ルーデンス・ディグニティ 序章

 何度目かの序章掲載。
 一章も出そうと思ったけど長いので分割。



序章

 あの日、私はその恋に破れた。
 正直に言うと、私はあまり普通ではない身の上である。
 翔烈火。十五歳。帰国子女の高校一年生――それが私だ。
 アメリカはカルフォルニア州のロサンゼルスで生まれるも、両親は生まれてまもなく他界。以来、剣術家の祖父に男手一本で育てられた。祖父は若い頃、武者修行と称して渡米した剛の者だ。そんな祖父に育てられたものだから、男勝りに育ってしまうのも仕方ない。
 大体名前が可愛くない。本当は『烈香』になる予定だったらしいが、祖父が「烈(はげ)しい香りって何だ? 臭いのか?」と言ったせいでこの名前になってしまった。今となってはこの名前に愛着もあるけれど、やっはり可愛くはないと思う。
 いっそ、男に生まれてくれば、と思ったこともある。実際、男性にはあまりモテた覚えはないが、不本意ながら女子にはモテるのだ。世の中上手く出来てない。
 けれども、そんな私も遂に恋をした。
 《現代のサムライ》として鳴らした祖父も寄る年波には勝てなかったのか、大病を患い日本へ帰国する。その祖父に連れだって、私も十数年ぶりに日本へ帰国。
 そして、彼に出会ったのだ。
 粟井友重(あわいともしげ)に。
 彼の不思議な魅力に惹かれ、私は一学期の最後――終業式の終わりに告白をした。
 全校生徒の前で。
「私はあなたに真剣なる交際を求めるっ!」
 衆人環視の中、彼は動じることなく笑った。
「まるで決闘を申し込まれたみたいだ」
 そして、告げる。
「ありがとう。
 でも、俺に恋人は必要ないんだ」
 かくて私の運命は狂う。



《Alert! 警告! Alert! 警告! Alert! 警告! Alert! 警告! Alert!》
 突如として空間に赤文字の警告が次々と浮かび上がり、私は立ち止まった。
〈レッカ様っ! 膨大なサイバーエネルギーの奔流を感じますっ! これはっ!〉
 お供に連れているサムライペンギンが慌てた声をあげる。
 ――遂に来たっ!
 私、翔(シヨウ)烈火(レツカ)は見た。
 世界が震え、歪んでいくのを。
 始まったのだ。約束された終わりが。戦いの始まりが。
 お供のサムライペンギンのポリゴンが世界の変異に耐えられないのかノイズが走り、体そのものが歪み、明滅する。
 私の周囲を取り囲む《警告》の文字列が相も変わらず元気に跳ね回り続ける。
 だが、どうしろというのだろう。世界そのものが変わろうとしているのに、何をどう警戒しろというのか。
 やがて、閃空と共に世界は光で満たされた。
 余りのまぶしさに私は目を閉じ――再び開いた時には世界は変わっていた。
 まず、空の色が違う。
 蒼天は失われ、代わりに広がるのは薄緑色の空。
 その空の下を幾つもの見たこともない異界の船が飛び回る。
 そして、私の足下をポリゴンで出来たぬいぐるみのようなデフォルメされた生き物が幾つも通りすぎていく。
 まさにゲームやマンガで見るファンタジーの世界そのものだ。
 だが、ここはゲームの中でもなければ、アニメやマンガの中でもない。
 空の色は変わってしまったというのに。
 異界の船が飛び交うというのに。
 ポリゴンで出来た異邦人達が街を跋扈しているというのに。
 地上には変わらず寂れた地方都市が広がっていた。コンクリートで出来た道路に年代物のビル群が乱立し、その側をまばらな人が行き交っている。
