第二章 執筆分
書いてる途中の二章を公開。
第二章
マンチキンという言葉がある。元の意味はオズの魔法使いに出てくる種族の名だが、それとは別にTRPGというゲーム分野でスラングとして用いられることがあるという。その意味は、ともかく自分のプレイヤーキャラクターが有利になるよう、周囲に自分のワガママを押し通す迷惑プレイヤーのことだ。
しかし、アメリカで生まれたこのマンチキンという言葉は日本へ輸入されるに従って本来の意味とは別の形で広まることとなる。それは様々なパターンがあるのだが、多くの場合、「ルールの範囲内で自分のキャラクターを最大限に強くすることを目的とするプレイヤー」のことを指す。
つまり、アメリカとは違い、ともかくルール至上主義で、ルールを頑なに破ろうとしないのである。その為か、多くの日本型のマンチキン――和製マンチキン、あるいは略して『和マンチ』と呼ばれる人間はルールに非常に精通しており、肯定的に受け入れられることもあるそうだ。だが、彼らの中には自らの目的の為にゲームバランスの崩壊すら顧みず、ルールの穴をついてともかく自分に有利な展開へと持ち込もうとするプレイヤーもいるとか。
そんな彼らは一様に言うのである「ルールは破ってない」と。
「会いたかったわ。トモ……いえ、ここではアウェイクと呼ぶべきなのかしら」
万感の思いを込め、伝える。夏休みにフラレて以来――初めて交わした会話だ。
それだけでちょっと嬉しい。
聞きたいことは色々ある。話したいことも沢山ある。
だが、恋する乙女である私とは別に、剣士としての私が脳裏で警鐘を鳴らし続けていた。
――どうして彼らは《死亡》判定されているの?
私とトモシゲの距離は約五メートルと言ったところ。その視界の隅ではトモシゲにプレイヤーキル――PKされた人達が六人雁首を揃えている。
普通に考えれば、ゲーム開始時は低レベル保護機能が働いているおかげで、PKが起きても《死亡》判定にはならないはずだ。
では、目の前で起きているのはどういうことなのか。
ちらりと自分のレベルを確認する。視界の右上にはレベル2・レッカと表示されている。普通ならPKの心配はない。
――トモシゲは何か、このルールを打ち破る方法を持っている?
《死亡》判定を受けると二十四時間敵を攻撃できないし経験値も入らない、クエストも進まない状態になる。今回の大会は五時間しかないのだから、《死亡》状態は実質上のゲームオーバーだ。
「意外だな。お前がこんなゲームに興味があるなんて」
「知ってるでしょ。私は体を動かすのが好きなのよ」
どんな顔をして会えばいいのか、と思っていたが、意外となんとかなるものだった。むしろ、平然と話かけてくるトモシゲにちょっと不満を覚える。相変わらずふてぶてしい男だ。
――まあ、そんなところも好きなんだけど。
惚れた弱みとはよく言ったものだ。相手に対して実に甘くなる。
「確かにこのゲームはお前向きかもな。どうだ? 一緒にパーティ組むか?」
甘美な誘い。
彼と一緒にこのゲームを楽しむのもいいだろう。正直なところ、一緒にいるだけで満足してしまうだろう自分が簡単に予想できる。けれど。
――『ゲームをしよう。ボクと、キミとで、だ』――
大会開始前に囁かれた言葉が耳元でざわつく。
私はすべての未練を振り払い、決意した。
「知ってるでしょう? 私はあなたに惚れているのよ?」
その言葉で彼も事情を察したらしい。彼の顔が引き締まる。
「悪いけれど、あなたの不敗はここで終わらせる」
ゲームで彼に勝つことが――彼と付き合う条件。ならば、ここはぐっとこらえて戦うしかない。
「なるほど。だったら遠慮はしない」
途端、強力なプレッシャーを感じた。
驚愕に目を見開く。
――嘘っ! これがトモシゲだっていうの?
学校では昼行灯で、図体はでかいのに存在感のない男なのに――今はその長身に相応の、いや、それ以上の存在感を示している。まるで、目の前で彼が巨大化したような錯覚。
巨人に睨まれたような、踏みつけられそうな圧迫感。
これまで隠していた彼の本性が今晒された――そう感じる。
――でも、私だってサムライの後継者。あなたより強い奴らと戦ったことなら幾らでもあるわっ!
