サイキック・スペース 序章(仮公開)

 色々と納得いってないけど、今書いてる話の序章。
 詰め込みすぎて冗長になってる。
 たぶん色々と削って半分以下の分量にする予定。

序章

 まさに絶景とはこのことだった。
 どこまでも続く雲海の上にぽっかりと浮かぶ満月の輝き。地上からは決してみることの出来ないファンタジックな光景だ。それを一面のガラス張りの壁を通して見ることが出来るのだ。飛行船とはなんと素晴らしく、ロマンチックな乗り物だろう。
 そんなことを思いながら、一人の日本人の男性が外の景色を眺めていた。身長は百六十センチ足らず、で、周囲を歩く背の高い欧米人達と比べれば子供にしか見えないが、彼は今年二十三歳になる青年である。目つきは鋭い、生まれつきの三白眼だが、外の光景を見つめる彼の瞳は少年のように輝いている。
 今彼が居るのは飛行船の展望テラスだった。そこでは現在舞踏会が行われており、着飾った紳士淑女が楽団の奏でる音楽を聴きながら、談笑し、あるいはダンスを楽しんでいる。外の風景を楽しんでいるのは青年の他にはいないようだ。
 ――花より団子とはこのことか。
 青年はそんなことを考えながら、外の風景に目を戻す。せっかくの飛行船旅行なのにこの風景を楽しまず、地上と同じように舞踏会を楽しむ意味が彼には理解できない。まあ、船酔いで自室に籠もっている相棒(ツレ)よりはマシか。
「あら、あなたもしかして日本人?」
 外の風景ばかり見る青年へ女性の声がかかる。舞踏会で異性からお声がかかるなど本来であればとても光栄なことだろう。しかし、外の風景を楽しむ青年からすれば今は余計なお世話だった。
 ――それに、今のご時世、日本人と言うだけで疎まれるところがあるしな。
「……そうだけど?」
 やや剣呑なトーンを抑えきれないまま、青年は振り向く。そこにいたのは日本人の少女だった。長い髪を結い上げ、青と赤を組み合わせたドレスでその身を着飾っている。彼女の目はややつり目がちではあったが、青年とは違い猫のような人懐っこさを感じさせる。年の頃は高校生くらいだろうか、色気よりも可愛らしさが目立つ。
 青年と目があった途端に少女は歓声をあげた。
「よかった! 私の他に日本人は誰もいなくて寂しかったのよね!」
 ぱんっ、と胸の前で両手を叩き、少女は笑顔を見せる。なんとなく、彼女の頭で猫耳がぴくつき、尻尾がふりふりと動くのを青年は幻視した。
 ――厄介なのに掴まってしまった。
 欧米人に囲まれた中、ようやっと同胞と出会えた喜びは青年にも分からないでもないが、『団子より花』な彼としてはそんなことよりも今眼下に広がる夜景を楽しみたいところであり、いい迷惑である。
 ――こいつと出会うのはもう少し後の予定だったんだが。
 それこそ、こういうのは今自室に籠もっている相棒(ツレ)の役割である。
「悪いね。同じ日本人て言っても、そこにいる金持ちと違って、俺は見ての通り貧乏人だ。舞踏会の相手を捜してるなら他を当たった方がいいぜ」
 と青年は肩をすくめる。彼の言う通り、この舞踏会にいる者は目の前の少女も含めて皆とても整った上品な身なりをしており、いかにも着古したよれよれのスーツを着ているのは彼だけである。
「――それに、見ての通り俺は目つきが悪い。もしかしたら悪いオトコかもしれないぜ」
 と、悪ぶる青年に対し、少女は吹き出したように笑う。
「そんな目を輝かせて『やっべ、飛行船マジカッケー。機関室とか見学させてくんねーかなー、いいなー、飛行船マジいいなー』とか叫んどきながら、悪いオトコだぜって言われても」
 少女の言葉に青年は思わず赤面し、顔を逸らす。どうやら、自分でも気付かないうちに心の声が漏れていたらしい。大好きな飛行船に乗ってテンションが上がりすぎていたのだろう。気をつけなければ。
「うっせ。いいじゃねーか。空飛ぶマシンは男のロマンだ」
 法助は視線を外の景色に向ける。月夜の下に広がる雲海。その切れ目からは先ほどは見えなかった。都市の光、その瞬きが漏れ出ており、幻想的な光景に彩りを加えている。こんな面白い風景なのだ、テンションがあがったとしても仕方ないだろう、と青年は思う。
「へぇ、じゃあ一番好きな飛行機は何?」
「そんなこと、聞かれるまでもない」
 少女の何気ない言葉に青年はそっと指先を月へ向ける。
「空飛ぶ乗り物の最上位、宇宙船だ」
 遠い目を――本当に遠い目をしながら青年は語る。
「いつか、この空の果てのその先へ、宇宙へ行くのが俺の夢だ」
 青年のやたらと感慨の深い言葉に少女はへぇ、と感心の声をあげる。
「夢があるっていいわね。今時の若者にしては偉いわ」
「いや、別に偉い訳ではないっていうか……むしろお前の態度が偉そうだろ。
 年上になんて口の利き方だ」
 すると少女は目をぱちくりとさせる。
「え? 年上?」
「これでも俺は二十三歳だ」
「うそっ! 同い年だと思ってた」
 少女の視線が青年の頭からつま先を行ったり来たりする。身長で判断していたのは明らかだ。今に始まったことではないが、二十歳を過ぎても子供扱いされるのは色々とうんざりである。
「お前とは同い年(タメ)じゃない。だからとっとと向こう行けよ」
 しっ、しっ、と手で追い払うが少女はまったく意に介さない。
「ねえねえ、あなたの名前は? 何してる人なの?」
 どうやら彼女は彼を舞踏会の時間つぶしの相手に選んだらしい。快活な彼女だが、周りは外国人だらけでやはり心細いのだろう。
 ――予定より早いが、仕方ないか。
 青年も彼女の相手をすることを決めた。
 背筋を伸ばし、少女に向き合う。
「俺の名は新城法助。時代遅れのしがない手品師(マジシヤン)さ」



「ホースケ? 変な名前っ!」
 けらけらと笑う失礼な少女に思わず殴ってやろうかと思うが、青年――法助はぐっとこらえる。
「俺は名乗ったぞ。そっちも名乗れよ」
「あ? 私? 知りたいの?」
 意外そうに言われて法助はため息をつく。
「普通、片方が名乗ったら名乗り返すもんだろ」
「私の名前は綾野まなか。聞いたことない? 綾野財閥のお嬢様って言ったらその筋では有名なはずよ」
 得意げに胸を張る少女――まなかに法助はため息をつく。
