ルーデンス・ディグニティ 転章(その1)・第二章

 予告通り、第二章。 
 前回から大分空いてしまったなぁ。
 執筆ペースを確立しなければ。


ルーデンス・ディグニティ

序章

第一章
http://d.hatena.ne.jp/kaien+B/20130403/p1

転章(その1)

  転章

「そう言えば、レッカちゃん以外の二人はどういう子なんだい?」
 ゲームの本編開始前、チュートリアルをしながらミランが聞いてくる。
 トモシゲ達は絶賛レベル上げ中だった。
 ゲームの本編が開始してないのにレベル上げはおかしい、と思われるかもしれない。が、それは大きな落とし穴で、このチュートリアルも立派なゲームの一環なのである。
 このゲーム――サイバー・サバイバーにおいては大別して二つの武器がある。手を拳銃のジェスチャーにしたら現れる仮想の銃――サイバーガンと握り拳と合い言葉によって現れる仮想の剣――サイバーソードだ。チュートリアルではその武器の使い方を練習するためにゲーム本編が始まってないのに契約した相棒キャラが練習用の敵を出してくれる。
 チュートリアルは最後に「これから出す敵を三匹以上倒してください。終わったら私に話しかけてください」と相棒キャラに言われるのだが、ここで三匹倒しても相棒キャラに話しかけなければ練習用の敵は次々と出現(ポツプ)する。そして、この練習用の敵は微量であるがちゃんと経験値をくれるのだ。なのでこれを利用し、ゲームが始まる前の一時間の間にともかく敵を倒しまくって予め他より高いレベルにすべくトモシゲ達はレベルあげをしているのである。
 しかもこのゲーム、プレイヤーレベルは経験値制だが、スキルレベルは熟練度制だ。敵のレベルに関係なく、武器を使えば使うほど武器のスキルレベルは上がっていく。プレイヤーレベルをあげるとライフポイントと基礎攻撃力と防御力などがあがるが、総合的な攻撃力については武器を使いこなしてスキルレベルをあげなければならない。なので、単純作業になるが、ともかく武器を使う回数をガンガンに増やした方が有利なのである。
 こういうゲームの裏をかくようなプレイは別にトモシゲ特有のものではなく、ネットゲームでよく言われるやり込み型のプレイヤー――通称《廃人プレイヤー》ならば誰でも簡単に思いつくことだ。後はどれだけの密度をあげられるかである。
 このゲームが始まる前の一時間をゆっくり喫茶店で食事したりスイーツを食べたりしているような初級プレイヤーとはここで大きな差が付くのだ。ちなみに、梨子先輩はつまんないと言って早々にスイーツを食べに行った。ついでに男漁りでもしてくるのだろう。
「おーい、トモシゲっ! 聞いてる?」
 ミランに再び話しかけられ、トモシゲははっとした。
「……悪い。単純作業の繰り返しだから意識が飛んでた」
 ふよふよ浮いているポリゴンのかかしを仮想の武器で延々と殺すだけの簡単な作業である。ずっと繰り返していると作業に没入して周りが見えなくなりやすい。
「もう、トモシゲは徹底主義だね」
「優勝しないといけないんだろ? ならトコトンやるまでだ」
 トモシゲが今こうして生活できているのはこのミランという奇蹟のような存在との出会いのおかげである。彼が望むことならば、できうる限りなんだってしてやるつもりだ。
 ――まあ、どのみちゲームである限り、勝つつもりだが。
「ふふふ、さすがだね。やっぱりトモシゲが負けるなんて考えられないよ」
 無邪気なミランの言葉。しかし、トモシゲの心中はそれほど気軽ではない。
 勝負に絶対などない。そのことをトモシゲは誰よりもよく知っている。すべてにおいて最善を尽くしたとしても、最後に勝負を分かつのは運命に愛されるかどうかである。人間はせいぜいその運命とやらに見放されないように努力を怠らないようにするのみだ。
「それでさ。レッカちゃんとその友達はどんな感じの子なの?」
 トモシゲは訓練用の敵を仮想の剣で切り刻むのをやめ、仮想の銃を装備し、モンスターを射殺しつつ、答える。
「そうだな。分かりにくければ属性で覚えておけばいい」
「属性? Elements?」
 何気なく放ったトモシゲの言葉にミランは首を傾げる。そうしながらもミランも仮想の銃を装備し、トモシゲの隣に立ち、訓練用の敵を撃ち倒していく。二人とも一時も時間を無駄にするつもりはない。
「翔烈火はそのまんま。火属性。直情型で、まっすぐ。分かりやすい。すぐに燃え上がる」
「ふむふむ」
「特記事項としては、アメリカ育ちだが、育ての親である祖父は剣術家で、幼い頃から剣を鍛えられてたらしい。俺はよく知らないが、すごく強いとか」
 トモシゲの言葉にミランは面白そうに笑う。
「へぇ、じゃああの子は強敵なのかい?」
「どうだろうな? ゲームと格闘技はまた別だからな」
 とはいえ、このゲームは実際に自分の体を動かして行うものなので運動神経は高い方が有利なのは確かだ。そして、運動能力だけで言えば彼女の方が上だろう。
 だが、ゲームというものは基礎能力が高いものが勝つとは限らない。
「で、眼鏡の女――佐脇涼夏は水属性だな。粘着質で意外とその水の中には色んなものが溶け込んでる。染まりやすい。おかげで様々な裏の顔があるっぽい。優等生だったり、幼稚な腐女子だったり、生真面目な潔癖症かと思えば、ぐうたらだったり。一番人間らしいとも言える」
「へー、そうなんだ」
「で、飄々としてるやつ――石居風花もそのまんま風属性だな。その場その場の雰囲気に合わせて行動するタイプで捉え所がない。色んなことを受け流すタイプだが、その本心はどうなのかよく分からんな。確固たる自分がないのか、それを表に出してないだけなのか」
「……つまり、トモシゲもよく分かってないんだね」
 適当なことを言って煙に巻こうとしているのを見透かされたらしい。まあ、当然だ。何の根拠もない、即興の姓名判断など誰が信じるものか。
「ま、三ヶ月一緒の学校に居ただけだからな」
 トモシゲは肩をすくめた。その間にもモンスターを次々と仮想の銃で駆逐していく。なお、通常設定では音声をトリガーとして銃弾が発射するように設定されている。しかし、二人とも撃鉄を降ろすように親指を曲げるジェスチャーで銃弾が発射するように設定変更しており、いちいち「発射」と叫ばなくていい。この方が会話しながら戦えていいし、なにより闇討ちできる――というのがトモシゲの考えである。
「でも、属性で人間を見るって発想は面白いね。じゃあ、ナシコはどうなんだい?」
「あー? 先輩? あの人は木属性だな。めしべとおしべをくっつけるのが得意だ」
「なにそれ、親父くさい例えだね」
 けらけらと笑うミランにトモシゲもつられて笑う。脳裏で「ともちークンひっどぉぉい! 私の事そんな目で見てたの?!」と声が聞こえてきた気がした。意外と勘の鋭い人だから今頃くしゃみでもして「誰か私のこと噂してるかも。主にイケメンとか」と言っているかも知れない。
 ――ま、俺はイケメンではないけどな。
 梨子先輩との関わりはなかなか奇妙なもので、あの人は甘えるという名目で好き放題にワガママを言い、無理難題をふっかけてくる。時々、ほんの僅かに気まぐれに優しくしてくれることがなくもない。日本においてそういう存在のことを俗に「姉」という。トモシゲには姉がいなかったが、実際に居たらきっとあの人よりも酷いのだろう、と予想している。世の中の弟達は大変だ。
「――で、ボクは? ボクは何属性なの?」
 目を輝かせてミランが聞いてくる。
「そうさな……『ガートランド』て、ランドがついてるくらいだし地属性じゃねーの? エルフとか森の妖精系。母なる大地が生み出した奇蹟? 見た目は生命の神秘だな」
「こじつけっぽーい」
「最初からこじつけだぞ、この分類は」
 こんなものはあくまで時間つぶしの思考実験に過ぎない。ミランもそれが分かってるからこれ以上追求してこなかったが、代わりに別の事を訊いてくる。
「で、肝心のトモシゲは何属性なんだい?」
 トモシゲは虚を突かれて敵を撃つ手が止まる。自分はどんな人間か、と言われたらなんとなく分かっているつもりだけれど、それを端的に表すのは難しい。
 とはいえ、この分類は名前に入ってる文字をそれっぽくこじつけるのだから――。
「――重力属性だな」
「Gravity! ず、ずるいっ! 一人だけメチャクチャ格好いいじゃないかっ! 他のみんなは四大元素や五行なのにっ!」
「――特性は友人を大事にする」
「しかも重力関係ないっ!」
「――重い過去を引きずっている」
「むしろそれは時間属性じゃないのかい?」
「それもそうか」
 それ以上思いつかなくてトモシゲは思考放棄する。どのみちこじつけであり、何にも根拠のないただの冗談でしかない。
「……っとそろそろゲームの時間か。チュートリアル終了させてスキルポイントを割り振っておこう。まずはスタートダッシュで敵を削れるだけ削っておくぞ」
 近くの椅子に腰を下ろし、ミランにもそれを促す。
 幻衣眼の時刻表示を見るとゲーム開始十分前になっていた。
 上がったスキルレベルによって手に入ったスキルポイントを割り振ることによって武器を色々とカスタマイズできる。単純な攻撃力強化や、射程距離の増加、クリティカル率の上昇など。またスキルツリーがあり、特定のスキルをあげると隠しスキルが登場することもある、とマニュアルには書いていた。
「ちなみに、どうしてトモシゲは銃よりも剣を優先して熟練度上げしてたんだい?」
 この一時間のレベル上げのほとんどをトモシゲは剣のレベルをあげることに費やしてきた。逆にミランには銃のレベルを上げて貰っている。同じパーティなのだから互いに補い合う方がよいと考えたからだ。なお、梨子先輩は頭数に入れてない。
「確かに銃の方が攻撃力も高いし、射程もある。接近戦でも銃で戦っていいくらいだ。モンスター相手にはそっちの方がいいだろう。
 けど、人間のステータスを見ると近距離防御は低い癖に遠距離防御が異様に高い。遠くからサイバーガンで狙撃されても、よほどレベル差があってもまず即死はしないようになってる。これが意味するところは――」
「なるほど。プレイヤー相手ならサイバーガンで殺されることはほとんどないし、むしろなかなか殺されないから簡単に接近できる。そして、接近さえしてしまえばプレイヤーをサイバーソードで殺すのは簡単、てことだね」
