば、半永久的に膨大な魔力を発生させる巨大な機械だよ」
「は、半永久的に、じゃとっ!! そんな馬鹿な! なにかの古代兵器か!」
 ガタッ、とまた姫様が立ち上がる。
 いや、そんな何度も立ちあがらなくていいから。
 手で座れ、と制すると姫様はしぶしぶ座った。
「……リョースケンは付き合いが悪いの。人がせっかく驚いてるのだから、テンション上げていこうではないか」
「いや、なんでだよ」
「私の教育係であった宮廷魔術師のヒョースケンは私が驚いたら『実はそうなんですじゃぁぁぁぁぁ! これはまさに驚天動地の事態ですぞぉぉぉっ!』とか叫びまくってくれたのに」
「……そいつはただのマッドサイエンティスト、というかマッドマジシャンだったんじゃないのか?」
 明らかに娘の教育係の選定をミスってるぞ王様よ。
 俺はため息をつきながら、言う。
「ともかく、話は落ち着いて聞け。原発は半永久的にエネルギーを取り出せる上に、そのエネルギー量は一台につき、まあ、個体差もあるが数百万人分のエネルギーを供給する」
 ま、実のところそんな半永久的、とも言い難いんだけど。話を簡単に説明するならこれでいいだろう。
「す、数百万人じゃとぉぉぉぉっ!」
 忠告を無視してガタッ、とまた立ちあがる姫様。
「……座れ」
「う、うむ」
 そわそわしながら座る姫様。
 この人王族じゃなくて実はリアクション芸人ではないのか、と思い始める。
「で、でも、そんな装置が本当に存在するのか。半永久的にそんな莫大なエネルギーを供給できるものが存在するなど……。
 我が世界で"魔力の塔"という似たような機械が研究されていたが、それでもあくまで理論上だけの存在で実現不可能と言われておったのに」
「まあ、存在するものは仕方ないだろ。ここはそういう世界だと割り切れ」
「うーむ、だがそれだけの力があれば兵器に転用すれば凄まじい力を発揮するのではないか?」
 さすが姫様、軍事利用も視野に入れるか。教育係のおかげか?
「ああ、軍事転用すればこの惑星そのものを滅ぼせるよ」
「惑星?」
 ピンとこなくて首を傾げる姫様。そうか、惑星だと通じないのか。
「あー、この星は球形で……いや、言っても仕方ないか。まあ、この大地が全て消滅すると考えればいい」
「大地がっ!!」
 ガターンと立ち上がった上に顔面蒼白になる姫様。
「な、なんということじゃ……そんな恐ろしいものが存在するなんて……もし、もしも敵対国にそんな危険な技術が渡ってしまったらこの国は終わりではないか」
「いや、この技術は味方どころか敵対国にもきっちり伝わってこの大地を何万回もぶち壊せるだけの兵器が大量に作られてるぞ」
 余りの事態に口をパクパクしながらこちらを見つめてくる姫様。
 うーむ、人間驚きすぎると言葉を失うんだなぁ。
 まあこれはこれで静かでいいけど。
「……そ、それは真のことなのか?」
「本当だけど?」
「大変ではないかっ! いつこの世界が滅びてもおかしくないのじゃぞ! 何故そんなものが存在してるのに落ち着いてられるのじゃ!」
 ――と言われてもなぁ。生まれた時からあるしなぁ。
「そんなもん、今更だよ、今更。
 考えても見ろ、もしその兵器を使ったら敵対国は支配する土地を失うんだぞ?