「残念、俺はその筋じゃない。さっきも言った通りしがない手品師でね」
「ふぅん。そうなんだ」
 なんだか珍しいものを見るような目でまなかはじろじろと法助を見てくる。どうやらこの少女は自分をちやほやしてくれる世界の中でしか生きてこなかったらしい。世間知らずにも程があるだろう。よっぽど過保護な環境で育てられたに違いない。
「綾野財閥ね。今世界を股にかけて儲けてるらしい、て話なら聞いたことあるけどな。
 正直俺には関係ない話だ。宇宙開発には手を出してないし」
 法助にとって、大事なのはあくまでそこである。綾野財閥なんて法助とは関係のない話だ。――取引相手でもない限りは。
「手品師なら金持ちの名前くらい知っておきなさいよ。そんなんで売り込みできると思ってるの?」
「今回は私用だ。金持ちの友人が、飛行船のチケットくれたから来ただけだ」
 肩をすくめる法助にまなかは合点のいった顔をする。
「なるほど。どおりで貧乏くさいと思った」
「あぁん、喧嘩売ってるのか?」
「客観的な事実を述べたまでよ」
 ――まったく、小生意気なヤツだ。
 法助が年上と分かった途端に態度が悪くなってる気がする。同い年なら同格だが、年上の社会人は格下と言うことだろうか。嫌な子供である。
 法助はため息をつきつつ、近くのテーブルからピザを取り、口にする。少なくとも、食べてる間はこの小うるさい少女に返事をしなくて済むだろう、という浅知恵である。
「ねえねえ、じゃあ、何か手品見せてよ。手品師なんでしょ?」
 しかし、人がものを食べてるにも関わらず、まなかは構わず自分のわがままをぶつけてくる。わがままが常に通ることを前提に行動してるのかもしれない。
「……今は営業じゃないだが」
 言いつつも、コインを一枚取り出したのは職業病のなせる業か。
「ここに一枚コインがある。なんの仕掛けもない。疑うならお前が持ってるコインをだし貰ってもいい」
「コインなんて私が持ち歩く訳無いでしょ」
 ――どうやらこのお嬢様は札束かクレジットカードしか持ち歩かないらしい。もしかしたら、いつもは執事が財布を持ってるとか言う意味かもしれないが。
「はいはい。とりあえず、触って見ろよ」
 とりあえず、手持ちのコインを投げ渡し、種も仕掛けもないことを確認して貰う。
「うーん、どう見ても普通ね」
 コインを返して貰い、法助は自分の右の掌の上にコインを置く。それを見てまなかはぱんっ、と胸の前で手を叩いた。
「もしかして『マッスルパス』ってヤツ? あれよね? 掌(てのひら)の筋肉で飛ばすヤツ」
 ――何で知ってんだよ、この女。
「さて、なんのことかな?」
 法助がとぼけるとまなかはケータイを取り出し、ささっと検索を始める。
「ん? この飛行船、ケータイ使えるのか?」
「公衆無線LANあるのよ」
 ――マジでか。どういう仕組みなんだ? 地上と飛行船の間の通信回線を一般開放してるのだろうか。時代は変わったな。
 携帯電話の電波は普通は飛行船の高度まで飛んでないので使えないはずだし、飛行の邪魔になるから飛行船に限らずジェット機などでのケータイの使用は規制されてたりするもの、と法助は思っていたが、時代は変わったらしい。技術は日進月歩と言うがまさに、である。
「ほらあった、『マッスルパス』。掌の筋肉で飛ばすヤツ。動画もあるけど見る?
 だいたい三十センチくらい飛ばせるんだよね?」
「いらん。ていうか、それを俺に見せてどうすんだよ?」
 ――自分から手品を見せて欲しいと言いながら即ネタバレを敢行するのはやめて欲しい。
 おおよそ、客として質(たち)の悪い部類である。このお嬢様の相手をさせられる人は誰であれ苦労するだろうな、と法助はため息をついた。もっとも、今その苦労をしているのは法助自身なのだが。
「まあいいや、じゃあ見とけよ。ほらっ」
 パチン、と左手で指を鳴らすと同時にコインが右手から真上へと飛ぶ。
「ほらやっぱり、……て、あれ?」
 飛んでいくコインを見上げながらまなかは異常に気付く。
「三十センチ……じゃない?」
 コインは二メートル近く上空を飛んでいた。お嬢様の表情がみるみるうちに変わっていくのに法助はにやりとする。そして、コインは落下を始め、再び法助の掌の上に向かう。が、着地の寸前、また法助はパチン、と指を鳴らした。すると、コインは落下をやめ、こともあろうに法助の掌の真上で浮いたまま静止する。
「え? え? あれ?」
 目の前で浮いているコインを見せられ、まなかは目を見開き、驚愕する。
「ちょっと、これどうなってんの?」
「ほらほら、種も仕掛けもないぜ?」
 左手をコインと掌の間に通したり、あるいはコインの上空にかざしたりして間にヒモなどがないことを示す法助。
「お前もヒモがないか確かめてもいいぞ。ただし、コインには触るなよ」
 法助の言葉にまなかはつんつん、と浮いてるコインをつつく。
「うーん、不思議ね。どうやってるのかしら?」
 ――この女、躊躇いなく触りやがった。
「おい、人の話聞いてたか? コインには触るなって言ってるだろ」
「いいじゃない減るもんじゃなし」
 まあ、コインに触られてもネタバレすることはないのだが、客としては本当に扱いづらいことこの上ない。
 話ているうちにコインは力を失ったかのように掌の上に戻った。
「はい、おしまい。こんなもんでいいだろ」
 コインをしまう法助に、お嬢様は不満の声を漏らす。
「えー? ちょっと! もう一回! もう一回見せてよ! タネをばらすから」
「ダメに決まってんだろ。手品師をなんだと思ってやがる」
 わざわざこんなところでこれ以上タダ働きをする必要なんて無い。今日はオフなのだ。法助の気分的には。働くつもりは毛頭無いのだ。
「んもう、ケチっ!」
「ああ、ケチですよ。俺は貧乏人なんでね」
 と、法助は肩をすくめる。
「心まで貧乏になったら終わりよ、て母さんが言ってたわ」
「まったくその通りだが、だからといってワガママが許される理由にはならん」
 法助の言い様にまなかは文句を言おうとするが、それよりもさっきの手品が気になったのか考察を始める。
「でも、ほんと不思議ね。今のどうやって飛ばしたのかしら?