 あくまでもここは現代日本の一地方都市。だが、その一部が異世界によって侵食され、混じり合ってしまったのだ。
〈遂に《扉》は開かれてしまいました。
 このままではこの都市を皮切りにこの惑星そのものが我が故郷――《サイバーワールド》によって侵食されてしまいます。
 そうなる前に、一刻も早く《扉》を閉じなければ!〉
 そんなサムライペンギンの言葉を聴き終えると共に、中空にふわりとメッセージボードが浮かび上がる。

《『サイバー・サバイバー』――GAME START》

「台無しじゃないっ!」
 思わず私は叫び声をあげた。
 道行く人の視線がざぁぁっ、と私に突き刺さる。街中で女子高生がいきなり叫びだしたら不審に思うのは当然のことだ。
「あ、すいません! なんでもないです! 気にしないで下さい!」
 あたふたと大声で言い訳にならない言い訳をする。どう思ったのかは分からないが、他の人々はすぐに視線を戻して去っていった。
 ――あー、変な人だと思われたよね。
 細かいことを気にしても仕方ないが、恥ずかしい。
 気恥ずかしさに任せて乱雑にそのメッセージボードを叩くと《ゲームスタート》の文字は砕け散って消えた。せっかく臨場感たっぷりの演出でゲームの雰囲気に入り込んでいたのに色々と台無しである。
 ――アラートが始まった段階でゲームがスタートしたことは分かってたんだから最後のタイトルロゴはいらなかったよね。
「……まあいいわ。気を取り直してゲームを楽しもうっ!」
 私は手を叩き、仕切り直す。せっかく人類初の拡張現実型MMORPGゲームのクローズドベータテスト大会に参加できたのだ。最大限に楽しまなければ損というものだ。
 ――なにより、このゲームには私の人生がかかっているっ!
 大げさと言われるかも知れないが、私にとっては何よりも大切なことだ。
 ――なにせ私には確固たる目的が……。
「ぎぃやぁぁぁ」
 と、そんな私の気合いに水を差すような野太い悲鳴が響く。
 考えるよりも早く体は動いていた。
 街ゆく人々がきょとんとする中、私はただ声のした方へ駆けていく。その間にも銃声が響いていた。ただし、その銃声はアメリカでよく聞いた火薬の爆発するような音ではなく、あくまでバキュゥゥゥンというSF映画みたいな効果音だ。
 ――まあ、ゲームだから当然よね。
 しかし、銃声は偽物であっても、悲鳴は本物だった。
 聞こえてくる悲鳴に剣士としての勘がそこへ向かうべきだと告げている。
 自分でもよく分からないまま路地裏に踏み込み――そこで見たのは青白い仮想の剣によって胸を貫かれた青年の姿だった。
 当然、血は流れていない。けれども、青年の頭上に《DEAD》の文字が浮かび上がり、天使の輪っかが現れ、彼が《死亡》したのだとシステムが判定を下す。よくよく見ると天使の輪っかが浮かんでいるのは一人だけではなかった。総勢六人の二十代後半らしき青年達が《死亡》している。
 そして、その中心に青白く輝く半透明の凶刃を構えた一人の少年が立っていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 予想外の展開に私は思わず大声をあげた。
 瞬く間に六人の社会人を《死亡》させたと思われる下手人が私に目を向け、彼も目を見開いた。当然だ。互いに知った顔。一学期の終業式以来の再会だ。
 ――まさかこんなに早く会えるなんて!