 まあ、理由は色々あるけど、戦争って極端な話、相手の土地を支配して利益を得るものじゃないか。
 でも、支配する土地がなくなればその利益が得られなくなる訳だから、作ってはみたものの危険すぎて誰も使えないというのが現状だ」
「な、なるほど」
 汗を拭いながら、姫様はごくり、と息を飲む。
「し、しかし憎しみが行きすぎて相手を滅ぼしたい、となることもあるのではないか?」
「まあ、あり得るな。でも、その時はその時だ。とりあえず、今のところそういうことにはなってない。
 結局、自分が撃てば、敵からも撃ち返される可能性もあるしな」
「そういうものなのか……とうてい理解出来ぬ」
 俺の言葉にうーん、うーん、と姫様は首を傾げる。
 色々と自分の常識の範囲外の事象を突きつけられまくり、頭がパニックを起こしているらしい。
 まあそれでも、この姫様なかなか飲み込みが早い。ここまで話についてこれただけでも相当頭がいい。
 王族教育の賜物と言うヤツか。
「まあ、落ち着けって。座って、水でも飲め」
「……う、うむ」
 青い顔をしながらも彼女は倒れた椅子を元に戻し、水を飲む。
「しかし、お主の話しぶりからすれば、そのゲンパツとやらはこの世界では日常的に存在するみたいじゃが……それが何故今ニュースになってるんじゃ?」
「ああ、それは単純な理由だ」
「ほう」
 姫様は俺の話を聞きながらゴクゴクと水を飲む。
 俺は何となく、新聞紙を広げた上で告げた。
「その原発が暴走したんだよ」
ブフォァァァァァッ
 案の定、姫様は思いっきり飲んでいた水を噴き出した。



「……けっほけっほっ」
「あーあー、汚いことして」
 咳き込む姫様を前に俺はため息をついた。
 新聞紙を盾にしてなければ俺はこんな休みの日に上半身びしょびしょになるところだった。
 ――いいや、待てよ。この場合、美人の噴き出した液体で上半身びしょびしょになる方が勝ち組だったんじゃないか?
 頭を振り払い、そんなどうでもいい考えをかき消す。
「とりあえず台拭きだな」
「ちょ、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!」
 冷静にテーブルを掃除し始める俺に姫様が待ったをかける。
「なんだよ? こっちはあんたが汚したテーブルを掃除するのに忙しいんだ」
「う……そ、それは申し訳ない。
 ってそうじゃなくて!!!!
 今はそれどころではないであろう!!
 そんな大地を吹き飛ばすような力を持つ魔導兵器が暴走したのだろう!!
 落ち着いてる場合じゃなかろう!!」
 台拭きを絞り、食器をしまいながら俺は肩をすくめた。
「はしゃぐなよ、姫様。あんたは暴走したらどうなるか、詳しいこと知らないだろ」
 俺が睨むとむむむ、と姫様はたじろぐ。
 ぬれた新聞を捨てて、俺は改めて椅子に座り直した。
「座れよ、気になるなら話してやる。どうせ、ゴールデンウィークで講義がないからな」
 俺は大学生で、このゴールデンウィークとても時間をもてあましている。
 この姫様と無駄話をして時間を潰すのもいいだろう。
「相変わらず不遜な奴じゃ」
「俺はあんたの臣民じゃないからな」
 しぶしぶと姫様は椅子に座り直す。
「とりあえず、話を最初からすれば、二ヶ月ほど前に大地震が北であったんだ」
「ほう、地震か」
「観測史上――まあ、今までで世界で二番目に大きな地震が起きて、津波まで発生し、何万人もの人が死んだ」
 淡々と告げる俺の言葉に彼女はごくりとツバを飲み込む。オーバーリアクションはこらえてくれたらしい。
「我が王国は人口二万人にも満たぬ小国であった。――そんな地震が起きてしまえばそれだけで国そのものが滅びてしまう」
 彼女の言葉に俺は頷く。
「そう。それほど大きな地震だった。そして、間の悪いことに、その地震の発生源の近くに件の原発があったんだよ」
「…………!」
原発は巨大なエネルギーを発生させる夢のような機械だが、それと共に暴走する危険を常にはらむ。
 だから、最新の技術によって厳重な管理がされていたが、想定外の大地震によって、暴走することになってしまった。
 とはいえ、少なくとも大爆発するところまでは行ってない。
 単純に言えば、原発が原因で死んだ人間はほとんどおらず、地震津波で死んだ人間の方が多い。」
 俺の言葉に彼女は神妙に頷く。
「なるほど。やはり、人間の作ったものよりも大自然の方が恐ろしいな。
 それはこの世界でも同じか」
 大自然の恐ろしさはよく分かっているのかうんうん、となにか思い出しながらしきりと彼女は頷いている。
「しかし、結局、ゲンパツの暴走によって何が起こってるのじゃ? そこがいまいち分からぬ。
 爆発した訳ではないのじゃろ? なのにどうしてここまで問題になっておるのじゃ」
 彼女の言葉に俺は考える。
放射能――と言っても説明は難しいしな。
 まあ、ファンタジー的な表現で言えば、呪詛が吹き出してる」
「……なんとっ! 呪詛じゃと!
