プロット論、再考。
プロット話、放っておくと「結局、ひとそれぞれだよね」というところに落ち着きそうなのでもういちどかき回してみる。いや、それはそうなんですよ。たしかにそれはその通りなんだけれど、でも、
「人間は放っておくと楽なほうに流される生き物である」
ということもまた事実なんですね。
設定やプロット、キャラクターのバックボーンといった部分は、基本的に表に出ません。だから、どうしても手を抜きたくなるものと思うんですよ。一生懸命やってもひとにはわからないんだから。
でも――やっぱり、そこで手を抜くと表に出る部分に深刻な影響が出るものなんですね。逆に、そこを真剣にやれば良い作品ができる可能性は格段に上がる。ひとが手を抜きがちなところに力を尽くしているんだから。
だから、「ひとそれぞれだよね」と結論づける前に、もう一度訊ねてみたいところ。「あなたが選んだやり方は、本当にあなたにふさわしいやり方ですか?」。「ただ楽なだけのやり方に流れてしまっていませんか?」と。
ぼくはいままで思い切り楽な方向に流されていたと思います。だから、反省してプロットに力をいれようと思っているわけです。でも、べつにだから「あなたもそうしなさい」とはいいません。人それぞれだからです。
ただ、それが楽だからという理由でプロットを作らずに書き始める人は絶対にうまくいかないとは断言できます。何だろな、『SLAM DUNK』で、桜木花道が地味な基礎練習をサボるようなものですからね、それって。
基本が大事、なのです! どこの世界でも。