 まさに運命。とはいえ、意味の分からない状況だ。
「ちょ、ゲーム開始したばっかりで何やってるの?!」
 私の指摘に彼は肩をすくめ、淡々と告げた。
「見ての通り、PK――プレイヤーキルだ」
「そんなの見れば分かる! なんでまた通り魔そんなことしてるの、って聞いてるの!」
 結論を急かす私に、変わらない様子で彼は応える。
「早い段階でライバルを排除するのも攻略法の一つだ」
「あ、なーるほど、納得」
 いきなりショッキングな場面を見たせいで思い至ってなかったけれど、よくよく考えれば当然の話だ。このゲームは競争相手が居る。ならば、モンスターを倒して経験値を稼ぐより、先にライバルを潰すのも一つの手だろう。
「そんな訳あるかっ! ナニ納得してんだよ!」
 それまで青い顔でうつむいていた《死亡》青年の一人が突如として喚き出す。
「俺達がこのゲームに参加するためにどれだけ苦労したか!」「そうだそうだ!」「七万円の参加料払って!」「会社の有休も取って!」「ダチを集めて!」「やっとここまで来たのに!」「いきなりリタイアとか!」「お前ら鬼か!」「PKなんてまともな人間のすることじゃねぇ!」
 口々に騒ぎ出す社会人達だが、彼らをPKした少年は全く意に介してないようだった。年上の男達に大人げなく喚き立てられたというのに眉一つ動かさず、淡々と語る。
「知るか。PK出来るゲームで警戒しなかったお前らが悪い」
 少年の挑発的な言葉に、社会人達は更に抗議をするかと思いきや、歯を食いしばり「畜生っ! 畜生っ!」と各々その場所に崩れ落ちた。
 ――なんていうか、すごい敗残兵の空気というか、落ち武者っぷりね。
 たかがゲームだというのに、大戦争に負けたかのような空気だ。よほどこのゲームを楽しみにしていたのだろう。
 ――あれ? でも、このゲームって十五以下の低レベルは初心者保護機能が働いてPKされても《死亡》することはないはずじゃ……。
 と言うことはトモシゲにやられた連中は全員ゲーム開始直後にすでにレベルが十五になっていたことになる。これでは色々と計算が合わない。
 ――何か特別な攻略法がある?
 私の預かり知らない、レベル上げの方法があるのかもしれない。だとすれば皮肉なモノだ。レベルを上げたばかりにゲーム開始直後に退場となったのだから。
 ――あるいは、それを見越して彼は襲いかかったのかしら?
 改めて私は下手人である少年を見る。
 身長百八十センチを超える大男。だというのに存在感は希薄でとても地味な印象を受ける。いや、そもそも近くにいても印象そのものを感じさせない不思議さがある。気を抜くと隣にいることすら忘れしてまうくらいだ。帰国子女なせいか自己主張が強いと言われる私とはとても対照的だ。
 視線を彼に向けたことにより、中空に彼のパーソナルデータが表示される。
《プレイヤー名:awake00》
 血のように赤く染まったプレイヤー名は彼がPKをしたことを示している。
 でも、そんなことはどうでもよかった。
 私は知っている。彼の本当の名前を。粟井(あわい)友重(ともしげ)という本名を。当然だ。彼こそが、私がこのゲームに参加した理由そのものなのだから。
「お前も参加していたのなら――友人のよしみだ。パーティ組まないか?」
 泣き崩れる大人達を意に介さず、彼は私を誘ってくる。
「…………っ!」
 十日ほど前に人を振っておきながらなんて平然とした態度だろうか。
 ――こっちは会話してるだけでドキドキしてるのにっ! 卑怯よっ!
 正直に言えば嬉しかった。どんな形であれ、彼に誘われるというのはとても嬉しい。
 ――けれど。
 そんな彼とその周囲で情けなく泣く大人達を見比べ――私は決意した。
 顔を引き締め、右手で親指を突き上げたサムズアップのジェスチャーを取る。
《ソードモード》
 合成音声と共に私の右手に仮想の剣――《サイバーソード》が形成される。青白く輝く半透明の、非実在の剣。突き立てた親指を下ろして拳の形にし、その剣を握りしめる。親指を立てたままだと力が入らないからだ。
「……義憤にかられたか?」
 彼の質問に私は静かに首を振った。
「まさか」
 出会ったばかりの人間に感情移入出来るほどお人好しでもない。けれど――。
「ご高説を垂れたんだし、まさか自分がやり返されることを否定しないわよね?」
 トモシゲは突然の宣告に対しても、いつものように落ち着き払っていた。同じ高校生とは思えない大人びた、というよりは老成した印象さえ感じさせる。
「……ああ、もちろんだ」
 ――そこがまたカッコいい。
 思わず笑みを浮かべてしまう。
「予定とは違ったけど、やることは同じよ」
 剣を掲げ、切っ先を彼へ――最愛の男へと突きつける。
「我が愛のために、貴方を……倒すっ!」
 私の言葉に彼は――ため息をつき、呟いた。
「……なるほど。そう言うことか」
 今の言葉で全てを悟ったのか、彼の視線が鋭くなる。
「分かった。受けて立とう。ただし――」
 途端、彼の存在が膨れあがるのを感じた。別に巨大化した訳ではない。溢れ出る闘気が、殺気が、彼を実際以上に大きく見せている。
「お前には負けて貰う」
 ――これが本当のトモシゲっ!