「その通り。後、銃には対防御スキルも用意されてるのも大きい」
「そうだね。後は属性攻撃とかあれば面白かったのになー」
 飲み込みが早くて助かる。まあ、ミランは年齢こそ十歳だが、生まれついての天才児でドイツのとある大学に籍を置いているくらいだ。両親が死んでからは休学中とのことらしいが知能や学歴・社会的地位、財産などすべてにおいてトモシゲより上なのである。トモシゲが勝っているのはせいぜい年齢と身体能力、そして――ずる賢さくらいだ。とどのつまり、自分の強みはその狡猾さにある、と自覚している。ことゲームにおいての立ち回りなどではミランに負けることは当分ないだろう。
 ――本当はもっと芸術分野を頑張りたいんだけどな。
 そんなことを思いつつ、トモシゲはミランと相談しつつ対人戦に特化したスキル振りを行っていく。もっとも、ここはかなり運の要素が大きい。ベータテストなのでバランス調整が上手く行っているとは限らず、スキルによってはちゃんと効果を発揮しなかったり、どうでもいい能力しかあがらない場合もあるのだ。なので、自分が選んだスキルが実は弱くて使い物にならないスキル――いわゆる『死にスキル』になる可能性も実に高い。
 ――まあ、そこは運次第、てところだな。
「あーでも、確かにそうなのかも」
「…………?」
 突然声をあげたミランにトモシゲは眉をひそめる。ミランは天才児と言うだけあって突拍子もない思考によって行動することが時々ある。彼の中では何かしら整合性があるのかもしれないが、途中経過を知らない周りの人間にとっては奇行に近い。
 ――まあ、女装してる時点でかなり奇行だと思うが。
「さっきの属性の話だよ」
 話が分からないという顔をしていたトモシゲに気付いたミランが言い直す。
「やっぱり、トモシゲはGravityだよ」
「……何故?」
「だって、トモシゲの周りにはナシコをはじめとして面白い人が沢山集まるじゃないか。こういうのをなんて言うんだっけ? 主人公気質?」
 ――過大評価だ。
「日本語には類は友を呼ぶって諺があってだな」
「Like attracts like(同気相求む)、てやつだね」
「俺は変なヤツだし、お前も変なヤツだ。ありふれた変なヤツなんだよ。そしたら、他にも変なヤツが集まってきてる。ただそれだけの話だ。俺が特別だから、て訳じゃない」
「ありふれた?」
 ミランは小首を傾げ、トモシゲを見上げてくる。あまりにも可憐なミランがこんなことをすると、男だと分かっててもどきりとする。心臓に悪い。
 ミランが幾ら語学堪能な天才児であると言っても、日本に来たのは半年前だ。時々日本語独特の言い回しを知らないことがある。会話をしてるとそういうことがあるのだ。天才と言う割りにたいしたことがない、と言うよりはむしろよく半年でここまでの日本語を扱えるものだ、と褒めるべきだろう。
 なんにしても、自分より頭のいい人間に知識を授ける、と言うのは不思議な気分だ。自分にとっては本当に大したことのない知識なのに。
「よくいる、どこにでもいる、どこにでもある、特別ではない、よくある、て意味だ」
「へぇ、このボクを特別ではない、と言い切るだなんてトモシゲはとてもすごい人間だね」
 ミランが意地の悪い笑みを浮かべる。だが、トモシゲは取り合わない。
「お前は――特別だよ。でも、特別な人間なんてどこにでもいる。特別であるということ、それ自体は特別じゃないんだ」
「トモシゲは詩人だね」
「芸術家――の卵だからな」
 トモシゲはため息をついた。
「そんなことを言えるトモシゲはやっぱり特別だよ」
「そうか?」
「そうだよ」
 何を言っても堂々巡りになりそうだった。ここらでこの会話は切り上げるべきだろう。
 トモシゲはそれ以上なにも言わず、席を立った。
 今いる場所はゲームの舞台となる街の一角にある雑居ビルの一室である。今回は街そのものがゲームの舞台になる、ということで予めミランに頼み、幾つかのセーフハウスを用意してもらったのだ。実に金持ちらしい卑怯な戦い方であるが、ルール上は問題がないので好きにやらせて貰う。
 それに、似たようなことをしているチームは他にも居るはずだ――とトモシゲは読んでいる。例えば、遠くからきた人間はホテルを借りてるだろうし、チームメンバーの宿泊場所をばらけさせれば簡単にセーフハウスを複数確保できる。
 このゲームはMMORPGの体裁を取っているが、現実世界で行っているという点で他のネットゲームとは一線を画す。結局一番近いのはサバイバルゲームオリエンテーリングだとトモシゲは思っている。それに気付いてないプレイヤーは足下をすくわれる――あるいは足下をすくわせてもらおう。
「そろそろ時間だ。行ってくる。何かあればメイド姉妹に頼んでくれ」
 トモシゲは部屋の扉を開け、外へ向かう。ゲームをするからにはどんな手を使ってでも勝つ。真っ当な戦い方などトモシゲには出来ない。卑怯な手で兄に勝ったあの時から――トモシゲに負けることなど許されないのだから。
「トモシゲ」
「ん?」
「ボクはキミを誰よりもすごい男だと思っている。
 キミはボクをすごい奴だと言った。そのボクが保証しよう」
 ――またその話か。やけに引っ張るな。
 トモシゲは首を振った。ミランも、梨子先輩も、レッカも――みんな自分のことを過大評価しすぎだ。トモシゲはただの愚かな男でしかない。それでも、そんなことを言ってくれるミランをこれ以上無理に否定することなどトモシゲには出来なかった。
 だから、ただ伝える。
「ありがとう。行ってくる」
 そして、トモシゲは戦場へ駆けた。

第二章

第二章

 マンチキンという言葉がある。元の意味はオズの魔法使いに出てくる種族の名だが、それとは別にTRPGというゲーム分野でスラングとして用いられることがあるという。その意味は、ともかく自分のプレイヤーキャラクターが有利になるよう、周囲に自分のワガママを押し通す迷惑プレイヤーのことである。
 しかし、アメリカで生まれたこのマンチキンという言葉は日本へ輸入されるに従って本来の意味とは別の形で伝わることとなる。それは様々なパターンがあるのだが、多くの場合、「ルールの範囲内で自分のキャラクターを最大限に強くすることを目的とするプレイヤー」のことを指す。
 つまり、アメリカとは違い、ともかくルール至上主義で、ルールを頑なに破ろうとしないのである。その為か、多くの日本型のマンチキン――和製マンチキン、あるいは略して『和マンチ』と呼ばれる人間はルールに非常に精通しており、肯定的に受け入れられることもあるそうだ。だが、彼らの中には自らの目的の為にゲームバランスの崩壊すら顧みず、中にはルールの穴をついてともかく自分に有利な展開へと持ち込もうとするプレイヤーもいるとか。
 そんな彼らは一様に言うのである「ルールは破ってない」と。



 ミラン・フォン・ガートランドは粟井友重のことを和製マンチキンと言った。その意味するところはおそらく――ルールの穴をついて好き放題するプレイヤーのことであろう。逆に言うと、決められたルールは絶対に破らない――はずだ。
 では、今目の前で行われている光景はどういうことだろうか。
 たった一人のプレイヤーによって六人がプレイヤーキルされ、ゲームオーバーとなっている。しかし、普通に考えればありえない光景なのだ。
 このゲームは低レベル保護機能があり、レベル十五以下のキャラクターはライフポイントがゼロになることはない。ライフポイント以上のダメージを受けたらライフポイントが一だけ残り、一定時間攻撃も出来ないし、敵からもダメージを受けなくなる《行動不能》状態になる――と、チュートリアルでレッカは説明を受けた。
 なお、ライフポイントがゼロになると発生する《死亡》状態は正確にはゲームオーバーではない。《死亡》状態は二十四時間後には自動的に回復するのだ。とはいえ、今回のベータテストは五時間しか行われないので事実上のゲームオーバーだろう。
 普通に考えればゲーム開始直後、みんな同じ条件でスタートしている今この時間にプレイヤーキルは起きないはずである。何かルール的な穴がどこかにあるのだろう。低レベル保護機能を突破する手段を既にトモシゲは看破しているに違いない。
 だが、レッカにはそれが分からない。このままでは、こちらは相手を倒せず、一方的にやられるだけだ。
 ――どうする? 闇雲に突っ込めば周りのおじさん達の二の舞になる。
 緊張の面持ちでレッカはトモシゲを睨むが、当の本人は涼しげな顔で立っている。薄緑色の空の下、様々なモンスターが行き交う中、ただ二人は見つめ合った。
 レッカは及び腰になっている自分に気付き、叱咤する。
 ――ここで逃げても仕方ない。相手を倒せばいいだけのこと。死亡状態に出来ないとしても、行動不能状態に出来るはず。まずは、ここで先手を取るっ!
 引き絞られた矢のように全身を研ぎ澄ませるレッカに対し、トモシゲはぽつりと呟いた。
「――お前はまだレベル十五以下か。保護機能が働いてるな」
「当たり前でしょ? ゲーム始まったばかりだからレベル低いに決まってるでしょ?」
 当然の言葉を返したのだが、トモシゲには何故か苦笑されてしまった。レッカは何がおかしいのかと怒声をあげようとしたが、機先を制するようにトモシゲが踏み込んできた。
 ――しまったっ! タイミングをずらされたっ!
 レッカが攻めようとしたのを察知し、会話で気を逸らさせたのだろう。これが意図してやったのなら異様に戦い慣れている。
 ――しかも、早いっ!
 インドア派のはずのトモシゲは想像を裏切りたったの二歩で距離を詰め、長身と長い手足を活かした斬撃で迫ってくる。しかし、ついていけない動きではない。レッカは半身をずらし、余裕を持ってそれを避ける。違和感。踏み込みの速度のわりに斬撃が遅い。
 気がつけばレッカは避けた地点から更に右へ飛び退いていた。遅れて銃弾がレッカの元いた位置を通過する。トモシゲの顔に僅かに驚きの色が生まれ――そして笑った。
「――よく避けた。俺に勝つ、と言ったのは伊達じゃないみたいだな」
 垣間見えた驚くほど幼い笑顔にレッカはどきりとする。ただの一瞬の出来事だが――それでもレッカはトモシゲの本物の笑顔を初めて見たと思った。だれよりも無邪気で誰よりも獰猛で攻撃的な、戦う為に生まれたような獣の笑み。
 ――これが……彼の本質だと言うのっ?!
