プロットとアドリブ

あとひとつ、思いついたことがあるので書いておきます。
自分のエントリにも海燕さんのお話にも、「プロットを作らず、アドリブで書く人」の話が出てきますが、(たまーにあとがきとかで「先のことは何も考えず書いたが、どうにかまとまった」みたく書かれているアレです)そういう作品も読んでみると、大抵まともなプロットに従ってるものが少なくないのです。(たまーにナンジャコリャといいたくなるような奇想天外なものも混じっていますが)
つまり、そういう作家さんはプロットを作らないのではなく執筆と同時進行でプロットを作っているというのが正確です。
してみるとハルヒはやはり、意識的にプロットを「抜いた」としか思えない部分が多々あり、それは作中世界を成立させるための手段のひとつだとは思いますが、とんでもなく高度なことをやっているんだなあ、と感心することしきりです。