 学校では体が大きいのに地味で目立たない、存在感の薄い少年だったというのに――まるで歴戦の戦士を相手にしているような錯覚を感じる。
 路地には他に人はおらず、私と向き合うトモシゲを《死亡》した社会人達だけが固唾を飲んで見守る。いや、違う。正確に言えば私達だけじゃない。
 睨み合う私達の周囲をポリゴンで出来たぬいぐるみ状にデフォルメされたモンスター達が空気を読まずに闊歩している。かの異世界からの来訪者達は初めての人間界を勝手気ままに跳梁跋扈していた。
 ――ここが、この戦場が『彼の世界』っ! でも、どこであろうと剣の勝負なら負けないっ!
 掲げた剣を下げ、中段に構えつつ、私は間合いをはかる。
 幼い頃から厳しい祖父に剣術を叩き込まれてきたのだ。いかに相手がゲームの名手だろうと、剣において後れを取る訳にはいかない。
 しかし、そんな私の思考を裏切るかのように彼は半身を引き下げ、左手でサムズアップに人差し指と中指を伸ばした銃のジェスチャーをこちらに向けてきた。
ガンモード》
 光の粒子が収束し、仮想の銃――サイバーガンが彼の手元に現れ、同時に引き金を引かれた。続けざまに七つの仮想の銃弾が私に向かって放たれる。避けるには難しい距離。――しかし、その全てを私は手にした仮想剣で叩き落とした。
「……何?」
 初めてトモシゲが動揺を見せ、動きを止めた。その様に思わず私は笑みを浮かべる。
「弾速は時速九十五マイルくらいかしら? 音速を超える実弾ならいざ知らず、大リーガーの直球(ストレート)くらいのスピードなら私でも打ち落とせるわ」
 時速九十五マイル――すなわち時速百五十キロほど。実弾の十分の一以下と考えれば不可能ではない。
アメリカ帰りのサムライガールか――想像以上だな。ロスではそれが当たり前なのか?」
「うちの流派は現代でも戦えるように拳銃相手の戦い方も研究してるわ。お爺様なら実弾も撃ち落とすでしょうね」
 我ながら常識外れな発言に、トモシゲは笑った。口を開き歯を見せる肉食系の猛獣のごとき獰猛な笑み。
「なるほど。お前が化け物なのは分かった。脅威度(ランク)Sと認定しよう」
「そう? よく分からないけれど、貴方に認められるのは嬉しいわ」
「褒めてないぞ」
 耳によくない発言は聞こえないことにする。
「あなたこそ、左手なのにとても正確な射撃ね」
 私が銃弾を打ち落とせたのも彼の射撃が正確だったからこそである。
「俺は元々左利きだ。箸を持つために無理矢理両利きにされたんだよ」
 なるほど、また一つ彼のことを知れた。どんなことであれ、大好きな人の知らない側面を知ることが出来るのは嬉しい。
「器用ね。ん? そう言えば、銃と剣の二刀流?」
「両手に武器を持ってはいけない――なんてルールはない」
 そう言いつつ、彼は仮想銃の引き金を再び引いた。会話している間にリロードしていたらしい。狙いは頭部に二発、心臓に二発、腹部に一発、と実に明確。先ほどと変わらず正確な射撃をこちらも違わず全て斬り捨てる。非実在のこの剣が刃こぼれすることはなく、むしろ仮想の銃弾の方が刃に触れた途端、ポリゴンの欠片となって虚空に消えていく。
「どうした? 前に踏み込んでこないのか?」
「あなたこそ、どうして二丁拳銃にしないのかしら?」
 彼の挑発に私は質問で返す。視線がぶつかった。
 私とてこれより近づいたら全ての銃弾をたたき落とせる自信がない。
 彼も二丁拳銃では正確な射撃を期待できないのだろう。乱射するのも一つの手だろうけれど、彼は銃撃の精密性を優先するらしい。
 ならば、彼の弾丸が切れた時が勝負。
 仮想銃は確か装填が十発ずつで、いつでも再装填(リロード)は可能だったはず。ただ、リロードには数秒の隙が出来る。彼はたった今五発撃った。つまり、後五発打てば必ずリロードしなければならない。
 ――リロードの瞬間に距離を詰めるっ!
