とりあえず送ったものの

 とても多分に不満のすごく残ることになったが、時間との兼ね合いから一応なところで見切りをつけてCDに焼いた。下読みの方仕事増やしてごめんなさい、と思いながらも送付した次第。
 まあまあ、一次選考を担当される人に申し訳ないのはともかく、別に今すぐどこへかに投稿するわけじゃないが完全版だけは作っておきたい。そして重要なのは反省。書いていなかった時間にもそれなりの必然性はあったし、実際結果として、落ち着いて書けた部分に関して言えば文章の質やキャラクターの描写、ギャグ、その他色々な点でかなり良くなったと思う、前の自分と比べてだけれど。
 クサッてもしょうがない(昨日はそうしていたが)。これは後悔することではなく、自分の能力の問題であることは自分がよくわかっている。それが欺瞞であったとしても、実際書いた文章が前よりは上手く出来ていたので一応収穫はあった。それに、質とスピードの両立も最後の一日を除いてはできていたし、その部分がとてつもなく不本意だったということ以外に関しては本当に進歩できたと思う。とりあえず、読んでやんよメールを頂いた方には完全版をお送りしたいので、たぶん夏が終わるまでにはできますので、もうしばらくお待ちください。すみません。
 以下、今回の原稿を書いていて気付いたことを挙げてみる。
・プロのものと文体を比較することの重要性について。特にそれを実感したのは、月並みな話だけれど「横から偉そうに傍観者的な突っ込みを入れる主人公の地の文のエンターテイメント性」だと思う。
・ほっと気を抜いていると、文章が面白くなくなるということ。ただ書いてるだけじゃん!!みたいな。
・当たり前と言えば当たり前の話だが、思想哲学やら精神病理やらを本で学んで一番良かったのは、キャラクターの設計と文体のテーマを考える支えになったことか。勿論ストーリーのテーマもそうだけれど。ただ、論理そのものを骨組みにするというより、インスピレーションとモチーフの間みたいな役割になったと思う。例えば十字架を見たら神聖で透明なイメージを思い浮かべるのと同じような、つまりシンボル。
・なぜ小説が書けないかというと、色々あるが、一番大きな理由は「自分は意味のないゴミみたいな文章を今書いてしまっているのではないか……」という不安。他の人の目から見てはどうか知らないが、とりあえず後で見れば大体前よりは成長してることがわかるので、神経質になっているみたい。でも、あの辛さは半端ではない。すごく暗い気分になった時の、疼痛とでもいうべきあれが身体全体を襲ってくる。これがあるからこそ限界を超えようと進歩するのだろうとも思うけれど……

追記:
 昨日までというか、今日中間テストが終わるまではずっとクサっていたのだが、ずっと前から残しておいたお小遣いでこれを破壊した。
放課後友人と寄ったなか卵で「カツ丼の大盛りとサイドメニューすべてを頼む」という馬鹿な行為をした後に、その近くの本屋で一冊、梅田の巨大なジュンク堂で七冊、計八冊の買い物をすることによって立ち直れた。
 本屋では良い買い物をしたと思う。前から欲しかったものや目をつけていた人の著書などで埋め尽くせたため、暗い気分が吹っ飛ばせた。裕福な今時の子供でよかった……