 学校生活では一度も見せなかったその表情に思わずレッカは見とれた。
 しかし、それも僅か一瞬のこと。トモシゲはその笑みをいつもの涼しげな顔の奥に引っ込め、一歩後ろに下がった。
「脅威度(ランク)Aの強敵とみなしてやろう」
「よく分からないけれど、あんたに高い評価を貰えたならとても嬉しいわ」
 動きを止めたトモシゲを警戒しつつ、レッカも更に後ろへ下がる。改めてトモシゲを見ると、右手には仮想の剣を、左手には仮想の銃を装備していた。
「両手に武器? そんなことが?」
「ルールには片手のみとは書いてなかっただろ?」
 言いながら、彼は左手の銃を立て続けに放ってきた。レッカは左へ動きながらそれをかわしていく。
「左手なのに射撃が正確ねっ!」
「元々左利きだ。お箸を持つために矯正されて後天的に両利きなんだよ」
 レッカが左に避け続けた結果、路地裏の壁の側へ移動させられる。
 ――追い詰められたっ!
 そう思った時には再びトモシゲが踏み込んできていた。レッカは咄嗟に壁を蹴って強引に反対側へ跳び、斬り込みをかわす。そして掲げた右手で剣のジェスチャーをする。
《ソードモード》
 レッカの手に青白い半透明の仮想の剣――サイバーソードが生まれる。すぐ目の前には剣を振り切った無防備なトモシゲの姿。
 ――もらったっ!
 踏み込まれたのを逆手に取りレッカは自らの放てる最速の剣を振り下ろした。
「剣道場の娘を舐めないでよねっ!」
 ――勝った!
 彼女の脳裏では相手を叩き斬る鮮明なイメージが浮かぶ。卓越した武術家の想像力(イマジネーシヨン)は現実先取りし、現実が後から追いついてくる。
 しかし、その想像(イメージ)に現実(リアル)どころか、仮想(ヴァーチヤル)が追いついてこなかった。
 本職の意地を賭けてレッカが振り下ろした剣はしかし、トモシゲに触れることなく消失したのだ。
「…………っ?!」
 腕を振り切った後、思い出したかのように架空の刃が再出現する。驚愕するレッカをよそにトモシゲは左手の銃を剣に切り替え、レッカの体へ突き刺した。当然痛みはない。だが、視界の左下にあるライフポイントのゲージが空っぽになり、《行動不能》の文字が出る。同時に、レッカの手から架空の剣もかき消えた。これで五分の間、攻撃出来ない代わりに死ぬこともない。
 ――立ち会いで……ゲームとはいえ生身の戦いで私が負けたっ!
 レッカにとってそれは信じられないことだった。
 これが祖父であったり、同年代でもトップクラスの武道の経験者なら分かる。しかし、相手はどう見ても素人だ。幾ら体が大きく、生まれ持った身体能力が高かろうとその動きは洗練されておらず、鍛えられた様子もない。
「俺を一方的に倒す千載一遇のチャンスを逃したな」
 トモシゲの言葉にレッカははっとした。ライフポイントがゼロにならない。低レベル保護機能は正常に働いている。とどのつまり、向こうはシステムのルール通りこちらを倒すことはできなかったのだ。
 ――じゃあ、周りの人達はレベル十五以上ってこと? でもどうやって?
 ゲームがスタートしてないのにどうやってレベル上げをしたというのか。
「五フレーム早かったな」
「?」
格闘ゲームで言うところのキー入力ミスって奴だ。このゲームのモーションキャプチャーはそこまで精度が高くない。お前の早すぎる動きについていけなかった。そういうことだ」
 トモシゲの言葉が指し示しているのが先ほどの仮想の剣が消えた現象のことだとようやくレッカは気付いた。あの現象はレッカの動きが速すぎて機械が認識できなかったことが原因らしい。機械から見たらレッカの指先が瞬間移動したように捉えられたようだ。
 つまり、事実上レッカが勝っていたにも関わらず、審判がそれを見ていなかった――そういうことらしい。
「このゲームはプレイヤーの運動能力が非常に重要になってくる。お前は俺よりも運動神経に自信があったから優勝宣言したんだろうが――ゲームへの理解度が後一歩足りなかったな」
 トモシゲの最初の斬撃が遅かったことを今更ながらに思い出す。あれはフェイントもあったのだろうが、レッカみたいに早すぎて斬撃が無効にならないように、という意味もあったのかもしれない。
「まさか……私の斬撃が早すぎることまで読み切って?!」
「そいつは偶然だ」
 笑って応えるトモシゲにレッカは確信した。
 ――嘘だ。
 彼はそこまで読み切って行動していた。そうに違いない。そして、彼はそこまでの力を持っているのだ。
「…………なるほど。あの子が勝つのはあんただって信じるだけのことはあるわね」
 ――これが彼の本当の姿? あるいは、隠されていた一面?
 レッカはごくりとツバを飲みこんだ。
 ――すごい。粟井君は……本当に、強い男だったんだっ! 私の直感は正しかったっ!
 身のこなしは武道家に比べれば洗練されていない。あくまで一般人の動きだ。それでも、おそらくはこのゲームを行うに当たって最適化された動きをしている。この男は強い。本物の剣を手にしたら負けることはないと思うが、少なくともこのゲームにおいてはレッカよりも強い。
 何かを秘めているとは思っていた。だが、それだけの価値が彼にはあるとレッカは直感で感じていた。それは正しかったのだ。普段の泰然自若なその態度の奥には抜き身の剣のような鋭さと鋼の精神があった。
「すごい……惚れ直したわよ」
「なんだかよく分からんが、お前もまた勝手に俺を過大評価しているな?」
 過大評価なんてとんでもない。こんな凄い男とはこの先出会えるとは思えない。レッカを立ち会いで負かせる男なんてそうそういない。ましてや素人であればなおさらである。
 この敗北はレッカの決意を更に揺るぎないものにした。
 ――この立ち会いでは負けた。でも、私はまだゲームオーバーになってないっ!
「次は……負けないっ!」
 もうすぐ仲間の二人がやってくる。二人ともまだチュートリアルを終えたばかりでレベル三の状態だ。向こうにはこちらを完全に倒す手段はない。やり方次第で――。
「うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ」
 突如としてそれまで茫然自失だった社会人チームの一人が叫び声をあげた。にらみ合っていたトモシゲとレッカも驚き、そちらに視線をやる。
「ひっ、ひどいぞっ! 開始早々PKなんてっ! 反則だっ!」「そうだそうだっ! おかしいっ!」「卑怯者っ! ずるいぞっ!」「このベータテスト、参加に七万円も払ってるんだぞっ! ふざけんなよっ!」「金返せよこのクソガキがっ!」「有給とるのにどれだけ苦労したと思ってるんだっ!」「俺はわざわざ沖縄から偽の出張まで組んで来たんだぞっ!」
 一人が叫びだしたのを皮切りに次々と不平不満を言い散らす社会人達。
 ――このゲームそんなに参加料高かったんだ。
 具体的な金額を知り、思わずレッカはびっくりする。高校生にはかなり無縁な金額だ。祖父に無理を言って買って貰ったパソコンの値段よりなお高い。今更だが、金持ちの知り合いがいたレッカ達はかなり幸運な部類らしい。
「黙れ」
 あーだこーだとわめき散らす社会人達をトモシゲはじろりと一瞥した。それだけで年上の大人達はみんな黙り込む。トモシゲは決して目つきの悪い部類の人間ではないが、体が大きいだけに、スゴめば普通以上に威圧感があるのだ。かててくわえて運動不足そうな企業戦士達からすれば先ほどのような立ち回りを演じられるトモシゲは恐怖の対象らしい。いい大人が情けない、と思わなくもないが、体が大きいというのはそれだけで一つの脅威なのだ。剣術をやっているからなお分かる。
「文句なら運営に言えばいい。そもそも、あんた達も廃人プレイなんかせずこの子みたいにスタートから素直に楽しめば俺に狩られなかったものを」
「お、お前が言うなよっ! どう見ても俺達よりレベル上じゃないかっ!」
「うわっ! なにこれどういうこと?」「いきなり全滅してる?」
 言い合っている間に涼夏と風花がようやく到着し、驚きの声を挙げる。先ほどからいるレッカですらよく分からないのだ。友人達もこの状況を上手く把握できないのも当然だろう。
「二人とも、これは――」
 レッカが声をかけようとした隙にトモシゲが歩き出す。レッカはそれに気付いてトモシゲに向き直った。
「ちょっと! まだ話は終わってない!」
「――低レベルを狩っても得がない。お先に失礼する」
 トモシゲは振り向くと共に、再びあの無邪気な、それでいて獣のような笑みを浮かべた。
 レッカは思わずどきりとしてその笑顔に見とれる。
「せいぜい生き残れ」
 トモシゲはそう言って二本指を伸ばした右手で中空に逆三角形を描く。すると、彼の肩に頭巾と面頬を被った忍者姿のリスが現れた。そのリスが中空でくるりと回転する。
 途端、トモシゲの姿が視界からかき消えた。
「嘘っ!」「ハイディングっ!」「消えたっ?!」
 ネットゲームなどにおいて自分の姿をかき消すスキルはポピュラーな部類のものだ。ゲーム上から自分以外の姿を見えなくし、隠密行動を容易くする。これがコンピューター上のゲームならば分かる。
 しかし、ゲームの判定を機械が行っていると言ってもあくまでもここは現実の世界。生身の人間がこの世からかき消えるなんて現象があり得るはずがない。
 レッカは思わず駆けだし、先ほどトモシゲにいた場所へ手を伸ばした。だが、伸ばした手は空を切り、そこには何もないという事実だけを知る。
「げぇぇぇぇぇ! 現実世界で姿消し(ハイディング)だとっ!」「さすが汚い。忍者汚い」「運営の科学力は化け物か」「ドイツの科学は世界一ィィィ!」「ドイツ関係な……あ、制作元はドイツか」「いやいやい、あり得ない。どうやってるんだこれ!」「ご丁寧に足音だけ聞こえるぞこれ!」「……っておい、おまえいら! ゴーグル外せ!」「あっ!」「マジだっ!」
 わめく社会人達につられてレッカも幻衣眼をはずす。すると通りの向こうへ走っていくトモシゲの姿が確認できた。よく分からないけれど、姿を消したのではなく、「幻衣眼から姿が表示されなくなった」だけらしい。そういう手段がこのゲームには用意されており、トモシゲはいち早くその方法を入手していた、ということなのだろう。
 レッカは我知らず拳を握りしめる。
 ――悔しいけど、二歩も三歩も彼は先を行っているっ!