 超能力なら簡単だけど、違うのよね。それなら目が緑色に光るはずだもの」
 あごに手を当てて、考え込む。
 そう、彼女の言う通りである。ここ数年増えている超能力者ならば、目が緑色に光るはずだ。
「なんにしても、気に入って貰えたみたいでよかったよ。最近じゃ、超能力のせいで手品の価値は下がりっぱなしだからな」
 法助が見せたコインの浮遊魔術(レビテーシヨン)なんて《念動力》(テレキネシス)の超能力者にとっちゃ難しいことでもなんでもない。まあ、法助の手品も、実は手品とは違う技術なのだが。
「そうね、超能力を使えば、ものを浮かせるなんて本当に難しくないものね」
 言ったそばからまなかの瞳から緑の光が溢れ、持っていたケータイがふわりと浮き上がる。
「ほら、こんな感じで」
「………………」
 法助はなんと言っていいか分からず、黙ってまなかを見た。興醒めもいいところである。
「お前なぁ。空気読めよ。
 それって、毎日走り込みをしている陸上選手に『頑張ってるけど車で移動した方が早いよね』と言うようなもんだろ」
 ため息をつく法助に対し、まなかは悪びれる様子は全くない。
「そんなことないって。むしろ、今の手品って徒歩で自転車より速く走ってるみたいなものじゃない。充分すごいって」
 確かにそう言われたって気が晴れるものでもない。まあ、他ならぬ超能力者である彼女が賞賛してくれているのだからよしとするべきだろう。
 とはいえ、コインを浮かせるので精一杯だった法助とは違い、まなかはケータイを浮かせた挙げ句、バスケットボールのごとくくるくると横に回転させたりしている。どう考えたって超能力の方が凄い。
「でも、増えたな。超能力者。
 昔は存在すら否定されてたのにな」
 思わず法助は遠い目をする。超能力者が正式に確認されたのは四年前のこと。
 超能力はそれまでUFOや未確認生命体みたいなオカルトと同列のフィクションの中だけの存在とされていた。しかし、今や目の前の少女のように実在する現実的なものとされている。こうして存在するのだから、まやかしも減ったくれもない。
 アメリカのとある大学の発表によれば、現在では一万人に一人が超能力者であるという。それほど多い数ではないが、決して少ない数でもない。
 超能力は老若男女構わず、ある日突然目覚める。赤ん坊が突如目覚めることもあれば、定年退職した老人が唐突に目覚めるというカオスぶりだ。本当に、いつ誰が目覚めてもおかしくない能力なのである。その性質からとある国では、超能力者は『空想具現化症候群(リアル・フィクシヨン)』という『病気』に掛かった患者扱いされたりしている。なんというか、リアルなのかフィクションなのかはっきりして欲しい病名だ。
 なんにしても、単純計算で約七十億の世界人口のうち、七万人が超能力者ということである。法助のように世界中を旅していると意外とよく出会うレベルだ。
「まあ、これからどんどん増えていくでしょうね。ネット上では十年後には地球にいる人類全員が超能力者になる、て言う話もあるわ。今はその過渡期だとか」
「誰だよそんなこと言ってるのは?」
 そんな話は初耳である。法助は思わず訊ねていた。
「『しゅりりんご』っていう超有名ブロガー」
「……あっそ」
 学者が言うことがすべて正しいと言う訳ではないが、少なくともネット上に流れる情報などなかなかアテにならないものだ。
「ちょっと、なによそれ。『しゅりりんご』さんは博識で、時事ネタを色々と分かりやすく解説してくれるのよ? その人が予想するんだから間違いないわ」
「知識があるからって予想が当たるとは限らんだろ」
 この子は年頃の少女らしく、ネットの情報を鵜呑みにしすぎである。世の中にある情報と個人の意見はまた別の物だと理解するべきだ。
 法助は思わず肩をすくめ、ため息をつく。
「まったく、なんで休みの日に俺がこんな家出娘のお守りに付き合わにゃならんのだ」
 法助の言葉にまなかはぴくん、と眉をつり上げる。
「……なんで私が家出したって知ってるのよ? 私のこと知らないんじゃなかったの?」
 少女の言葉に法助は自らの失策に気付いた。
「ほら、綾野財閥って有名じゃねーか。確かそこのお嬢様が家出したってニュースを聞いたことをさっき思い出してな」
「嘘。そんなの全然ニュースになってないし……ほら、ケータイで検索しても出てこない。第一、そんなニュースが出たら速攻でお父様が握りつぶすわ」
 ――くっそ、誰かこの女からケータイ取り上げろよ。
 法助は後頭部を乱暴にかき上げ、言い訳を考える。が、これ以上取り繕ってもしょうがないので正直に白状することにする。
「ああそうだよ。俺は綾野財閥に家出娘を連れ戻せって依頼でここに来てる」
「えー! じゃあ手品師は嘘だったの?」
 ――このお嬢様驚くポイントがおかしいだろ。
「手品師は本業。世界中を旅して小銭を稼いでる。でも、それだけじゃ宇宙に行くお金が足りないから副業で何でも屋をやってんだよ」
 法助の言葉に何故かまなかはほっとした顔をする。
「よかった。本業の手品師なのね」
「こだわるポイント間違ってるだろ」
 すると何故かまなかは胸を張って言い張る。
「だって、手品で驚いたの初めてだったもの。
 子供の頃から手品見てもすぐにタネが分かっちゃうから手品を楽しめたことがないのよ。昔、そんな私を心配してお父様が数々の手品師を呼んできてくれたけど、結局ダメだったわ。
 だから、あなたは誇っていいのよ。この綾野まなかを初めて楽しませた手品師としてね」
 彼女なりに最高の賛辞なのだろう。とびきりの笑顔を向けてくれるので法助としてはけっして悪い気はしないのだが。
 ――この上から目線がなければ素直に喜べるんだけどな。
 色々と残念な子である。
「……で、どうするの? 次の中継地点で飛行船を下りて私を連れ戻すつもり?」
 この飛行船はアメリカ大陸横断旅行の為の特別便だ。途中、いくつかの都市で補給しつつ、アメリカ大陸を西から東へ旅する。予定では明後日に中継都市に着陸する予定であり、降りるならばそれが妥当だろう。
「……その事なんだが」
 法助が口を開いた途端、唐突に会場の照明が落とされる。
「お? なんだ?」
「停電かしら?」
 法助だけでなく、会場がざわつき始める。流れていた音楽も止まり、ボーイやウェイトレス達の慌てる声も聞こえてきて会場内に不穏な空気が満ちていく。
 やがて、会場の一点にスポットライトが当たる。
 そこに立っていたのは頭は禿げているものの、立派な髭を蓄えた中年の白人男性だった。司会者らしく、片耳にはヘッドセットが装備されている。
 きっと軍隊経験者なのだろう。がっしりとした筋肉質の体がスーツの上から分かる。それになにより、右手に持っているマシンガンが実にお似合いだ。
「……マシンガンだと?」
『紳士淑女の皆々様方(レディース・ェン・ジェントルメン)っ!
 空の豪華客船による船旅は楽しんでおられるようでなによりっ!
 だがしかし――』
 瞬間、剃髪の髭ダンディが右手に持っていたマシンガンを天井に撃ち、銃声が会場を支配する。会場にいた人間達は突然の事態に悲鳴をあげる。
『――パーティは終わりだ。これからは、我々と地獄に付き合って貰う』
 言うと同時に会場の出入り口もライトアップされ、強面の男達が似合わないスーツを着つつ、銃器を武装する姿が露わにされる。
 ――ハイジャックかよっ!
