『停滞とはすなわち退化と同義』

 先週のジャンプの『食戟のソーマ』で、『料理人にとって停滞とは退化と同義』とあった。
 これは何にでも言えることで、幾らスタート地点が高かったり、一度一つの高見に到達したとしても、そこから進まなければ退化と同義と言える。
 例えば、5歳児が九九を覚えてたらすごいと褒めるだろう。でも、十歳になっても、二十歳になっても九九以上の計算が出来ないのならばそれは退化どころの話じゃない。 
 ラブコメがすごい上手い人でも、毎回三角関係ばっかり書いて、似たような展開を繰り返すならそれは「昔はよかったけど、またこのパターンか。いい加減飽きた」と言われかねない。もちろん、同じ三角関係でも毎回手をかえ品をかえで「今回の三角関係はこうきたか」と進化してたらいいとは思うのだけれど、ともかく哲学さんてば停滞してるなド畜生。(唐突に切れる)

 いや、停滞どころか退化だよ! 何年ワナビやってんだよ!
 今の環境に慣れるな!
 停滞するな!
 ほっといたらズルズルやぞぅ!



 と壁に頭を打ち付ける毎日。まあそんなことする暇があれば面白い話を書け、と言う話だが。
 そして、いつものパターンだが、書き直すことにした。
 今日、またすんごい面白い話を読んだんだ。感動した。哲学さんはこういう話を書きたい。
 人の心を動かさねばならない。
 しかし、自分の心が停滞してるなら、書いてる話も停滞するさ。
 ともかく魂を燃やせ燃やせ。
 ということで、書き直す。盛大に書き直す。
 とことん書き直す。