 持ち前の運動能力を武器とするレッカに対し、彼はこのゲームへの理解力、適応能力において抜群の力を示している。今までに前例のない、画期的なARゲームという分野であるにも関わらず、だ。
 ――本当に私に勝てるの?
 思わず弱気が心の中に顔を出すが、すぐに引っ込めさせる。
 ――いいや、勝ってみせる。何が何でもっ!
 そんなレッカの背後に誰かが近寄るのを感じ、振り向いた。
「ねえ、どうする?」
 追いかけないのか、と問いかけてくる風花。レッカは静かに首を横に振る。残念ながら離れすぎだ。追跡は断念するしかない。それに、どのみち今のままでは彼に勝てない。
 決意を新たにするレッカ達の側で社会人達はほっとしたのか再び騒ぎ始めた。
「これは私が思うに、契約モンスターの支援攻撃ですな。レベル十五から開放される契約モンスターの支援技は各モンスターごとに違う。あの男が契約していたリス忍者の能力はハイディングだった――そういうことですな」「おお、さすがベテランゲーマーのリリカル卿。あれを一目で見抜くとは」「いやはや、我らは契約モンスターの選択で負けていたと言う訳か」「リリカル卿! このゲームでは相棒キャラって呼び名らしいですよ」「ふん、別に呼び名とか今更どうでもいいですよ」「ていうか、開始直後にピーケー有りとかマジクソゲー。運営の頭腐ってんのか」「マジ最悪すぎるわー。マジ勘弁だわー、これ」
 社会人チームの中でも最年長らしい眼鏡をした小太りの男性――キャラクターネームを見るとリリカルステロイド男爵――の言葉と共に口々に怨嗟の言葉を吐く社会人達。七万円もかけ、有給まで用意して参加したゲームイベントで即退場させられたらそうなる気持ちも分からないでもない。
 ――でも、リリカルステロイド男爵ってすごい名前ね。日本人のゲーマーの間では普通の名前なのかしら。
 レッカは内心そんなことを思いつつも口には出さないでおいた。アメリカなら即「うわー、変な名前ですね」とツッコむところだが、日本でそんなことをすれば喧嘩の火種になるとレッカも学習している。
「ねえ、結局の所、これどういう状況なの?」
「……よく分からないけど、開幕PKくらっちゃった。私はレベル低かったから『行動不能』で済んだけど、あっちの人達は何故か全滅してるみたい」
 涼夏の質問にレッカはありのままを話す。レッカにもそれ以上のことは分からない。
「あのー、よろしいですかな」
「はい?」
 状況確認をするレッカ達へ、リリカルステロイド男爵が早口で話しかけてくる。
「レベル上げの手段があるんですよ。フフフ。いやですね、最初のチュートリアルがあるじゃないですか。あそこでみんなレベル二まであげて終了してると思うんですけどね、そこでですね、フフフ、最後の訓練で敵を三人以上倒せ、のところで三人倒しても契約モンスターに話さずにですね、ずっと現れてくる訓練用かかしを延々叩いておけばですね、一時間もあればレベル十五以上なんてですね、フフフフフフ、簡単に行くんですよ」
 自信満々なのに目を合わさずにやたら早口でまくし立ててくるリリカルステロイド男爵に気味の悪いものを感じ、涼夏が「は、はぁ……ありがとうございます」と消え入りそうな声で応えた。
「おお、リリカル卿の解説力に女の子達も驚いている」「さすが、リリカル卿だぜ」「いや、普通にびびってますよ、彼女ら」「お前があの子のホットパンツばっか見てるからだろうが!」
 やたら仲のいい社会人達である。ちなみに、今回のゲームは運動することが多いということでレッカも涼夏もズボンで来ているのだが、風花はホットパンツである。生足を晒しており、あれはちょっと目に毒かもしれない。
「フフフフ。どうやら君たちはゲーム歴は浅いみたいだね。フフフフフフ。よかったら私たちとチームを組まないかい? 大丈夫、おじさん達はみんな様々なゲームをプレイしてきたハイレベルのゲーマー達だよ。全滅はしてしまったけど、バックアップとしてきっと君たちの役に立つはずさ」
「さすがリリカル卿だ」「いい提案!」「いいねいいね。一緒に行こうよ君たち!」
 リリカルステロイド卿の提案と共に社会人達が身を乗り出し、誘ってくる。見知らぬ年上の男性六人に囲まれ、それだけでレッカ達は威圧感を感じた。レッカは人見知りではないが、さすがに彼らについていくのはためらわれた。と言うより、横にいる涼夏は彼らの異様なテンションに怯えの色を隠せないでいる。
 レッカの脳裏にトモシゲの側に立っていた美少年の言葉が浮かぶ。勝つために手段を選ばないのがトモシゲで、選ぶのがレッカであると。レッカとトモシゲの実力差は歴然であり、勝つために多少そりの合わない人間にも頭を下げて力を借りる必要がある――はずだ。しかし――。
「――結構です。負け犬のあなたたちと一緒に行く道理はありません」
「…………っ!」
 レッカの物言いに社会人達は目を剥く。
「な、なんだね、年上に向かってその態度はっ!」「君たちはどこの学校のものだっ!」「優しくしてたらつけあがりやがって!」「ネットで晒すぞコラっ!」「これだから最近の若者は」
 途端に態度が険悪になる社会人達。レッカはそれらに構わず涼夏の手を引いて立ち去ろうとする。それを見てますます社会人達は声を荒げようとするが――。
「やめないか君達」
「り、リリカル卿!」「し、しかし……」
 レッカが振り返るとリリカルステロイド男爵が騒ぐ仲間達を手で制していた。
「いい大人がみっともないことはやめてくれ。
 オオフ、すまないね君たち。彼らも普段は気のいい、いい奴らなんだ」
 それまでの早口とはうって変わって落ち着いた口調で喋るリリカルステロイド男爵。それを見て社会人達も態度を改めた。
「……リリカル卿っ!」「すまねぇ、お嬢ちゃん達」「俺達が悪かった」「許してくれ」「この通りだ」「すんませんしたっ」
 リーダーの言葉が利いたのか、次々と頭を下げていく社会人達。
 ――すごいノリが軽いというかコロコロ変わる人達ね。
 あまりの変わり身に思わず呆然としてしまう。
 だが、すぐに気を取り直し、相手の潔い態度にレッカも態度を改め、頭を下げた。
「こちらこそ、生意気を言ってすいませんでした。ですが私たちは――」
「いいさ。悔しいけどおじさん達はここでリタイアしよう。代わりに、君たちは僕らの分までこのゲームを楽しんでくれ」
「……ありがとうございます」
 レッカはもう一度頭を下げ、宣言する。
「必ず、優勝します」
「それは楽しみだ。でも、さっきの彼は強いよ」
 レッカはその言葉に思わず笑った。トモシゲが評価されるのが自分のことのように嬉しい。今は敵だというのに我ながらなんとも調子のいいことだろう。
「望むところです」
「頼もしい。期待しよう」
 そう言って頷くリリカルステロイド男爵には歴戦の戦士の貫禄があった。なんとなく、彼が社会人達の中で尊敬されている理由が分かった気がする。というか、レッカ達が話してる後ろでは相変わらず、「リリカル卿マジカッケー」とか騒いでるのだが、レッカはさすがに鬱陶しいので無視した。
 ますます負けられないな、とレッカは決意を胸に路地裏を後にする。
「たぶん、私たちは粟井くんに大きく出遅れてると思うけど大丈夫なの?」
「何言ってるの? ゲームは始まったばかりよ。すぐに追いついてみせるわっ!」



 仮想の剣を中空に浮くポリゴンの魚に突き立てる。途端、それまでぬいぐるみのようなデフォルメされた形相だった魚がモンスターらしい凶暴なリアル系グラフィックに変貌し、巨大な牙が生え、二倍の大きさに膨れあがった。
 レッカは剣を引き抜き、バックステップ。次に来るであろう敵の攻撃に剣を身構えた。呼吸を整え、敵の気配を探る。が、敵は気配もなく大きな口を広げ、レッカの肩口に噛みついた。痛みはない。だが、視界の隅にあるライフポイントのゲージがぐっと下がる。レッカは剣を振るうが、敵はひるむことなくがぶり、がぶり、とレッカの肩を、首を、胸を、まるで何かの作業のように繰り返し噛みつき、レッカは為す術もなくやられた。
 ライフポイントが一になり、低レベル保護機能の結界が発動。戦っていたポリゴンの魚は元のデフォルメされたぬいぐるみ状の形に戻り、何事もなかったかのようにすーっ、とレッカから離れていった。これでまた三分間の行動不能である。
「はい、死んだー! また死んだよこの子っ!」
「あーあ、またかぁ。やっちゃったねぇ」
 レッカの動きを見ていた涼夏が苛立ちの声をあげ、風花が苦笑いを浮かべる。
 レッカ達は最初の公園に戻ってきていた。優勝に向けてまずはレベル上げを開始したのだが――このようにレッカがすぐにモンスターに負けるので遅々としてレベル上げは進んでいなかった。
「ねえ? 質問していい? 何回目なのよ、これ? え?」
 遠慮のない友人達の言葉にレッカは顔を引きつらせた。
「ゴメンナサイ。三回目デス」
 涼夏は腕を組み、厳しい表情でレッカに詰め寄った。
「あんたさ、さっきのおじさん達になんて言ってた? 優勝するって言ってたよね?