 今度は会話に気を取られないよう、注意深く彼の動作を見つめる。リロードのジェスチャー――すなわち、親指を折り曲げる動作をした時が勝負の時だ。
 しかし、またも彼は私の読みを裏切った。
「なら、奥の手を使わせて貰う」
 彼は左手をパーに開くジェスチャーをする。途端、仮想銃が消失した。
「――っ?!」
 想定外の行動。しかし、自然と体は動いていた。理由は不明だが、銃を手放したのならば距離を詰める好機(チヤンス)。
 ――近接戦闘ならば私に分があるっ!
 突進を敢行する私に対し、彼は握り拳から伸ばした人差し指と中指をくっつけ、逆三角形の軌跡を中空で描く。すると、彼の肩に面頬をしたリス忍者が現れくるりと一回転した。なんらかのスキルが発動するのか?
 ――でも、私の方が早いっ!
 体当たり同然の勢いで私は彼へと突進からの片手突きを敢行する。
 心臓を一突き――のはずだった。
 だが、私の放った一撃が彼の身体に触れるよりも早く、彼の姿はこの世界から消失した。
「…………っ?!」
 目を見開き、彼が――トモシゲがいた場所を凝視するが、そこには何もない。誰もいない。私の足下を相変わらずモンスター達が気ままに歩いているだけだ。
「馬鹿なっ、光学迷彩(ステルス)だとっ!」「《姿消し》(ハイド)かっ!」「ミラージュコロイド?」「プレデターかよっ!」
 それまで黙っていた《死亡》した社会人達が口々に声をあげる。ゲームに長けた彼らにとっても想定外の事態らしい。当然だ。
 だって、ここはゲームの中ではないのだから。
 生身の人間が姿を消すなんて常識的に考えてあり得ない。
 それに、私には分かる。彼の姿は見えないけれど、気配は変わらずこの場にある。それは間違いない。幼い頃より祖父から鍛えられた剣術の腕は伊達ではない。微細な空気の流れ、音、息づかい、それらを感じ――膨れあがった殺意の爆発を捉える。
 ――真後ろっ!
 刹那、私の感覚は時間を超えた。
 振り向き様に、全身のバネを総動員し、最速の一撃を放つ!
 想像(イメージ)が現実を凌駕し、本物の剣が彼に当たるよりも早く、脳裏に彼を両断する未来の自分の姿が描き出される。
 ――斬ったっ!
 卓越した武術家の想像力(イマジネーシヨン)は現実を先取りし、事象が後から追いついてくる。祖父から幼少よりたたき込まれた剣が今、結実する――!
 ところが、その想像(イメージ)に現実(リアル)どころか、仮想(ヴァーチヤル)が追いついてこなかった。
「…………っ!」
 魂を込めた最高の一撃はしかし、トモシゲに触れることなく消失した。
 遅滞する時間の中で私は見る。確かに真後ろに彼は居た。
 原理は分からないが、姿を消し、私の後ろに回っていたのだ。姿を見せているのは透明なまま攻撃ができないということか。
 そこへ向けて放たれた横一文字の斬撃は剣そのものの消失によって空を切る。斬撃を振り切った後、思い出したかのように私の手元に架空の刃が再出現した。
 愕然とする私へ、トモシゲは静かに剣を振り下ろし、私の身体を斜めに斬った。
 無論。血は出ない。傷も出来ない。ただ、視界の左上に表示されていた自分のライフポイントがみるみる減っていき、最後の1ポイントで止まった。《死亡》ではなく、《戦闘不能》の文字が視界一杯に浮かび上がる。同時に、私の手から架空の剣もかき消えた。これで五分の間、攻撃出来ない代わりに死ぬこともない。
 けれど、そんなことはどうでもよかった。
 ――立ち合いで……ゲームとはいえ生身の戦いで私が負けたっ!