私も負けじとにらみ返し、気の内圧を高めた。ロスでは彼よりも大柄な黒人の男や白人と木刀で打ち合ったこともある。勝ったこともある。ゲームとはいえ、剣の素人に立ち合いで負ける訳にはいかない。
空気が張りつめていく中、あの日の言葉が頭の中でリフレインする。
――『これじゃ、愛の告白というより、果たし合いだな』――
思わず笑みが浮かぶ。
――本当に果たし合いをすることになるなんてね。
これがテレビゲームやパソコンゲームなら私に勝機はなかっただろう。けれども、今回のゲームは実際に体を動かすもの。それならば、剣術をやっている私に充分チャンスがあるはずだ。
タイミングを計り、踏み込もうとした時――、トモシゲが不意に口を開いた。
「――お前はまだレベル十五以下か。保護機能が働いてるな」
「当たり前でしょ? ゲーム始まったばかりだからレベル低いに決まってるでしょ?」
思わず言葉を返す。何故か、トモシゲに苦笑されてしまった。何がおかしいのかと怒声をあげようとしたが、機先を制するようにトモシゲが踏み込んでくる。
――しまったっ! タイミングをずらされたっ!
こちらが攻めようとしたのを察知し、会話で気を逸らさせたのだろう。これが意図してやったのなら異様に戦い慣れている。
――しかも、早いっ!
インドア派のはずのトモシゲは想像を裏切りたったの二歩で距離を詰め、長身と長い手足を活かした斬撃で迫ってくる。しかし、ついていけない動きではない。私は半身をずらし、余裕を持ってそれを避ける。違和感。踏み込みの速度のわりに斬撃が遅い。
気がつけば避けた地点から更にもう一度右へ飛び退いていた。遅れて架空の銃弾が私の元いた位置を通過する。トモシゲの顔に僅かに驚きの色が生まれ――そして笑った。
「――よく避けた。俺に勝つ、と言うのは伊達じゃないみたいだな」
垣間見えた驚くほど幼い笑顔にどきりとする。ただの一瞬の出来事だが――それでもトモシゲの本物の笑顔を初めて見たと思った。誰よりも無邪気で誰よりも獰猛で攻撃的な、戦う為に生まれたような獣の笑み。
――これが……彼の本質っ?!
学校生活では一度も見せなかったその表情に思わず見とれた。
しかしそれも僅か一瞬のこと。トモシゲはその笑みをいつもの涼しげな顔の奥に引っ込め、一歩後ろに下がった。
「脅威度(ランク)Aの強敵とみなしてやろう」
「よく分からないけれど、あなたに高い評価を貰えたならとても嬉しいわ」
動きを止めたトモシゲを警戒しつつ、更に後ろへ下がる。改めてトモシゲを見ると、右手には仮想の剣を、左手には仮想の銃を装備していた。
「両手に武器? そんなことが?」
「ルールには片手のみとは書いてなかっただろ?」
言いながら、彼は左手の銃を立て続けに放ってきた。私は左へ走りつつそれをかわしていく。
「左手なのに射撃が正確ねっ!」
「元々左利きだ。お箸を持つために矯正されて後天的に両利きなんだよ」
左に避け続けた結果、路地裏の壁の側へ移動させられる。
――追い詰められたっ!
そう思った時には再びトモシゲが踏み込んできていた。
咄嗟に壁を蹴って強引に反対側へ跳び、斬り込みをかわす。そして掲げた右手で剣のジェスチャー。
《ソードモード》
効果音(サウンドエフェクト)で私の手に青白い半透明の仮想の剣――サイバーソードが生まれるのが分かる。すぐ目の前には剣を振り切った無防備なトモシゲの姿。
――もらったっ!
踏み込まれたのを逆手に取り、私は自らの放てる最速の剣を振り下ろした。
「破っ!」
私の脳裏に相手を叩き斬る鮮明なイメージが浮かぶ。卓越した武術家の想像力(イマジネーシヨン)は現実を先取りし、事象が後から追いついてくる。祖父から幼少よりたたき込まれた剣が今結実する――!