 それがなに? どういうことなの?」
「……面目ない」
 縮こまるレッカに涼夏は額に手を当ててどうしたものかと悩む。
 周囲を見渡せば、薄緑色の空の下、異世界の飛行船が街の中を飛び回り、レッカ達のいる公園では多くのポリゴンで出来たモンスターで溢れかえっている。実に異世界感溢れる光景だ。レッカ達プレイヤーはこの異世界に浸食された現実世界を取り戻す為に戦っている訳だが、この様子ではそれもかなり難しい話だ。
「だからさぁ。相手の行動パターンは一定なんだから、それを覚えればいいんだってばぁ。
 ほら、見てて」
 見かねた風花が近くのポリゴン魚に斬りかかる。すると、ポリゴン魚は凶暴化。二倍の大きさになった魚の目が真っ赤に明滅するのを確認すると風花は一歩後ろに引き下がった。
 ワンテンポ遅れ、ポリゴン魚の牙が先ほどまで風花がいた場所で空を切る。すかさず風花は敵を仮想の剣で横薙ぎに斬りつけ、そのまま相手の体に突進。とはいえ、相手は仮想の体なので透過してそのまま相手の後ろに行ってしまう。
 風花が振り向くとポリゴン魚はまだ後ろを向いたままだった。そのまま剣で斬りつけると、ようやくポリゴン魚が振り向く。そして、目が真っ赤に明滅。風花はまた一歩後ろに下がった。敵の牙が空を切る。そこへもう一太刀浴びせるとポリゴン魚は砕け散り、ポリゴンの欠片となって霧散した。
「この敵は目が光って、半秒後くらいに攻撃してくるから、それを避けて、もう一度攻撃すればいい。簡単でしょ? 敵の攻撃した後のディレイ時間に突進かけるのはあたいのオリジナル戦法だけど」
 とどのつまり、攻撃する→敵の目が光る→避ける→攻撃する→敵の目が光る→避ける→攻撃する……を繰り返すだけでいいのである。避ける方向は別に後ろではなく、横でもいい。簡単なパターンを繰り返すだけでいい……のだが。
「だって、こいつら……気配もないし、殺気もないのよ? 予備動作があるって言っても、感情の揺らぎなく攻撃してくるなんて、脅威だわ」
 真顔で言うレッカに涼夏は眉を跳ね上げる。
「いやいやいや。相手は仮想の存在(ヴァーチヤル)だし。気配とかある訳ないじゃない。見たまんまの動きに対応すればいいのよ?」
「目に頼って相手の動きを捉えようとしているうちは素人だ、てウチのお爺ちゃんなら言うわ」
「だーかーらーっ! これはゲームだっ、て言ってるでしょうがっ!」
「はひへへへ、ごめんなひゃい!」
 苛ついた涼夏に両のほっぺを引っ張られ、レッカは慌てて謝った。
 ともあれ、祖父の教えでは見たまんまの動きにとらわれず、相手の気配を捉え、そこへ剣を振るうことを重視して教えられる。トモシゲとの戦いで互角に戦えたのも、銃弾による追撃を直感でかわすことが出来たのもそうした祖父の教えのおかげだろう。
 だが、これが仮想のモンスター相手ではまったく役に立たない。どんな生物でも動く際には空気を震わせるが、仮想の彼らにはそれもない。おかげで幾ら見た目で分かりやすい攻撃のサインを相手が出してると言っても、レッカとしては予備動作なしにいきなり攻撃をしてきてるように感じられるのだ。
 更には、相手の攻撃をくらっても痛みがない。ただライフゲージが減るだけなので攻撃をくらっても、自分が本当にダメージを受けたのかどうか一瞬で判断できない。勿論、それも視界にあるゲージを見ればいいのだが、子どもの頃から木刀でぶっ叩かれて痛みで染みついた習慣がどうにも邪魔をする。
 これがテレビ画面の中とかならまだ分かるが、なまじっか拡張現実技術によって現実世界にある程度の実感を伴って見えるためにどうしても対応が遅れるのだ。
 涼夏が口を引っ張ってる間にレッカの低レベル保護機能が解除され、ライフゲージが元に戻っていく。同じパーティの涼夏にもそれが見え、レッカの頬をつねる手を離した。
「あら? もう三分経ったのかしら? えらく早いわね?」
「いたた、どうでもいいわよ、そんなこと」
 ひりひりするほっぺたをさすりつつ、レッカは投げやりに言う。
「でも、武術をやってる人間からすれば、気配のない相手って脅威よ」
 涼夏はため息をついた。
「もう剣を使うのやめたら? このゲームでやるの向いてないわ。銃の方が楽よ?」
 そう言って涼夏は手で銃のジェスチャーをし、仮想の銃を手元に出現させる。やや離れた場所で浮いてるポリゴンの敵へ仮想の弾丸を発射。敵は涼夏の存在に気付き、近づこうと移動するが、銃弾で撃たれる度に後ろに仰け反り、涼夏に近づく前に三発目の銃弾でポリゴンの欠片となって砕け散った。
 チュートリアルでも説明はあったが、サイバーガンの方が敵モンスターを倒しやすいのである。今のレベル帯だと剣なら五撃、銃なら三撃で敵を倒せるようだ。
「……いやー、でも銃はなんか好きになれなくて」
「ぶん殴るわよ?」
 涼夏に睨まれレッカは苦笑いを返す。もはや笑って誤魔化すしかない。
 不意に、気配を感じてレッカはその場から右に飛び退いた。背後からの襲撃者の剣がレッカの元いた場所を通過する。レッカは仮想の剣を呼び出し、そのまま振り向き様に襲撃者を下からすくい上げるように一閃した。
「うぎゃー、やーらーれーたぁー」
 我に返って襲撃者をよく見ると相手は風花だった。わざとらしく両手をあげてやられたポーズを取っている。実際に風花のライフゲージは一になっており、低レベル保護機能が発動していた。そして、レッカの経験値も二十五パーセント減少する。
「なんだ、風花か。いきなり後ろから襲いかかるなんて危ないじゃない」
「――これ、ゲームだったからいいけどもしこれが現実だったらどうするのよ? 寸止めくらいしなさいよ」
 顔色一つ変えず友人を斬り捨てたレッカに涼夏は顔を引きつらせた。襲撃者を確かめもせず躊躇なく斬り捨てたレッカにドン引きらしい。
「……そんなこと言われても。もし実戦で躊躇したら死ぬのは自分だし。どちらかというと、おふざけでも、後ろから急に襲いかかった方が悪いわ」
 悪びれもせず真顔で言うレッカ。涼夏が何か言おうとしたがその前に風花が口を開く。
「うん。やっぱり対人戦ならちゃんと出来てるねぇ。下手をすれば粟井くんみたいに通り魔プレイした方がいいかも」
 どうやら風花はレッカの適性を調べるために襲いかかったらしい。確かに対CPUのモンスター戦ではまったく駄目なレッカだが、対人戦ならトモシゲや風花にやったように一定レベルの強さを発揮できるようだ。むしろ、対人戦に特化していると言っていいだろう。
 ある意味ではレッカとトモシゲの相性は抜群だったのかも知れない。トモシゲと争わず、トモシゲとパーティを組んで一緒に他のプレイヤーを襲いまくるのがこのゲームにおいて一番レッカが活躍できる戦略かもしれなかった。
「駄目よっ! PKなんて犯罪者予備軍のすることだわ。そんなことするべきじゃない」
 社会人チームと別れた後、これからの行動方針を決めるに当たって話し合った際にPKに強硬に反対したのは涼夏だった。レッカとしてはゲームクリアが目的なのでPKしないことに賛成していたのだが――。
「不思議なんだけど、なんでそんなにPKを嫌ってるの?」
「だって、PKて現実に例えるとただの強盗殺人じゃない。他の人間が楽しくゲームしているのを横やりを入れて邪魔する愉快犯的な楽しみ方でしょ? まともな人間のすることじゃないわ」
「別にルールの範囲内でPKすること自体はいいんじゃない? 下手をすれば、PKを警戒して自衛を怠った方にも問題があったかもしれないし。
 たとえ、文句を言うとしてもそういう風にシステムデザインした開発や運営に文句を言うべきで、プレイヤーに対して悪態をつくのは間違いでしょ」
 レッカの物言いに涼夏は不快感を露わにする。
「レッカってそう言うところアメリカンよね。惚れた弱みもあるかもしれないけど、ふつーの日本人の感覚じゃないわ。
 日本人はPKが嫌いなものよ。
 さっきの人達、意外といい人達だったじゃない。そんな人達が楽しく遊んでるのをいきなり現れてボッコボッコにして去っていく男のどこが格好いいのよ?」
 男を見る目がない、と涼夏の目は告げている。実際に戦って惚れ直したレッカとは違い、涼夏の中ではどうしようもないほどに彼の評価は下がってしまったようだ。
 レッカとしては厳格な祖父に日本人として育てられたつもりだが、やはり海外で育ったためかよく日本人らしくないと言われることがある。朱に交われば赤、と言うヤツだろう。
 ――向こうでは逆にアメリカンじゃない、てよく言われてたんだけどね。
 もっとも、レッカの祖父は「ラストサムライ? バカを言うでない。儂はまだ生きとるし、うちの孫も立派なサムライじゃい」と言い切る人なのでそもそもの問題として日本人として間違っている可能性すらあるのだが。
「あらら。あたいは結構すげぇ奴だな、て思ったけど?」
 話を横で聞いていた風花が意外な意見を言う。
「だって、低レベルはPKできないんだから、粟井君の戦う相手って全部自分と同じか格上の連中ばっかりじゃない? そいつらに果敢に戦いに行くってスゴイと思うなぁ。
 しかも、高レベルのプレイヤー同士でつぶし合ってくれればあたいらみたいな初心者は立ち回りしやすいし、狩り場も浄化されていいんじゃない?」
 そう。このゲームにおいてPKは非常にデメリットが大きい。むしろ、メリットがほとんどない。このゲームはプレイヤーにダメージを与えるだけで経験値がマイナス五パーセントされる。さらにはプレイヤーのライフをゼロにした場合は経験値は更に二〇パーセントマイナスされ、これに上限はない。PKをすればするほど経験値はマイナスされていき、レベル上げは遠のく。例えば十回PKすれば経験値は単純計算でマイナス二五〇パーセントとなり、かなりのハンデを背負うことになる。しかも、ここまでのハンデを背負っても、得られる物はない。他のゲームのようにアイテムドロップもないし、純粋に敵を一時的にゲームから退場させられるだけである。
 とどのつまり、平時であればこのゲームにおけるPKはただの快楽殺人でしかないのである。
 ただ、このベータテストにおいては死亡は即ゲームからの退場と言える。もし、これが正式サービスなら、二十四時間後にプレイヤーは自動蘇生してゲームを再開出来ただろう。しかし、このテストは五時間しかないので復活は事実上ありえない、と言える。
 なので、トモシゲはゲームの最序盤で自分の脅威となりうるプレイヤー――例えばゲーム開始前にチュートリアルでレベル上げをして準備するくらいにはゲームに手慣れたプレイヤーなどを排除する為だけに動いてるのだろう。勿論、蘇生用のアイテムや蘇生スキルが出てくる可能性もゼロではないが、それを加味してもなお序盤にトッププレイヤーの数を削ることに意味がある、と読んだのだろう。
「そういう『貧乏人は強盗されたら可哀想だけど、金持ちは強盗されたらいい気味だ』みたいな考え方は嫌いよ」