 そうか……それだけ膨大な力を放つのだ。それだけのリスクはあってしかるべきじゃの」
 ――呪詛で通じるのか。逆に現代日本に呪詛だと通じないことの方が多いのに。
「……で、どれだけの呪詛が吹き出ておる? 周辺地域はかなり大変なことになっていそうじゃが」
 大自然の方が恐ろしい、という前提を話したせいか姫様の態度が幾分落ち着いたものになっていた。
 ――これはこれでつまらないな、と思いつつもあくまで俺は俺のペースを保つ。
「そりゃもう、凄い量でてる。少なくとも、原発がある場所から歩いて八時間以内の距離の場所は人が住むには危険になるほどだ。
 だが、実際の被害のほどは正直計り知れない」
 俺の言葉に姫様は小首を傾げる。
「……と言うと?」
 俺はため息をついた。
「風に乗ってどこまでも飛ぶんだよ、この呪詛は。
 おかげで、事故現場から遠く離れた場所にもこの呪詛は降り注いでいる。
 さらには、呪詛に汚染された水が大量に海へ流された。
 これからどんな悪影響が出るか想像も付かない」
 姫様は俺の言葉を聞きながら、必死で考えるも、どうも具体性に欠けるのでいまいちピンと来ないらしい。
 まあ当然だろう。現代人である俺にもあまり想像できないのだから。
「その呪詛を浴びたら、具体的にはどんな被害が出るのじゃ?」
 なるほど。まずはそこからか。
「暴走した原発からでる呪詛は『放射能』て言うんだが、放射能汚染でかかる呪いには様々なものがある。
 少量なら平気だが、大量に浴びると子供を産めなくなったり、深刻な皮膚病にかかりやすくなったり、言い出したら切りがないな。
 すぐに死ぬことはないが、じわじわと苦しんでいく類のものが多い。勿論恐ろしい程大量に浴びすぎたら即死もありえるが。
 なんにせよ、そう言う危険性のある呪詛が現在垂れ流しになっていると言う訳だ」
 俺の言葉に姫様は顔面蒼白になりながら、絶句する。
 さすがのリアクション姫も想像を絶する悲惨さに言葉も出ないらしい。
「そんな危険な代物が、大量にばらまかれて、しかもどれぐらい被害が出るか検討も付かない、じゃと?
 なんの予測もできぬのか?」
 問われて俺は視線を巡らし、壁に貼ってあるカレンダーを目にとめる。
 縦の長さ一メートルの壁掛けカレンダー――そこには日本地図が大きく描かれており、海の部分に月日が書かれている。説明をするにはちょうどいいだろう。
「まあ、俺の知る範囲でよければ――。この地図が俺の国の地図だ。
 初めて来た時にも話したが、ここは島国で四方を海に囲まれた他の国とは隔絶された場所にある。
 念のため、この海の向こうにはあんたの国はない」
 俺の言葉に姫様はむすっとする。
「その話はよい。それより原発の話を続けよ」
 へいへい、と嘆息しつつ、俺は立ち上がり、カレンダーの側に立つ。
 そして、順を追って指さしていく。
「ここが、事件のあった福島。……で、ここが俺たちの今居る鎌倉だ」
「結構離れておるな。どれくらいの距離なのじゃ?」
 俺は考える。電車でどれくらい、とか距離にして何キロ、と言ってもこのお姫様に分かるはずがない。
「あーっと……そうだな。この国の首都の東京がここで、もひとつ栄えた街として大阪という街がここにある。
 この、間を東海道という整備された街道があって、江戸時代、徒歩で大体十三日前後で移動してたらしい。
 馬を乗り捨てながら早馬を飛ばせば三日くらいらしいが」
「ふむふむ。このカマクラとフクシマという土地も同じくらいの距離だから、大体同じく徒歩十三日くらいということか」
 さすがお姫様。ちゃんと付いてきてるな。
「まあ、平野を東西に移動する東海道と違って、福島に行くには山道ばっかだから実際の移動距離は別だが、単純な距離だけなら似たようなもんだろ」
「と、するとこの国は我が故国と比べて単純に二倍以上の大きさがあるの。我が国は南の国境から北の国境まで徒歩二十日くらいだったからの」