 私にとってそれは信じられないことだった。
 これが祖父であったり、同年代でもトップクラスの武道の経験者なら分かる。しかし、相手はどう見ても素人だ。幾ら体が大きく、生まれ持った身体能力が高かろうとその動きは洗練されておらず、鍛えられた様子もない。
 愕然とする私から彼は数歩後ろに下がり、距離を取る。
「五フレーム早かったな」
「?」
 言葉の意味が分からず、私は顔をしかめる。フレームとはどういうことか。
格闘ゲームで言うところのキー入力ミスって奴だ。このゲームのモーションキャプチャーはそこまで精度が高くない。機械がお前の早すぎる動きについていけなかった。そういうことだ」
 ようやくそれが先ほどの仮想剣が消失した原因を説明しているものだと気付く。相変わらずフレームの意味は分からないが、剣が消えたのは審判――つまりは機械が測定できないほど早く動いてしまったせいらしい。
 ――そんなっ! それじゃ今のはどう考えても私の勝ちじゃないっ!
 思わず声を荒げようとしてはっとする。
「まさか……そこまで計算して?」
 私の問いに対し、彼は笑みを浮かべ、否定した。
「まさか。あの時俺は死を覚悟したよ。《隠密》(ハイド)が見破られるなんて思わなかった」
 ――嘘だ。
 彼のその意地の悪い笑みに私は確信する。彼はあの時勝利を確信して踏み込んできたのだと。何故なら、彼の笑みは罠にかかった獲物を見る狩人そのものだったのだから。
 薄緑色の空の下、私は膝をついた。
 なんということだろう。彼がここまで強いとは。
「惚れ直したわ」
 思わず笑みがこぼれる。
 最上の敬意と愛を示した私に対し、今度は彼が顔を歪めた。
「……めげないな、お前」
「忘れたの? 私はあなたを愛しているのよ」
 彼に告白をしたのは十日くらい前のことだったか。あの日のことは昨日のことのように思い出せる。
 あの日も今日のようにとても晴れた日だった。もっとも、今みたいに空の色は薄緑色ではなかったが。
 あの時の気持ちは一片たりとも色あせていない。
「真剣なる交際を申し込むわ」
 思わず私は思いの丈をぶつけ、
「ありがとう。だが、俺に恋人は必要ないよ」
 トモシゲに受け流される。以前と同じやりとり、同じ答え。
「――そんなにあの子の方がいいの?」
 あの時にはなかった質問を付け加える。
 トモシゲは頬をゆるませる。
「それとこれとは別の話だ」
 とても優しい眼差しと笑みがこぼれた。見ていて心が温まる。けれども、その笑みが向けられているのは私ではない。私では、ないのだ。それを思うと温まったはずの心が軋むのを自覚する。
 我知らず奥歯をかみしめる私を見て、彼は苦笑した。
「――じゃあな。俺は行く」
 彼はそう言うと再び伸ばした二本指で中空に逆三角形を描く。リス忍者がくるりとでんぐり返しすると共に彼の姿が再びかき消えた。
「…………っ!」
 息を飲んだ。
 改めてその現象を目の当たりにして、それが現実に起きているものだとイヤでも知らされる。先ほどの現象は何かの見間違いではないか、興奮しすぎた私が彼の行動を見落としていたのではないか、――そんな風に思っていた。
 けれども、私の視界からは彼の姿は消失し、後には裏路地で呆然と私達のやりとりを見ていた社会人達と、最後まで好き勝手に歩き回っていたポリゴンで出来た魑魅魍魎達だけが残される。
 ――まあこの子達は見えてるだけな……まさか、そういうこと?