「涼夏もお堅いねぇ。これはゲームだって言ってるでしょ? 現実とは違うって」
 頑なな涼夏の意見にレッカはため息をついた。
 なんにしても論点がずれてる。今はPKの善悪ではなく、これからの身の振り方について話し合うべきだ。とは言っても、今思いっきり足を引っ張っているのはレッカなので強く出るのは難しい。涼夏も風花もさすがゲーム慣れした日本人、と言わんばかりにこのゲームに適応している。それに引き替え、雑魚キャラすら満足に倒せないレッカに何が言えようか。
 周囲を見渡せば相変わらず公園の中を様々なモンスターで溢れかえっている。だが、彼らはレッカ達を襲うことなく、この現実世界を闊歩していた。仮想世界からやってきた彼らはただ自分たちとは違う世界を満喫する旅人のようである。とても侵略者には見えなかった。
 レッカが見ている間にも中空から次々と異世界からの来訪者はやってくる。この調子では数分で足の踏み場もなくなりそうだ。
「って…………あれ? 不味いことになってない?」
 レッカの言葉にあれこれ言い合っていた涼夏と風花がきょとんとする。
「見てよ。モンスターの沸きの速度が明らかにおかしい」
「ホントだっ! いつの間にっ?!」
「……もしかして、モンハウが出来てる?」
 モンスターハウス――略してモンハウとは一定区画のエリア内にモンスターが大量に溢れかえる状態を指す。ローグライクゲームや、MMORPGのダンジョン内などで見られる現象だ。多くのMMORPGではモンスターの出現数は制限されているが、モンスターの排除が長く行われなかった場合、出現位置が偏り、本来であれば広域に分布されるはずのモンスターが一カ所にまとまってしまうことがあるのだ。
「ヤバイっ! 他のパーティがどっかでハイペース狩りしてるんだわっ! この公園がモンスターで埋め尽くされてしまう!」
 とはいえ、出てくる敵はみんな非先制(アクティヴ)型モンスターばかり。プレイヤーから攻撃しない限り、モンスターから襲ってくることはない。先ほどレッカが感じた通り、彼らは決して自分からプレイヤーを襲うことなく、ただただ自衛の為だけに戦う。
 ――よくよく考えるとストーリー的に設定倒れなんじゃないかしら? 彼らは現実世界を侵略しに来た設定のはずだけれど。
「とりあえず一旦公園を出ましょう。いつ先制型モンスターが出るか分からないし」
 涼夏の言葉に移動を開始しようとした時――変化が起きた。
『ややや。このサイバーパワーの波動はっ?!』
 それまで黙って付き従っていたサムライペンギンの酉次郎が唐突にしゃべり出す。涼夏の弓天使や風花のカルガモ突撃兵も同様だ。なにかのイベントスイッチが入ったらしい。何事かと身構えている時にそれは起きた。
 突如として天を衝(つ)く光の柱が公園の中心に現れ、光の爆発が起きる。視界が光に埋め尽くされ、レッカは思わず目をつむった。
 そしてゆっくりと目を開いた時――レッカは水の中にいた。
 驚きに口を開くとごぽっ、と大きな空気の泡が口から溢れ、上へ昇っていくのが見える。
「えぇぇぇぇっ?! 嘘っ?! 溺れるっ! 溺れるぅぅぅぅぅぅ!」
 隣で涼夏が大声をあげ、口から大量の泡を吐き出していた。レッカも驚きつつ、咄嗟に息を止めて自分の体を確認した。しかし、体を動かしても水圧などの抵抗は感じられず、肌や衣服に濡れた感触はない。だというのに周囲はどう見ても水没している。が、そこで遅まきながら視覚だけが異常なのだと気付く。
「そっか。
 落ち着いて! これは幻衣眼の見せてるAR映像よ!」
「へ?」
 レッカの言葉にそれまで混乱していた涼夏を現実に引き戻す。涼夏はおそるおそる幻衣眼を外してキョロキョロと周囲を見回し、ここが地上と確認した上で再び幻衣眼をかけた。
「…………最近の映像ってすごいわね」
 赤面しつつ、涼夏は言った。ご丁寧に喋るごとに口から泡が溢れ、上へ昇っていく。それにつられてレッカは上を見た。
 ――陽の光が遠い。
 透明度が低いのか、とても薄暗い。まるで水族館の中にいるような気分だ。見回すと公園そのものがドーム状に仮想の水に包まれていた。ドームの天頂では陽の光が揺らめくのが見える。思わず泳いでその光を追いかけたくなるが、あくまで見た目だけなので上に昇ることは出来ない。
「モンスター、居なくなったね。なんだろうこれ?」
 この突然の事態に唯一パニックにならなかった風花がしみじみと言う。
 彼女の言葉にレッカはハッとした。
 慌てて周りを見回すがやはりどこにも敵はいない。
「これはどういう……」
 狙ったかのようなタイミングで、公園の中心から火山の噴火のごとく大量の泡が噴き出した。視界がぶれ、地震が起きたかのよう。そして泡の中心から身の丈五メートルを超える巨大な人魚が現れた。
『ややや、なんということがっ!
 あやつはサイバーワールドの海を司る深海女帝バスティアウスっ!
 まさかこのお方がこの世界に現出しようとはっ!
 おそらくこの空間に充満したサイバーパワーを媒体としてこの世界へ現れたのでしょうっ!』
 レッカの隣でサムライペンギンが驚きの声をあげる。
「……説明台詞をありがとう。サイバーワールドにも海があるんだね」
 なんにしてもどういう理由なのか、ボスキャラが出現してしまったらしい。
『即時撤退を進言します! ボスクラスの敵には低レベル保護機能は利きません!』
 手をばたばたと振りながら慌てる酉次郎。確かにこちらの戦力はレベル五のレッカとレベル八の涼夏と風化の三人。どうみても強そうなあのボスに勝てる見込みはなさそうだ。
 が、しかしレッカ達が逃走を開始するよりも早く、巨大な人魚の視線がレッカに向けられる。
 ――あ、目が合っちゃった。
 深海女帝の目が赤く光る。
「……くそっ、来るわよ! 敵の攻撃に備えてっ!」
 剣を構えながら脳裏にトモシゲの顔が浮かぶ。果たして彼は今どうしているだろうか。彼もまたこんなボスと遭遇して戦っているだろうか。彼ならばこんな時どうするだろうか。ただ一つレッカに分かることは――彼に勝つにはこんなところで負けていられない、と言うことだ。その為に――。
 ――まずはこのボス戦を生き延びるっ!



 その通りでは六人の男達が勝ち鬨の声を挙げていた。
「こんな堂々とPKが出来るなんて最高だなっ!」
 茶髪のチャラい格好をした大学生とおぼしきその男達は歩道橋の上を占拠し、射程距離を伸ばした仮想の銃によってプレイヤーとモンスターを問わずに倒していた。歩道橋の上はこの街を南北に延びる大通りを見通すことができ、歩道橋自身がプレイヤーの身を隠す遮蔽物となる。遠距離で敵を倒すにはいい場所だった。特に、モンスター達は歩道に限らず、車道の上もふよふよと浮いてるのだが、飛行能力はそれほど高くないらしく。歩道橋の上から狙撃しても、その場でぴょんぴょんと小さく跳ねるだけで歩道橋の上まで辿り着けない。おかげで一方的に敵を倒すことが出来るのである。
「最高に勃起モンだぜ! こっちだけズルして無敵モードだもんな」「バーカ、そんな某吸血鬼みたいな台詞吐くなよ。死亡フラグじゃねーか」「つーか、いい場所取っただけだし」「やっぱ、時代は銃だな。剣なんて古いもんはやらねーよ!」「遠距離からの射撃ゲーなら陣地形成したもん勝ちだしな」「レベル上げは出来ても、攻略にいけなくね?」「動くなら後半だろ。前半はレベル上げでいいだろ」「んだな。まずは邪魔者を片っ端から倒しつつ、レベル上げだな」「低レベルでボスと遭遇とか最悪なのは避けたいしな「よーし、まずはレベル三十目標だぜ」「レベル変異制とか面白い設定だなー」
 多くのRPGゲームの場合、場所ごとに敵モンスターのレベルが決まっており、適正レベルの敵を倒すためにいちいち場所移動を必要とする。しかし、このゲームは『レベル変異制』という特殊な方式を採用しており、ボス以外の敵モンスターのレベルは付近にいるプレイヤーの平均レベルに準じたレベルに変動する。例えばプレイヤーの平均レベルが二十前後なら、レベル二十二前後の敵が現れるのだ。おかげでどの場所に居ても同じようにレベル上げが出来るのである。場所によって変わるのせいぜい出てくるモンスターの種類くらいだ。
 おかげで調子よくモンスターを倒していた大学生のスナイパー集団だったが、不意に異変に気付く。
「……ん? 経験値の入りが急に悪くなったぞ」
 さすがに乱獲しすぎたのかモンスターの出現率が激減しだしていた。もしかしたら別の場所に大量に出現してモンスターハウスを形成しているかもしれない。そこは絶好の狩り場になっているかもしれないが、この立地条件を捨てるのを惜しんだ大学生達はこのまま居座ることにしていた。
 しかし、それを加味しても一匹あたりの経験値の入り方が非常に鈍い。
「おかしいな。敵のレベルがこちらのレベルアップに追いついてない?」
 それまで順調にレベルの上がっていた大学生達が異変に気付く。もしかしたらそろそろレベルのアップしにくいレベル帯になったのかもしれないが――。
「……いや、待て、違うぞこれは」
「どういうことだ?」
 大学生達の中、やたらと目立つとんがり髪の男が緊張の面持ちで気付く。彼が撃った仮想の銃弾は敵モンスターを一撃で倒した。――それまでは三・四発当てなければ倒せなかったにも関わらず、だ。これは自分が強くなったと言うよりは――。
「敵が、弱くなっている」
「おいおい、なんだよ? レベル変異制があるから敵が弱くなるはずないだろ? 何言ってんだ? どうやったらそうなるんだよ?」
「…………近くにレベルの低いプレイヤーが来て平均レベルを下げてる、てことだ」
 とんがり頭の発言に大学生チームは驚いて周囲を見渡した。勿論、この街のメインストリートであるが故に通りには多くの人が行き交っている。車も通っている。だが、幻衣眼を装備した人間はどこにも見あたらない。
「……どこだ? 建物の中か?」「もしかしたら車に乗ってるかも?」「でも、新しく止まった車とか特にないぜ?」「つーか、レベル変異制の効果範囲が分からん」「ゲームならマップ切り替えの範囲内、て分かるんだが」「くっそ、誰だよクソ低レベルは? おかげでレベル上げが進まねぇ」「誰か偵察を出すか?」「いや、陸橋から離れるのはマズいだろ」
 混乱する大学生達。そこへ、一人の中年女性が複数のエコバッグをぶら下げながら歩道橋へ登ってきた。
「ちょっと、あんた達っ! 道が通れないじゃないっ!」
「あ、ども、スマセンッ」「ドゾドゾ」「スマソ」「ィースッ」
 歩道橋は大人二人が通れるくらいの道幅しかなく、沢山の荷物を持つおばさんからすれば大学生チーム達は邪魔で仕方ないらしい。
「――ったくもう、街興しだかなんだか知らないけど、アタシ達の邪魔にならない場所でやって欲しいわ。あんた達も、後ろの子も」
 大学生達の横をぶつくさと文句を言いながら主婦が通り過ぎていく。が、そこでとんがり頭が気付く。
 ――後ろの子?