ところが、その想像(イメージ)に現実(リアル)どころか、仮想(ヴァーチヤル)が追いついてこなかった。
本職の意地を賭けてレッカが振り下ろした剣はしかし、トモシゲに触れることなく消失した。
「…………っ?!」
腕を振り切った後、思い出したかのように架空の刃が再出現する。驚愕する私をよそにトモシゲは左手の銃を剣に切り替え、私の体へ突き刺した。当然痛みはない。だが、視界の左下にあるライフポイントのゲージが空っぽになり、《戦闘不能》の文字が出る。同時に、私の手から架空の剣もかき消えた。これで五分の間、攻撃出来ない代わりに死ぬこともない。
――立ち合いで……ゲームとはいえ生身の戦いで私が負けたっ!
私にとってそれは信じられないことだった。
これが祖父であったり、同年代でもトップクラスの武道の経験者なら分かる。しかし、相手はどう見ても素人だ。幾ら体が大きく、生まれ持った身体能力が高かろうとその動きは洗練されておらず、鍛えられた様子もない。
愕然とする私から彼は数歩後ろに下がり、距離を取る。
「俺を一方的に倒す千載一遇のチャンスを逃したな」
トモシゲの言葉にはっとした。
ライフポイントがゼロにならず、一で止まっているのだ。つまり、低レベル保護機能は正常に働いている。とどのつまり、向こうはシステムのルール通りこちらを倒すことはできなかったということ。
――じゃあ、周りの人達はレベル十五以上ってこと? でもどうやって?
ゲームがスタートしてないのにどうやってレベル上げをしたというのか。
「五フレーム早かったな」
「?」
「格闘ゲームで言うところのキー入力ミスって奴だ。このゲームのモーションキャプチャーはそこまで精度が高くない。機械がお前の早すぎる動きについていけなかった。そういうことだ」
トモシゲの言葉が指し示しているのが先ほどの仮想の剣が消えた現象のことだとようやく気付いた。あの現象は私の動きが速すぎて機械が認識できなかったことが原因らしい。機械から見たら私の指先が瞬間移動したように捉えられたようだ。
つまり、事実上私が勝っていたにも関わらず、審判がそれを見ていなかった――そういうことらしい。
「このゲームはプレイヤーの運動能力が非常に重要になってくる。お前は俺よりも運動神経に自信があったから勝利宣言したんだろうが――ゲームへの理解度が後一歩足りなかったな」
トモシゲの最初の斬撃が遅かったことを今更ながらに思い出す。あれはフェイントもあったのだろうが、私みたいに早すぎて斬撃が無効にならないように、という意味もあったのかもしれない。
「まさか……私の斬撃が早すぎることまで読み切って?!」
「そいつは偶然だ」
笑って応えるトモシゲに私は確信した。
「あの時、俺は死を覚悟したよ」
――嘘だ。
彼はそこまで読み切って行動していた。そうに違いない。そして、彼はそこまでの力を持っているのだ。
「…………なるほど。あの子が勝つのはあんただって信じるだけのことはあるわね」
――これが彼の本当の姿? あるいは、隠されていた一面?
私はごくりとツバを飲みこんだ。
――すごい。トモシゲは……本当に、強い男だったんだ!
身のこなしは武道家に比べれば洗練されていない。あくまで一般人の動きだ。それでも、おそらくはこのゲームを行うにあたって最適化された動きをしている。
この男は強い。本物の剣を手にしたら負けることはないと思うが、少なくともこのゲームにおいてはこの《サムライの後継者》たる翔烈火よりも強い。
何かを秘めているとは思っていた。それだけの価値が彼にはあると直感で感じていた。それは正しかったのだ。普段の泰然自若なその態度の奥には抜き身の剣のような鋭さと鋼の精神があった。
「すごい……惚れ直したわよ」
心からの賛辞。だというのに、彼の顔は苦いものだった。
「よく分からんが、お前も俺を過大評価しているな」
彼の言葉に私は戸惑う。こんなにも強いのに、何故そんな卑屈な言葉が出てくるのか。
――まあいいわ。今回は負けた。でも、まだゲームオーバーじゃない。私にはチャンスがあるっ!