 法助は思わずがっくりと肩を落とす。せっかく楽しい船旅が始まると思ったらこれである。この豪華客船は言うまでもなく乗客は金持ちばかりである。テロリストの人質として価値のある人間がわんさかいる。こういう事態を防ぐために厳重な警備がなされていたはずだが。どうやら彼らの方が上手だったらしい。
「くっそ、旅行が台無しだな。どうしたもんか」
 法助の方策としては、飛行船旅行を楽しみたかったので、もうしばらく飛行船旅行をしてからお嬢様を親の所へ連れ帰るつもりだったのだが、計画は泡と消えたようだ。
 テロリスト達はなにやら演説を始めたが、英語が難しくて法助は気にもならず、聞き流すことにする。
「……ちょっと、痛いんだけど?」
 無理矢理法助にしゃがまされたまなかが小声で文句を言う。法助は「悪い」、と応えて押さえていた手を離し、二人とも立ちあがった。
「まったく、テロを起こすならグランドキャニオン通過してからでもよかったろうに」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 何落ち着いてるのよ!
 あいつら有名なテロリストらしいし、これからどうなることか」
「知ってるのか?」
「ネットで調べたら公式ページあったし、軍事系のWikiにまとめもあったわ」
「……そうか便利な時代だな」
 ――このお嬢様は何でもケータイで情報調べてくるな。ネットが繋がらない場所に行ったら干涸らびて死んでしまうんじゃなかろうか。
「ああもう、どうしたら」
「落ち着けって。今更じたばたしてもどうにもなんねーよ。まずは様子を見ようぜ」
 慌てふためくお嬢様とは対照的に、あくまで法助は自然体(マイペース)だ。それこそ、ハイジャックが起きる前と大して変わらない様子である。それこそ、ハイジャック犯達のことを歯牙にもかけない泰然自若っぷりだった。
 ――まあ、いざとなったらうちの相棒がなんとかするしな。
「落ち着いてられる訳ないでしょっ! あなた頭おかしいんじゃない?」
 そう言われても法助は肩をすくめるしかない。
 ――そもそも、この程度のピンチは今まで何度も経験したしな。
 危機感が鈍っているのかもしれない。少なくとも、法助にとって、ハイジャック犯はこれまでの人生であったよくあるトラブルの一つでしかないのだ。
 ――我ながら、波瀾万丈な人生を送ってるな。
 自嘲の笑みを浮かべつつ、このお嬢様をどう落ち着かせるかと思案する。下手に暴れ出されても困る。しかし、ケータイをいじってる間に落ち着きを取り戻したらしく、その後もお嬢様は何も言わずケータイをいじり続けた。いや、落ち着きを取り戻したと言うよりは現実逃避なのかもしれない。
 ――ん? 待てよ? ネットが繋がってる?
「電話はかけれるのか?」
「ん? 解放されてるのは無線LANだけで電話は専門の電話機のところに行かないとダメなはずよ」
「便利なのか不便なのかよく分からん飛行船だな」
 テロリスト達も電話を押さえれば大丈夫と思ってたのだろうが――もしかしたらネットワークに関しては盲点だったのかもしれない。
「よし、ともかくネットが繋がってるうちに連邦調査局とか国防省とかへメールしろ。後、SNSで情報拡散してもらえ」
 法助の言葉にまなかは首を振る。
「メールはもう送ってる。でも、信じてくれたかどうか。もしかしたら悪戯かと思われたかも。他にいくつかのSNSで『ハイジャックなう』て呟いてるんだけど『ネタ乙』か『釣り認定』か『なにか映画見てるの?』て返信がくるわ」
「お前意外と有能だな」
 指示するまでもなくまなかは自分に出来ることをやっていたらしい。この短時間に手早いことだ。もしかしたら態度だけでなく、中身も大物なのかもしれない。
「当たり前でしょ」
 まなかは法助の言葉を聞き流し、ケータイをともかくいじり続ける。が、どうにも彼女の言葉を信じる人間は少ないらしい。
 ――まあ、いきなりハイジャックに巻き込まれました、と言われても信じれる人はいないだろう。ましてや、飛行船のハイジャックだ。飛行船が現代でも飛んでることすら嘘だと思われかねない。
「なら、動画を配信しろ。出来るだろ」
「なるほど、あなた、頭いいわね。ストリーミング配信するわ」
 まなかは即座にケータイを弄り、動画撮影を開始する。会場の真ん中では相変わらずリーダーらしき禿頭の演説が続いている。まだしばらく終わりそうになかった。さすがに、スポットライトの下でマシンガン片手に演説する有名テロリストの映像がリアルタイム配信が行われたら大事になるだろう。政府も動き出すはずだ。
 ――手は打った。
 今は数多くの乗客が人質に取られ、出入り口も塞がれている。下手に動くよりはこのまま状況が変わるのを待つのが一番だ。この会場の外がどうなってるか分からないが、船室には法助の相棒もいる。いざとなればどうとでもなるだろう。
 だが、そんな法助の楽天的な予想をあざ笑うかのように女性の悲鳴が会場に響き渡った。
 何事かとステージへ視線をやると、美しい白人女性とその娘らしき少女が会場の真ん中にあるステージへ強引に引きずられていた。
 周囲で怒号が起きる。が、髭ダンディの傍らにいた副官らしき黒人の男が天井に拳銃を放つと、再び会場は静まりかえった。
「おい、何がどうなってる?」
「聞いてなかったの?」
「あいつらの英語は難しくてよく分からん」
 居直る法助にまなかはあきれた顔をする。それでよく
 演説の上手い者ほど、平易な言葉で学のない人間にも分かるように語ると法助は思う。その点で彼らは実に演説が下手だと言えた。少なくとも、法助には彼らの言ってることの二割も理解できない。だから、ずっと聞き流していたのだ。
「見せしめにあの人達を殺すのよ。あの人達は政府高官の婦人とその令嬢だから」
 ――ネットが繋がるのはそう言うことだったのか。
 おそらく、この光景はテロリスト達自身によって撮影され、外に放送されているのだろう。だから、テレビショーのごとくリーダーが演説をぶっていたのだろう。
 そして、意図的にネット環境を維持し、まなかのように現場の情報を人質達にネットに流させ、事態を公に知らしめることが目的なのだろう。おそらくこの公開処刑が終わると同時に公衆無線LANは閉ざされ、外部との連絡が遮断されるに違いない。
 禿頭の髭ダンディの演説は続く。母親から引きはがされ、椅子に座らされた少女の目が宙をさまよっていた。十歳くらいだろうか。彼女は目に涙を浮かべて周囲に助けてと叫ぶが誰もが目線を逸らすばかり。
 そして、最後に法助と目があった。
 このハイジャック騒動でも自然体の法助は、人質の少女の涙の訴えを受けて、それでも平然と視線を受け流した。法助には彼女を助ける義理も理由もない。だから、可哀想だと思うが、法助が動く訳にはいかない。そんなささやかな感傷に惑わされ、法助は幾つもの失敗を繰り返してきた。法助も若い頃とは違う。目に映る河合そんな女の子を片っ端から助けられるヒーローではないのだ。
 彼女の口から漏れるだろう『助けて』(ヘルプ)という声をどう無視しようかと法助は考えたが、意外にも少女はそこで口を閉じた。そして、それっきり何も言わなくなった。
「…………っ!」
 法助は息を飲んだ。明らかに人質の少女の顔つきが変わっていた。涙は引っ込み、幼い彼女の顔は引き締められ、その瞳からは確かな強い意志を感じさせる。ステージの上で椅子に座らされ処刑を待つ彼女の顔からは助けを求める弱さはもはやない。ただ、毅然と前を向き、粛々とこれから来るであろう最後の時を待っている。彼女は自分の運命を受け入れたというのだろうか。自分一人が犠牲になれば、少なくとも今ここにいる人間の命はある程度守られると言うことを。
 そんな少女の変化を感じ取ったのかリーダーの髭ダンディが訊ねる。
『どうやら母親と違って娘の方は聞き分けがいいようだな』
『私はパパの娘だもの。テロには屈しないわ』
 リーダーの禿頭を見据え、彼女ははっきりと言い放つ。その言葉にテロリスト達よりもむしろ母親の方が驚きの表情を見せた。
『見せしめは私だけでいいでしょ? ママは許してあげて』
『何を言い出すのっ?! お願いよ、殺すならこの子じゃなくて私だけでいいでしょう? この子は解放してっ!』
 覚悟の決まった娘の言葉に母親は悲鳴をあげ、さらに取り乱す。その様子を髭ダンディは興味深げに見つめる。そして、驚くべき言葉を口に放った。
『素晴らしい。殺すには惜しい人材だ。
 どうだろう? 我々の仲間にならないか?