 あんた達、という言葉とは別に後ろの子、と主婦は言い切った。これはどういうことか。つまり――大学生達とは別の人間がこの歩道橋にいると言うこと。
「――敵だっ!」
 とんがり頭の警告と、歩道橋に新たな人影が現れるのはほぼ同時だった。
 歩道橋のど真ん中に突如として黒いコートの大男が出現し、近くにいた大学生の一人を斬って捨てた。当たり所が悪かったのか、大学生のライフポイントはあっさりとゼロになって頭の上に天使の輪っかが表示される。
「一体どうやって?!」「光学迷彩かっ?!」「ミラージュコロイド持ちかっ?!」「それとも――」
 大学生達が驚いている間に返す刀でもう一人も胸を仮想の剣に貫かれ頭に天使の輪っかが表示される。誰もが想定外の事態に浮き足立っていた。後、主婦は何を騒いでるんだか、とぶつくさ言いながら平然ととんがり頭の横を素通りした。大した胆力である。それを見てとんがり頭が我に返る。
「驚いてないでとっとと攻撃しろっ!」
 いち早く混乱から復帰したとんがり頭の号令と共に生き残った四人が仮想の銃を黒いコートの少年――トモシゲに向ける。幾らプレイヤーの対遠距離防御が高いと言っても高レベルプレイヤーの銃弾を四発も受ければひとたまりもないはず――が。
 放たれた四つの仮想の銃弾はトモシゲに届くことはなかった。
「まさかそんな――」「シールドだとっ?!」
 トモシゲがかざした左の手のひらに沿う形でトモシゲの全身を覆う巨大な仮想の盾が浮かび上がっていた。仮想の銃弾は全てこの盾に弾かれ、消滅している。
「嘘だろっ?!」「こんなことチュートリアルでは説明なかったぞっ!」
「……マニュアルには書いてあったぞ」
 驚く大学生達に対し、トモシゲが呟く。
「肝心な説明がチュートリアルでされてなくてヘルプのわかりにくいところにこっそりと書いてあるネトゲ――あると思いますっ!」「馬鹿っ! 敵の説明に納得してるんじゃねーよっ!」「くっそ、ゲームするのに説明書なんて読む奴いねーだろ」「だよなー。セーブの仕方が分かんないクソゲーとか、最悪だよな」「てめー、アンリミは名作っつってんだろーが!」
 彼らは口々に言いながらも試しに掌をかざしてみると確かに仮想の盾が中空に浮かび上がった。誰でも簡単にできることだったらしい。ただ、やり方が告知されていなかっただけのようだ。
「うおっ、本当に盾がでた」「やっべ、なにこれ。防具マニアの俺歓喜」「ほーれ、見ろ。ダブルシールドだぞー」「これって攻撃判定あるんだろうか。シールドチャージしたいんだけど」
「お前ら黙ってろっ!」
 混乱する大学生達の中でトンガリ頭だけは冷静だった。トモシゲに視線を合わせると幻衣眼で名前が「非公開」と表示される。が、その非公開の文字は毒々しいほどに赤く染まっていた。
「『赤名無し』か。低レベルなのによくやるぜ」
「中途半端にPKとモンスター狩りをするよりはいい。
 ちなみに二つある欠点のうち一つは、サイバーソードの攻撃を防げないことだ。
 どうする? 剣で飛びかかってくるか?」
 左手を掲げたままトモシゲは言う。
 膠着状態だった。架空の盾は見る限り、プレイヤーの前面を全て覆うので身長の高いトモシゲでも盾の範囲からはみ出ることはなさそうだ。もう一つの欠点は一目見れば明らかで、前面しかガードできないため、側面や背面からの攻撃を防げないこと。しかし、今トモシゲ達が戦っている場所は縦に細長い歩道橋の上。体の大きいトモシゲが立ちふさがれば背面や側面に回ることは不可能だ。
 また、プレイヤーがプレイヤーに掴みかかるのはルール上反則であり、ゲームオーバーになった大学生達がトモシゲに掴みかかったりすれば幻衣眼を通して監視しているゲームマスターにペナルティを受けることになる。
 では、大学生達も仮想の剣で挑みかかるべきか。だが、それこそこの狭い通路では数の優位を無駄にする選択であり、サイバーガンのレベルばかりあげてきた彼らでは返り討ちに遭う可能性が高い。
「――だったら、これでどうだっ!」
 とんがり頭がトモシゲにサイバーガンの照準を合わせた後、銃口を上にずらし発射した。あらぬ方向へと飛んでいく仮想の銃弾。が、それは中空で軌道を変え、トモシゲへと向かう。
「伊達に銃スキルをあげてないっ! ホーミング弾だって撃てるんだよっ!」
 たとえ避けられたとしても姿勢を崩せば仲間達が架空の盾の合間をぬって架空の銃弾を撃ち込めばいい。通常弾とホーミング弾の二段構えの戦術。
 しかし――。
「ホーミング弾は弾速が遅いから避けるのは容易だ。さらに――」
 トモシゲはその場から動かず、右手の仮想の剣を上へ振りかぶった。それは彼の頭上から迫るホーミング弾をあっさりと斬り捨てる。
「迎撃も難しくない。あと、リロードも遅い」
「――だったら、連続攻撃だっ! お前は攻撃できないかもしれないけど、こっちは一方的に攻撃できるんだぞっ!」
 とんがり頭は二人の仲間にホーミング弾を指示する。生き残った大学生四人のうち、三人人がホーミング弾で姿勢を崩し、残りの一人が通常弾で隙をうかがう二段構え。弾速が遅いと言っても三連続の波状攻撃をすべて裁ききるのは難しいはずである。
 しかし、それを実行するよりも早くトモシゲが無情に宣告する。
「なら、この一振りで逆転してやろう」
 悪寒。
 とんがり頭は考えるよりも早く後ろに跳びずさっていた。少し遅れて前にいた三人の大学生達の頭上に天使の輪っかが表示される。
「……嘘だろ、おい?」
 信じられない光景だった。トモシゲの振りかぶった斜め上段からの一撃が、離れた場所に居た三人を一瞬にして切り裂いたのである。
「剣が――伸びた?!」「ガリアンソードかよっ!」「レヴァンティンのシュランゲフォルムじゃねーかっ!」
 トモシゲが剣を振り切ると幾つもの刃に分裂し、鞭状に変形していた仮想の剣が再び引き戻され、ガチンガチン、と重い音を立てて刃が合体し、通常の剣の形に戻る。
「そんなのありかよっ!」
 あの一瞬――トモシゲの放った剣は幾つもの刃に分裂し、鞭状に変形したのである。そのまま伸びきった剣は仮想の盾を貫通し、歩道橋の壁や床をも貫通し、歩道橋に並ぶ大学生達を横凪に切り裂いたのである。この形状の武器に正式な名称はない。蛇腹剣とも、ガリアンソード、あるいはスネークソードとも呼ばれる実在しない架空の武器だ。現実に作ろうとすればどうしても強度に問題があり、剣の形を保てないからである。
 なお、とんがり頭は把握してなかったが、このゲームの近距離武器は全て貫通属性を持つ。ガラス越しでも剣の切っ先がプレイヤーの体に触れてるように見えれば当たり判定が発生するのだ。もっとも、貫通属性がある、というのはおそらく後付で、プログラム的に禁則処理が上手くできないのでそういう設定にした可能性が高いのだが。
「サイバーソードの射程距離拡大スキルをマックスにしたら連結剣スキルが出てくるぞ。欠点は刃が分割された状態だと一撃一撃のダメージが下がることだな」
 ただし、トモシゲはクリティカル率増加スキルをマックスにしているので確率的には六回に一回はクリティカルが発生する。そして、クリティカルが発動すれば多くの敵は一撃で倒せるので、ともかく分割された刃を六回当てればほとんどの敵は倒せるようになっているのだ。なお、クリティカル率増加スキルをあげると剣の長さが短くなるので本来であれば射程距離増加スキルとは食い合わせが悪いのだが、連結剣スキルとの組み合わせでそのデメリットを帳消しにしているのである。
「そんな……PKでレベルが上がらないのにどうやって……」
「自分でPKしてて気付かなかったのか? プレイヤーレベルは経験値マイナスになっても、スキル熟練度はマイナスにならない。だからPKばっかしてたらスキルレベルだけガンガンに上がるんだよ」
 トモシゲは涼しげな顔で告げるが、大学生チームは納得できない。
「ずっ……ずるいぞっ! 光学迷彩にシールド、ガリアンソード、他の奴らが持ってない武器を自分だけ持ってるとかっ!」
「心外だな。シールドは誰でも使える初期スキルだ。ハイディングと連結剣スキルもレベルをあげればスキルツリーに出てくる代物だ。それとも――お前は攻略サイトがないと何も出来ないぬるゲーマーなのか?」
 言いながらトモシゲは一歩前へ踏み出す。つられてとんがり頭も一歩下がる。
「戦術を間違ったな。今いる場所に固執せず、挟み撃ちにすれば勝てたかも知れないのに」
 とんがり頭は絶体絶命だった。
 狭い歩道橋。逃げ場は後ろにしかない。しかし、後ろは先ほどのエコバックをぶら下げた主婦がゆっくりゆっくり歩いており、すぐには移動できない。背中を見せた途端にトモシゲのサイバーガンで倒される可能性がある。とんがり頭の攻撃はシールドで弾かれるが、トモシゲはシールド越しに一方的に伸びる剣で攻撃が可能。