 そこでハッとして私は装着してたゴーグルPCを脱いだ。つられて周囲の社会人達も慌ててゴーグルPCを外す。
 途端に、路地裏を賑やかしていた魑魅魍魎達が見えなくなり、うら寂しい路地が現れる。薄緑色の空も、晴れやかな青空となった。ゲームの世界から現実世界への帰還。
 目をこらし、足音のした方角を探る。
 大通りの向こう側へ走っていくトモシゲの後ろ姿が見えた。
 ――やられた。
 詳しい仕組みは分からないけれど、彼は実際に姿が消えた訳でなく、このゴーグルに表示されなくなっただけらしい。
 まるでフィクションみたいな話だけれども、事実目の前で起きたことなのだから信じるしかない。新開発されたというこのゴーグルPCは私の予想を遙かに超えて高性能だった――そういうことだ。
「あーあ、完敗だわ」
 私達は別にゲームの世界に入り込んでいた訳でも、異次元空間に入っていた訳でもない。あくまで、私達は現実世界にいた。ただ、その現実世界にこのゴーグルPCを通して架空の存在を上書き(オーバーライド)された姿を見ていただけである。
「拡張現実(オーグメンテツド・リアリティ)――AR技術――すなわち、現実世界に《架空》(ファンタジー)を持ってくる技術。なるほどね」
 再びゴーグルPCを装着し直す。そこには人気のない地方都市を楽しそうに行き交うポリゴンで出来た来訪者達の賑やかな姿があった。
 現実世界(リアル)が、仮想世界(ヴァーチヤル)によって上書き(オーバーライド)されたゲーム世界。
 分かっていたようで分かっていなかった。彼に敗北し、ようやっとこのゲームがどういうゲームかを理解する。
 身体能力は自分の方が数段上だと自負がある。体格はいいもののインドア派のゲーマーであるトモシゲに負けるなんて思っていなかった。けれど、彼はその差をゲームへの理解度で軽々と凌駕していった。
 粟井友重――あるいは、無敗のゲーマー《アウェイク》。
 それが、この私――翔烈火(シヨウレツカ)の倒すべき、愛すべき敵の名。
 そして――。
 路地裏の奥から拍手の音。
 振り返り、私は目を見張った。
 会うのは二度目。だと言うのに、息を飲んでしまう。
 そこにいたのは絶世の美少女とも言うべき存在だった。年の頃は十歳ほどだろうか。新月の如き闇色の長髪に、宝石よりもなお輝く蒼い瞳、霊山の深雪もかくやの白い肌――どれをとっても現実離れをした、幻想的な美しさの持ち主。けれども、その顔には年相応の幼さ特有の活力に満ちあふれている。彼女はモスグリーンのフリルドレスを身に纏い、手を叩いていた。
 ――拍手の仕草すらこんなに優雅なんて。とても同じ人間とは思えない。
 こんな日本の地方都市の裏路地にはふさわしくない、それこそゲームのキャラクターのような風貌だが、彼女はれっきとした実在の人物であると私は知っている。
「Guten Tag(ごきげんよう), Fraulein(おじようさん).」
 スカートの裾を僅かにつまみ、優雅に一礼をする。時代がかった礼節がますます彼女を現実感のなさに拍車をかける。
「う、うわぁぁぁっ!」「は、白人の妖精だ!」「ど、どういうことだ? なんでエルフみたいな美少女がこんなところにっ!」「やっべあまりの可愛さに失禁しそう」
 言葉を失っていた社会人達が彼女の一礼を期に騒ぎ立てる。声を聞いてようやく彼女がゲームの人物ではなく、実在の人間だと気付いたのかも知れない。
 ――いやいや。失禁はおかしいでしょ。
 余りにも無礼な大人達に対し、顔をしかめる私とは対照的に彼女は顔を曇らせることなくにっこりと笑って社会人達へも挨拶を向ける。
ごきげんよう、おじさま達」
 話しかけられ、社会人達は更に仰天した。
「ううわぁ、話しかけられた!」「やっべ俺英語とかわかんねーよ」「どど、どうすれば」
 いい歳した大人達が小学生くらいの女の子を相手にしどろもどろにうろすぎである。相手が相手なので仕方のないことだけれど、さすがに動揺しすぎだ。