 ま、東海道を徒歩十三日くらい、てのは江戸時代の人間の距離だから、現代人だともっとかかるだろうけど、文明レベルを考えたら姫様の王国の基準には合う……かな。
「で、地震が起きたのは……確かここら辺。で、この地方――東北地方、というのだがそこがまるまる地震にあってメチャクチャになった。
 しかも、海に面してたから、こっからここら辺の三陸海岸て呼ばれる地方がまるまる津波に襲われて、そりゃもう、さっきも言ったが数万人もの人が死んだり行方不明になってる」
 俺の説明に改めて姫様はごくりとツバを飲み込む。
 彼女の王国が軽く全滅するほどの規模の被害だ。何度聞いても慣れるものでもないだろう。
「で、それを受けてここにある原発が制御できなくなり、呪詛が巻き散らかされている」
 と、改めて福島を指さす。
 が、それだけでも足りないと思ったので隣にある冷蔵庫に貼ってあったホワイトボードから赤ペンを取ってきて福島に×を書く。
「まず、この周辺半径三十キロ――徒歩で八時間の距離は立ち入り禁止区域だ。そこに長時間いるだけで大量の呪詛を浴びてしまう」
 くるっ、と赤ペンで円を描きつつ、俺は言う。
「じゃあ、被害はその周辺地域にとどまるのではないのか?」
「いいや。さっきも言ったように、まず、海にも呪詛がばらまかれた。五万トン……てどう説明すればいいか分からんが、海は世界と繋がってるから確実に世界中に拡散される。
 まあ、海は広いから自浄作用で何とかなるかもしれんが……そこら辺は専門知識がないからどこまでの被害かは俺にも分からない。
 が、物理的に、呪詛は風に乗って周辺に拡散している。
 たとえば、ここら辺、事件があった一週間後に、茨城や東京などで水道から高濃度の呪詛が含まれることが調査で分かった」
 と、茨城と東京に×を書く。
「……かなりの距離を飛散しておるの。我々の居るカマクラとやらは大丈夫なのか?」
 お姫様の言葉に、俺はカマクラの場所に二重丸を書く。
「さっきも言ったが、ここが鎌倉。で、実はつい最近、この近辺で名産の『足柄茶』から高濃度の呪詛が検出された。それが……ここ」
 と、鎌倉のほぼ隣にある足柄市に×をする。
 神奈川県足柄市は鎌倉市よりも、西側。すなわち、原発からの距離は鎌倉より遠い。
 俺は福島原発から赤線で矢印をそれぞれ、茨城、東京、足柄まで伸ばした。
「今分かってるだけで、風に乗ってここまで呪詛が飛んでるのは間違いないな。
 海の向こうにある韓国と言う国では、地震の次の日に雨が降って『雨から呪詛の匂いがするっ!』て言って国中がパニックになったらしい。
 まあ、正直それは考えすぎ、慌てすぎ、と俺は思うが」
 姫様は地図をじっと凝視しながら、はっとする。
「おい、リョースケン。確か、そのトウキョーというのがこの国の首都ではなかったか?」
「ああそうだよ」
 俺の言葉についに我慢しきれなくなって姫様がガタッと立ちあがる。
「だというのならば、この国の中心地にそんな危険物が大量に降り注いでるのじゃろう!!
 一大事ではないか!! なのに、この国の王は何をやっておる!! テレビでは皆普通に暮らしておる。
 お主もこのカマクラから出て行こうとしない! おかしいではないか! 避難なりすべきじゃろう!」
 鼻息を荒くする姫様だが、俺はあくまで静かに首を振る。
「情報が公開されたのは地震が起きてから数週間後だったからな。
 逃げるには手遅れだったよ。それこそ、『今更』の話だ。
 地震が起きた時、国はずっと、「大丈夫です」「安全です」と国民に言い続けたからな。
 みんな不安だったけど、逃げなかった。
 まあ、代わりに数多くの外国人達はどんどん祖国へと帰っていったけどな」
 ため息をつく俺に姫様は納得しない。
「外国人達が正しいじゃろ! そんなの逃げるに決まってる!