あと数分待てば再びライフポイントが満タンで相手に攻撃出来るようになる。その時がチャンスだ。それまで彼を逃がさないように時間を稼ぐ必要がある。が。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ」
突如としてトモシゲの倒した青年のうち一人が奇声をあげる。
「ひどいひどいひどいぞぉぉぉぉぉっ! ゲーム開始直後にプレイヤーキルなんてずるいっ! 卑怯すぎるっ! せっかく七万円の参加費払ってまで来たのに! 有給を無理矢理とって東京から来たのに! この仕打ちはなんだよっ!」
――え? このゲーム参加費そんなにしたの?
招待状を貰った私はそんなこと知らなかった。なるほど、ティーンズが少ない訳だ。
「このゲームはプレイヤーキルが禁止されてない。警戒を怠ったお前が悪い」
大人げなく喚く青年に対し、トモシゲはいつも通りの涼しい顔だ。
――本当に物怖じしないのね。
「文句なら運営に言えばいい。そもそも、あんた達もチュートリアルでレベル上げみたいな廃人プレイなんかせず、この子みたいにスタートから素直に楽しめば俺に狩られなかったものを」
「お、お前が言うなよっ! どう見ても俺達よりレベル上じゃないかっ!」
彼らの会話でようやく低レベル保護機能が彼らに働かない理由に思い至った。彼らはゲームが開始する前、チュートリアルで低レベル保護機能の働かないレベル十五以上まであげていた――そう言うことらしい。
ゲームの前の説明会が終わったのが正午。ゲーム開始が十三時から。その間の一時間の間に各プレイヤーはチュートリアルと昼食を済ませるように、と言われていたのだが、彼らは食事もそこそこにずっとチュートリアルで経験値稼ぎをしていたのだろう。
――よくそんな抜け道を思いつくものね。
と、そこで背後に近づいてくる気配を感じた。
「見つけたっ! こんなところにおったかっ!」
トモシゲ達が言い争う間に新たな人間がやってくる。
「ちっ、厄介な奴が来た」
現れたのは――ゲーム開始前、トモシゲに突っかかっていたトッププレイヤー、フェスタだった。彼女はトモシゲを見つけるなり嬉しそうな顔をしていたのだが――彼の周囲で負かされたプレイヤー達を見、状況を把握するするにつれ、険しい表情になった。
「アウェイクっ! お前どういうつもりやっ! よりにもよってPKとかっ! そんな方法で勝つつもりなんかっ!」
激昂するフェスタの声が通りに響き渡る。
――どういうこと?
びりびりと震える空気に私は思わず圧倒された。たかがゲームに何故ここまで彼女は怒っているのだろう。
謎の怒りを爆発させるフェスタに対し、トモシゲは両の手を開き、武装を解除する。
「――お前と戦っても俺に得はない。お先に失礼する」
トモシゲは私に顔を向け、再びあの無邪気な、それでいて獣のような笑みを浮かべた。
思わずどきりとしてその笑顔に見とれる。
「せいぜい生き残れ」
トモシゲはそう言って二本指を伸ばした右手で中空に逆三角形を描く。すると、彼の肩に頭巾と面頬を被った忍者姿のリスが現れた。そのリスが中空でくるりと回転する。
途端、トモシゲの姿が視界からかき消えた。
「嘘っ!」「ハイディングっ!」「消えたっ?!」
ゲームなどにおいて自分の姿をかき消すスキルはポピュラーな部類のものだ。ゲーム上から自分以外の姿を見えなくし、隠密行動を容易くする。これがコンピューター上のゲームならば分かる。
しかし、ゲームの判定を機械が行っていると言ってもあくまでもここは現実の世界。生身の人間がこの世からかき消えるなんて現象があり得るはずがない。
私は思わず駆けだし、先ほどトモシゲにいた場所へ手を伸ばした。だが、伸ばした手は空を切り、そこには何もないという事実だけを知る。
「げぇぇぇぇぇ! 現実世界で姿消し(ハイディング)だとっ!」「さすが汚い。忍者汚い」「運営の科学力は化け物か」「ドイツの科学は世界一ィィィ!」「ドイツ関係な……あ、制作元はドイツか」「いやいやい、あり得ない。どうやってるんだこれ!」「ご丁寧に足音だけ聞こえるぞこれ!」「……っておい、おまえいら! ゴーグル外せ!」「あっ!」「マジだっ!」
わめく青年達につられて私もゴーグルを外す。すると通りの向こうへ走っていくトモシゲの姿が確認できた。詳しい原理は分からないけれど、姿を消したのではなく、「ゴーグルから姿が表示されなくなった」だけらしい。そういう手段がこのゲームには用意されており、トモシゲはいち早くその方法を入手していた、ということなのだろう。
我知らず拳を握りしめる。
――悔しいけど、二歩も三歩も彼は先を行っているっ!