 そうすれば母親も解放してやらんでもない』
 リーダーの言葉にさすがに部下達も驚きの声をあげる。が、リーダーはそれらを手で制して静まり返させる。実に統率の取れた様子だった。それだけ彼は信頼されているのだろう。もしかしたらこのリーダーの元であればテロリストの仲間になっても決して悪い扱いは受けないかもしれない。むしろ、ここで命が助かるのならばたとえ嘘でもイエス、と言うべきだ。
 だが、人質の少女は揺るがない。
『冗談はよして。早く私を殺せばいい。その代わり、他の人達は誰も傷つけないで』
 少女の言葉に髭ダンディは口笛を吹き、部下達に命令をした。
『母親を解放してやれ。こいつの命は母親の何倍も価値がある』
 途端に、母親が悲鳴を上げ、暴れ出す。それをテロリスト達が押さえつけ、ステージから引きずり下ろした。母親の悲痛の叫びが続く中、人質の少女はすまし顔で椅子に座っていた。その様はまるで聖女のようですらある。
 ――そんな訳があるか。
 脳内によぎった言葉を法助は即座に否定する。聖女などどこにもいない。あそこに座っているのはただの力ない少女だ。ほっそりとした手足は儚げであり、触れてしまえば折れてしまいそうなほど小さい。どうみたって彼女は法助より何倍も弱い少女だ。
『なんと無様な女だ。それに引き替え、娘の君は《高貴なる責務》(ノブレス・オブリージユ)の心を持っているようだな』
 リーダーの言葉に人質の少女はきょとんとした。
『《のぶれす・おぶりぃじゅ》ってなんですか?』
 人質の少女のあどけない言葉に髭ダンディの目が点になる。そして――笑い出した。こんなにも面白いことはないと言わんばかりに腹を抱えて笑い出す。
『なんですっ! バカにしないでください!』
 髭ダンディの態度に顔を真っ赤にする少女。それを見て髭ダンディは禿げた額を叩き、片手を上げ、指先をくいっと動かす。部下の一人が少女に拳銃を向け、人質の少女は黙り込む。
『意味はあの世で検索するんだな』
 そして、髭ダンディが上げたままの手を振り下ろそうとしたその時――。
 気がつけば法助は近くにあったテーブルを蹴り倒していた。
 テーブルの上に乗っていた食器が砕け割れる物音が会場に広がり、全員の視線が法助に向く。
「ちょっと、何してるのよ、あなた!」
 傍らにいたまなかが悲鳴をあげるが気にしない。肩をすくめて軽くぼやく。
「あの世で検索しろ? あの世にネット環境などあるものか。辞書で調べさせるべきだ」
 法助はそのまま自然な動作でステージへ向かって歩き出した。事前にテーブルを蹴り倒したことなど感じさせない、これから散歩にでも向かうような気軽な調子である。
 あくまで自然体の法助の様子にテロリスト達も銃を向けつつ、リーダーへ困惑の視線を向ける。
『おいおいどういうつもりだ、中国人の少年?』
 髭ダンディが部下達の声を代弁し、法助へ言い放つ。
『中国人じゃない(ノツト、チヤイニーズ)』
 法助は軽く首を振りながら、さらに前へ進む。
『日本人だ(アイム・ジヤパニーズ)』
 法助の言葉に人々は動揺し、ざわめき始める。かまわず法助が進むと人垣が割れ、ステージへの道が出来る。日本人だ、という宣言が効いたのかテロリスト達も何も言わず、法助の動きを呆然と見ている。
 ――まるで珍獣扱いだな。
 何もかもが茶番に見えた。法助がこんなことをする必要はない。義理もない。こんなことは相棒に任せてただ座っていればいい。だが――。
 考えているうちに法助はステージの上に到着していた。
 突如として表舞台へ現れた法助を見て人質の少女は戸惑いの表情を見せていた。これでは彼女が生け贄を申し出た意味がない。何もかもご破算だ。
 近くで見ると、少女の膝の上に置かれた手が震えているのが分かった。
 ――こんなにも小さな子供が戦っているのに、自分が戦わないで見ているなど、茶番にも程がある。
 結局、法助はまだまだ割り切れない子供と言うことらしい。後で相棒にしこたま怒られるかもしれないが、知ったことではない。これが、法助のやり方なのだ。
『あのイカレた島国(クレイジィ・アイランド)の住人が何をしに来た?』
 ――クレイジー・アイランドか。今の日本が異常なのは確かだが、かつての故郷を悪く言われるとなかなか頭に来る。
 法助は髭ダンディを軽く睨んだ。相手との距離は約七歩分。
『茶番は終わりだ(シヨータイム・イズ・ジ・エンド)。投降しろ(リザイン・プリーズ)』
 法助の言葉にその場にいた全員が一瞬呆け――そして、テロリスト達全員が笑い出す。無茶苦茶な英語で意味の分からない要求を突きつける日本人の小僧に、もはや彼らは笑うしかない。
 そして、リーダーの合図と共に幾つもの銃口が法助に向けられる。
『日本人は超能力者が多いと聞く。その自慢の能力で銃弾を止めれるってことか?