 それに、今も降り注いでいるのじゃろ? だったら今からでも逃げるべきじゃろ」
「さぁな。今も降り注いでるのかどうか分からない。国が調査結果が大々的に発表してないしな。
 公開初日には大騒ぎになったが、今はどれだけ降ってるのか細かく報道なんてしてない。
 まあ、調べればもしかしたらどこかネット上なりでデータが発表されてるかも知れないが。
 それになにより、人が多すぎる。たとえば、東京だけで人口が一千三百万人くらい居る。それが全員避難するとか無理だ」
「一千三百万……なんという」
 姫様はどんっ、とテーブルを叩く。
「それだけの臣民が、……犠牲になってしまっているのじゃろ?」
「犠牲になったかどうかは分からんよ。
 少なくとも、放射能ですぐにどうにかなってしまった、という話は聞かない。
 が……十年、二十年後になって、この関東地方から奇形児が生まれやすくなったり、不治の病にかかってしまってる人が大量に出る可能性もある。
 でも、可能性の問題だ。今の段階じゃ分からない。
 確かな証拠も無しに動けない。
 それに……」
 俺は東北地方をぐるっと赤ペンで囲む。
原発は将来にわたって危険だが、今現実この地域の人達はみんな地震津波で仕事も住む場所もない被災者が大勢いる。
 こちらにも対処しないといけない。
 さらには、ここの原発が停止することによって、国内の他の無事な原発をどうするのかエネルギー問題もある。
 同時多発的に問題が山積みだ。
 だから……先延ばしだ」
 俺の言葉に、姫様は納得しない。
「他にも問題が山積みだから後回しじゃと? 話を聞く限り、とても正気の沙汰とは思えぬ」
 姫様の言葉に俺は窓の外を指差す。
「見てみな、姫様。
 外は平和だろ。戦争も起きてない。みんなゴールデンウィーク……休日を楽しんでる。
 目に見えない、放射能……呪詛を気にしてる人間なんてほとんどいない」
「毎日毒を飲まされてると分かってるのに平気なのはおかしかろう!」
 俺はため息をつき、地図の前から移動して席に座った。
「座れよ、姫様」
 俺の言葉に彼女は睨んでくる。
「座って話している場合ではあるまい」
「姫様なんだろ。こう言う時こそ冷静になれなれよ」
 あくまで落ち着いて話す俺に対し、彼女は何か不気味なものを見たかのような、不審な目で見つめてくる。
「あんたのいた国はどんな国だった?」
「今はそんなこと関係なかろう!」
 俺は首を振る。
「……俺がこれだけ自分の国について話したんだ。話せよ」
 俺の言葉に姫様は拳を握りしめる。
 だが、口を開かない。
「ある程度、予想は出来る。
 戦争中だったんじゃないのか?」
 姫様ははっと顔をあげる。
「人が現在進行形で沢山死んでいったんだろ。
 おまけにじり貧で、このまま行くと王族は全員殺されて、国民も虐殺され――」
「黙れ!!」
 テーブルを握りしめ、俺を親の敵でも見るような目で見てくる。
「……違わないみたいだな」
 俺はもう一度窓の外に視線を向ける。
「この国はいいぞ。平和だ。テレビもある。飯も食える。
 まあ、大量に呪詛がばらまかれてて、このままだと数十年後、どうなるか分からないが……」
「だからといって、そんな危険な物を野放しにしておくのか!」
「まさか。国は必死で対応しようとしてる。
 ただ、処理し切れてないだけだ。有効な手立てが見つからず、試行錯誤を続けている。
 それが成功しているとは言わないけれど」
 姫様は一歩、二歩と後ずさり、背を壁に当てる。
 顔面蒼白のまま、叫ぶ。
「……分からぬ。
 何故お主がそこまで落ち着いてられるのか、全く分からぬ。
 理解出来ぬ!
 こんな、世界が滅びようとしているのに、何故そんなに落ち着いていられる!」
「滅びると決まった訳じゃない。
 未来なんて誰にも分からんよ。今は絶望的な予測が多いけど、それはどこでも一緒だ。
 それでも、あんたの国みたいに、戦争で人が大量に死んだりしてない。それに比べればマシだ」
「違う! そうではない!」
 姫様は壁にもたれたまま、叫ぶ。
「我が国民は確かに戦争で多くの者が犠牲となり、絶望を抱えておる。諦めている者も居る。
 だが、だからこそ、それに立ち向かおうとしている者が大勢いる!!
 絶望的な状況を知り、命を賭けて、それに立ち向かっているっ!
 じゃが! お主にはそんな覚悟が何もない。感じられない!
 世界の絶望を前にして、絶望する訳でもなく、諦めてる訳でもなく、立ち向かおうとすらしてない。
 当事者なのにまるで第三者のような平然さ!」
 姫様は頭を抱え、うずくまる。
「お主だけならともかく、他の者達もそうじゃ。
 この三日間、外に出て色んな人間と会った。
 スーパーやコンビニ、本屋、数多くの人がいたが、誰一人として世界の絶望に対峙しているようには見えなかった!」
「まあ、出会ったのはみんなあんたみたいな政治に関わる王族でもないただの平民ばっかだからな。
 戦争中でも、戦地から離れた場所の住民はふつーに暮らしてるものだろ」
 俺の言葉に姫様は首を振る。
「ここは呪詛が直接降り注いでいるのじゃろ! 戦場も同然ではないか!