持ち前の運動能力と剣術の腕前を武器とする私に対し、彼はこのゲームへの理解力、適応能力において抜群の力を示している。今までに前例のない、画期的なARゲームという分野であるにも関わらず、だ。
――本当に私に勝てるの?
思わず弱気が心の中に顔を出すが、すぐに引っ込めさせる。
――いいや、勝ってみせる。何が何でもっ!
決意を新たにする私の側で社会人達はほっとしたのか再び騒ぎ始めた。
「これは私が思うに、契約モンスターの支援攻撃ですな。レベル十五から開放される契約モンスターの支援技は各モンスターごとに違う。あの男が契約していたリス忍者の能力はハイディングだった――そういうことですな」「おお、さすがベテランゲーマーのリリカル卿。あれを一目で見抜くとは」「いやはや、我らは契約モンスターの選択で負けていたと言う訳か」「リリカル卿! このゲームではブレイヴパートナーって呼び名らしいですよ」「別に呼び名とか今更どうでもいいですよ」「ていうか、開始直後にピーケー有りとかマジクソゲー。運営の頭腐ってんのか」「マジ最悪すぎるわー。マジ勘弁だわー、これ」
社会人チームの中でも最年長らしい眼鏡をした小太りの男性――キャラクターネームを見るとリリカルステロイド男爵――の言葉と共に口々に怨嗟の言葉を吐く社会人達。七万円もかけ、有給まで用意して参加したゲームイベントで即退場させられたらそうなる気持ちも分からないでもない。
――でも、リリカルステロイド男爵ってすごい名前ね。日本人のゲーマーの間では普通の名前なのかしら。
気になるところではあるが、今回は無視することにした。そんなことよりも――。
「……あんた、アウェイクとどういう関係なん?」
振り向けば怒りに震えるフェスタが尖った目でこちらを睨んでいた。
「うーわ。聞いて損した」
フェスタの身も蓋もない感想に私は閉口した。
黙り込む私とフェスタの間をポリゴンで出来た可愛らしいぬいぐるみ状のモンスター達が空気を読まずに通り過ぎていく。
薄緑色の空の下、公園の至る所をポリゴンで出来た魑魅魍魎達が行き交う。夏休みだというのに、人っ子一人いない寂しげな空間を異世界からの来訪者達が賑わせていた。彼らは侵略者の割に敵対するはずのプレイヤーである私達を無視してあちらこちらを物珍しげに見てまわっている。これでは侵略者と言うよりは観光客だ。
「おい、どっち見とーねん。話し相手の方を向けや」
フェスタの言葉に私は逸れていた意識を目の前の相手に再び向ける。向かい合わせのベンチに座る、どう見ても中学生にしか見えない小柄な少女――フェスタの方に。
「……ったく、アホらしい話やで」
彼女はため息をつきながら懐からタバコを取り出し、慣れた手つきで火をつけた。こちらが止めるまもなく彼女は自然にタバコを吸い、ふぅー、と煙を吐き出した。それと共に彼女の中に蓄積されていた怒りや、激情が抜け出て賢者のごとき落ち着きを見せていくのを感じる。
「未成年のタバコは――」
「アタシは二十歳の大学生や。気にせんでええよ」
言いながら、彼女は車の免許証を取り出して見せてくれた。戸松(こまつ)祭(まつり)という彼女の本名と生年月日が記されている。どうやら彼女が二十歳だというのは本当らしい。日本人は白人に比べて若く見えるというけれど――それにしてもギャップがありすぎる。
――気にするな、と言われても気になりますよ。
心の中でツッコミを入れつつも、それをぐっとこらえる。口にすればせっかく収まった彼女の怒りが再び暴発する気がしたからだ。
私はあの後――トモシゲに逃げられ、フェスタに問い詰められた後、スタート地点の公園に戻り、彼女に自らの事情を説明した。同じ高校に通っていること。惚れたので告白したのにフラレたこと。謎の電話によってこのゲーム大会に招待されたこと。
それらの話を全て聞いた上でフェスタが口にした感想が、先ほどのものと言う訳である。
「その、聞いて損したとはどういうことでしょう?」
逸れていた話を元に戻す。見た目はどうみても年下であっても、年上には敬意を持って接しろと祖父に強くしつけられている。なので私は相応の態度で彼女に向き合っているのだが。
「アホか。考えたら分かる話や。
ゲームに勝ったら恋人になる?