 残念だったな、ヒーロー。
 超能力は自分の認識したものにしか作用しない。二十幾つもの弾丸すべてを認識し、それを止められる者はいない。
 そもそもいかに強力な超能力者も背後から撃ってしまえば、それで終わりだ』
 幾つもの銃口と幾つもの殺気が法助の体に突き刺さる。法助の命はまさに風前の灯火だ。
 だが、法助は揺るがない。ただ、淡々と告げる。
『ヒーローじゃない(ノツト・ヒーロー)』
 三白眼をより一層鋭くし、髭ダンディを睨む。
『まして、超能力者でもない(アンド、ノツト・サイキツク)』
 法助は胸元から隠し持っていた拳銃を取り出し、地面に落とした。唯一の武器を捨て、武装解除をアピールする。
『武器を捨てろ(スローアウェイ・アームズ)。今なら許す(アイ・フォーギブ・ナウ)』
 支離滅裂な法助の宣告にテロリスト達はいよいよ混乱する。
『ヒーローでもなければ超能力者でもない。だとしたらお前はなんなんだ?
 これだから日本人はイカレてる。お前に許しを請う必要がどこにある?
 お前はただここに死にに来ただけだ!』
 周囲から下品な笑い声と人質達の明らかな失望の声が聞こえてくる。
 なにもかもがまさに茶番だった。
 ――こんな茶番は……とっとと終わらせるに限る。
 法助はそろりと自分の右足をあげる。これから踏み出す一歩のために。
「警告はしたぞ」
 言葉と共に法助は振り上げた足を渾身の力を込めてステージにたたき込んだ。



ダァァン
 その踏音と共に世界が一変した。
 会場中に存在したあらゆる銃という銃が突如として持ち主の手を離れてひとりでに浮き上がったのだ。テロリスト達の持つマシンガンや拳銃、アサルトライフルやショットガン、それらのすべてが会場の上空を浮遊するという異常事態。
 テロリスト達は銃を取り戻そうと思わず手を伸ばし跳び上がるが、銃達はそれに連動してさらに高度をあげ、テロリストが着地するとまた高度を下げる。
『一体何が――』
 髭ダンディが必死で状況を把握しようとしたその時――喉元に冷たい感触を感じた。幾つもの戦場を経験した彼にはなじみの深い、冷たい銃口の感触。
 銃口と共に向けられたイカレた日本人の視線で髭ダンディは気付いた。先ほどただ一つだけ、地面に転がっていた拳銃があったことを。
 あれは布石だったのだ。この男はすべての銃が浮き上がった時、ちょうど自分の手元に拳銃がくるように、あらかじめ拳銃を地面に捨てたのだ。
 やはりこの男は超能力者だったのだろう。
 だが、だとすればおかしいことがある。超能力者は自分の認識したものにしか能力を働かせることが出来ない。だというのに、今会場には目の前の男が知り得るはずのないテロリスト達の隠し持っていた銃ですら浮いている。そして、会場に浮かぶ銃は約四十足らず。それらすべてを認識して同時制御できる超能力者の存在を髭ダンディは知らない。
 そしてなにより――目の前の日本人の目は緑色に光ってない。
『きっ、貴様っ! 一体何者だっ! どうやって超能力をっ!』
「超能力者なんかと一緒にすんじゃねーよ。俺はあんな新手(ニユービー)共とは違う。もっと歴史ある力の継承者だ」
 法助は分からないだろうと思いつつ、日本語で語る。別に、彼らに法助の宿命を語る必要はない。他のテロリスト達が法助に襲いかかろうとしたが、法助が睨みつつリーダーに拳銃を押しつけ『動くなっ! 状況を理解しろ』(フリーズ!ユー・ノウ・ナウ・シチユエーシヨン)と言うとしぶしぶ動きを止めた。
「おい、お嬢様っ!
 浮いてる銃をかき集めて窓の外に捨てろっ! 横軸へ移動させればいいっ! それくらいなら出来るだろっ!
 あと面倒だから、こいつらに英語で、動くな、動くとお前等のリーダーを殺すって命令してくれっ!」
 目の前のボスから目線を逸らさぬまま、法助がまなかへ命令する。
「なんで私がっ!」
 文句を言いながらもまなかの目が緑の光を放ち、浮いていた銃達が彼女の元へと集められていく。法助の予想した通り、彼女は超能力者としてなかなかの力を持っているようだった。会場の隅に浮いている銃にまでその念動力が届いている。
 そんな作業をしつつ、まなかは法助の言葉を英訳してテロリスト達に伝えてくれる。実にありがたい。
『銃を取り上げたところでなんになる? この会場の外にも仲間はいる。貴様一人が銃を持っていても、無駄だ。貴様のようなチビをひねり潰すことなど俺たちには造作もないことだぞ』
『引き金を引くのも造作もないことだ(ディス・トリガー・イズ・ベリー・イーズィ)』
 法助の言葉に髭ダンディは黙り込む。そう、今の状況は決して法助に有利とは言えない。拳銃を取り上げられたとはいえ、数に任せて襲いかかればテロリストは幾らでも法助を拘束できる。だが、少なくとも法助はそれよりも早くこのテロリスト達のリーダーを殺すことが出来る。ただ、それだけの話だ。
 このテロリスト達が理想に本当に理想に殉じるタイプで、部下に「俺のことはいいからこの小僧を取り押さえろ」と言ったならこの均衡は崩れる。しかし、少なくとも目の前のリーダーはそうではなかったらしい。
『おい、嬢ちゃん(ヘイ・ガール)。立て。(スタンダツプ)母親の所に戻れ(ゴー・トゥ・ママ)』
 ボスから視線を逸らさぬまま、法助は人質の少女に言う。うまく伝わらなかったのか、少女は法助の元へ近寄ろうとしたので、再び『母親の所に戻れ(ゴー・トゥ・ママ)』と言うと法助から離れていった。
 これで後は外の連中を法助の相棒が蹴散らしてくれれば状況はクリアだ。なにせ、法助と違って相棒はとても強力な超能力者なのだから。
 ――まさか未だに船酔いで寝てるなんてことはないよな。
 一抹の不安がよぎるが、法助は考えないことにした。いや、ここ目の前のリーダーに部下全員の武装解除を命じるべきか。
 そんな法助の思考はガシャン、とガラスの割れる音によって邪魔される。
 まなかが銃を外に捨てる音だった。
 途端に、外の冷たい空気が会場へと強風を伴ってなだれ込んできた。会場にいた人間は悲鳴と共にその場に座り込み、突如吹き荒れた暴風に飛ばされないようにする。
「おい、窓開けてから銃を捨てろよっ! 無茶苦茶だなっ!」
「窓の開け方が分からなかったのよっ! 仕方ないじゃないっ!」
 ――考えなしのお嬢様がっ!