 だが、チャンスはある。一撃目。トモシゲの一撃目を避けたら剣が伸びきっている間、トモシゲの懐は無防備になる。その間に懐に飛びこみ、一撃を与えればとんがり頭に勝機はある。そして、トモシゲが迂闊に追撃をしてこないのも、万が一、一撃を外したら逆転される可能性が高いからに違いあるまい。
 とんがり頭は覚悟を決めた。
「みんな、どいてろ。俺の後ろへ行け」
 仲間達は素直に後ろに引いてくれた。その間、トモシゲは襲ってこない。大人しく仲間達がとんがり頭の後ろへ下がるのを待つ。
 これでとんがり頭とトモシゲの間に邪魔するものはなくなった。十メートル前後の間合いを挟んで二人はにらみ合う。
「……自分に自信があるんだな。脅威度(ランク)AAに認定してやろう」
 この期に及んでなお戦いに挑まんとするその姿勢にトモシゲの表情が真剣味を増す。
「燃えてきた。正真正銘、一騎打ちと行こうぜデカブツ」
 まるで西部劇の決闘のごときシチュエーション。
 俄然テンションの上がるとんがり頭に対し、トモシゲは冷静だった。ただ静かに告げる。
「どうでもいい。とっとと来い。潰してやる」
「上等だっ!」
 とんがり頭は相手の挑発のままに歩道橋の床を蹴った。迎撃すべくトモシゲが水平に剣を振るう。とんがり頭はその軌道に合わせて一瞬かがみ込む。が。
「……しまっ」
 トモシゲは剣を分割させていなかった。通常状態のまま横に振るっただけだ。トモシゲは姿勢を崩すとんがり頭へ向け、返す刀で今度こそ刃を分離させながら剣を振るう。分割された刃の群れが荒波のように襲いかかってくる。
「なめんなぁぁぁぁっ!」
 とんがり頭は床に手をつき、強引に斜めに前転をした。歩道橋の汚い床に体をつけるのはかなりの抵抗があったが、勝利への執念がそれに勝(まさ)った。
 二人の距離は大分縮まっていた。
 トモシゲの位置まで後二歩。立ちあがろうとするとんがり頭へトモシゲはスナップを利かせて剣を逆方向へ振るった。伸びきっていた刃がS字状に蛇行しながらトモシゲの手元へと戻っていく。
 鞭のように蛇行する刃の一つがついにとんがり頭を捉えた。だが、致命傷には至らない。
 更に、もう一撃、刃がとんがり頭の体をかすめる。それでも、クリティカルは起きない。
 ライフポイントは半分以下に削られたが、それでも生き残っている。
「捉えたぜぇぇぇぇぇぇっ!」
 辿り着いた。とんがり頭はついに自分の間合いまでトモシゲに近づいた。後は剣を振るうだけだ。レベル差を考えれば剣のスキルレベルが一でも一撃で敵を倒せる――はず。
 しかし、そんな彼の元へ遠距離からのロックオン警告。
 トモシゲは冷静に告げる。
「そう、それでいい。最初からお前がここに来るのを待っていた」
「なにっ?!」
 仮想の銃弾がとんがり頭の額を貫き、デッドエンドエフェクトが流れ、天使の輪っかが頭上に浮かび上がった。
 驚愕に凍り付くとんがり頭。何が起きたか理解出来なかった。いや、分かる。落ち着いて考えれば簡単なことだった。この黒いデカブツは卑怯にも伏兵を用意してたのだ。サイバーガンでロックオンされた場合、どこから狙われているか方角が示されるのだが、攻撃方向はトモシゲの斜め上にあるビルの屋上からのようだった。
 ビルの屋上と歩道橋の間には巨大な看板があって狙撃しにくくなっていたのだが、トモシゲに襲いかかることによってとんがり頭はまんまと看板の死角からおびき出された、と言うことらしい。
「卑怯者っ! てめえ、俺との決闘(タイマン)を汚しやがって!」
 猛然と怒りをぶつけてくるとんがり頭にトモシゲは首を傾げた。
「何を言ってる? 俺は一度も決闘した覚えはないし、そもそも最初は一対六でお前等の方が有利だっただろう?」
 落ち着いて話すトモシゲだが、とんがり頭は収まらない。
「それでもラストは一対一のタイマンだっただろっ!
 空気読めよ!
 最後に一対一でケリをつけよう、て言ったら応じろよっ!」
「……お前が勝手に一人で盛り上がってただけだろ。負け犬の遠吠えは見苦しいぞ」
 やたら冷静なトモシゲの態度が逆にとんがり頭の堪忍袋の緒を引きちぎる。
「野郎ぶっ殺してやるっ!」
 とんがり頭は仮想の武器ではなく現実の拳を握りしめ、トモシゲに襲いかかる。トモシゲはバックステップでそれを避けたが、他の大学生達もそれに続く。
「GMにペナルティを受けるぞ」
「知るかっ! どうせゲームオーバーだっ!」「関係ねぇっ!」「ともかくお前をぶっ飛ばしてやる!」「この卑怯野郎っ!」
 トモシゲの警告も無視して大学生達は襲いかかろうと狭い通路を駆けてくる。トモシゲはハンドサインで逆三角形を描く。すると、相棒キャラであるリス忍者のカゲリスが現れ、トモシゲの姿をかき消した。歩道橋を走る足音だけが鳴り響く。
「しまった! また光学迷彩かっ!」「なにかハイディングを破るスキルがあるはずだっ!」「馬鹿野郎、死んでるからスキル使えねえよっ!」「畜生どうすれば――」
「ゴーグル外せっ!」
 とんがり頭は既に幻衣眼を投げ捨てつつトモシゲを追いかけていた。肉眼で確認すればやはりトモシゲの姿は消えておらず、歩道橋の階段を下りようとしているのが見える。
 とんがり頭は怒りのままに階段を三段飛ばしで下りていき、トモシゲを追いかけた。調子づいたクソガキに制裁を与えるために。この世のルールってものを思い知らせてやるために。
 だが、世界は無情だった。
 トモシゲのいる歩道に一台の車が横付けされ、扉が中から開かれた。現れたのは美しい妙齢の白人女性だった。その白人女性は何故かメイド服を着ている。
「お待たせしました」
「いい仕事です。さすがメイド長」
「Vielen Dank(恐悦至極にございます)」
 トモシゲは慣れた様子で車に乗り込む。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ?」
 茫然とする大学生達を残してメイドさんの運転する車は通りの向こうへ走り去ってしまった。都心部ならばすぐに渋滞に巻き込まれるので人間の足でも次の信号で追いつけるかもしれないが、残念ながらここは街興しが必要なほどの田舎なのでそれは無理な相談だった。
「くそがぁぁぁぁぁっ! なんだあのクソガキはぁぁぁぁっ! タイマンに応じないし、だまし討ちするし、美人のメイドさんが運転する車で逃走するし、どういうことだっ! ざっけんなよっ!」
「おい、落ち着け。周りの人が見てる」
 地団駄を踏むとんがり頭。仲間の大学生達もとんがり頭の切れ具合についていけず、さすがに宥めにかかる。彼らの身なりはいい。大学生ながら、身につけている服はみんな高級ブランドで固められており、このバカ高いゲームに参加していることから分かる通り金持ちの坊ちゃんばかりだ。これまで何不自由なく育ち、好き放題してきただけにこういう風に一方的にやられることに対する耐性がとても低かった。
「ぶっつぶしてやる。めちゃめちゃにしてやる。もうゲームがどうだとか関係ねぇ。とことん追い詰めて俺をバカにした罪を償わせてやるっ!」
「まあまあ落ち着きたまえ」
 憤るとんがり頭。その肩を叩く手にとんがり頭はますます怒りを募らせた。聞き覚えのないのにやたら偉そうな声。小さな頃から上から目線で話しかけられるのは大嫌いなのだ。
「んだよ、誰だよてめぇ! 偉そうにっ!」
 振り向いた先にいたのは実にガタイのいい青い制服を着た中年のおっさんだった。野太い笑みを浮かべるその中年につられ、とんがり頭も引きつった笑みを浮かべた。日本人なら誰でも知っているよく見た制服である。一目見れば相手が誰だか分かる。
「えっと、違うんですよ、おまわりさん。その、ぶっ殺すってのはあくまでゲーム的な用語であってその、子供の悪ふざけを本気にするのはやめてもらえないすかね。マジで。あははは。あははははははは」
 ガタイのいい中年警官の後ろでは仲間の大学生達が既に別の警官達に首根っこを押さえられ、交番へ連行されていた。
 この『サイバーサバイバー』は普通のネットゲームと違い、サバイバルゲームと同じく生身の人間が顔をつきあわせて戦うため、今回は街の各所に制服の警官が予め待機しているのだ。なので、喧嘩に発展しそうになったり、ゲームを優先して日常生活を送る街の住人に迷惑をかける問題プレイヤーは即座に捕まえられるように整備されているのである。先述の通り、プレイヤーの行動は全て記録映像として残されており、現行犯逮捕も容易である。
 もっ