そんなんで本当の恋人になれる訳ないやろ。そんな無理矢理出来た恋人に価値なんてないない。
あんたがやるべきは、化粧して、手料理でも作って、抱きつきーや」
――真っ向からの全否定!
いや、確かにそれはそうなのだけれど、それを言ったらおしまいというか、そんなことを言われてしまうと私の立場がない。これではまるで私が失恋のショックで判断能力が落ちてて馬鹿な行為をしてるみたいだ。
「で、でも色気でどうにかなるならとっくにビッチ先輩にとられてるのでは?」
頭を絞り、なんとか反撃を試みてみる。しかし、フェスタの答えはきっぱりしたものだった。
「そこは自分で考えーや。あいつに好かれるよう、努力せーよ。
だいたいな。あいつはお前の手に負える相手やない」
そう言いながら、彼女は再び口から煙を吐いた。
「一瞬、待ちー」
フェスタは拳から人差し指と中指の二本指を伸ばしたハンドサインを中空でくるりと回転させた。途端、彼女の体を取り囲むようにいくつかのメニューアイコンが中空に浮かび上がる。その中の一つ、地球のアイコンを二本指でクリックし、彼女はウェブブラウザを起動した。気怠そうな態度とは裏腹に、その動きはとてもスムーズだ。
――すごく慣れてる。
フェスタの迷いのない操作に私は思わず感心する。これもトッププレイヤーとしての才覚なのか。今日初めて手に入れたはずのデバイスをもう自分のものとして使いこなしている。
彼女は更に仮想のメニューを操作し、幾つもの仮想ウインドウを私の前に展開した。まるで空飛ぶレポート用紙を魔法で突きつけられたようだ。私の体を取り囲むようにゆっくりとウインドウ達が回転する。
「これは? ゲームのランキング?」
浮かび上がるウインドウ達に表示されていたのは何かのゲームのランキングのようだった。そのどれにも二位や三位に《Festa0224》の名前が踊っている。しかも、一つや二つじゃない。十個以上のウインドウ、その全てにおいて千数百勝数百敗みたいに幾つもの戦いを経て上位陣に名を連ねている。確かに彼女はトッププレイヤーなのだろう。しかし――。
「アウェイクの名前がありませんね」
「ったりまえや。あいつの名前は下から数えた方が早い」
――え? でもそれじゃあトモシゲって弱いことになるんじゃ――。
私が疑問を口にする前に、彼女は腕を振るい、検索窓を呼び出した。手元に出現させた仮想キーボードを使ってキーワードを入れると私の周囲のウインドウ達が次々と検索結果の画面に切り替わっていく。
幻想的なその光景に思わず見とれてしまうが、しかし表示された検索結果に私は思わず声を失った。
――嘘でしょ?
確かに彼のスコアは別に高いものでもなんでもなかった。せいぜい八十回ほど勝ってるかどうか。おかげで総合スコアは低い。ゲームのランキングの順位も低い。けれども――。
八二勝○敗一三分。七四勝○敗六分。九五勝○敗二四分。百二勝〇敗七分。九〇勝〇敗十一分。六〇勝〇敗〇分。七八勝〇敗一〇分。一三〇勝〇敗二三分……等々。
ない。
どこにも、ない。
彼が敗北したという記録が……どこにもないっ!