 法助が毒づこうとした瞬間、衝撃が法助を襲った。小柄な法助の体は軽々と数メートル吹き飛び、ステージの下へ叩き落とされる。
「ぐっ!」
 法助はなんとか受け身を取り、即座に立ちあがる。背中がひりひりとするが泣き言は言ってられない。
 人混みの奥から白いスーツを着た眼鏡をかけたドレッドヘアの黒人が現れた。
 ――この男か。
 法助は躊躇なく現れた黒人へ引き金を引く。
 連続して放たれた二発の弾丸。しかしそれらは黒人の目が緑の光を放つと見えぬ壁に阻まれたように中空に静止する。この男もまなかと同じく超能力者に間違いなかった。
 しかし、問題はそこじゃない。
 ――まずい。
 法助がその場を飛びのくと、一拍遅れて法助が元いた場所で素手のテロリスト達が激突する。ぶつかった二人はその場に倒れるが、代わりに別のテロリスト達が次々と法助に襲いかかってくる。
「くそっ!」
 法助は力強く地面を蹴り、後ろに退く。法助の踏音が響くと共に法助へ突進してきていた六人のテロリスト達がカタパルトで打ち上げられたかのように凄まじい勢いで浮きあがり、天井に激突した。その衝撃に彼らは気絶し、どさりどさりと地面に落ちた。
 それを見てテロリスト達は襲いかかるのをやめ、法助を遠巻きに取り囲む。
 ちらりとまなかの方を見ると、彼女も同じくテロリスト達に囲まれていた。足下に何人か倒れた男達がいるところからすると、彼女も自分の能力でテロリストを叩き伏せたらしい。なかなかのお転婆ぶりだ。
 超能力は誰でも覚醒する可能性があるとはいえ、多くの場合は一般人なのでそれを戦闘用に使うことはなかなか出来ない。特にこんな状況下では足がすくみ上がって上手く能力を使えない人間の方が多いのだが、彼女は例外らしい。拳銃がないからだろうか。
 法助は彼女の安全を確認すると、脳裏に先ほど演説していた髭ダンディの顔をイメージし、地面を踏み叩いた。踏音が響き渡ると共に部下達の奥に撤退していた髭ダンディがふわりと浮き上がり、天井近くにその姿を晒される。
 地に足の着かない不安定な状況に髭ダンディは手足をじたばたさせるが、あくまで浮いたままだ。似非無重力状態にさすがのテロリストのリーダーもパニック状態らしい。
 法助はそんな髭ダンディへ銃を向けて警告を放とうとするが、再び不可視の衝撃が彼の体を打ち、まなかのいる場所まで吹き飛ばす。
『やれやれ、チビは困るわ。小さすぎて、どこにいるのか狙いをつけにくいっての』
 テロリストの仲間達に囲まれていたドレッドヘアが前へ進み出る。先ほどまで手を出してこなかったのは、ただ単に、法助の位置が把握できてなかっただけらしい。超能力は相手を認識出来なければ使うことが出来ない。背の低い法助が大男達に囲まれている状態は非常に狙いがつけづらかったのだろう。
「どうして、念動力(テレキネシス)を避けないの? あなたも超能力者なら感知できるでしょ?」
 駆け寄ってきたまなかが不思議そうに訊ねてくる。超能力者であれば、他の超能力者の使う力を感知できるのは常識だ。いくら不可視とは言え、戦いに慣れてそうな法助なら避けれそうだと彼女は思ったのだろう。
「だから、俺は超能力者じゃないって言ってるだろ」
「え? でもじゃあどうやって人や銃を浮かせて」
「マジックだよ、言わせんな恥ずかしい」
 肩をすくめ、法助はドレッドヘアに銃を向け、三度引き金を引く。が、そのすべては中空で止められ、地面に落ちる。
 その隙に法助とまなかは割れたガラス壁を背に、他の三面を遠巻きに囲まれる。気絶した奴らと天井に浮いているリーダーを除くと残るテロリストは二十人と言うところか。相手は銃を持っていないのだから法助以外の乗客の誰かもテロリストに殴り込みをかけてくれると助かるのだが、この会場にいるのはどれも上品な金持ちばかりらしく、誰もテロリストに刃向かおうとしない。
 ――まあ、目の前でこんな超能力者の戦いを見せられたら腰も引けるか。
 天井に浮いた髭ダンディが『降ろせっ! ディディっ!』と叫ぶとドレッドヘアの目が緑の光を放ち、髭ダンディの体がゆっくりと地面に降ろされる。が、ドレッドヘアが超能力を解除すると髭ダンディの体はバネ仕掛けのおもちゃのごとく、すぐさま元の高度に戻された。
『……ダメっすわ。あいつを倒さないとたぶん無理っすわ』
『だったらさっさとヤツを倒せっ!』
『あいよっと』
 髭ダンディの怒鳴り声を受けてドレッドヘアの黒人――ディディは再び法助へと向き直る。
『さーて。とっとと降参してボスを降ろしてくんないかな?』
 陽気に言うディディに対し、法助は肩をすくめる。
『お断りだ。(アイ・レフユーズ)お前等が降参しろ(ユー・シユツド・ギブアツプ)』
『こりゃダメだな』
 ディディの瞳が緑の光を放ち、不可視の衝撃波が法助の背後に発生する。が、それを感知したまなかが瞳を光らせ間一髪食い止める。
「――やるじゃねぇか」
 ディディが口笛を吹き、法助も思わず賞賛する。今のは完全に不意打ちだった。幾ら超能力者同士で力を感知できると言ってもなかなか止められるモノではない。
『さすが、日本人だな。みんなそんな感じか?』
 ディディの軽口に法助は肩をすくめる。
「さあな」
 ――ともかく、とっとと終わらせる。
 法助が地面を再び踏み叩くとディディの大きな体が噴水のごとく真上へ吹き飛ぶ。
 が、ディディの目が緑に光ると中空に止まり、天井との激突は寸前で止められる。
『はっはっはっ、残念だったねぇ! ただ上に浮かすだけの能力ごときに俺が負ける訳が――』
 ディディはそう言って法助を笑い飛ばすが、地面に降りることは出来なかった。先ほど髭ダンディにかけたのと同じく、持続型の術式をかけたのでディディがどれだけ頑張ろうともディディの体は一定時間天井へと浮遊をし続ける。
 そのことに気付いたディディははっとして超能力の出力をあげて高度を下げようとするが、じりじりと万力で締められるように天井へとあがっていく。
『ちょっとちょっとっ! これどういうことなの? 幾らやっても、浮上が……止まらないっ!』
 悲鳴を上げるディディだが、法助は軽く肩をすくめるのみ。
『お前の超能力は手動で(ユア・サイキツク・イズ・マニユアル。)、俺のマジックは自動ってことだ(マイ・マジツク・イズ・オート)』
『手品(マジツク)だとっ? そんな馬鹿なっ! これのどこが手品と――』