 怖い……私は、呪詛そのものよりも、そこで平然と暮らすお主達が怖い」
 ついには涙を流し、歯を震わせる姫様。
 似ているからこそ、異世界の常識に対して理解出来ず、恐ろしいのだろう。
 俺は最終確認を取る。
「じゃあ、俺の居る緩やかに滅びるかも知れないこの国と、あんたのいた戦争で滅びかけてる国。
 あんたはどっちがいいんだ?
 少なくともこっちなら上手くすれば長生き出来るぞ」
 すると姫様は立ち上がり、泣きながらもはっきりと告げた。

「こんな世界よりも、私のいた世界の方が何百倍もマシじゃ!!」

 瞬間、部屋に光が満ちた。
 彼女の体が光り輝き、俺の視界はまぶしさの余り何も見えなくなり――やがて気がついた時には姫様の姿はどこにもなくなっていた。



 家の中に完全に姫様がいなくなっているのを確認した上で、俺はため息をつき、テーブルに座り直した。
「今回は三日足らず、か。まあ、長く持った方か」
 すっかり冷えたコーヒーを飲みつつ、俺は今までのことを思い返す。
 異世界から何者かがやってくる――実は今回が初めてではない。
 原因は分からない。
 でも、やってくる人間は皆、絶望的な状況の世界にいた者ばかりだった。
 今回のお姫様からは聞けなかったが、前回に来た王子様は「こんな世界は嫌だ! 神様別の世界に連れてって!」と願って気付いたらこの部屋にいたそうだ。
 だが、今の日本の状況を伝えたら、何故か「こんな世界よりも前の世界の方がマシだ!」と失礼なことを叫んだ挙げ句、消えていった。おそらく元の世界に戻っていったのだろう。
 全く理解出来ない話だ。
 戦争でいつ死ぬか分からない国よりも、放射能が降り注いでるとしても、物が豊かで平和なこの国の方がマシだろう――常識的に考えて。少なくとも、俺にはそうとしか思えない。
 今まで姫、王子、勇者、魔法使い、賢者と五人の異世界人がやってきたが、全員がこの世界を狂ってると言った。
 まあ、文明の違う異世界の人達にはこの国の良さなど分からないだろう。
 だが、時々思うこともある。
 ――もしかして、間違ってるのは俺の方なのだろうか。
 元いた世界に絶望した人間が、裸足で逃げ出すほどにこの日本の今の状況は最悪なのだろうか。
 先の事なんて考えても仕方ないことだろうに。
 もし、そうだったとしても、この世界で生きる俺たちはこのまま生きていくしかない。
 大変なことは偉いさんがなんとかしてくれるだろう。
 俺はまあ、平凡に生きるだけさ。
 俺は立ち上がって背伸びをした。
 ゴールデンウィークは後三日残っている。
 せいぜい有効に使うとしよう。
 と、思った瞬間、奥の部屋で光が瞬くのを俺は感じた。
 俺はため息をつきながら、奥の部屋へ向かう。
 そこには見たこともない鎧を着た黒髪の美女が座っていた。
「× ××××××××××× ××××××××××× ×××」
 彼女は当惑した表情で聞いたこともない言語を俺に放ってくる。
「……またかよ」
 どうやらまた異世界から現実逃避にやってきたようだ。
 俺は目の前の美女を見ながら呟く。
「……さて、今度は何日持つかな?」



END




 どうも、今回はオチをつけてみた哲学さんです。
 なんじゃこの異世界人に対する教養講座〜な(笑)
 世の中にはメディアリテラシーってのがあってこの姫様がまずすべきことはこの主人公良介が言ってることが本当かどうか情報収集をして確かめるべきでしたね。
 今の世界は情報が溢れかえってて、その情報が常に正しいのかどうか、考えるべきで。
 勿論、政府の発表やニュース記事ですら本当かどうかもっと疑うべきですね。
 まあ、ここ最近の短編で何を探ってるかというと、「現代」と言う時代はどういう時代なのか、自分なりに考察してる訳ですけど――ふーむ、「現代」を書くって難しいー。
 ちなみにこの話に出て来る原発に関する話は色々とデフォルメされてるので信じすぎないようにしてくださいな(笑)
 実はこれ思いついた時のプロットの半分くらいしか消化してなくて、本当は姫様と間接民主制と王権神授説についての考察バトルが予定されてましたが、つまんないので省略されました。
 なにはともあれ、また感想でもいただければ!