「ゲームってもんは――いや、ゲームに限らず全ての戦いってもんは――勝ったり負けたりするもんや。そうやろ?」
厳かに告げるフェスタの言葉に私は頷いた。当たり前の話だ。常勝不敗なんてものは現実にはなかなか存在しない。多くの場合、強者は、沢山の敗北を乗り越えて強くなっていくもの。フェスタのように沢山の勝利とそれに比した敗北も経験するのがほとんどだ。
無論、何事にも例外はある。
生涯無敗や、公式戦無敗などのように記録上一度も負けたことのない人間も確かに記録されている。今もなお実在もしている。けれど、そんなのは例外中の例外だ。
例えば剣豪宮本武蔵は十三歳で初めて決闘してから六十回あまり一度も負けることなく勝ち続けたという。それでも、武蔵だって六十回前後だ。この数はおかしい。
――無敗だって聞いてたけど……ここまでとは。
「つってもゲームやからな。こういう記録は信用でけへん。八百長(アビユーズ)も混じっとーと思う。
実際あいつより戦闘回数多いけど無敗の者(モン)だっておる。五〇〇勝無敗とかな。そういうのは大概アビューズやってる奴らや。
……けどな」
一呼吸おき、フェスタは断言する。
「トッププレイヤーのアタシでも、一度だってあいつに勝ったことないねん。何度か戦ったことがあるのに、やで?」
私はごくりと息を飲んだ。
改めて中空に並び浮遊するウインドウ群を見る。ジャンルはバラバラだ。パズルゲームもあれば、対戦格闘ゲームもあるし、ガンシューティングやカードゲームもある。なんだかゲームセンターにあるゲームを片っ端から極めました、て感じだ。節操がなく、統一性がない。だが、その全てで彼は無敗を貫き通している。
ゲームと言う土俵であれば、必ず勝つ。そんな気概を感じる。
「もう一度言うわ。やめとけ。諦めーや」
そう言ってフェスタは再び口から煙を吐いた。そして、私の顔を見て――唖然とした。
「どうしました?」
「なんつー顔しとーねん」
聞き返す私に対し、フェスタは幾つかの複雑な表情を経て、最終的に呆れた顔をした。
「恋する乙女の顔やないで」
私は――笑っていた。
近くに鏡がないので確かめることは出来ないけれど、それでもフェスタの反応を見れば分かる。私はきっと、怖い顔をしている。
だってそうだろう。
彼が――粟井友重と言う男は私が思った以上に遙かなる高みに達しているというのだ。それに挑むことになろうとは――こんなに光栄なことはない。
「燃えてきました」
思わず立ち上がる。それに伴って私の周囲に浮かぶウインドウ達もついてくるが、右手で触れた後、下におろすジェスチャーをすると虚空に消えた。
なんにせよ、滾る話だった。身体の奥底から熱が沸き起こり、今にも走り出したくなる。「一人の戦士として、改めて彼と戦いたくなりましたよ」
名前の通り、メラメラと闘志を燃やす私を見てフェスタはタバコの吸い殻を踏みつつ、ため息をついた。
「……あいつと同じ笑い方しよるな」
瞬間、私の身体は固まり、今度は先ほどと別の意味で顔が真っ赤に火照る。
「えへへ……そ、そうですか?」
はにかむ私を見てフェスタはますます眼を細めた。その表情からは「もう勝手にしてくれ」と言う感情が伺えるが気にしないことにする。しかし、私が表情を読み違えたのか、フェスタはさらなるお節介をかけてきた。
「盛り上がるのはええけど、あいつはお前が思っとーほど真っ当な男やないで。
そもそも――」
とそこでフェスタの言葉が途切れ、私は眼を瞬かせる。見ると彼女は周囲へ視線をやっていた。
「……多すぎやろ」
彼女の言葉に釣られ、私も周囲に目をやった。そして、絶句する。そこには相変わらずポリゴンで出来た魑魅魍魎達が跳梁跋扈していたのだが――確かに多すぎた。余りにも多すぎる。
私達が会話をする前と比べたら十倍以上、それこそ、足の踏み場もないほどのモンスター達にいつの間にか取り囲まれていた。とはいえ、かの異世界からの来訪者達はこの状況に至っても私達プレイヤーのことを気にせず、野放図にそこにを動き回るのみ。
ここまでの密度のモンスター達が一カ所に集まるのはゲームに疎い私でもさすがに異常事態だと分かる。
「……これは一体?」
「――モンハウやな」
今日書けたのはここまで。
約一ヶ月半、ずっとフェスタとの会話を書き直してけど、未だに納得がいかない。
ぶっちゃけ今日の分も納得がいかないけど、まあ、ともかく話を進めることにする。
なんかこのシーンがしっくりこないのよなぁ。