 ディディの言葉はそこまでだった。力尽きたのか、彼ら体はびたーん、と天井に張り付けられる。そのまま、みしりみしり、と天井へと押さえつけられ、骨の軋む鈍い音が聞こえてきた。ディディの苦痛に歪む声が響き渡り、まなかが顔をしかめる。
「ちょっと、えぐいと思うんだけど?」
「うるせぇ、細かいことは気にすんな」
 ちょっと浮力を強くしすぎたと思うが、法助は気にしないことにする。
「さてと――」
 法助が周囲を見回すと、包囲していたテロリスト達がたじろぐ。
『降参してくれ(ギブアツプ、プリーズ)。ディディみたいになりたいのか?(ウィル・ユー・ビー・ライク・ディディ)』
 法助の言葉にテロリスト達は天井でミシミシと押しつぶされつつあるディディと法助を見比べる。目の前の法助は身長百六十にも満たない小柄な男であり、銃がなくともなんとか押し切れそうに見え、なかなか踏ん切りがつかないらしい。
『お前等、何をやってるっ! そんな子供(キツド)の言葉に惑わされるなっ!』
 天井に浮かぶ髭ダンディが部下達を叱咤する。が、法助は即座に地面を踏み叩き、術式を発動させた。
『げぅっ』
 びたーんと天井に叩き付けられた髭ダンディはそのまま万力のような力に押しつぶされ、みしりみしりと体を軋ませる。
『子供じゃねーよ(アイム・ノツト・キツド)』
 しかし、法助が告げた時には既に髭ダンディは白目向いて口から泡を吹いて気絶していた。もしかしたら浮力を込めすぎたかもしれない。が、法助は気にしないことにした。
 再び周囲を見渡す。
『お前等、ボスみたいになりたいのか?(ライク・ボス、ア−・ユー)』
 テロリスト達は今度こそ首を横に振り、両手を挙げて恭順の意を示した。まったく、面倒な奴らである。
「さてと、外の連中もいるけど、これで一段落か」
 法助はため息をつき、背後をちらりと見た。相変わらず窓ガラスが割れて冷たい風が吹き込んでくる。後でなんとか塞がないといけないだろう。
「……ああ、歴史ある飛行船のガラスが。もったいない」
「別にあなたのモノじゃないでしょ? 弁償はするわよ」
 法助のぼやきへまなかが文句を言う。彼女としてはできる限りのことをしたのに文句をいわれなんて心外なのだろう。
 ――そのお金はお前の金じゃないだろう。
 と思ったが、ここで口論しても意味がない亥。
「……まあいい。とりあえず、今ここにいる連中の手足は縛ろう。
 悪いが、ボーイ達へ英語で指示してくれるか?」
 法助の言葉にまなかは眉をつり上げる。
「それくらい自分でやりなさいよ」
「俺みたいな貧相な日本人よりも、美少女に命令された方が仕事がはかどるだろ」
「あ、なるほど。それもそうね」
 法助の言葉にまなかは納得し、英語で周りの大人達に指示を始めた。先ほど超能力で大男達をぶっ飛ばしているのを見ているせいかボーイ達は非常に従順だった。しかし、それをまなかは自分の美貌のせいだと信じているらしい。
 ――冗談のつもりだったんだが。
 法助は苦笑し、コキコキと肩を鳴らす。結局相棒が動いた様子はない。
 どうやら事態は法助の方で収拾させないといけないらしい。まったく面倒な話だ。
 法助が大きくため息をついていると、先ほど人質になっていた令嬢がとてとてと近づいてきた。
『なんだ(ワツツ)?』
『ありがとう、お兄さん』
『どういたしまして(ユアウェルカム)』
 礼儀正しい子だ。向こうのお嬢様と違って助けた甲斐がある。あの時、動いたのは正解だっただろう。
『ねぇ、教えて。あなたは何者なの? 超能力者じゃないんでしょう?』
 少女の問いかけに法助は少し考えた後、そっと囁くように言った。
『俺は魔法使いさ(アイム・ウィザード)』
 法助の言葉に少女は眼をぱちくりとし、首を傾げる。言ってる意味が分からない、という顔だ。当然だろう。そんな存在、現実にありえるはずがないのだから。
『みんなには内緒だぞ(シークレツト・トゥ・エツブリワン)』
 少女の頭を優しく撫で、法助はそのまま惚けた少女を後にした。
 言ったって信じないし、理解も出来ないだろう。
 当然だ。そんなおとぎ話の存在を誰が信じるものか。
 法助は手持ちの銃の残弾を確認しつつ、会場の外へ向かった。
 残りのテロリスト達を排除するために。
「さぁ、楽しい魔術(マジツク)ショーの始まりだ」



 近未来。
 地球人類の進化が加速し、超能力者が覚醒していく時代。
 そんな中、滅びゆく一つの種族がいた。
 ――魔法使い。
 太古より連なる神秘の力の担い手である。
 彼らの血は薄れ、かつての力は失われた。
 これは、人類が新たなステージへ向かう中、運命に抗い、宇宙を目指した一人の魔法使い――新城法助の物語である。


**サイキック・スペース


 そんな訳で、全然原稿の進んでない哲学さんです。
 この序章の部分。
 ハリウッド映画で言うところの最初の15分に相当する掴みの部分を書くつもりで書いてました。
 インディージョーンズでいうと、最初に洞窟に行って坂道から転がり落ちてくる大岩から逃げた後に、「インディー・ジョーンズ」てタイトルが出る感じ。

 初期構想では、ともかく飛行船で、家出娘と出会い、ハイジャック犯に襲われ、そこを颯爽と倒してばしっと「超能力者じゃない、俺は魔法使いだ」(ばばーん)的な名乗りを入れようと思ってたのですが書いてるウチに色々とつけたしつけたし、で変なことに。
 要は、物語の冒頭にゴロツキが暴れて、そこから女の子を助けるシーンを入れてタイトルコールするっていう古典的な演出をしたいのにいざ書いてみたらキャラクター達がガンガン雑談しだしてついでにハイジャック犯達もハッスルし出して意味不明なことに。
 プロットなしでノリで書くとこれだからダメですね。
 もう、飛行船でスタートはやめようかしら。
 本当は、ディディと飛行船の外で空中戦する予定もあったけど、長くなったのでカット。
 後、まなかちゃんがあんまりヒロインにならなかった。
 そしてひらがなの名前はどうなのだろうか。最初は「真名花(まなか)」て名前にしようかと思ってたけど、あんまり可愛くなかったのでひらがなに。
 物語的には、英語の苦手な法助と、その相棒と、家出娘と、まだ出てないメカニックの女の子の四人がチーム組んで色んな事件に遭遇するカウボーイビバップみたいな話になる予定です。
 でも、うん、色々考え直そう。