「あの……ボクは日本語だけど? 発音、変だったかな?」
「うわぁっ! ホントだ!」「日本語だっ!」「……天使か」
 相変わらず大人達の言葉は支離滅裂だったが、絶世の美少女は言葉が通じたことにひとまずよかった、と胸に手をおいた。その仕草も実に洗練されており、優雅さと気品を感じさせる。
「ごめんなさい。ボクは彼女とお話ししたいんだ。席を外してくれないかな」
「「「「「「ハイヨロコンデー」」」」」」
 美少女がにこりと笑みを向けると大人達は驚くほど息の合った返事と共に風のごとく去っていった。あれだけの機敏さがあるのならばトモシゲに狩られる前にとっとと逃げればよかったものを。
 ――ま、いいか。面白い人達だった。
 苦笑しつつ、私は視線を去っていった大人達から目の前の美少女へと戻す。
 ――いや、美少女、と言うのは間違いだったわね。
「のぞき見とはいい趣味ね、ミランお坊ちゃま」
 私の言葉にミランは子供らしい、悪戯な笑みを浮かべる。
 そう、目の前にいるこのドイツ人の子供――ミラン・フォン・ガートランドは歴とした男の子なのだ。にわかには信じがたい事実だが、パスポートも見せて貰ったので間違いない……はずである。
 ――さすがに女の私がこの子の裸を確認する訳にはいかないしね。
「どうだい? ボクのトモシゲは強いだろう?」
 彼は私の言葉に応えず、自慢げに話す。
 ――ボクのトモシゲ、ね。
「ええ、とっても。さすが私の惚れた男ね」
 意識せずとも口調が硬くなってしまう。仕方ない。言ってしまえば彼こそが最大の恋敵と言っても過言ではないのだから。
「トモシゲは何があったって負けることはないよ。このボクの為ならね」
「美しい絆ね。うらやましいわ、本当に」
 二人の間には分かちがたい絆がある。女の私には入り込めない深い絆が。
 まずはそこを認めよう。そこから目をそらしても仕方ない。けれども――。
「だったら、まずはその絆を破壊する」
 はっきりと宣言する。
「あなた達の美しい友情は認めるけれど、目障りだわ。
 私の愛のために、その絆、破壊させて貰う」
 改めての宣戦布告。
 対するミランは泰然としたものだった。揺るぎもせず、不敵に笑う。
 その大人びた笑みはまるで千年の時を経た吸血鬼のような深みがある。何故あんな無邪気で幼い笑みがここまで老獪なものになるのか――私には理解出来ない。
「いいよ。なら改めてボクとゲームをしよう」
 ゲーム。このドイツ貴族の末裔は何よりもゲームを好む。
「ルールは簡単。
 トモシゲに勝つこと。
 今日のゲームでトモシゲよりいい成績を出せばキミの勝ち。
 もし、キミがトモシゲに勝ったら、一番の親友であるこのボクが二人のキューピットになってあげよう」
 そう、これこそが私がこのゲーム大会に参加した理由。
 ゲームに勝てば、二人の仲をこの少年が取り持ってくれるという約束。
 そのために私はこうして緑色の空の下にいる。ポリゴンで出来た魑魅魍魎達に取り囲まれ、ゲームの世界と重なった場所にいるのだ。
 実にシンプルで分かりやすい。トモシゲと付き合いたければ彼を倒せ、と言うことだ。
 私は力強く頷き、彼をにらみ返す。
「それではいいわ。恋する乙女の力、見せてあげる」
 トモシゲの強さは先ほど身をもって知った。簡単に勝てる相手ではない。なにより、彼に勝ったとして本当にカノジョになれる保証もない。
 ――でも、やってやる。
 そこに可能性があるというのなら、私は自らのすべてを賭けて戦おう。
 結局の所、私には戦うことしか出来ないのだから。


 と言う訳で何度か見たことある人もいると思いますが書き直し版の序章です。
 冒頭に戦闘もって来たかったので色々弄ったら無駄に長く。
 でも、序章です(強弁
 まあ、最終書き直し時にごっそり削られる可能性アリ。
 そして、説明多すぎる。
 色々とバランスが悪い。
 しかし、一章はもっとバランスが悪いのだった。
 明日に続く。