自作分析とかしている

 まともに書ききれる時とそうでない時の違いはなんなのだろうか、と考えてみています。前半部分で破綻する割合が笑えるくらい高いのです。
 それ故に「墓」を題材にした応募作で電撃大賞を受賞し三大大賞を「墓」が制覇そしてライトノベル業界に墓ブームを到来させるという野望も仕損じてしまいました。成功したならラノベ史に残る偉業だったに違いないというのに、不甲斐ない。入江先生と新井先生にはなんと詫びていいのか……
 さておき、過去に書いたものを未完のものも含めて見直してみると、結末まで考えてから書いた話以外はまず間違いなく投げやりに終わっています。アドリブで描くのはまず不可能だということです。というか自分の書く作中人物の「作者の意図を無視して勝手に停まる」意志の強さは異常。書きたがっているものが自分でも把握できていないのかもしれません。
 で、プロットを書いてた時は時ですんなりかけたり一章で止まったりとするのですが、やっぱり止まるときは「これで書けるか怪しい」プロットだったりするわけで。ここぞというポイントで「〇〇が頑張ってどうにかする」とか無茶振りが書いてあるプロットを前に「書いてやんよ!」――と、「アドリブで書いてやんよ!」と、笑顔で力強く請け負ってくれる脳内日向くんの声を信じれば失敗するということです。でも煮詰まってくるとつい信じてしまうんですよね。これを俗に"見切り発車"と言います。
 たぶん、苦手な部分だったので練習を先送りに先送りにしてきたんでしょうね。一度プロットだけ書きまくってみようとしているところですが……やだなあ……とか思っている困った人をどうにかして欲しい。ええ、自分なんですけどさ。